第19話:失せ物探し
どのくらいの時間が経ったろう。やはり暗くなるのが早い。すっかり辺りは夜の気配で、心なしか寒くもなってきた。穴の中だから風が直接吹き付けないのがせめてもの救いか。
虫の鳴き声も蛙の合唱もこんなに心細くなるものとはシエラは知らなかった。もしかすると本当に見つけてもらえないかもしれない。そうなったらここでお腹を空かせて……それより先に、何かの間違いで魔獣が現れたとしたら? ぶるりと身を震わせ、いっそう暗闇に縮こまる。犬の遠吠えが聞こえる度に恐怖と共に少し期待もしてしまう。
「……リリィちゃんだったら良いのに」
でも、匂いがするものがないと探しにくいと言っていた。祭りで散々歩き回った後だ、たくさんの人や食べ物の匂いの中から特定するなんて困難に決まっている。あの猫用毛布ならいざ知らず、そんなものは何も……
「シエラ!」
突然、鋭い光が目を刺した。見えなくても声で分かる。安堵に鼻の奥が痛んだ。
「アーレイン……!」
光に慣れて見えたのは、夜空を負いランタンを手に覗き込む焦った顔。そしてその隣から覗いたのは半透明な犬だ。リリィはシエラを励ますように小さく吠えた。
「怪我は」
首を振る。
「ないわ、大丈夫」
「猫は見つけた。お前が見当たらないから」
早口で言い手を伸ばす。その手を掴むと
「少し魔法をかけるぞ」
言い置かれるや否や、返事をするより先にふわりと体が軽くなった。肩が外れないための配慮かもしれない。引っ張りあげられ無事に穴を脱すれば二人分のため息が重なる。
寄り添ってくれる獣の温もりは心地好く、たとえ触れられなくとも頭の辺りを撫でてやる。ぐるると喉を鳴らす様はシエラをひどく安堵させた。
「リリィちゃん、どうやって」
「これだ」
アーレインが手に持っているのは先日あげたリボン。今更気付いたが彼は髪をほどいていた。地面に座り込んだまま、疲労を滲ませて目を伏せる。
「すまなかった」
「あ、あなたは何も悪くないわ。わたしが失敗してしまっただけで」
慌てて制したところで込み上げてくる熱いものがある。
「あ……」
ぱた、と雫が落ちた。じわりと歪む視界は擦っても擦っても明瞭にならない。
「あ、はは、情けないわね、こんなことで……っ」
これ以上の心配をかけたくなくて、どうにか笑おうとしているのに涙が溢れて止まらない。思っていたより怖かったのだと、安心できる姿を見て思い知らされる。
彼は嗚咽を漏らすシエラの頭に手を置き、見ないように気を遣ってか顔を背け。一つ一つ慎重に言葉を選ぶ。
「無理をするな。涙を見るのは落ち着かないが、せめて……俺の前で良かった」
「アーレインっ……」
弾かれたように抱きつく。しがみつくと戸惑いながらも背に腕をまわされたことがわかった。まるで幼子をあやすように何度か叩いてくれる手つきが、あまりに温かくて。久しく母親にもされていないような、恥ずかしいと思っているのに離れ難く感じてしまう。彼の温もりも匂いも、さらりと髪を掠めた指先さえも。
「ごめ、んなさい……!」
「シエラ、違う」
「本当に……!」
「いい、詫びるべきはこちらだ」
胸に押し付けるように頭を撫でた手は、大きくて優しい。彼は微塵も怒らなかった。
昔からそうだ。危険を咎め時に呆れはするものの、アーレインは絶対にシエラの勇気を否定しない。
「もう怖いことはない」
「うん……っ」
一層の力を込めるとわずかに身を強張らせる気配。
「探してくれて、ありがとう」
涙声で礼を言えば、頭を抱き込んでくれたのを感じる。少しだけ驚いて息を詰めた。熱くて切実で、まるで彼の方が迷子だったかのような。たかだか数刻だというのに、くぐもった声に切ない響きがあったのは気のせいか。
「……必ず見つけてやる。何度でも、何処にいようとも」
絞り出すような声音と腹に響くような破裂音がしたのはほぼ同時。びくりと身を離したのはどちらが先だったか。暗い空が瞬きの間だけ明るくなるのを見、胸を撫で下ろす。いつも祭りの終わりに上がる花火だ。
「お祭り……終わっちゃった」
残念な気持ちは薄い。想像していた遠出とはかなり異なってしまったが、これはこれできっと忘れられない思い出になることだろう。
咳払いを一つ、土を払いながら立ち上がったアーレインが手を差し出してくる。大人しくその手を取って引っ張り上げられながら、次いで耳が拾ったのは溜め息だ。
「これでは写本師に何を言われるか分からないな」
「大丈夫よ、内緒に――」
言い募ろうとして自らの格好が視界に入る。今日の衣装はよりによって白のワンピース。すぐそばの未来を想像しシエラも肩をすくめた。
「……出来そうもないわね」
町へ戻って路傍で帰りの馬車を拾うために待つ間、アーレインはまたシエラに外套を寄越した。服が汚れてしまったからと。今度も一度は遠慮したがやはり聞き入れてはもらえなかった。
更に言えば猫に引っ掻かれた痕を見咎められた。シエラにとっては怪我のうちにも入らないのだが、迷子になったことよりも傷について黙っていたことに小言をもらう羽目になるとは。
屋台もすっかり店仕舞いをし、周りも帰り支度に慌ただしい。どうにも顔をまともに見られずにいると彼がぼそぼそと口を開いた。
「魂そのものの色が見えなくなって久しいが、この頃はようやく外見に目がいくようになってきた」
「ええっと……?」
悪魔というのはそういうことも出来たのかもしれない。急な独白の意図をはかりかねているともどかしそうに。
「なんと、言うか」
勇気を出して見上げるも目線は合わない。
「お前が着飾ってきていたことくらいはわかる」
改めて言われると空回りしているようで急に恥ずかしくなる。気付いていたのか。あたふたと意味もなく裾を正す。
「せ、せっかくだからそうね、少しだけっ……その、汚れてしまったけど」
「つまりその、俺が言いたいのは」
まだ何かあるのか。口ごもった言葉が聞こえて。
「……よく似合っている……と思う」
口に手を当て、そっぽを向いたまま言う。一瞬固まった後――シエラは顔色を爆発させた。
家まで送り届けてくれた魔法師は玄関先での別れ際、すっかりいつもの表情でシエラに謎の忠告を寄越した。
「しばらくは一人で出掛けない方がいいかもしれない」
「どうして? もうはぐれたりなんてしないわ」
冗談で返すも彼は何事かを考え込んでいて。
「アーレイン?」
「……いや。やはり忘れてくれ」
「え、そんなの気になるじゃない」
「大した話じゃない。悪かった」
彼がこれ以上の会話を続ける気がなさそうなのを見て深追いは諦める。大丈夫だと言うのなら、まあ、きっとそうなのだろう。
「じゃあ、俺はこれで」
「あ、うん……あの、今日は色々とありがとう」
「いや。早く休むといい」
「ええ、あなたも。……おやすみなさい」
返事はなく、ふいと顔を背け掻き消えた後には僅かな魔力光だけが残る。宵に煌めく青は美しい。存外にわかりやすい反応をされ、飛び火したような恥ずかしさに襟元へと顔を埋め……外套を返しそびれたことに気付いた。ローズに洗濯をお願いしよう。せっかく選んでもらった服も汚してしまったし、あとできちんと謝らなければ。
だがひとまずは……この泥だらけの有り様を家族にどう説明するかが問題だ。




