②初日と姉
◎
水分補給を終えて教室に戻ると、クラスメイトは仲良く昼ごはんを食っていた。楽しいお喋りをしながらなので箸は止まっている。
途中で混ざるのも面倒なのでこそこそと自席に戻った。
そして、ワイシャツの襟首を掴まれた。
「は? な、何?」
悪いことをするほどの時間すら経過してませんが。
というか放せよ鏡子さん。すべてのトラブルの原因はあんたか?
教室の真ん中にまで引きずられて、そこにある椅子に座らせられた。
机が移動されて、俺を囲うような形になる。
誕生日会でもするのか、それとも俺をただ閉じ込めただけか。後者だったらトラウマになりそう。
いや、前者もないけど。俺は4月生まれ。
「えっと、これは……」
「桜君は弁当持ってきてないでしょ?」
「うん……仕方なく水をがぶ飲みしてきたところ」
「え……」
水をがぶ飲みすることがそんなに奇妙か? そうだ、田舎にはコーライッキ飲みの伝統がないんだ! どうやら都会も者らしく一歩先を行ってしまったみたいだぜ。
「ま、お腹空いてそうだなら私達の弁当分けてあげるよってことで」
「マジか……」
女子がやると嬉しい気遣いっぽいけど、普通に男子もそんなノリだった。ありがたいんだけど、セオリーを外してくる。
鏡子さんは肉団子の刺さった箸を俺に向けた。
「はい、あーん」
「あ、あーん」
恥ずかしいことこの上なし。
高校生にもなって、あーん、だぜ? それにそれを同い年の女の子にやられるっていうのがね。
鏡子さんは素面だが、俺は顔が赤くなってドキドキしちゃう。
地味に間接キスだが、そこは気にしない。気にしたら俺はちょっとばかり奇行に走ってしまい兼ねないからな。
「どう? お母さんが作ったんだけど?」
「……美味しい」
主婦が作ったんだから美味いんだろうけどさ。
鏡子さんは見るからに料理できなさそうなタイプだし。高校卒業したら花嫁修業でもしてどこかに嫁ぐみたいなルートに行きそうな顔してる。
「はい、あーん」
「……あーん」
続いて圭介がそう言って卵焼きを差し出してきた。
恥ずかしいことこの下なし。
何か嫌だ。皆さん平気な顔してるけどこの扱いはすごく嫌だ!
「どうだ? 俺が作ったんだけど?」
「そんなことだろうと思ったよ! すげぇ、美味いわ!」
「何で怒ってるんだよ。美味いならいいけどさ」
こんなところはセオリー通りじゃなくて良かった。
次々とそれを10人分、流石に腹いっぱいになった。ご飯と食べるような主菜ばっかだったからカロリー高め。
これなら午後も乗り切れそうだ。眠くもあるが、そこは暑さによって相殺される。
暑くて寝れないって意外にあるからな。
熱帯夜的なね。
「次は数学か……お手並み拝見といったところか」
「桜君が邪悪な顔してる……」
「誰が邪悪だ。数学はね、ちょっとだけ得意な教科なんだよ」
「すごいね! カッコいい!」
鏡子さんや、都会から来た陰キャにそんなことを言ってはダメだ。勘違いしちゃうでしょう? 俺だから良かったものの。
ここはビシッと指摘しておいた。
「カッコいいとか気安く言わない方がいいよ?」
「何で?」
「気があるのか、って勘違いしちゃう人がいるかもしれないじゃん。そのまま無理矢理連れていかれたりとか」
「そ、そんなことが!?」
「都会あるある」
「都会怖っ!」
反応が良いから悪戯を刊行してみた。
「ああ、鏡子さんは可愛いな……ふぅ」
そう言いながら耳に息を吹き掛けてみた。自分でやってて驚くくらいのチャラさだ。
びくり、と声をあげながら鏡子さんの体が震える。
「ひゃっ」
「もっとその顔見せてよ。その可愛い顔をっ……」
「ちょ、近い、よ……」
キスできそうなくらい近く。生暖かい吐息一つ一つを感じられる。
何刹那が経った頃、俺は彼女から距離を取った。
「――なんてことがある訳だ。これが俗に言うナンパというやつだ」
「はぁ、はぁ……都会、こんな人がたくさんいるの?」
