8本目
昨夜は最悪だった。本当に、何なんだあの星影アキラとかいう変態男!
警察に通報したい気持ちはあったが、アタシ自身の都合でそれは憚られた。できれば警察とは関わり合いたくない。
探偵を頼るという手も考えた。けど、現時点ではあまりに星影に関する手がかりがなさすぎる。一度襲われそうになっただけだからね。
それにしても、やつの使った術はヘヴィだった。間一髪で切り抜けたが、あのままタクシーにでも乗せられていたら、と考えると怖気が走る。
ああいうのを催眠術というのだろうか。アタシのカラダは動かなかったが、彼に手を引かれたらそれにしたがって動き出しそうな予感はあった。
悔しいけれど、ここは泣き寝入りするしかない。あんな変態を追及してもロクなことがない。
そう思っていたのに運命はひどいイタズラをするものだ。3日後、アタシはやつと思わぬかたちで再会した。
それは凶祥寺駅の雑踏でのことだった。不意にやつと、すれちがったのだ。やつはアタシに気づかなかった、あるいは、気づかないフリをしたのか。
だが、ここで会ったが百年目、逃がす気はさらさらなかった。
アタシはやつを尾行した。帰宅ラッシュの時間帯でもあり尾行はしやすかった。
スーツすがたの星影は会社帰りと思われた。できれば寄り道せずにまっすぐ帰宅してほしい。
胃の頭線の車内で何度かチラ見したが、やはり、やつはまったくアタシに気づいていないようだった。フリですか?
だが、何だろうこの違和感。やつは紛うことなく星影本人なのに、どことなく印象がちがう気がする。何というか、邪念が感じられないのだ。
ゆうたら映画版のジャイアン……いや、出木杉くんの風格さえ漂わせている。これもみんな演技ですか?
下北のひとつ手前の駅でやつは下車した。これは帰宅コースと見てまちがいない。
そして、駅前のコンビニで弁当とビールを買い込んだ星影は、びっくりするくらい呆気なく自分のアパートに帰り着いた。駅近か!
なんだか非常にモヤモヤしたがアタシの目的は達成できた。住所が割れたら、こっちのものだ。探偵に素行調査を依頼できる。
アタシの手を汚さず、簡単に、スマートにあの変態を炙り出すことができるのだ。
さて探偵選びはどうしようかと考えて適当に新聞をめくっていたら、さっそく広告記事に出くわした。
ネットが全盛のこの時代に、なんて古風な……といった感じでちょっと癒された。場所が凶祥寺なのも近くて気に入った。
翌朝10時に、さっそく電話してみた。
「お電話ありがとうございます。多々木探偵事務所でございます」
可愛らしい声の女性が電話に出た。
「あのう、水戸という者ですが、相談したいことがありまして」
「新規のお客様でしょうか」
「……ええ」
「来社をご希望でしょうか」
「そうですね。今日でも大丈夫ですか」
「本日は……13時からであればご予約できます」
「じゃあその時間で、お願いします」
「ご予約、若林が承りました」
凶祥寺はけっこう来るほうなのに探偵事務所があるとはしらなかった。
予想どおりの雑居ビル。だがスナックやバーはひとつも入っておらず、1階がほか弁でそこの2階だった。
13時ちょうどに事務所のインターホンを鳴らすと、これまた可愛らしい女性が出迎えてくれた。彼女がきっと若林さんだろう。
「水戸様ですね。お待ちしておりました、どうぞ」
案内されるままに事務所のなかに足を踏み入れた。
お世辞にも広い部屋とは言えなかったが、小オフィスにありがちなパーティションがまったくなく、部屋の隅まで見渡すことができた。
デスクはふたつ。空いているひとつが若林さんのものだとすると、もうひとつの席に座っているおっさんが探偵さんだろうか。
短髪のごま塩アタマで髭もほぼ白かった。年齢は40代か50代か、わからなかった。
アタシがソファに座るなり、おっさんはつかつかと近寄ってきて、いきなり名刺を渡して言った。
「ここの所長をしている多々木と言います。水戸さん、でしたね」
「はい」
「失礼ですが、うちの探偵事務所のことを、どこでお聞きになりましたか」
「新聞広告で、しりました」
アタシは言った。