⑧
◎
俺の好きだった彼女はもういない――。
努力した彼女は変わってしまった。
良いことだとしても、俺は喜べなかった。
未練たらたらに遠くから見つめるしかないのだ。結ばない長い黒髪も、前髪を押さえる髪留めも、着こなされた制服も。
これは俺の勝手な想い、だから強要もできない。
口に出すことすら迷惑になる。
期待するだけ無駄なのだろう。彼女は戻りたい、とは思わないのだから。
俺は全てを、全ての思い出を忘れるまでこの気持ちに苛まれるしかないのだろうか。
◎
一〇月の初めである今日、体育祭当日。
文化祭から色々あったはずだが特別なイベントがない限り覚えてられないよね、ということで。
指示に従ってグラウンドの周りに椅子を持っていって待機、応援をする訳だが現在そういう訳にはいかない事情がある。
いや、俺にはないけど。
誰かがあるらしい。
「ええと……何故俺が羽島さんとやらを探さなければならないんだ?」
「多分クラスメイトじゃ逃げるんだもん」
「俺もクラスメイトなんだが?」
「絶対認知されてないよ」
加藤さんの酷い言葉はともかくとして。
「普通に断るけど」
「何でよ!?」
何でよ、はこちらの台詞である。知らない人を探すって意味不明過ぎるだろ――って、思ってる時点でお互い認知していないんだよな。
「メリットないし」
「三日月って損得で動くんだ。へえ、随分とまあダサい性格してること」
「煽ってるつもりかもしれないが、普通に傷つきますよ……」
付き合いは長くはないが、俺にしか頼めないと言うなら話くらいは聞いてやろう。
断るつもり満々で内容を訊いてみる。
「大まかでもいいから事情を説明してくれ。流石に何も知らずだと思わず家に帰りそうだから」
「体育祭のやる気すらなくなるんだ……まあ、でもそれはそうだね。じゃあ一言で説明するね」
「一言って、それでわかるんだろうな?」
「男の子に振られて逃げ出した」
「……そんな餓鬼放っておこう……」
「さーがーせっ!」
「えー」
◎
という訳で、種目の出番がない時間は専ら捜索活動をしていた。理由が浅過ぎてやる気も出ないが、ごり押しされて了承してしまった以上はそれなりにやらなければならない。
監視されてる訳でもないのでサボってもいい――そういう心の余裕があるからまだいい。
歩きながら、加藤さんから提供された情報を思い返す。
『学校にいるかはわからないけど、いる可能性は高い』
『ショートカットの女の子で、赤い鉢巻きだから』
『面倒な性格。かまってちゃんだから絶対に見つからないところにはいないと思う』
『君には舌打ちくらいはするかも』
『振られた相手は小島君。文化祭の時とかべったりだったよね』
『借り物競争に出るから二時間で捕まえてきてね』
『一応、連絡先教えとくよ』
歪んだ人物像は何となく見えてきたけれど、身体的特徴は髪型くらいしかわからない。
まあ、彼女は宇宙人じゃないので一般論で絞る。恥ずかしかったり、構って欲しかったりするなら普通のところにはいないと思われる。
木を隠すには木の中、ってことで客席に紛れてる可能性は低そうだ。体育祭中心地にはいないと推測はできる。
「だとしても……もう少し限局したいな」
校庭は広い。外側を探すのだって一苦労。
悩んでいれば第一種目徒競走が始まる。一般人が結構な数いるので歩いて移動しなければならない。
今日の気候はやや涼しいとは言え、この暑さなら日向にはいないだろう。
校庭を一周して、放送ブースまでやってきた。ここには時計と予定表が大きくプリントされて掲示されているので便利だ。セーブポイントっぽい。
第二種目の参加者が集められるのを横目に俺は校舎へ向かった。
学校の大部分面積を占めるここが確率しては高い。
生徒の悪戯防止策か、昇降口の鍵は閉められている。また、窓が開いているなんて都合の良いこともない。
「方法はいくらでもあるか」
だからといって密室という訳でもない。
教師用に入口が一つあるのだ――。