俺もこんな人扱いされてしまったようだ。
今の演技は完全にアニメ等のフィクションに寄ったイメージである。
ああいうのは、普通に生活してる分にはまず関わらない人種だ。
まったくあるあるではない。
「…」「…」「…」「…」「…」
「え……」
男子共が俺のことを白い目で見ていた。
調子に乗って教室でナンパ紛いのことをしてしまったからな。反省反省。
間接キスは軽くするのに、こういうのは奥手なのな。
日本人か。
日本人だな。
余裕感を醸し出していたがウブだった。一応、フォローしておこう。
「まあ、今のは演技だから気にしてないで」
「う、うん……」
すごい心配になる詰まった返事が帰ってきた。
嫌だな。絶対にないとは思うけど、惚れられたりしたらとても困る。
変なフラグにならないことを祈るばかりだ。
◎
「じゃあな、この問題はな、簡単だから流石にな、村田、村田圭介、お前にはもな、答えられるよな」
数学の先生に指名される前席の少年。
とても簡単な問題だったが、数学というのはちゃんと理解していないといくら簡単でもわからないものだ。
圭介は小声で俺に話しかけてきた。
「この問題どうすればいいんだ?」
「つまりはな、後ろ引く前な訳だ」
「つ、つまりはなぁ……後ろ引く前なワケダ……」
いや、答えじゃねぇからな? 解説だからな?
「答えは(-1,2)な」
「こ、答えはま、マイナス1の二な……」
「…………」
先生は何も言わずにじっとこちらを見た。ただそれだけだった。
逆にそれが不気味。
俺は悪くないのに、俺が悪いことをしたような気になる。
授業に関してはすごく簡単で景色を見てても余裕で着いてこられるものだった。簡単過ぎて罪悪感まで募ってくるほど。
勉強してないとダメ人間になりそうだ。よって数学の授業は予習の時間と化した。
◎
授業がすべて終わり、放課後となる。
欠伸をしながら外に目を向ければ、未だに太陽が空の真ん中で踊っていた。
暑過ぎて帰りたくないと思いました。思っただけだが。
「おー、京都この後暇か?」
男子生徒3人が俺を囲ってきた。
全体的に背が高いので威圧感がある。性格は全員弛そうだが。
放課後の予定を少し思案した。買い物に行かないといけないんだった。
「今日は買い物に行かないといけないのだ」
「そうなのか?」
「どっかのお店で野菜を買わないといけないんだよ」
「へぇ、じゃあ勇太のとこかもな」
圭介が親指で、鏡子さんにシロ君と呼ばれていた少年を示した。シロは苗字から来ているみたいだな。
「僕の実家野菜農家なんだ」
「へぇ、直売場とかやってるなら行くかもしんないな」
「色々育ててるからよろしくね」
「おう」
その時、後ろを通る彼女に気づいた。昼休み目撃した名前も知らない少女だ。
こんなクラスなのに、誰とも話をせずに帰宅していた。
「……あの娘って」
「ああ、水瀬遥な」
僅かだがトーン一つ下げて、圭介は言った。
水瀬遥と不自然にフルネームで呼ぶところ、あまり交流がなさそうだ。
それに、彼女の纏う雰囲気は俺に近い。
「転校生なの?」
「よくわかったな。春に来たんだけど、あんま話してねぇな」
「へぇ……」
田舎に転校してくるなんて余程の理由があるのかね。
転校する人の理由は基本的に親の仕事の都合らしいが、そっちのタイプか。
俺が以前に通っていた高校の場合ならば、彼女みたいな人は少なくなかった。俺もその一人だったし、それが当たり前という風潮もなくはなかった。
だが、ここだと異常に浮いていた。
初日にして俺がこうも彼女を視界に入れてしまったのも、そのためだ。同じようなことを考えて行動していた。
「水瀬遥ねぇ……」
「ま、まさか……水瀬まで狙うのか……美人の姉までいながら、鏡子と同時に!? 信じられない、この野郎!? どぶに突っ込んで死ねぇ! この美人局!」
「いや全然違うからな?」
