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第13話:リボン

「目は魔法で変えているの? その、昔みたいに」

「目……?」

 金色の中の瞳孔は人間と同じ形をしている。ふと考え、

「ああ。今はここにはかけていない」

 髪をされるがままにして、彼は目元に軽く触れる。『ここには』?

 毛束を持ち上げようとした時、襟元から覗く首後ろに古い傷痕を見つける。どうやら切り傷のようだ。

「あら、これ……」

 どうしたの、と訊こうとしてシエラは言葉を詰まらせた。拍子に見えてしまったのだ、一つや二つではない痛々しい痕跡が。手を止めたのを見上げて困惑の表情に悟ったのだろう。彼は無言で襟をやや緩め、少しだけ背の肌を晒して見せた。

 俯き、前に落ちた髪の隙間。初めて見た彼の体には無数の傷があった。どれも塞がってはいるが刃の嵐に襲われたかのようにあちこち隆起した切り傷、所々の皮膚が変色しているのは火傷の名残か。それから、人では有り得ない大きさの歯形のような痕も。

「醜いだろう」

 絶句した少女を振り返り自嘲する。ほんの少しはだけた範囲でこれでは、身体中にどれほどの傷があるのか想像もつかなかった。何せ昔から、シエラは彼の手や顔以外に素肌を見たことがなかったのだ。それに昔の軍服は詰襟だった。きっと今だって、普段は髪で隠れるから誰かに見られるとは思ってもいなかったはず。

「単なる『指導』だ、かつての上官からの」

 誰かと争ったためではないと。だが……これではまるで拷問ではないか。

「顔は好みだったらしいが」

 言葉通り、顔周りにはひとつもそのような痕はない。腕や首元もきれいなまま、見事に隠れる場所だけが悪意を以て傷付けられている。

「……っ」

「泣くな、シエラ。もう痛むものでもない」

 涙を流すシエラを見、今度はアーレインが困惑する番だった。

「それとも……気味が悪いか」

「違うわ。昔のあなたの代わりに泣いてるの」

 争いを知らない少女は何と言って良いかわからなかった。戦争の時代に生きたタニアも、孤独だったからこそ逆に、自分の身を誰かから痛め付けられた記憶はない。目を擦る。

「あなた、やっぱり強いのね」

「人間よりは頑丈だったろうな」

「そうじゃないわ」

 淡々と衣服を整える青年は、想像がつかないほどの長い年月、それを当然として受け入れてきたのかもしれないが。

「どれだけわたしが失敗しても、恥ずかしい思いをさせてしまっても、あなたは絶対に手を上げなかった。それは心が強いからよ」

 熱を込めて訴えればわずかに手が止まりかけるも。

「違うな。俺とて部下や魔獣を痛め付けたことは何度もある」

「でも、通じるなら言葉を優先したのでしょう」

「……買い被り過ぎだ」

 鼻を鳴らす。

「別にこれも、しくじったからではない」

 呟き、気怠そうに目を伏せる。気まぐれな悪魔の前では、別に戦果を上げようが敗走しようが然したる問題ではなかったのだ。物事の大小はどうあれ何かが気に食わなかった、あるいは偶然に機嫌が悪かった……それだけのことだし、そういうものだった。悔しければ力を備えればいい。

「どうして、そんな……だってあなたは」

「力こそが自由を得る唯一の手段だったからだ」

 椅子に座ったまま背を向け、続きを促すように軽く俯く。

「俺は、悪魔だったから」

 自虐ではなく諦念に近いのだろう。くっきりと引かれた一線。過去がなければ出会うこともなかったのに、その事実こそが決定的に彼を遠ざける。シエラはもう一度だけ目を擦り、なるべく素肌を見ないように髪を手に取る。

「だが……項を斬れば死ぬのだろう、ヒトの身は」

 些かばつの悪そうな声音にようやく何を気にしていたかを悟る。この傷もそうだが、そういえば彼は少なくとも軍服を纏う立場に在ったのだ。

「ごめんなさい、あなたの気持ちも考えずに……不躾だったわ」

「……まあ良い。どのみち易々とは傷つかない」

 ぽわ、と入れ墨のような青い光が肌に浮かぶ。幾何学的な紋様は呪いのようにも見えるが。

「強化魔法……?!」

「ジジイに倣っている。何かと便利だからな」

 身体強化魔法。筋力を飛躍的に上げたり表皮の耐久性を強化したり、おおよそ一般人には縁のない魔法だ。それで先日もレビを軽々と持ち上げて見せたのか。無詠唱が出来ることはもちろん(でなければ常に独り言を呟き続ける羽目になるだろう)、魔法を常時発動させておく、つまり無意識の次元で魔素を変換し続ける必要があるはずだが、どれだけ高度なことかを本人が理解しているかは怪しい。

「ジジイは単に体を鍛えることも好きらしいからな、逆に負荷をかけていることすらあるが。俺も鍛えはするものの、あれは必要の域を超えている」

 それは確かに気が遠くなる話だ。あの大魔法師は一体どこを目指しているのだろう。元々の肉体が変わるわけではないから、度を超えて酷使すると数日は立ち上がることも儘ならないと本で読んだことがある。目の前の青年がどうか師匠と同じ道に引っ張られませんように、と密かに祈る。


「……これなら邪魔じゃないかしら?」

 束ねた髪をリボンで結んで声をかける。やや手間取りはしたものの、零れ落ちないようにすっきりと結わえることができたはずだ。大した長さでもなかったから低い位置で縛っただけだが。彼は髪を不思議そうに触り、意外にも「器用だな」などと感嘆を漏らした。

「この紐……」

「もし良かったらあげるわ」

 何かを言い掛けるから遮るように言葉を重ねた。せっかくだし、短時間でほどかれてしまうのも悔しい。

「た、対価は要らない。あなたが喜んでくれたらそれで」

 彼が素直に物を受け取らないことを少女はよく知っている。それが悪魔の生き方だったからだ。旅をしていた時、金銭であれ労働であれ、彼は『対価』と引き換えに物を得るということにとても拘った。

 だが、これは何かをもらいたくて施したのではない。彼が人間になった時の言い方を借りるなら、自分の意思で、やりたくてやっただけだ。

「贈り物ってそういうものだと思うの。その気持ちがわたしの欲しい『対価』、じゃ、だめかしら……?」

「……」

 黄金の双眸にじっと見つめられ、シエラは急に恥ずかしくなった。体が沸騰するのを感じわたわたと手を振り。

「あっ、無理に押し付けてわたし馬鹿みたいよね――」

「いや」

 固まる。彼は再び、結ばれた毛先に触れ。

「もらっておこう」

 そっと視線を外される。言い出しておきながらではあるが、いざ受け入れられるとそれはそれで驚愕する。しかし嬉しいことには違いない。彼がこの先、何かを返すと言い出さなければいいのだが。

 そういえば……今更ながらこの場には二人きりだ。親が何も言わなかったのは彼が信用されてきた証かもしれない。

 急に恥ずかしくなりながらも、シエラはあの傷だらけの背を忘れられそうになかった。

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