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ようこそ愛と恋の夏休みよ  作者: (仮説)
過去
29/30

 

 ◎


 一二月の後半から、一月の初めまでの冬休みを終えた。

 冬休みは愛しの彼女と仲良く過ごすことができた。人生で一番と言ってもいいくらい幸せな日々だったと今でも思う。


「変なフラグが立ちそうな発言は控えないと」


 冬深まった今日この頃、俺の日常は限りなくいつも通りだった。普通の日本国民には劇的なことなど起こりしない。明日には忘却してしまう記憶の始まりだ。


 二月、学期末テストも終えて、残る授業も後僅か。

 いつの間にか一年が経ち、もうすぐ二年生に進級してしまう。


 子供でいられる時間も少ない。

 進路も何も決めていないと不安になってくる時期だ。何もしたくない人はどうすればいいのか是非とも教えて欲しい。

 高校生らしい矮小な悩み。

 しかし、選択から逃げ続ける訳にはいかない。いつどこで何が起こるかわからないのだから未練がないようにしたい。


「学校にテロリストが現れたり、隕石が落ちたり、異世界に召喚されたり……なんちゃって」


 そういう類いはどう考えてもあり得ない。一〇〇パーセントと保証してもいい、絶対に起こることはない。

 あるとしても細やかな人生らしい、細やかな騒動。例えば、某SNSで有名人となった女子高生に冤罪が降りかかったりするくらいだろう。


「進路に迷うくらいが身の丈に合ってるか」


 ボソボソ呟きながら登校路を歩いていると学校が見えてきた。




 昼休み、秘蔵の空き教室で楓美と落ち合った。

 俺の手には弁当箱と水筒。遅れてやって来た先輩も同じく手にしている。

 学校で二人きりでランチするのは意外と大変だった――。

 昼寝スポットを探して以来、学校を隅々まで賭け駆け巡ってようやく発見したのがこの教室。


「突然どうしたの? こんな教室まで呼び出して」

「たまにはこういうこともいいかなと」

「ふうん、たまにはいいかもね」


 ただ会いたかっただけ、と言っても良かったがこれみよがしにナンパするのもどうかと自重した。二人で手を合わせて「いただきます」と口にして箸を動かす。


「先輩って将来どうするか決めてます?」

「うーん、何も考えてない」

「まあ、そうですよね。決まってる人の方が少ないのは当たり前か」

「進路悩んでんの?」

「進路っていうか、将来働けるかって思う訳ですよ。働いていけるか心配なんです。十分なお金を稼げるのか、人として最低限度の文化的生活を得られるのか……誰かが保証してくれたら楽でしょうけど、世の中そんなに甘くないですからね」

「ふうん。繊細なんだね、私は京都のお嫁さんかな?」

「養えなたらいいなぁ……」


 最近は俺の愛の重さを受け入れてくれて、何か、そういう流れになっていた。やや倦怠期気味ではあるものの。何気なくこれからも一緒にいるだろう、とお互いに確信している。


「こればっかは親とも相談しなくちゃな……」



 ◎


 放課後、空を見上げれば、五時には日がほとんど暮れていた。淡いことを青色から紫色へと移行する。

 楓美先輩と話していたらあっという間に時間が流れてしまった。ストーブに手を置きながら話した方が良かったかもしれない。

 わざと白い息を吐いて、帰路を行く。自宅のある住宅街からは無数の光が漏れていた。


 その時――ズゴゴ、ドンッッッ、と。


 金属を錐で削りながら、捻ったような超高音の不協和音が辺りを蹂躙した。咄嗟に耳を塞ぐが、音速に対応することは叶わず破裂したような痛みを覚える。

 耳鳴りが収まってくると、辛うじて車の走り去る音がした。

 すぐに音源に向けて走った。何故ならそこが俺の家の間近だったから。

 自宅が視界に入ったので速度を緩める。


 ピチャッ、と液体が飛び散った。血の池は今も広がっている。革靴で踏み抜いていて近づいた。

 二人の男女が倒れている――関節が逆に曲がっているところもあれば、腕が千切れて外壁にこびりついている。

 見覚えがあるはずだったのに、見覚えがない。

 それすなわち原型からの乖離。


「……………………………………………………はっ」


 現実から目を逸らすほど愚かではない。

 だから、俺は――自宅に入ることにした。大音量だったので周辺住民もそろそろ外に出てくる頃合いだ。通報は任せる。

 自宅のソファーに横になった。嗅覚を滅ぼ巣臓物の異臭が薄れてきて、ようやく息を吸う。


 将来、俺はどうすればいいんですか?



 悲劇は突然やって来た。


 俺には両親以外に血縁が存在しない。

 もしかしたら存在するかもしれないが、俺は知らない。

 小学生くらいの頃尋ねたことがあったがはぐらかされた記憶がある。中学生くらいには家にアルバムでもないかと探したがそれもなかった。高校生になってからはそんなに忘れていた。