水瀬さんを狙ってないし、鏡子さんと同時とかも考えていなし、美人局の意味間違ってるからな。
美人のお姉さんはいなくもないけどさ。
「どぶに突っ込めるのも田舎ならではだよな……よくよく考えてみたらどぶなんて見たことないわ」
下水道流れてるとこだっけな。
何気ない俺の発言を聞いた驚愕を露にして圭介がたずねてくる。
「じゃ、じゃあザリガニ釣りもしたことないのか!?」
「ザリガニも見たことないな」
「ばっ、馬鹿な!?」
「そんなに驚くことか?」
大袈裟な反応だ。田舎と都会のカルチャーショックが起きたのか。
夏の思い出とか、涼しい部屋でゲームしてたとかしかないからな。彼らは俺のことを崇拝レベルで羨ましがっているが、逆に俺だってそう思っている。
隣の芝はよく柿食う客だ、ということだ。
住めば都ってな。
三人は俺との話を十分満喫したという風に、あっさりと帰っていった。「あー、楽しかった。じゃあな」と。
微妙に気遣いできてない感じが彼ららしい。
「いや、この場合は俺や彼女が気を遣い過ぎてるのか」
今さら、都会の息苦しさは尋常じゃないと思う。
馬鹿笑いして下校なんてしてたら即白い目で見られたりするし、というか俺もそんな目を向けるし。
加速するとこは加速して、遅延するところはとことん遅延する。
俺はまだここでは速過ぎるのかもしれなかった。
「桜っ君! かーえろ!」
「桜橋君、帰ろ?」
テンションが高い鏡子さんと、オラオラ系おしとやか少女の環奈さんが先ほど男子が群がって席の前に現れた。
環奈さんの少し首を傾けながら言う感じはポイント高いですね。おさげで眼鏡がよく似合っております。
「じゃあ、一緒させてもらおうかな」
「うおっ! 台詞まで都会だわ」
「うん、カッコいいねー」
「……俺もちょっとびっくりだよ、その反応は」
やたら誇大に解釈されても困りますね。俺の発言は都会と何ら因果関係はない。
折りを見て注意しておかなければ。
◎
茹だるような暑さの下校路。
俺は二人の少女の後ろを着いていくように歩いていた。
登校の時は空ばかり見ていたが、田んぼというのもなかなか風情がある。蛙を見るのも数年振りというレベルなのでちょっと興奮する。
「うわアメンボじゃん……これは、何だ?」
ゴキブリを一回り大きくした水中に浮かぶ生物。黄色の輪郭と、触角が生えている。
名前が思い出せそうで思い出せない。
腕を組んで唸る。
「ゲンゴロウだよ」
環奈さんが察して教えてくれた。
ゲンゴロウ、そんな名前だったわ。
「桜橋君の住んでたところにはいなかったの?」
いつの間にか俺の隣に来ている環奈さん。
距離感が心なしか近かった。肩とか普通に振れる。気にしないけど。
「田んぼも畑もなかったよ」
「そうなんだ。一回行ってみたいなぁ……」
「行けばいいじゃん」
「ここから駅までのバスは1日に1度しかないんだよ?」
「泊まればいいじゃん」
環奈さんが立ち止まってしまった。
譫言のように「泊まればいい泊まればいい」とか呟いている。大袈裟な反応だ。
背中を押して再び鏡子さんの隣の位置に戻す。
「は!? 私は何を?」
「どったの環奈ちゃん?」
「……いや、何でもない……」
「あ、いいこと思いついた! 桜君!」
「……あ、俺か。何?」
「今どこら辺に住んでるの? もしかしたらお泊まり会できるかも!」
久し振りに聞いたわその言葉。
小学生とかの時やったな。始終ゲームしていたような気もするけど。
でも、この年頃ではちょっと。
何かエロゲーでありそうな展開だから嫌だな。
適当に誤魔化せばいいか。
「あと10分くらい歩いところ」
「学校に近いんだねー」
「お二人さんは?」
「その二倍は歩くよーっ!」
「徒歩25分……自転車乗らないの?」
「自転車だとゆっくりお話ししながら歩けないじゃん」
「なっ」
愕然――脳裏に過る。
効率重視の生活をしていた俺が浄化されたくイメージ! 友達と時間で迷わず時間を取るなんて、もうダメっ!
