⑧入口にて
◎
終業式くらいは田舎中の田舎でもちゃんと行われる。
100人程しかいない生徒と、さらにそれを10分の1にした人数の教師。ジャスト満杯になる体育館。
茹だるような暑さだ。
ここに来てから毎日茹だるような暑さしか体感していない。骨まで溶けて軟体動物になってしまいそうだった。
スライムみたいなね。
「スライムは軟体動物じゃないよ!」
そんな戯言が口から漏れていたのか鏡子さんがプリプリしながら詰め寄ってきた。
言う通りだった。
「確かにな。イカやタコはそういう分類されてるけどスライムなんてこの世に存在しないからな」
「違うよ! モンスターだよ!」
脳まで溶けたようないかれてる発言を聞いていつも通りだと安心した。確かにスライムはモンスターだな。
勝ち誇りながらさらに詰め寄ってきた。
「京君はそんなことも知らないの?」
「……俺は青いスライムの某ゲームをやったことないからなぁ……」
仲間になりたそうにこちらを見つめられても何もすることはできない。大きくても、やたらメタルメタルしてても素通りする。
ともかく、終業式の後、教室にてそんな馬鹿話をしていた。
ふと、気になっていたことを尋ねた。
「明後日お祭りだけど鏡子さんも何かするんだろ?」
「そうだよ、でも内緒っ。来てからのお楽しみね!」
子供時代から専ら引きこもっていた俺には何をするのか予想もつかなかった。アニメとかよくあるやつだとチョコバナナとか赤い飴か……。
「楽しみにしてるよ」
「うんっ!」
相変わらずの眩しい笑みだった。
まあ、そんな風にクラスメイト達の中にも運営側が結構いたりする。前の座席の圭介は焼きそばを作るそうだ。
この高校には文化祭はないのでその代わりみたいなものと考えればいい。文化祭とは違って阿漕な商売はしないと思いたい。
担任の先生からのありがたいお話と、課題等の配布が行われ午前11時頃、解散となった。
夏祭り運営側の方々はすぐに教室から出ていく。準備もたけなわといったところだろうからな。
「じゃあね京君」
「ああ、鏡子さん」
わざわざ俺だけに挨拶してこなくても。
とも、思った。
好感度がやたら高い気がするんだよな。環奈さんの揶揄するような視線が辛い。
「何だその視線は……」
「別にぃ」
「にやけないでくれ。俺にとっては死活問題かもしれないだろ?」
「死活問題? どんな?」
「そりゃあ……口にするのは憚られるけど……」
もしかしたら告白されちゃうかもしれないでしょ!?
口に出さなくとも想像するだけで恥ずかしい。
耳まで熱くなってくる始末。
痛い。痛過ぎる。
思春期的妄想が暴走してしまった。
「何顔赤くしてんの?」
「己の罪深さを恨んでるんだ……」
阿呆な想像をしてしまって両手で顔を隠して沈むこととなった。同級生に告白される妄想をするやつなんて1回地獄に行ったほうがいいな。
「環奈さんは夏祭りには?」
「普通に参加者です」
「へぇ……」
「……私と行きたい?」
その質問は何の意図があるんだ環奈さん。
まあ、誘ってきたのなら嬉しくなくもないが。だが残念。
「悪いな。先約があるんだ」
「そっか」
「逆に――環奈さんは俺と行きたいのか?」
ここぞとばかりに決め顔で言ってみた。自分でできてるかわからないけど、頬がひきつってるから多分ダメだな。
張り付けたような薄い笑みが返ってきた。
「…………」
「何だよその笑いは!? 無言で見つめないでくれ! さっきよりも辛いから!」
俺はただただ生暖かい目から逃げ出した。
環奈さんと話している間にも水瀬さんは下校していたので、急いで追いかける。どっ、と汗が滲み出る。
田舎のマイペースな生徒達の隙間を縫って、早歩きしている後ろ姿に迫る。
「よっ、水瀬――さんっ」
挨拶はガン無視されたがめげない。彼女の横に並んで、息を整える。
