昔話 - 大魔法師の拾い物 前編
大魔法師がその青年を拾ったのは、冷たい雨の降り頻る秋の入り口の頃だった。
「お前さん、傘もささないで何してるんだ?」
小雨と呼ぶにはやや大きな雨音に負けないようラダンは声を張る。街での仕事を終え、馬車での送迎を断っていつものように一人歩いて帰宅した。いつもと違ったのは庭に人影を見つけたこと。警戒心は無いでもなかったが、影は大きな樹の根元に蹲り動かなかったから、駆け寄ってしまうのが人情というものだろう。
どうやら生きてはいるらしいことを見留め胸を撫で下ろす。若い男だった。青みがかった髪はしとどに濡れてうなじに貼り付き、無言で見上げてくる瞳は黄昏に薄墨を混ぜたような色合い。疲労の色は濃かったが、どこかの御曹司かと見紛う妙な気品がある。
「オイオイひでえ顔色だ……。立てるか。ともかく中に入って暖まれ」
肩を貸そうと屈んだ時、やっと聞こえたのは唸るような声。
「……恐らく……」
「お?」
「腹が減っている、んだと思う……」
「なんだそりゃあ……?」
成人男性の他人事のような口振りに困惑しつつ、半ば担ぐような形で家の中へ連れ込む。体を鍛えているとこういう時にも役立つのだ。
真っ先に体を拭くための布を押し付ける。鍋を火にかけ戻ってくると、先に受け取った姿勢のまま立ち尽くしているものだから、見かねて頭の天辺から少々乱雑に拭いてやった。
「あとは自分でやれ、風邪ひいちまうぞ」
「……」
「火を炊くから待ってな」
わざわざ郊外に居を構えるほどだ、普段ならあえて火起こしにも時間をかけるのだが、急ぎのため魔法に頼る。焚き付けも使わず、無造作に投げ入れた薪に直接指先から火を点ける。青年は相変わらず無言で……だが、魔法を放った手元を凝視していた。実際に、しかも無詠唱で使うところを見るのは珍しかろう。ラダンはぱっと両手を開いて示した。
「簡単な魔法だよ。ま、仕事なんでな」
無言。返答のないことに肩を竦めつつも、台所から野菜を煮込んだスープを持ってきてやる。昨日の夕飯の残りだがどうにか二人分はあった。
「食べな。腹が減ってるんだろ」
「……」
「毒なんざ入ってねえよ」
自身も向かいに腰掛けると、食卓の籠からパンを掴み取り、ちぎってスープへ浸し口に運んだ。しばらく目の前の器を見ていた青年だったが、やがてゆるゆると匙を手に取る。
そっと盗み見る。冴え冴えと霜の下りたような瞳はやはり印象的だ。顔立ちは整っている部類だろう。数口を食べ、眉根を寄せてさえも。
「口に合わないか?」
「いや……」
黙々と口に運んでいるところを見れば気に入らない訳でもなさそうだった。空腹というのは本当だったらしく、存外に全てを食べきって、一息。少しは血色も良くなってきた。
「……助かった。何を返せばいい?」
藪から棒に問われる。些か不遜な物言いではあるが礼節を知らないわけではないらしい。
「良いって、見殺しにする方が寝覚めが悪い。大魔法師様ン家の庭に死体が転がってちゃあな」
生憎と手ぶらの人間に何かを要求するほど困ってはいない。それなりに名を知られている自負はあったのだが、大魔法師と聞いても特段の反応はなかった。青年は険しい表情のまま辺りを見回す。
「この敷地には魔素が満ちている。何者だ?」
「そりゃこっちの台詞だ」
反射的に応じ、しかし確かに魔素と口にしたことに驚く。先刻の魔法に対して反応が薄かったのも頷ける。真偽は定かではないが彼自身、何かしら馴染みがあるのだろう。
国外からの旅行者にも見えなければ、この家が迷い込むような場所に位置しているのでもない。国内の魔法師であれば広く顔を見知っているつもりだったが、一目見たら忘れないような美しい容姿をしているのに、どうにも心当たりはない。
「何者か、ってか」
ため息。かなりの世間知らずか、どのみち肩書きを伝えたところで大した意味はなさそうだった。会話が成り立つところを見れば記憶喪失などでもなさそうだが。
「オレはラダン。さっきも言ったが魔法師をやってる。それでここはオレの家」
「魔法師……兵士か?」
「いや、軍の所属じゃなく研究者ってとこだな。だからこの場所も魔素の流れが整うように色々と工夫してんだよ。それにオレがガキの頃と違って、兵隊なんざめっきり見かけねえさ」
その見た目で、とでも言いたげな視線に気付き付け足す。
「ほら、鍛えといた方がカッコイイだろ?」
せっかくの軽口にさえにこりともされないのはさすがの大魔法師とて少しだけ傷付く。冗句は封じよう。早々に諦め、椅子にもたれて腕組みをする。
「……それで、お前さんは? その歳でまさか迷子じゃないだろう」
物盗りとも思えない、とは飲み込む。こんな町の外れまで来る物好きはそう居ない。ましてや魔法師の『城』に侵入するなど愚かなことだ。
「名前は?」
「……アーレイン」
「ほう。家名はあるか?」
「無いと困るのか?」
「そういうわけじゃないが」
それ以上は口を開かない。もう一度ため息。どこかの貴族様だとしたら面倒事に巻き込まれるのは御免だが、いずれにせよ偶然の巡り合わせだ。深入りしない方が得策と判断する。少なくとも害意は感じなかった。他の魔法師達には無防備が過ぎると言われそうだが、別段盗まれて困るほどの物も置いていない。
「ま、言いたくねえなら無理に訊くつもりもねえよ。今日はもう遅いし、客間を貸してやるから休んでけ。朝になったら勝手に出ていってくれて良いから」
アーレインという青年は俯いたまま。
「オレはもうちょい作業するが――」
「俺に生き方を教えてくれないか」
放置を決め込もうと腰を浮かしかけたところで唐突に彼は顔を上げた。
「俺は何も持っていない。ここで生きるために必要な知識も、技能も、対価も」
連ねられる言葉には静かながらも苦難と焦りの響き。どうやら只事ではないらしいことだけは察せられた。
「返礼は……善処する。だから、」
先ほどから用いられる対価やお返しといった言葉。ラダンにとって個人の思想なら一向に構わないが、見返りがなければ施さないと――つまり狭量と見られるのは釈然としなかった。
それに、最初からどうしても気になることが一点だけ。これまでに出会ったどの魔法師より魔素の流れが馴染んでいるように感じるのだ。ラダンと同等の立場に在る魔法師にさえ匹敵……もしかすると、超えるくらいに。
「……普通なら、お前みたいに怪しい奴は追い出しちまうんだがな。ちょっと見せて欲しいもんがある」
まったく好奇心というのは厄介だ。怪訝そうにする男へ告げる。
「魔法。使えるんだろ?」




