⑤
◎
――とまあ、俺と桜橋楓美の出会いはこんな感じとして。
夏休み、某日。某所、神奈川のどこかというか桜橋邸宅にいた。
八月前、連絡を受けて呼び出されたのだ。先輩の連絡際は知らなかったので、向日葵夫人経由の連絡である。
何故、夫人の方の連絡先を知っているのかは……まあ、流れですよね。
ともかく、桜橋邸の二階一番奥の部屋に正座している。数日前に一度入っただけの桜橋楓美の部屋。
主てある桜橋先輩はベッドで横になりながらこちらを見つめている。いつもサイドポニーだが、ツインテールだ。高い位置で結ぶのと、持ち前の童顔のお陰でより一層幼く見える。
「で、何で呼び出したのでしょうか?」
女子の部屋だ――。
とか、言いながらドキドキする展開は漫画とかラノベとかでよくあるけれど。
他人の家、という時点でもう息が止まりそうなものだ。リビングだって、応接間だってドキドキは変わらない。
時間だけ伝えられて呼び出された俺は、目的を尋ねた。
「友達だから遊ぼうよ!」
「……まあ、それはいいんですけどね」
遊ぶであろうことはわかっていた。前回聞いた。
その内容を訊いたつもりだったのだが。
「ゲームでもやるんですか? 二世代くらい前のハードしかなさそうですけど……」
それはそれでいいんだけどね。
部屋の壁際には小型のテレビが設置され、その下の小棚にゲーム機が並んでいた。有名なメーカーの有名なソフトが見受けられる。
「違う! プール行こうよ!」
「これまた何とも……」
二人きりでプールに行くなんて、漫画とかラノベで言ったらもう付き合ってくらいのイベントだが。そうでなくとも好き合ってはいるだろう。
先輩の場合は他に行く友達がいないから俺……ってことだろうが、もう俺に何されても仕方ない状況になっているような。
男女でねえ。
彼女も良くとも、周りはどうか。噂なんかされた日には太陽光によってスライムにされて死ぬだろう。
プライベートビーチとか? あり得ないっす。
「周りの目を本当に気にしないんですね……」
「気にするよ?」
「気にするんですか?」
「うん」
「意外」
「だって見られたら緊張しちゃうじゃん」
「緊張して、興奮しちゃいますか?」
「興奮?」
「興奮はしませんか」
してたら嫌だけど。やっぱ宇宙人扱いは嫌いか。
「まあ、いいですよ。プール」
「やったー! じゃあ行こ?」
「ん? まさか今?」
「そうだよ」
「そうだよじゃないよ?」
「じゃないの?」
準備してくれる時間もくれないの?
たかられると思ってスマホだけで無一文なんだが?
「水着とか持ってないんだけど」
「私もないよ」
「は? 馬鹿だ馬鹿とは思っていましたが、ここまでイカれてると思ってませんでした……全裸は捕まりますよ」
「それくらいわかってるもんっ!」
顔面を躊躇なく蹴られた。あんなこと言ったら流石に怒るか。
蹴られて倒れたままに彼女を見る。
横から見ても綺麗だった。
「じゃあ、どうするんですか?」
「買い物に行くのっ!」
「今からプール行かねえじゃん」
「プールの買い物に行くのっ!」
コミュニケーションがずれる、ってかなりストレスになるんだな。
これは矯正が必要そうですね桜橋先輩。邪悪な微笑みを浮かべると「怖い顔……」と言って縮こまった。
小さなため息を吐き、確認する。
「行くのは買い物なんですね」
「うんっ」
「怒ってませんから泣かないで。なら行きましょう――今から」
「やったー! 大好き京都っ!」
桜橋先輩は友愛を叫びながら抱きついてきた。
大好き、なんて。
女の子が安売りしていいものじゃない。男なんてコロッ、と騙されてしまうよ。
騙されるよ、恋という名の病にな――。
なんちゃって。
「じゃあ、行きましょうか。場所は駅前のショッピングセンターでいいですよね」
着替えも準備あるだろうしリビングで待つことにした。俺はスマホしかないので待つだけだ。
勝手知ったとはがりに扉を引くと桜橋夫人が声を漏らす。
「あら?」
「どうも」
「もう帰るの?」
「いえ、買い物に行くことになりまして。駅前のショッピングセンター辺りにでも」
「じゃあ昼はそっちで食べる?」
「あー、そうですね。そのつもりです」
俺は無一文なんで食いませんが。
テーブルを挟んで向かい合うように座り、探り探りの雑談に興じる。専ら夏の暑さについて話した。
「ありがとうね、楓美ちゃんのわがままに付き合ってくれて」
「大丈夫ですよ。俺も楽しんでますし」
「それなら良かったわ」
向日葵夫人は安心、とばかり微笑んだ。その笑顔が見れれば十分っす。
「お待たせ!」
していると、準備を終えた彼女がリビングにやって来て高らか叫ぶ。「早く行こっ、京都!」と急かしてきた。
はいはい、と立ち上がって先輩を見て愕然と――!?