胸に手を宛てて、深く息を吸う。暑いけど、綺麗な空気が俺の体を駆け抜けた。
まずは、有体な話題から。
「明日から夏休みだな」
「…………」
「そんでもって明後日がお祭り騒ぎだな。いや、今ですらお祭り騒ぎだから当日はてんやわんやだろうな」
「…………」
「なんか反応しれくれよ。一人でしゃべってる変な人に見られるからさ」
返ってきたのは安定のガン無視だった。
実際、ここまで徹底されると心にくるものがある。明らかに落ち込んでいる自分を認識していた。気にするな、と思ってもなかなか消え去ってくれない。
人間関係の不和によるモチベーションの低下は多大なものだということを体感しています……。
せめて気を引ければいいのだが。セクハラくらいしか思い浮かばない。我ながら残念な頭だった。
「明後日水瀬さん家に行くから」
「来るな」
怒気を含んだ返答。冷や水をかけられた――みたいに鋭く貫かれた。
田舎の自然が為す喧噪が無に帰る。
怖い、普通に怖い。
小学生の頃、先生に怒られた時と似たような空気を纏っている。
水瀬さんは音も空間も置いていくように、より早く歩いた。
俺はどうしても追いつけなかった。
「人に必要とされないってのは意外に辛いよ……」
せめてもの抵抗としてそんなことを言い捨てた。
無条件に拒絶するべきじゃない。もしかしたら、本気で必要としている人がいるかもしれないから。
俺は――違うかもしれないけど。
「知ったようなこと言わないで、うざい」
振り返りもせずに彼女は言った。それだけ。それだけで、終わりだった。
◎
昨日は終業式、明日は夏祭りというイベントの間隙である今日。
朝からとある予定が入っていた。夏祭りの前にやっておかなければならないことだ。
と、私服姿の楓美が俺の下までやって来る。
「京都君、明日夏祭りだね」
「あ、ああ……」
タイムリーな話題を振ってきた。
子どもの頃の記憶はあまり覚えてないが、にしても夏祭りに関するエピソードはどこにもない。参加者として参加するのも初めてかもしれない。
両親と一緒にどこかへ出かけることが少なかったからな。
楓美はモジモジしながら、小さな声を発する。
「――」
「え? 何だって?」
小さな声だったのでまったく聞こえなかった。
「だからっ、一緒に行きたいな、って言ったの」
「やはりそうか」
「聞こえなかったんじゃないの!?」
予測の範囲内だっただけだ。俺の知っている楓美ならば誘うなら俺だろうから。
でも、断るんだけどね。
環奈さんに続いれ2人目だった。
「悪いな、先約があるんだ」
「え……そう、なんだ……」
すごい落ち込みようだった。シュン、として見るからに血色が悪くなっている。
危うく嘘だよ、と言ってしまうところだった。
こういう時は子供騙しみたいにあの言葉を言えばいいだけさ。
「後で何でも言うこと聞くからさ」
「何……でもっ!」
やはりチョロいな、予想通り。
このように言ってしまえば大抵何とかなる。
後でちょっと頼み事されるだけだ。もし、無理難題を吹っ掛けられてしまったら「その話を聞くだけでしたー! ぷぷー!」と言えばいいのだ。
こんなことをすぐ思いつくところからなかなかの屑っぽいけど。
世の中にはこんなことよりも大変ことがあるから大丈夫だな。うん、俺は悪くない。
「しょうがないなぁ、今回はそれで許してあげる」
「許されるようなことはしてないんだがな」
「ところでさ――先約っていうのは誰かな?」
ニコニコ笑顔だけど、詰問されてるような圧迫感。
過保護な姉って訳じゃないのだろうけど、言いたくはない。別に隠すようなことじゃないけど、余計なトラブルを増やす必要もないだろう。
「鏡子さんとか、環奈さんとか……」
ちなみに人の名前を言っただけで一緒に行く訳じゃないんだからね。勘違いしないでよねっ!
