①転校初日の衝撃
◎
早朝、我が家のキッチンには姉の姿があった。
現代人らしく何となくスマホを見れば、7月4日と表示されていることに気づく。
壁のカレンダーを見たら、やはり今日は7月4日ぽかった。
「……うわぁ、完全に寝惚けてるわ……」
二回も確認する必要はない。
座布団の上にスマホを投げて、俺はカーペットの上に寝っ転がった。手続き等もがあってしばらく学校に通っていなかったので早起きができていないのだ。
音を立てたからか、俺がリビングに現れたことに姉は気づく。
「おはよう、京都君。二度寝しちゃダメだよ?」
楓美が優しい声で注意してくる。
今日も今日とてエプロンが似合って若妻風だった。よく見れば既に制服に着替えているようだ。
転校してから初めての登校が一時間後に待っていた――。
欠伸をしたところで、朝ごはんの準備ができて食器が並べられる。お皿にはカットされた林檎とオレンジが乗っている。
「健康的な朝食だな」
「昨日の夜は焼き肉だったからね。しばらくは野菜、果物を多めに取らなくちゃ」
しっかり者の姉を持ててまあ、幸せだった。
両手を合わせて「頂きます」とフォークを手にする。折角の田舎なので窓越しに景色を見ながら食した。
あっという間に皿は空になった。
「「ご馳走さまでした」」
片付けは俺も手伝って、早く終わらせる。
それから真新しい制服に着替える。デザインはどこの高校も同じようなものなので特段思うところはなかった。すぐに慣れそうだ。
楓美はエプロンを外して、結んでいたポニーテールの髪をおろした。背中まで伸びる黒髪が煌めく。
よく見たら制服の刺繍の色が違うので、そこで学年が表されているようだ。三年は青、二年は緑らしい。
なんだかんだ早く準備が終わってしまったが、初めてということで学校へ登校することにした。姉弟揃ってだ。どうせ教員の方からまとめて説明を受けるだろうから別れる必要はない。
「これくらいの時間だと少し冷たさが残ってて気持ちいいね」
「俺はもう少し暑い方が好きだけど」
「そんな時間は一瞬で過ぎちゃうよ」
「まあ、夏だからそうだろうね。暑すぎるのは好きじゃないな」
蝉の鳴き声がしている。
都会でも夏ならそれくらいしているが、ここは数が段違いに多い。常に鳴り響いていると言っても過言じゃなかった。
これでは会話するのも一苦労だ。いつもより大きく喋る必要がある。
「それにしても綺麗な景色だね」
「うん。快晴の空だなぁ」
遮蔽物がない空だけでも俺達二人は感動していた。
海を見るのと同じように、ストレスが解消されているような気がする。
そんな登校路をこれから歩くことになるのだ。この感情ばっかりは慣れたくないと思った。
◎
「転校生が来ました。その彼が転校生です、では軽く自己紹介をどうぞ」
「はい、転校生の桜橋京都です。よろしくお願いします」
茹だるような暑さの教室にて、俺はクラスメイトとのファーストコンタクトを迎えた。田舎ならではの意外性が勝って緊張感はなかった。
建物が二階建てということにも感嘆してしまうから、人数の少なさ等にも言葉を失ってしまう。
前が40人だったので21人というのは考えられなかった。教室の広さは同じなのでスカスカ過ぎて落ち着かない。
端の空いてる席が宛がわれる。
赴くと、前の座席の少年が振り返って声をかけてきた。運動神経良さそうな長身の男子だ。
「俺、村田圭介よろしく!」
「え、ああ、よろしく」
「えっと、名前何だっけ?」
ちょっとこけそうになったよ。まったく覚えてないのにその笑顔かい。俺はもう一度名前を言った。
「桜橋京都。へぇ、なんかすげぇ名前だな」
「よく言われるよ、名所だって」
「じゃ京都、これからよろしくな!」
悪いやつには見えなかった。勿論、初対面なので実のところはわからないが彼の爽やかな笑みに嘘はないはずだ。
ということで俺の方からも歩み寄ってみた。
「オーケー、圭介」
「おう!」
なんて、恥ずかしくくらい清々しい挨拶をしてみた。OKだけに圭介だった。
そろそろ授業が始まるかと思ったが、始まりなんて置き去って休み時間みたいに生徒が俺の席の周りに集まり出す。
そして、質問の嵐が舞った。
「ねぇ、どこから来たの?」「趣味は何?」「私の名前は前田鏡子!」「俺が先に質問するんだよ!」「どこに住んでる?」「は? 邪魔!」「今、誰が俺の足踏んだんだ!?」「私、私の名前はわぁ」「おーい、桜橋京都!」「前田鏡子! 私、前田鏡子」「うっさいわ! 耳元で大声出すな」
「ちょっと待ってくださいよ! というか喧嘩すんな」
俺なんか関係なく言い争いが始まってしまった。
漫画みたいなことが本当に起こる、田舎恐るべし。
流石に動揺を禁じ得ない。何なんだこいつらは、と。
そんな俺を見かねたのか、リーダー格風の女子が仲裁を始める。
「皆、桜橋君が困ってるよ! 下がって、下がって!」
「あ、ありがとう」
何となく委員長感を醸し出てくる少女。