何だこれは!?
「先輩! その恰好で行くんですか……ま、まさか痴女!?」
「楓美ちゃん!?」
いつも朗らかとしている向日葵さんでさえ流石に動揺しているぞ! それを桜橋先輩がまったくもって理解していないのが太刀悪い。娘のブラックサイドを覗いてしまったかのような感じだろうか、それとも倫理観がすっからかんなことに驚愕しているのか。
先程とまったく変わらない服装――完全なる部屋着であり、タンクトップでホットパンツで上の下着は着けていない……というね。
俺はそんな彼女と二人きりで部屋にいたんだぜ? この人の家だからあえてスルーしたところがここに来て。
彼女の言い草は「だって暑いじゃん」である。
「他に服なかったっけ?」
「あったかな~」
向日葵夫人の問いに、阿呆みたいに傾げる娘。ほんまに違和感を抱いてないやんけ。
最悪ではあるが痴女なのは別にいい。しかし、一緒に出かけるのだけはマジで勘弁。
「服も買いに行きましょう……」
「嫌!」
「買わないと俺は帰ります、堂々と隣を歩く勇気がないんですよ!」
友達と買い物に行くだけなのに、社会的地位とプライドを天秤にかけなければならないとか鬼畜の所業である。
ファッションセンス以前の問題。
客観的視点を理解さてなさ過ぎる。
矯正、というのは半ば冗談だったがそれでは済まないさそうだ。
「そうよ! 服買って、お願い!」
母、臆面なく頼み込む。もはや涙目であった。俺も便乗する。
「買いに行きましょうよ!」
「買いに行ってよ!」
「ええ~……嫌!」
「何でですか?」
「試着嫌!」
「あ、ああ……そういうこと。わからなくもないけど」
あの薄っぺらい布越しに服を脱ぐというのに抵抗がある人もいるだろう。気持ちは察するが、遅かれ早かれ必要な時が来る。ここは諦めてもらう。
まともな服は持ってないようだが、外出に不適ではない服に着替えさせる。
「制服しかない! 着替えなさい先輩!」
「わかったよぉ……」
俺と夫人の必死さが伝わったのか渋々納得してくれる。
だが、さらさらやる気もないようでブラウスを纏ってもスカートに入れず、上の方のボタンは付けていない。
いや下着着けろよ、とは俺の口から言えないが向日葵さんが代弁してくれる。
それから、まともになるまで数十分。
「よし、これでとりあえず大丈夫かな」
「制服暑いぃ……」
「涼しい服買いに行くんですよ。そうしたらすごく可愛くなるだろうな~」
「ふんっだ。そんなんじゃ騙されないよっ!」
無駄に賢くなりやがった。全然チョロくないじゃねえか。
制服も俺の好みではあるから満足できるけれど。折角なら可愛い私服も、ってのはある。
たらたらと歩く彼女の手を引っ張りながら玄関口へ向かった。
「では行ってきます」
「行ってらっしゃい」
実の娘ではなく俺が挨拶してどうする。
不貞腐れるなよ少女。
相変わらずの炎天下を歩いて行くが、アンバランスな感が拭えない。片方私服、片方制服ってのは目立つ。それでいて引っ張るように手を繋ぐってのも目立つ。
「先輩……どんなに嫌がってももう遅いですからちゃんと歩いてください。プール行くんでしょ?」
「水着買うだけならいい」
「わかりましたよ……」
「嘘吐かないよね?」
スーッ、と背中に汗が流れたような気がする。
「嘘吐きますよ」
「嫌! 嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌!」
「駄々こねない……じゃあ、どうすれば来てくれますか?」
こうやって条件を出させて追い詰めていく作戦た――姑息かな?
