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第1話:待って!

 十六歳の誕生日の朝、シエラは全てを思い出した。

 前世の自分は『タニア』という名だったこと、彼女が亡くなったのと同じ年齢になったこと、前世では戦争の終結を願い、悪魔と契約したこと、果たされた契約の対価に命を捧げたこと。そして……他ならないその悪魔が新しい人生をくれたかもしれないこと。

「アーレイン……ッ」

 全て、ではなかった。涙と共に思わず零れたのはいつも隣にいた悪魔の呼び名。名を呼ばせることは支配を許すと同義だと彼は言っていたから、『本当の』名前はただ一度を除いて呼ぶ機会がなかった。発音が難しくも、美しい響きだった気がする。出会いも旅路の些細な出来事もありありと脳裏に浮かぶのに、その名前だけがどうしても思い出せなかった。


 召喚の儀式などよく試そうと思ったものだ。より怪異や御伽話が身近であった当時でさえ、現実にそれらと遭遇した者がどれだけ存在しただろう。召喚術など今となっては失われた古代の法とされ、一部の学者や宗教家が追究するのみ。当時は、たとえ想像上の事物にでもすがりたかった。身寄りも頼るあてもなく、あの古書が両親から遺された唯一の財産と言ってよかったから。

 いや、遺してくれたものがもう一つ。あの環境で字を読めたことは幸いだった。両親はタニアに生きる術を与えてくれていたのだ。だが戦時下では肉体労働もできない少女を雇ってくれる場所はなく、かといって身を売ることはしたくなかった。日雇いでどうにか繋いでいた生活費。独りとはいえ底をつくのは時間の問題で。

 願いに応え、化け物ではなく想像よりずっと人らしい……というより見た目はほぼ人間でしかない若い男が現れた時、恐怖より先にその寒々しいまでの美しさに見惚れた。最初こそ圧倒的な威圧感を纏っていたが自分と並びゆく時には単なる『人間の』若者かのように振る舞っていたし、あの獰猛な瞳も自然な形に変化させていた……気がする。人の暮らしを眺めやる表情は色に乏しかったが、所作は粗暴からは程遠く。文句もなく希望を叶えるための手を差し伸べる様は、悪魔の名を持てど善悪の物差しで評するものではないような気がしていた。


 タニアが生きていた頃から世の中は大きく様変わりした。戦争はしばらく起こってはいないし、国内の産業もかなり発展した。

 それから魔法。

 少なくともこの時代は魔法師という職が一般に受け容れられている。あの頃は魔法を使える人間は貴重だったから、国民にとっては一大事だとしても、歴史書にすら載らないような小国同士の諍いに魔法師は出てこなかった。だからこそ突如として乱入した悪魔の使った法は、さぞ恐ろしかったろうと思う。

 今世、魔法師は謂わば特権階級に属する。魔法を扱う才能を持ち、かつ、特別な訓練を修了することでようやく名乗ることを許される身分だ。公認魔法師は下級から上級に分類され、更に専門によって三つの所属を名乗っていた。

 理論研究を主とする《白の鷲》。

 遊撃部隊である《緑の雄牛》。

 そして商用魔法に特化した《紫の蛇》。

 生まれながら魔法を使えない人間もいる中で、シエラ自身はどうやら素養は皆無でないらしかった。ただし学校で基礎を習ったきりだが。究められるほどの才能を持つのなんてほんの一握りだ。大体シエラにとっては家の手伝いをする中で魔法など必要もなかったし、精々が本を読んで知識として親しむくらい。それでもどこか惹かれてしまうのは、かつて悪魔の力が、傲慢でありながらも眩く見えたからかもしれない。


 シエラ・フリンジは食堂の娘だ。栗色の髪もラベンダーの瞳も母親譲りで、いつも着けている薔薇柄のバレッタは父からの贈り物。仲睦まじい両親、弟のように可愛がっている写本師見習いの少年と暮らす。それから手伝いに通う女性がひとり。貴族や貿易商ほど裕福とは言えないまでも、大きな我儘でなければそれなりに願ったことを成すことができる環境だ。