それは職員室の前まで直結しているので危険ではあるが、そこは度量と運で乗り越えるしかない。
教師が時折り往き来するも、チラチラ窺ったり、怪しげな行動をするのは危ないので人の動きが途切れた瞬間に一思いに入り込む。
存外何とかなるものだった。
「でも教室にいるって保証もないんだけどな……」
クラスの教室は鍵で閉められている。
特別教室も同様。屋上なんてもっての他。
この状態で入れるところなぞ思いつかない。だが四階もあるなら一つくらい鍵をかけ忘れて開いてそうだ。
職員室とは違う階層に移動してから校庭を上から覗く。二つ目の種目が始まった。まだまだ時間に余裕がある。
なら休もう。その場に腰を下ろした。
精神疲弊が結構大きい。
人を探したり、人目気にしたり忙しなかった。今もいつ先生が現れるかドキドキしている。
その時、どこかの教室から声が漏れてきた。
「俺の他にも猛者がいた……」
とある教室――二年三組の教室の中からだ。
鉢合わせたら流石にびっくりするだろうから抜き足差し足でその場を後にしようと思った。
桜橋先輩の声を聞くまでは――。
「ごめんなさい……」
「あ、そっか。だよねえー、理由訊いていい?」
二人の登場人物。桜橋先輩じゃない男を仮にチャラ男としておく。
全然気にしてなさそうにチャラ男が尋ねると。
どうやら告白シーンのようだ。絶妙なタイミングで来てしまったものだ。
「れ、恋愛とかよくわからないから……」
「それなら俺が教えてあげるからさ。手取り足取りさあ」
野郎はここぞとばかりに押してくる。
先輩はだいぶごねるが、なんだかんだ了承してしまうタイプだ。買い物の時とか、勉強の時とか、真剣に説得したら存外頷いてしまうのだ。
ヤバい――そう思ったけど。
「――ごめんなさい、そのつもりはないから」
桜橋楓美ははっきり、と扉越しでもわかるくらい強い意思を持って拒否した。
強さなんて彼女から最もかけ離れたものだと思っていた。だがら克服していた。
俺が何もしてなかった間に――。
露骨に拒絶されてしまってはチャラ男も断念するしかなかった。
「ですよねえ。じゃあ、先戻ってるわみたいな」
柱の影に隠れて教室を出た男の背中を見送る。
丁度聞こえてきたのはピストルの音。第二種目も着実と進行されているようだ。
だけど、そんなことはどうでも良かった。
既に羽島さんを探す気も失せている。
もう彼女には俺は必要ない――。
わかっていたつもりだったが、こうもうちひしがれるとは思わなかった。
現実を受け止めたからこそ、心が折れてしまうこともある。
最後に話してから二ヶ月ほどが経った。彼女を考えることも少なくなっていた。それでもこうなのだ。
長過ぎた。
時間を共有し過ぎた。
忘れることができなかった。
ああ――これが失恋か。
「失恋したやつを探してる途中に失恋するとか面白過ぎるな……」
静かにその場から離れる。今、桜橋先輩に会ってしまったら何を言うかわからない。
平常を保つ自信はなかった。
廊下に漂う熱さに脳が溶けそうになる。
「一〇分。一〇分で立ち直ろう……」
パタリ、と踊場と平行になる。目を閉じて思考した。孤高なる意思を今こそ甦らせる。
◎
羽島さんとやらは構ってちゃん、ということを思慮すれば自ずと彼女のいるであろう場所を推測できる。
今思えば、リスク承知で封鎖されているのにわざわざ校舎に入るはずかない。だが、入らなければ分からなかっただろう。
窓からグラウンド――よりももう一層周りの道路に眼を向けてようやく発見したのだ。仲間になりたそうにどこかを見ていた。
そこからは笑い話。嘲笑話である。クラスの半分くらいの人が迎えに行ったのだ。いつのドラマって。
体育祭はつつがなく進行されたが、今の俺にはノリに付いていく気力はなく、ダラダラと担当種目を実行した。
「どうしたの? 調子悪そうだけど、大丈夫?」
「そう訊いて大丈夫じゃないパターンはあるのだろうか」
大丈夫だよ。
そう……。
みたいな流れはアニメとかフィクションでよくあるシーン。この台詞の言い方からして大丈夫じゃないだろう。