あんたいいやつやな。
「――ちょっと桜橋さんは感動してしまいました……家まで送らせてもらうよ」
「出た!」
「出たね!」
「「ドラマとかでよくある台詞ー!」」
恋愛系のドラマとかでよくあるやつ。
憧れの女性上司に、「最近物騒ですし家まで送りますよ」と言うやつな。
田舎だから大河ドラマくらいしかないと思った。
「ここでもドラマ存在するんだな」
「流石に田舎嘗め過ぎでしょ! このー!」
「うっ、これは!? な、何故こうもありきたりな展開――ぐぁ!?」
ヘッドロックされて、柔らかい何かに顔が沈んだ。
ご褒美になってしまう展開じゃないか。
しかし、普通のやつは「すごい当たってる!」とか言って殴られて終わるが俺はあえての無抵抗で行くことにした。
別に感触を堪能していた訳じゃないんだからね、勘違いしないでよねっ。
そんな俺を冷たい――いや、黒い視線が射抜いた。
視界の色がモノクロとなる。俺と、その相手意外の色が失われた。そんなイメージが脳内に、それも強制的に差し込まれた。
生憎、生憎なことに俺の口は開けることができない。
弁解を述べなければならないのに、その彼女は俺達の横を無言で通り過ぎる。
勿論、軽蔑するような瞳のままに。
姿が見えなくなると同時に、視界異常は収まった。収まったが、胃に激痛が走った。
「あれ? 桜君どうしたの? 息できない?」
「……姉に豚でも見るかような視線を向けられた……」
「んー?」
まあ、後で説明すればいいさ。手遅れなんてことはないだろう。ここは落ち着いて、二人を送ってい行こうじゃないか。
頬を軽く叩いて歩き出した。
◎
午後4時頃、俺は姉の楓美と共に買い出しへ出かけていた。ここに来てからまだ数日なので土地勘に慣れるためにこうして一緒しているのだが。
「…………」
「あ、あの……」
家に帰ってから口もきいてくなかった。不機嫌というやつだった。ご機嫌斜め30度だった。
俺を置いていこうと早歩きで田舎道をずんすん進んでいた、
理由は先ほどの鏡子さんことだ。言い訳というか、弁明を聞いてくれないのだ。
徒歩の末、直売所に遣って来た。
第一印象はやはり、野菜たくさんあるなという感じだ。文字通り山のように野菜が並べられている。
定番のものも当然あるが山菜も見かける。
まあ、今回は様子見といったところだな。
「楓さん、今日は何作るの?」
「…………」
「無視しないでよ」
「別にまだ決めてないけど」
楓美は俺からわざとらしく視線を外しながら冷たく言った。
俺は頭を抱えながら買い物をする。機嫌の直し方はわかるが、実行するとなるとまた別の問題がある。
「どうしたもんかね」
メニューを知らされないまま楓美は買い物を終えてしまった。
直売所のお婆さんのサービスでスイカを2玉貰ったみたいだ。無言でそれを押し付けてきた。
こうも迫害されるとカチンとくるな。
悪いのは俺だから筋違いの怒りだが。謝るのは俺だ。
行きと一緒の帰り道、俺は楓美の横に並ぶように早歩きをした。体格は俺の方が大きいので逃げられることもないはずだ。
前からこうすると楓美は喜ぶんだ。
「手を繋ぎましょう?」
「……姉弟が普通手、繋ぐと思う?」
「そりゃ、あるでしょ。なんせ家族だもん」
これは、どこかで楓美が言っていた台詞だ。
それは高校生だからとか関係ない。
「それに俺は繋ぎたいし……」
ここぞとばかりに俺は楓美の瞳を捉える。頬を赤めて逆の方を向いてしまった。
だが、最後の台詞が利いたのか、その綺麗な左手はこちらの伸ばされていた。
本当に……俺のこと好き過ぎか。
勿論、違えてはならない一線もちゃんとわかっている。
柔らかくて、暑くて、小さな手だった。
「ごめんなさい」
素直に謝った。見られたのは偶然とは言え、不快な思いをさせてしまったのは事実だ。
楓美がどんな想いを秘めているのかはわからないが、俺の方は謝らなければ気が済まなかった。バレなきゃバレないまま言いやしないけど。
「……別に怒ってなかったし……」
不貞腐れながら発された台詞に「く、くくっ」と俺は笑ってしまう。昔から全然変わってない。それがとても嬉しかった。
「もう、京都君のバカっ!」
姉は真っ赤なになりながら俺に罵倒を浴びせた。
それはもう、暑さと羞恥がない交ぜになった可愛い顔だった。