 徹底的だった。意図的に抹消されたかのようにだ。

 こうなってしまっては――喩え高校生でも受け継ぐものを受け継がなくてはならない。たった一人で。


 まず思ったことは、これからどうすればいいのか、だった。

 人は一人で生きていくことができない。自分で考えることを覚え始めたばかりの俺に何かができるとは思えなかった。

 薄情なことに親を失った悲しみに気を回す余裕はない。


 あるのはただ漠然とした不安のみ――。


 しばらくすると救急車とパトカーが家の前にやって来た。

 インターホンが鳴らされたので答えると、救急隊員がずかずかと入ってくる。神妙そうに話をするので適当に頷き、言われるがまま救急車に同席した。


 そこからは記憶にない。

 点滅する景色を瞳に映しているだけで時は過ぎていった。しかし、生憎手術室前で祈る必要はなかった。

 死んだ者は甦らない。信じて待つ余地はない。


 生物として確実性を伴って死んでいたとしても、医者の判断がなければ正式な死亡扱いにならないことを思い出した。

 空はすっかり暗くなっている。

 これからどうするのだろうか。

 お葬式か? それくらいなら病院の人が教えてくれるかもしれない。

 お金はあるか? 血縁者が俺しかいないから通帳とかは使って良いかもしれない。

 学校に連絡するのか? 俺が、自分で。それとも誰かが察してくれるかもしれない。


「――全部無理だろ……」


 荷が重過ぎた。



 ◎


 高校生の年齢でも、自分の親より稼いでいる人はいる。

 ならば、ただ高校に通ったというのは怠惰なのだろうか。時間も金も無駄にしたというのか。

 劣等感――、事実だからこそ心に来るものがある。

 けれど、稼いでいる本人はそんなことは微塵も思っていないだろう。


 明朝、病院から抜け出た俺は制服姿のまま太陽に向かって歩き出した。時間帯もあってまだ車通りの少ない中心街を行通り過ぎる。


 やがて海岸線が見えてきた。

 見覚えのない制服姿を着込んで自転車に乗っている少女とすれ違って段差を下っていく。何かもが俺と真逆に進んでいるような気がした。


 半ばまで歩いて腰を下ろせば、支点が数センチ砂に沈んだ。

 都会の海は汚い――家族で旅行に行った時に見た沖縄の海は透き通っていた。

 それでも、綺麗だと思う。


 海を眺めれば悩みなんてちっぽけに思えるらしい。

 受験、友達との仲直り、金欠、欲望。さざ波に耳を傾けていればそれらは忘れられた。

 親の死だって、

 これからの生活も、

 風化していくような気がした。


 太陽は海から這い出て、空へ浮く。目を逸らしたくなる光だが、反応するのも煩わしい。

 このまま石になって永遠と過ごすのも良いかもしれない。


 ふと、冷気を秘めた突風が吹く――。

 それに背中を押されたような気がした。立ち上がると弾みでポケットからスマホが落ちる。

 流されるまま俺は踏み出した。重い芦を上げて一歩一歩水平線へ。


 血塗られた革靴が海水に晒され溶ける。海水が制服に染み込んでさらに体を鈍らせる。だが、止まらない。

 ゆっくりと沈んでいく。



 一つだけ忘れていたことがあった。

 最後に思い出されたのは――。



 背後から水を蹴る音がした。

 振り返る間もなく、体が暖かさに包まれる。鼓動と嗚咽と、慈愛。そういう暖かさだった。

 俺は、熱くなった目頭を押さえながら問う。


「何で……ここにいるんだ」

「――だって、だってっ! 京都っ!」


 楓美先輩は喧しいくらい泣き喚いた。俺の代わりに悲しむように、涙を流す。

 俺は天涯孤独になった。

 でも、全員がいなくなった訳じゃない。一番大切な人が今もこうして近くにいてくれる。

 一人じゃないと思えることがどれだけ心の支えになるか。


「京都っ、ダメだよ私を置いてかないでよっ!」

「……どうすればいいのかわからない。これから先を考えるのが辛過ぎるんだよ」


 泣いて喚いて解決する問題じゃない。もはやどこにも逃げることができない。


「何をすればいいのかわからない。死んで楽になりたい、と言ったら嘘になる」

「馬鹿っ! そんなこと言うなっ!」


 背中に頭を打ち付けてくる。

 背骨よりも心に痛みが走った。


「わかっているけどさ、心に留めておくことができないんだよっ。容量越えちゃってるんだよ、耐えられないだよ」

「…………」

「不安で不安がしょうがないんだ……」


 結局、現実を余さず見つめることはできなかった。肝心なところは許容できなかったのだ。

 高校生ということに甘えられない――。

 それが入水したくなるほど不安だとは想像もつかなかった。


「――俺って、どうやって生きてたんだっけ?」

「京都京都、京都っ」


 砂浜まで引きずられて、膝を折った。楓美が支えてくれなければそのまま横になっていただろう。

 時間さえあればどんなことも飲み込める自信はある。あればの話だが。


「――家族になろうよ」


 言った楓美は正面から俺を抱いた。



 ◎


 正直、事故が起こってからの数日の記憶はあまりない。

 流れるように景色が動いて、あっという間に時は過ぎた。


 血縁者がいなければ施設にでも送り込まれるかと思ったが、桜橋に保護されることとなった。正確には養子とは違うがそんな感じだ。


 俺は名前を変えた。三日月はもうない。

 桜橋京都。

 それが俺の名前だ。

 そして――自動車を見るとあの事故をフラッシュバックするようになった。車を視界に入れるだけで体が震え、乗ってしまえばもっと大きな症状が出る。

 現代社会でまともに生活することができなくなった。『普通』に生きることすら辛い。


 そこで提案されたのが桜橋柊造さんの地元に引っ越すこと。

 俺の家辺りだと思い出してしまう、という配慮に従って引っ越した。田舎だけあって車も少ない。


 悲劇というなら、これが一番悲劇かもしれない。

 あれから放心状態だった俺を献身的に接してくれた楓美は義姉となった。世間体というやつ。

 だから、より一層しっかりするようになった。いつか俺が初恋をした彼女とは似ても似つかないそんなお姉さん。


 両親を轢き殺した人物も逮捕されたが顔も見ていない。

 色々なものを置いていって、俺はこの街を離れた。歩いて、電車に乗って、ひたすら歩いて立川までやって来た。


 四月、俺は転校生として――。


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