言ってしまったら責任を取らないといけない、と思っちゃうでしょ。
「うーん」と悩むのも束の間。「夏休みどっか行きたいなあ、旅行!」
意外と悩んでいたのでどう切り抜けるか、と身構えていたがまともな提案だ。
いや、まともか? 二人きりで旅行? 罪深い気がする。
体面を気にしなければ妥当か。
「それくらいならいいですよ」
「約束だからねっ! 嘘吐いちゃ駄目だよ! 絶対だよっ!」
随分と念を押してくるな。
俺の前科そうさせているのか。学習能力はあるようだ。未だ嘘を暴くことができないくらいにはまだ信用があるのが不思議。
「可愛い服だったら俺も楽しみめるなー……チラッ」
「う~……仕方ないから行くよぉ……」
よく考えたら、合わせというものがある。
彼女に似合ってるか確認するんだろうけど――俺にファッションセンスはない。
でも、店員に聞くとか恥ずかしくね?
◎
女の子の服エリアの話だ。
制服の少女を連れている、という誤解されそうな状態での入店ではあったがそこは問題なく服の選択へ。
それでわかったことだが、桜橋先輩は青系の色が好きらしい。
肩出しワンピースとかを選んでいたから落ち着いたものに変更したりと、俺の選別を生き残ったものを試着させた。
俺の趣味の兼ね合わせとして渡したのが上は白、下は淡青というワンピース。腰の部分にリボンがあって良いと思いました。
「シンプルが故に、普通美人の先輩には似合っているはずだ」
後は膝丈くらいのスカートとそれに合わせるシャツと。驚異的なことに意外と胸囲のある彼女に似合うかはあれだが……完全に俺の趣味ですから!
悩みつつも、面白さを感じていた。
そこまでは良かった――先輩の試着姿を見て頬を赤らめるところまでは良かったのだが。
「あれ? もしかして三日月?」
二着目を確認するために待機していたら話しかけられたのだ。反射的に振り返ると同じクラスのKさん、Aさんと、Rさんがいた。
ちなみにだが、俺はクラスでは浮いているもののハブられるような存在じゃない。班分けがあっても誘われることも――まあ、あるくらいには存在感はある。
「本当だ、こんなところで何してんの?」
「いや……それはともかくとしてKさ――じゃなくて、加藤さん……えっと三人は買い物か何か?」
「うん、ちょっとお出かけ」
「へえ」
無理矢理誤魔化したけど、明らかに怪しい。
だが、クラスメイト達がわざわざ言及することなかった。顔見知りであってもその程度ということだ。
他人から見て俺は社交性のある方じゃない。積極的に話しかけられることはほぼ皆無。
だから、声をかけられるだけで別々に買い物をするだけのはずだった。
タイミング悪く桜橋先輩が現れなければの話だが――。
「どうかな……似合ってるかな? 京都」
「…………オー」
「……あれって『宇宙人』だよね?」
「だ、だよね」
「ツインテじゃん」
「でも何で三日月と?」
「実は……ってるとか?」
「えーっ、マジで!?」
全部聞こえてるからな、というのはお約束か。
夏休みだっただけマシと思おう。噂が広まると言ったってコミュニティ自体が制限されるならまだ安心だ。
咳払い一つしてから、桜橋先輩を眺める。上が黒、下が青。指示通りシャツをスカートに入れてくれた。
「いいと思います……」
「可愛いかな?」
「っ……え、ええ、可愛いとオモイマスヨ」
背後からのじっとり、とした視線により声が変に裏返ってしまう。
何故さっきしなかった際どい系の質問をしちゃうの?