 幸福だと思う。タニアだった頃を思い出せば余計に。

 前世の記憶を得たからといって有用なことはあまり思い付かない。蘇った情報に目を回しそうな心地がしつつ、タニアは肉親を早々に亡くしていたから、思い出としては悪魔と過ごした最後の日々が最も鮮烈に残っている。


 奇異の目を恐れず言えば――きっと、初恋だった。

 だから今は、叶うなら彼にもう一度会いたかった。



 年に一度、シエラの住むところの隣町では収穫祭が数日に渡り開かれる。農業地帯である辺り一帯の住民が集うため、地域では最大規模の祭事と言っていい。

 父や母が知り合いの農家への挨拶で忙しなくしている間、シエラと弟のような少年レビ、それから家政婦のローズは立ち並ぶ屋台を回り、出し物を楽しむのが毎年のこと。レビとは普段から共に食堂を手伝うことも多いが、姉のように慕うローズと遠出をできる機会は滅多になかったから、今回も数週間前から心待ちにしていたのだ。

「あら、カエルの串焼きですって! ねえローズ、レビ、食べてみましょうよ」

「ええ? いくらお嬢様のお願いでもあたしはちょっと……」

「良いじゃない、試してみなくちゃわからないわ。もしかしたらとってもおいしいかも」

 顔をひきつらせるローズの袖を引く。今となれば――後付けかもしれないが――タニアだった人生が短かったからこその思考、なのかもしれない。

 人生一度きり、やってみないと何事もわからないから。さすがに幼少期ほどのお転婆ではなくなったものの、シエラはしっかりと好奇心旺盛な少女に育っていた。

「そう仰って、この間もお散歩にお出かけになった帰りに迷子になったじゃありませんか」

「いつもと違う道を通ってみようと思ったのよ、紅葉がきれいだったから。それにちゃんと家には帰ったもの」

「あんまり危ないことをなさるのは感心しませんけど……」

「それ、この間の木登りのこと?」

「自覚があるなら尚更ですよ」

 ローズが洗濯物を干す手伝いをしている最中、風に飛ばされて枝に引っ掛かってしまったハンカチを取ろうとしたのだ。たまたま通りがかった母親が悲鳴をあげたのは記憶に新しい。小さい頃に失敗したこともなかったし、出来ることをしただけなのに。母とローズの肝を冷やしてしまったのは……確かに申し訳ないけれど。


 祭りでいつも屋台が立ち並ぶのは商店街の通りだ。それなりに大きな町だから、数人が余裕ですれ違うことができる道幅もある。ちなみに馬車は通行止め。もし両親の用事が長引くようなら、レビとローズと先に通りを抜け、乗合馬車を使って帰っていた方が良いかもしれない。明日も食堂は通常営業であることだし。

 都市機能を止めるわけではないから、当然ながら隣町の住民の中には普段通りの生活をしている者もいる。飴細工を売る屋台の奥には金物屋――シエラがその店に視線を向けたのは全くの偶然だった。

 心臓が跳ねる。

 陽光の下にあってすら月夜のような青鈍の髪、見覚えのある顔立ちと背格好。きっと近くで見れば、瞳は虎目石のような金色に違いない。

 姿を目で追う。青年は幾つかの商品を見繕い、さっさと何か紙に包んでもらっている。特別な意味などない買い物の光景だ。それが『彼』でさえなければ。


 あまりの出来事に身動きを取れず、気付いた時には既に彼は立ち去るところで。

「ま――待って!」

 運命のような確信を持ち。震える足を踏み出そうとするも、人混みであっという間に見失ってしまう。

「シエラ様? どうかしましたか?」

 少年特有のやや高い声。我に返ると、レビが先ほど買いに向かってくれた三人分の串焼きを手に首を傾げていた。

「あ……いえ、大丈夫……」

 まだ早鐘のように鳴る胸を軽く押さえる。

 ――居た。彼が。今この時代にも!

 人が生まれ変わるほどの年月を経てすらの縁。記憶を取り戻したシエラにとって、その事実は希望以外の何物でもなかった。

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