19本目
さっきのお客さん、青山という男性が事務所にいるあいだ、私は怖くて身体が震え出しそうだった。
青山が帰るのを見計らって私は多々木所長に駆け寄った。
「いまの人、もしかして……」
「ああ」と所長は頭を掻いて言った。「去年の水戸さんの事件が、また蒸し返してきたみたいだな」
「あの青山という人に『星影アキラ』が取り憑いているのでは」
星影は悪霊の名で、人に取り憑き精神と肉体を支配する、というのが女性占い師めんそーれ吉田さんの考えだった。
「どんな可能性も考慮しないとな。とにかく、あの青山を吉田さんに近づけるわけにはいかない」
私は頷いた。吉田さんは私たちにとって最後の砦だ。彼女が殺られるようなことがあれば、もうPメールで過去を変えることができなくなってしまう。
水戸さんの事件以来、吉田さんがPメールおよびPメールターボをつかったという話は聞いていない。未来から私たちのもとへメールが送られてくることも、この1年間はなかった。
あの事件が未解決であることを除けば、いちおう平穏な日々だったと言える。が、にわかに雲行きがあやしくなってきた。
「青山はさっき、『前の世界では』って言っていましたよね。もしかして彼自身、遡行を経験しているのかも」
「そうだな。とすると、彼は吉田さんのこともしっているかもしれない。まあウチを頼ってきたくらいだから、直接占い師に会う術はないみたいだけど。まいったな」
不意に予感がして私はデスクのなかを漁った。
「どうしたの、若林くん」
「……やっぱり」私の予感は的中した。「請求書が、なくなっています」
「請求書? 何の」
「去年、新聞広告を出したときの費用です。新聞社からの請求書が」
「何だって!」
所長はあわてて自分のデスクに戻り、大切に保管してあるアレを引っ張り出した。
それは去年の新聞だった。もちろん、ただの古新聞ではない。多々木探偵事務所がはじめて広告記事を出した、記念すべき号。
「ない……ウチの広告記事が、ない」
所長にならって私もその古新聞を検めた。やはり、事務所の広告はどこにも載っていなかった。
請求書が消え、広告記事自体もなくなっていた。つまり、私たちが新聞広告を出したという事実そのものが消滅してしまった。
「世界線が変動した、てことですか」
「バカな」所長は吐き棄てるように言った。「あれ以来Pメールをつかっていないのに……」
「所長、私ずっと引っかかっていたんですけど。去年所長が受け取ったPメール。一連の事件の発端となった最初のメールです」
「新聞広告を出せ、てやつ?」
「ええ。あれを送ったのは誰だったのかな、て」
「そりゃあ吉田さんしかいないだろう。……はっ、」
所長はお得意の、ノリツッコミ風の気づきを披露した。
「そういうことです。私たちが吉田さんにお願いして、それを送ってもらったにちがいありません。Pメールの射程限界である1年前に向けて」
「なるほどな……でも、ボクたちは指示どおりに新聞広告を出したんだよ? そして水戸さんがここへ依頼しにきた」
でも結果的に彼女は死んでしまった。問題は、いまなぜ、広告記事が消えてしまったのかということだ。
「ま、とりあえず占い師に電話で相談だな。青山という男のことも伝えなくっちゃ」
さっそく所長は固定電話の受話器を取った。
「ん……なんだ?」通話中の彼は私のほうを見て言った。「国際電話におつなぎします、だってさ」