加藤さんは俺の額に手を当てきた。
「熱はないね」
「気安く触るよな……不快でないけど」
「なっ!? こ、これはっ」
そんな反応されたら俺のこと好きなんじゃないか、と勘違いしてしまうじゃないか。そう思っても良かったが、現実を見たら虚し過ぎて吐きそうになる。
顔を赤くしながら前のめりに答える加藤さん。
「弟的なね!」
「弟すか……」
「だって三日月って何か放っておいたら危ないことしそうなんだもん。校舎入れないのに無理矢理入ったりさ」
「別に理由がなかったら行かないけど……」
「にしてもだよ。常識とか倫理観とかおかしいよ?」
それはどこかで聞いたことのある台詞。どんな道を辿ったかもしれないが、俺も下に返ってきた。
俺は、加藤さんの手を取ってみる。
「な、何!?」
「……そうだよな……」
振り払われた。でも、目的は果たしている。
いくら手を握っても――ドキドキしないのだろう。世界が綺麗に見える鼓動はもうそこにはない。
未練、執着。固執に確執。
「ま、まさか三日月……私のこと!?」
堂々と口にしちゃう辺りが残念系だ。
そういえば――加藤さんの顔をしっかり見たことはないかもしれない。
人と眼をあわせるのは苦手だった。
眼を合わせられる非凡な人がいた。これは例外。
なら、本来通りに見てみれば。
彼女の瞳を覗くと、背中から臀部に得も言われぬ痺れが走った。明確にそれがストレスの類いだと理解できる。
人に見られているという意識が俺を内側から殺した――。
「っつ――!」
顔を見ていられる余裕はなかった。
思わず背中をかきむしる。体育着越しでも赤い線がでかただろう。
あたかも奇行に走ったかのような俺を心配してくる彼女。
「本当に大丈夫? 大丈夫には見えないけど……」
「桜橋先輩に告白して振られたんだよ」
それは俺じゃなくチャラ男の方だが同じようになものだ。無理だと、屈服してしまったのだから。
声をかける勇気すらない、ヘタレどころじゃない。
あれ? 目から汗が出てきた。
「三日月……」
気を遣わせるつもりはなかったのに。感情は制御することができないということか。
終わりとは本当に悲しいものだ。
「はああぁぁぁ……もう帰ろう」
「ホームルームは!?」
「今日は止めとく」
「止めとく、って……そういうもんじゃないでしょ……」
友達からの遊びの誘いを断るノリではあった。
◎
「…………」
「おかえりー。意外と早かったね」
帰りのホームルームをサボって帰宅すると、母親の声が玄関まで聞こえてきた。
リビングに入るとキッチンから姿を現した。弁当箱を水洗いしてシンクに置く。
「調子悪いの?」
顔に出ていたのか動揺が気取られてしまった。それとも生まれた頃からの付き合いだからか。加藤さんにも言われたから相当顔に出ているのだろうけど。
「体育祭疲れたから。シャワー浴びとく」
「そう――」
返事を待たずに浴室へ向かった。
全身にまとわりついたベトベトをシャワーで流す。ついでのこの煩わしい悩みも流せれば良かったが、そんなことはできない。
でも、俺の中だけで完結する問題だ。
時間さえ経てば解決する類い。
「……ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「どうしたの?」
シャワー上がりにリビングで涼んでいる中、俺は母親に問い掛ける。
「失恋した時ってどうすればいいかな?」
「失恋?」
世間話と取られるか、ガチの相談と取られるかはわからないが説明も訂正もするつもりはない。
人生の先輩として、もしかしたら答えを見つけてくれるかもしれないから。
「失恋かあ……まあでも、新しい恋を探すのが一番じゃない?」
「新しい恋……」
「普通はそうだと思うよ」
「そっか……」
新しい恋を探すか――悪くないかもしれない。
潔癖な俺は不義理と思ってしまうものだが、よくよく考えて別に悪いことではない。
人間関係の開拓も悪くないな。