まったく関係ない人の名前を挙げつつ、曖昧な表現で誤魔化す。悟られる可能性は皆無だろう。
「ふうん、私じゃない女の子とね……」
「女の子……」
気に食わない点はそこにあったらしい。
女の子の名前を言って時点でアウトだった。でも、言った人数が2人だったのは良かっただろう。水瀬さんと2人きりとなったらデートみたいになってしまうからな。
「女の子2人とデートもありだと思うけど……付き合うだけなら何人でもいいからな」
男女どちらともな。
ダブルダブルデートとか面白そう。四角関係に対角線が2つ、パートナーをチェンジしながらデートするとか。
百合は許容できるけどホモはいやだけどだ……って、何を考えているんだ俺は。
「京都君……本気で言ってんの?」
「冗談ですよ! それはマジで屑だと思ってるよ」
嘘がバレた時が大変そうだが、そんなもしもは考えても考えなくても同じことだ。
ピンポーン! とお馴染みの音がした。
玄関から出てきたのは見覚えのあるお爺さんだった。
「おお、君は……えっと、君は……」
どうやら名前を憶えてもらってなかったようだ。会うのは2回目だし老人だから記憶力がない、って話でもないだろう。
「えっと、桜橋京都と言います」
「そうだったそうだった、桜橋京都君だ。お姉さんは元気かい?」
姉は覚えてもらっている様子。流石のコミュ力だ。
「元気にしてますよ。明日の夏祭りを待ってました」
「ほお、元気か。それは良かった」
お爺さんは随分と楓美を気に入ってるようだ。まあ、実の孫が――あんな感じならな、姉じゃなく妹がね。
さて、何と言おうか。ここの流儀で言わせてもらおうか。
「ちょっとお茶させて頂きませんか?」
◎
コンコン、と扉をノックする。襖らしい薄い反音が手に返ってきた。
間もなく「……何?」と部屋の内側からくぐもって聞こえてきた。
いつも聞くような冷たい声ではなく、やや柔和な声色だ。
古風の家屋も慣れ親しんだもので音を立てずに開くことができる。
正面にある開け放たれた窓から熱気を顔に浴びた。
薄着姿でベッドに横になっていた水瀬さんは、手からスマホを思わずといった風に落として。
「な……何で!?」
「君のお爺さんとは知り合いでしたから。バーベキューにいなかった君は知らなかったことかな」
「まさか家まで来るなんてっ……」
「……スマホ見てたんだな」
表示されていた画面は某SNSアプリのあるアカウントのもの。『MINASE HARUKA』という名前。
都会のイケイケ女子高生なら誰もがやってることだろう。水瀬さんのアカウントも当然あるだけ。
あるだけのはずだが。
「酷いもんだよなこれ」
「……知ってたの?」
悪口とか、陰口とか誹謗中傷――SNSなんかでは簡単にできてしまうことだ。
彼女の過去を考えたらそれも仕方ない、と言える。
過去に、この片田舎来なければならないようなことに"巻き込まれている"。
「別に脅そうとか思ってないよ……ただ何であんな頑なに仲良くしたがらないか知りたかった訳だよ。知ったのは偶然だけどね」
「どうだか。家まで来て襲おうとしてるんじゃないの?」
「そんなやつが堂々と入って来るかよ。叫ばれたら終わりじゃねぇか……爺さんくらいははっ倒せそうだけど」
「うっわ……想像でも罪深い」
俺をけなさないと生きていけないのか己は。
別に、高校生にもなって悪口なんかでガチにはならない。それでストレス解消できるなら安いものだ。
ともかく。ここまで来たら水瀬さんも追い出そうとはしなかった。
会話最長記録が更新された。
水瀬さんは堪忍してベッドに身を放り投げた。
「全部わっかてんの?」
「いや、概要だけ。つーか、概要がネットに乗ってるんだよな」
ため息が2つ。
彼女は、天井を見つめながら独白する――。