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第12話:青鈍の

 また数日ぶりにシエラの家を訪れたアーレインは、何かに気付いたように辺りを見回した。

「レビなら今日は修道院に出掛けているわ」

「修道院?」

「写本自体が本来は修練のようなものなのよ。時々は修道士に混じって技術を磨いているの」

 首を傾げた元悪魔に説明する。優れた写本師を輩出するのは修道院がほとんどだ。数字や色や記号のような装飾、いわゆる暗喩の芸術でしか神を賛美できないという思想は強い。それでも言葉を尽くす行為に意味があるのだと口にする写本師達。彼らの責務は古典を復興させ後世に伝承することにあった。

「あの子は学校に通えなかったから、同年代の子達と交流するのは良いことだと思うし」

「ならあれは神を信じているのか」

「どうかしら……否定はしていないと思うけど」

 近隣諸国に比べれば宗教に関してこの国は寛容だった。修道院はあれど魔法の基となる大地の恵みを信仰する文化も根強い。神の話をしたところで別段アーレインは気分を害した風もない。シエラはすっかり慣れたが彼は元から表情が豊かな方ではないから、知り合って日の浅いレビは余計に混乱しているのかもしれない。

「いつも突っ掛かるような真似をしてしまって、気を悪くしていないと嬉しいのだけど」

 顔を合わせれば喧嘩、という程ではないにしろ。少年の純粋な感情の波に振り回されているのを見ることはしばしばあったし、比べればどうしても眼前の青年は大人だ。見た目の何倍も生きてきた男は首を振る。

「お前に懐いているだけだろう。警戒されるのは慣れている」

 とはいえ歯牙にも掛けないという訳ではなくて。

「むしろ魔法も使えないのによく不貞腐れないものだ」

「だから色々と気に掛けてくれているのね」

「別に、そういうわけじゃないが」

 シエラにも段々とわかってきた気がする。彼がこうしてそっぽを向くのは決して機嫌を損ねたからではないのだ。

「……そうそう。あなたを喚び出したあの本も装飾が美しかったわ」

 重厚で黴臭く、存在そのものが荒唐無稽な夢物語かのような。タニアにとっての唯一の財産。

 アーレインも考える素振りをした後で「あれか」と応じた。

「それなら勿体ないことをしたな」

「勿体ない?」

「燃やしたんだ」

 気まずそうに付け足されたことには。

「お前と一緒に。火葬されているところに放り込んだ」

 愕然とした。言われてみれば当然なのだが、一度は死んだ身だったと改めて思い知らされなんとも奇妙な気分になる。それにしても、一悪魔を召喚する術がそうも簡単に失われるものだとは。

 誤魔化すかのようにアーレインは鞄を探った。この日は珍しく荷物を持ってきていたのだ。初回以来になるだろうか。取り出したのは大判の書物。絵が多く、図録のようにも見える。

「初学者向け?」

「見た目はな。内容は悪くない。それに文字ばかりではお前達も飽きるだろう」

「あなたの前で居眠りなんてしないわ」

 眉間に力を込めると呼気のような微かな笑いを漏らされる。これまでの授業も眠ったことなんてないのに、失礼な話だ。

「それにしても重たそうな本ね」

 このためにわざわざ選定してくれたと思えば少しくらいの失礼は許せる気もする。どうやら魔法で荷物を軽くするようなことはしないらしい。

「ラダン様のお家には他にもたくさんの本が?」

「それなりに。お前が飽きることは暫くなさそうな数は揃っている」

「素敵ね。いつか行ってみたいわ」

「ジジイに言ったらすぐ叶うんじゃないか」

 他人事のような口振りからして、どうやら彼自身が取り次いでくれる気はないらしい。この場で頼むのもはしたないように思われるし、また父親にでも言ってみようかしらと心に留めておく。

 早速、彼は本を開いて読めるようにシエラへと向けてくれた。

「どれから教えてやるか……この前は確か、風魔法に興味があると言っていたな?」

 青鈍の髪を耳にかける。しゃら、と耳飾りが擦れる音。本物のような銀細工の二枚の羽根は、不思議なことに昔から全く錆びもくすみもしていない。

「髪……」

「ん」

「邪魔じゃない?」

「ああ……」

 言われて初めて気付いたかのように毛先を摘まみ上げる。肩より少し長いくらいか。悪魔だった頃の彼では考えられない。再会した当初は驚いたが今となっては見慣れてしまった。

「爪も髪も伸びるのは煩わしいな」

 いつも適当に、自分で刃物を使って断っていたと言う。ラダンはそもそも丸坊主だからそこまで頓着しなかったのだろう。整っている爪の先を見るに器用そうだが、せっかく傷みもない髪なのだから勿体ない。女性からしたら羨ましいくらい。

「結んだらどうかしら? ちょっと待っていて」

 そう言って、一度部屋へ戻りリボンと櫛を持ってくる。椅子の後ろに立つと彼はシエラのことをじっと見上げてきた。

「な、何?」

「いや……まあ、良いか」

 口ごもるから、気にせずそのまま髪を一掬い手に取る。他人の髪結いなど数える程しか経験はないが、大きく失敗するような不器用でもないからきっと大丈夫だ。

 改めて珍しい色だと思う。決して奇抜ではないのだが他に見たことがなかった。光の具合によって青にも濃灰にも見える。

「きれい……」

 梳かしながら思わず溢すと、

「人間に混じると目立つ」

 嫌そうに呻く。これももしかすると照れ隠しなのかもしれない。悪魔は皆こんな不可思議な色の髪や瞳を持つのだろうか。見てみたい、と思う。そういえば先日の妙な客もきれいな色を持っていた。他の国にはああいう民族もいるのだろうか。悪魔と疑ってかかるのは、シエラ自身がそうは思わなくとも、本物の悪魔を知らない人にとってはきっと不快だろうから控えておく。

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