第17話:最初からあなたは
アーレインは住んでいる町にも拘わらず祭りに来たことはないそうだ。逆に毎年来ているシエラにとっては勝手知ったる何とやらである。
広い道とはいえ人でごった返す中を移動するのはなかなか苦労する。あれもこれも、見せたいものばかりだったから余計に。自分がおもしろい楽しい美味しいと思ったものを、彼にも知って欲しかったから。うろうろと連れ回すも文句の一つもない。それどころか。
「シエラ。俺はおかしな振る舞いをしているか?」
「ど、どうしたの急に?」
牛乳を煮詰め糖蜜を加えたクリームを、揚げた紅芋にかけたおやつはシエラのお気に入りだ。それを手に持ったまま見上げると、どこか困惑したような視線と交わる。
「さっきからあまり俺を見ない」
「いえ、あのっ……」
シエラのことを見下ろしながらも、人の波にぶつからないように彼は少女の肩を引き寄せた。そう、道中ずっとこんな調子なのだ。人混みから壁になってくれたり、馬車の通る道に出れば庇ってくれたり。思わず俯く。
「……護ってくれるのが、その、嬉しくて……」
最後は消え入りそうな声になる。恥ずかしさを誤魔化すために必要以上の寄り道をしていた。何かをしていなければ意識してしまう。
頭の良い彼のことだ、言わんとしている内容は伝わったらしい。目を閉じ大きな息を吐く。
「気を遣った訳でもないが……そう見えたかもしれないな。あの旅のせいか先日お前に指摘されたからなのかはわからないが」
「でも、なんていうか……どちらも違うんじゃないかしら」
「違う?」
怒らないで欲しいのだけど、と前置いて。
「だってあなた、最初からそうだったから」
思い出すことができてよかったと思う。出会った直後から彼は優しかった。誰に愛されるでもないみすぼらしい少女を厭わしげに扱ったことなどなかった。
「悪路で手を引いてくれた時も、宿屋で寝床を譲ってくれた時も、あと、故郷に帰してくれた時も……随分と優しい悪魔も居るのねと思ったもの」
「全て別にそういったつもりではなかった。ヒトは怪我や病ですぐに命を落とす」
旅路の中で悲しい場面に出くわすことも皆無ではなかった。タニアが『主人』だったからかもしれない、食事を摂る必要がなかったように結果的にそうなっただけかもしれない、それでも。
「わたしの勘違いでも構わないわ。この嬉しい気持ちは本物だから」
「……」
「あなたこそ、ええと、つまらなくはないかしら?」
シエラの問いかけに、青年は緩慢な動作で首を振る。
「争いのない時代も知ってはいたが……」
金色の眼差しが見るのは何ということもない祭りの風景だ。血は流れず、煤けた煙もなく、悲鳴の代わりに歓声があがる。そんな光景の中に彼が存在することがシエラには堪らなく嬉しかった。
「ここでどう生きたらいいか、教えて欲しい。お前は俺よりこの時代に生まれて長いだろう」
「……ええ、喜んで!」
ふと表情を和らげかけた彼は突如何かに気付いたように後ろを振り返る。シエラも同じ方向を見るが何も変わったものはない。
「アーレイン?」
羽根のぶら下がった片耳に触れながら尚も雑踏を見詰めている。金眼が一瞬だけ橙色に見えたのは光の加減か見間違いか。
「どうかしたの?」
「いや……」
珍しく言い淀むと、只ならぬ緊張感を一瞬にして緩め。
「……知り合いが居た気がしたんだが。どうやら見間違いだったようだ」
ラダンの弟子なら尚更、町民に知り合いが居てもおかしくはないが。もう一度だけ振り返ったシエラを促す手に従うことにして、それ以上の追及はしない。
「あ、そういえば」
雑貨屋を見て声を上げる。
「ローズにお土産を買いたいの」
「ローズ?」
「我が家のお手伝いさんよ」
「ああ、たまに庭の手入れをしている女か」
「家事もお庭仕事も何でもできるの。憧れちゃう」
シエラにとってはレビ同様に大事な家族で、自慢の姉のような存在だ。遠出を許可してくれた皆に何か持ち帰りたいとは来る前から考えていた。
「せっかくだからこの町でしか買えないようなものがいいわ。何かおすすめはない?」
「農耕の町だからな、お前のところと然程の違いはないと思うが……」
「珍しいお野菜とか売っていないかしら? それなら父や母にも喜んでもらえそう」
言うが早いかキョロキョロと歩き出す。
「あら、苗木屋さんもおもしろそうね。寄っても良い?」
「好きにしろ」
言い方はぶっきらぼうではあったが決してうんざりした風ではなく、むしろ可笑しがる響きがある。青年が懐かしむように目を細めていたことなど少女は知る由もなかった。
シエラの後から店に入ったアーレインを見るなり、店員と思しき女性は明るい声を上げた。
「ああ、ラダン様のお弟子さん!」
驚き振り返るとシエラに向かって言い訳がましく。
「ジジイの顔が無駄に広いせいで、俺まですっかり覚えられてしまってな」
「ラダン様と買い物に来ることもあるの?」
「まあ、時々は」
以前――初めて彼の存在を確認したあの時は一人だったように記憶しているが、驚きと興奮であまり定かではない。申し訳ないからラダンには黙っておこう。
「おや、お弟子さんじゃないか。いらっしゃい」
奥で作業をしていた壮年の男性が顔を覗かせる。かなり年季の入ったエプロンや道具達。どうやら店主であるらしい。
「ねえ、魔法師様にお願いしてみたらどうかな?」
「アンタそんな、便利屋じゃあないんだから……」
夫婦と見える二人がコソコソと言葉を交わす。時折シエラの、いや、アーレインの方を見ては慌てて目を逸らすなどしているから。
「どうかしたんですか?」
「シエラ」
咎めるような声は魔法師本人から。だが、これだけあからさまな態度を見せられたら気にもなるというもの。好機を得たとばかり男性の側がカウンターへ近付いてくる。
「実はうちの子が行方不明でね。三日も前から戻らなくて」
「え! 自警団に届け出は……」
「ああ、猫よ、猫。名前はミア」
女性が補足する。彼ら曰く、尾の先が白い黒猫で、赤い首輪をしているという。アーレインは僅か眉間に皺を寄せた。
「猫なんて居たか?」
「そう言われてみると、お弟子さんが来る時は毎度どっかに行ってたかもねえ」
「ね、アーレイン。探してあげましょうよ」
シエラの言葉にぎょっとした魔法師が断る暇もなく。
「本当かい? 助かるよ!」
あっという間に手を握られる。期待に輝いた顔を再度曇らせることなど、シエラ達に出来るはずもなかった。