トラブルメーカーというのは自然にそういう選択しちゃうんですかね。悪意がない、ってのは手が負えない。
「い、行こっか」
「そうだね……」
「でも意外……」
雰囲気を察したのか、好き勝手言いながらクラスメイト達はこの場を後にした。空気を読むとなったら、すぐにいなくなってしまう彼女ら。
「恋人に思われただろうな……」
客観的に見て、どう繕ってもデートだ。
世の中には事実婚という言葉もある。事実恋人もあるのかもしれない。
しかし、偽物の恋人とかよりは健全だろう。フィクションでは完全なフラグな偽の恋人だが、俺達はやや外れている。
「会計済ましたら昼ごはん食べましょう」
「もうそんな時間か~」
その間、俺は店の前で待機する。知り合いがいないかを確認していた。
このショッピングセンターには割と頻繁に来るので地図を見なくとも食事処エリアはわかる。
会計を終えた先輩の持つ袋をさりげなさの欠片もなく。
「その袋持ちましょうか?」
「大丈夫だよ」
「……いや、持たせてください」
「持ちたいならいいけど」
男らしさとか感じないんすね。
まあ、少女漫画とかラノベ読んでないとドキッ、とはしないかも。
持ちたくなくなってきたかも。
◎
適当なファミレスに入って食事をする。俺は無一文で来てしまったので桜橋先輩の注文を目の前で見るつもりだったのだが。
「えっとね、お母さんが京都に奢れってさ」
「……女神過ぎて感動……」
そういうことなら遠慮なく、ということでパフェとソフトドリンクを頼んだ。あまり重いものを食べる気分じゃなかったのでいきなりスイーツでいってみた。
対して、先輩は女子という意識皆無でカレーを注文した。
届いた時、置かれた場所は逆だったよね。店員さん悪くない、うん。
パフェのグラスを空にして喉を潤しながら、俺はふと口にした。
「何だかんだしっかりしてましたね、先輩。正直もっと奇行に走ると思ってましたよ」
買い物はちゃんとするし、店員ともしっかりコミュニケーションを取れていた。
今まで見たことなかった桜橋楓美の姿だった。正直、こんなことはできるとは思ってなかったから。
「そんなことしないもんっ……嫌われることはしないよ……」
「…………」
嫌われること――。
友達から、知り合いから、他人からも。
冷たい瞳を向けられるのは惨めだから。
「先輩が変わりたい、って言うなら手伝ってもいいですよ」
「私が、変わる?」
「はい。友達になりたい、人気になりたいと思うなら俺にはできることがあります」
こんな提案を自分でするなんて、自分でも驚きだ。
でも、可哀想だから。
彼女にこんな顔をして欲しくない。笑顔を見たいと心から。
聞いた先輩はキュッ、と顔を引き締めた。何も考えない、ってことは流石にないようだ。
「そしたら友達たくさんできるかな?」
「でも、大変ですよ。自分のやりたいことができないかもしれないし、相手に合わせなければなりません。あなたがまったくしなかったことをするんです」
「うぅん……」
「多分、昼寝なんてできませんよ」
「それは……でも――」
それは嫌だ、と言って欲しかった。
「――それでも、欲しい。京都がそう言ってくれるなら頑張りたい」
彼女には俺という個人は必要ないのだろう。切っ掛けではあったが、それ以上ではない。
きっとこれが答えだ。
喩え、告白しようとも理解されずに断られる。
それでも――彼女のためなら。
隣にいられるなら。
迷うことなく答えられた。
「それなら、俺も期待に添えるように頑張ります」
「うん、よろしくっ」
桜橋先輩は優しく微笑んでくれる。
それ意外が遠退いて、ゆっくりと流れていく。心臓の高鳴り、でもドキドキじゃない。
ドクンドクン、と脈打っていた。
何かが崩れるようなそんな痛みだった。
結局、水着は買わなかった。




