18本目 コールド・アズ・アイス
目が潰れるんじゃないかってくらい世界全体がはげしくフラッシュし、ようやく視覚が正常にもどると、そこは一転して闇の世界だった。
いやちがう、夜だ。そしてここはオレのアパートの前。
ゆっくりと部屋の内側からドアが開き、ぬうっと女が顔を出す。
「部屋に入って、ほら」と促す彼女。水戸さんだった。
てことは、オレは昨日の晩まで戻ったのか? 日付けと時刻を見ようと思って携帯を探したが……ない。
そうか、こっちの世界では携帯もサイフも部屋のなかにあるんだ。まったく、よくできてやがる。
自分の部屋の玄関に入ると、オレは辛抱堪らず水戸さんの腕を握った。彼女が幽霊なのかどうか、とにかく、しりたかった。
「ひっ」
オレは思わず悲鳴を上げた。彼女の腕は氷のように冷たかった。
そして彼女は、消えた。早い早い早い! ……早いって。どうやらお触りはNGだったらしい。
しかも彼女、あの紙束を置かずに消えてしまいやがった。
背中を冷たい汗が伝う。たしかにここはオレが一度経験した世界だが、細かいところがちょくちょくちがっているようだ。
オレの行動が変われば彼女の行動も変わるということか。まあ、いい。オレは彼女が満足してくれるまで、何度だってループを繰り返してやる。
とりあえず、あの紙束がないことには多々木探偵事務所の電話番号がわからない。だが場所はしっているので104で番号をしらべた。
翌朝10時にオレは事務所に電話した。
「あのう、青山という者ですが、相談したいことがありまして」
「新規のお客様でしょうか」
「……ええ」
「来社をご希望でしょうか」
「そうですね。今日でも大丈夫ですか」
「本日は……13時からであればご予約できます」
「じゃあその時間で、お願いします」
「ご予約、若林が承りました」
判で押したかのように若林さんはおなじ対応をした。むこうはオレを1ミリもしらないが、こっちはしっている。
あくまで初対面を装うというのも意外とむずかしいものだ。
オレは事務所へと足を運び、13時ちょうどにインターホンを鳴らした。
「青山様ですね。お待ちしておりました、どうぞ」
出迎えてくれた若林さんは一回目とちがう服装をしていた。これがバタフライエフェクトってやつか。テンション上がるわ。
いっぽう多々木探偵はおなじ恰好だった。このおっさんはきっと、おなじ服を何着も持っているのだろう。オバQのように。
オレがソファに座るなり探偵はつかつかと近寄ってきて、いきなり、てゆうかやはり名刺を渡して言った。
「ここの所長をしている多々木と言います。青山さん、でしたね」
「はい」
「失礼ですが、うちの探偵事務所のことを、どこでお聞きになりましたか」
「新聞広告で、しりました」
「新聞広告?」探偵は怪訝そうな顔をした。「……古っ」
「古いって、どういうことですか」
「うちが広告を出したのは、もう1年も前だよ」
初っ端からの変化球で面食らった。そうか、あれは古新聞だったのか……て、問題はそこじゃない!
新聞広告は出したことがないはずだろ。やばい、この世界は前とかなりちがっている。
「……まあ、いいでしょう。それで今回はどういったご用件で?」
「ある女性について調べてもらいたいんです。と言っても、オレが持っている情報は乏しいんですけど」
「うん、とりあえず聞きましょうか」
落ち着けオレ、できるかぎり前回とおなじように話すんだ。水戸かず子の名前、そして彼女がレオタードを着ていたことを……。
「レオタードを着てパラグライダーに乗って荷物を配送する業者、それがパラグライダースですね? ミトカズコさんはそこの従業員である、と」
探偵が確認するかのように反復した。よしよし、ここまでは前回と一緒だ。
また、このタイミングで女性職員の若林さんがお茶を出してくれた。多々木さんは、うん、と小さく呟いてすぐお茶に手を伸ばした。
彼はテーブルに湯呑をおくと、
「わかりました、調べてみましょう。料金は前払いで2万円になります」
えーっ! ……なんで、こうなるのっ。オレは破れかぶれになって言った。
「多々木さん、あんた、前の世界でこう言ったじゃないか。『青山くん、ボクはきみを顧客として扱わない、だが、友人としてきみの相談に乗ろう』、て」
「ハハッ」と彼は乾いた笑いを放ち、「ボーイ、大人をからかっちゃいけないよ」
「それテリーマンの初回登場時のセリフ!」
とりつく島がなかった。
仕方なくオレはなけなしの2万円を払い、連絡先を伝えて事務所を去った。簡単にまたループできるものと高をくくっていたが、とんでもなかった。