肩口で切り揃えられた黒髪、健康的に日焼けした肢体を夏の制服から惜し気もなく晒す前衛的ナイスバディ。明るい性格と言えば聞こえは良さそうだが、おっちょこちょいな雰囲気がどことなく溢れていた。
改めて見たら委員長成分がやや足りなかったな。
ドーン、と勢いだけで生きてるのだろうか。
「ううん、気にしないで。あ、私の名前は前田鏡子だからね!」
「あんたが一番テンション上がってたろ!」
委員長じゃなくて野次馬代表じゃねぇか。
何というか、この肩透かし感がまさに田舎って思う。
この馬鹿共の群雄割拠振りにはついつい、笑いを堪えることができなかった。
「わーい! 桜橋君を笑わせたー!」
「小学生か」
こんなところにいたら俺のIQまで下がりそうだ。
もう、彼女は馬鹿と判断してもいいだろう。
阿呆と言っていい。
だが、仲良くなりたいとも思ってしまった。
「よろしく、前田さん」
「私のことは鏡子でいいよー」
「じゃ、俺のことも京都でいいっす」
「桜って呼ぶね」
「…………」
いや、聞けよ。俺の発言聞いてよ。
そんな呼ばれ方されても反応できないと思う。
ちなみに彼女が学級委員長らしかった。立候補者がいなかったから鏡子さんに決まったことを圭介からわざわざ聞き出した。重要なとこだから。
授業そっちのけで謎の催しが始まる。
委員長の鏡子さんが教卓に立って、高らかに宣言した。
「桜橋京都君への質問大会! 質問ある人は挙手してー!」
「「「うおおお!」」」
「…………」
テンションに着いていけない。
娯楽がないから有り余ってるのだろうけど、ここまで盛り上がっちゃうとハードルがね。期待が高過ぎると変な空気になっちゃうじゃん。
「はーい、はーい!」
「じゃあ、シロ君」
鏡子さんが指名したシロ君とやらは、何というか田舎にもいる優等生風の眼鏡少年だ。でもはーい、はーいとか言ってる点でそんなことはない気がしてくる。
いや、偏見かな?
「桜橋君はどこから来たの?」
「県名で言えば神奈川県」
「「めっちゃ都会ー!!!」」
「そんな皆で合わせて言うほどか?」
あの県だけでも900万人は住んでいる。こんな地域と比べちゃどこでも都会そうだが、確かに都会の中でも都会度が高い都会ではあるな。
「次は環奈ちゃん!」
「じゃあ……何で転校してきたんですか?」
丁寧な言葉遣いの環奈ちゃんとやら。円らな瞳でなんてことを訊いてくるのだ。
まあ、隠してる訳じゃないから本当のことを言ってもいいんだけどさ。
「親戚の家がここら辺にあってさ、誰かが住まないといけなくなったから来たんだよね」
「へぇー、そんなこともあるんだぁ」
関心した風に環奈ちゃんとやらは頷いた。いい娘っぽい。
まだまだ挙手は続いている。
次に指されたのは男子だ。何だかんだ交互になるように考えるのね鏡子さん。偉い。
「ここだけの話だが、今日……顔の知らない男女が一瞬に登校していたという目撃情報があった……」
「は、はぁ……それが?」
「女子の方がっ」
「が? あ、何となくわかってきた」
「女子の方が物凄く美人って話らしいなー! 一体どういう関係なんだ!? 吐け! 吐くんだ!」
豹変したように叫び出す男。続くように他の男子までもシャウトし始める。何だこの集団、情緒不能バーサーカーかよ。
だが、この質問は何となく予想はできた。隣で歩いていた美人は一体誰やねん、と訊かれるとは思っていた。
俺は至って普通に答える。
「姉だよ」
「あ、ね…? 姉って、あの姉か……」
「「「ああぁ」」」
「何だよその頷き。君達の瞬間的団結力が思ったよりも強過ぎて引くんだが?」
「おっ、良い台詞頂きました!」
「やめて鏡子さん、恥ずかしいから」
宴会のノリか? 既に皆酔ってんの? ってくらいはっちゃけていた。
三つの質問だけでこんな疲れるものなのか。
ヤバイぞ。
もっと奥ゆかしいものだと思っていたが、こっちのパターンで来たか。
陽キャだ。陰キャが存在しなから陽キャがデフォルトになっている高校だ、ここは。普通でテンションアゲアゲなのだ、つまり盛り上がったらイケイケということだ。
「やへぇ、俺までおかしくなってきてる……アゲアゲもイケイケも一緒だ!」
と、いった風に質問タイムは続いた。落ち着いた頃にようやく先生が現れて授業が始まる。こんなに授業を切望したのはもしかしたら始めたかもしれなかった。
◎
「水泳の授業だと…!?」
「京都は水着忘れたのか?」
「…………」
「おーい?」
何てこった、高校生にもなって水泳の授業があるなんてアニメの世界だけだと思っていたのに。いや、ないことはないだろうけど。
少なくとも俺が以前通っていた高校にはそんなものは皆無だったし、周辺にもそういう学校はなかった。
市民プールや、アトラクション付きのホテルなんかは多々見かけたものだが学校でこんなことが。
つーか、女子がスクール水着だよ。
引くは。マジで逆に引くわ。実際見たら引くんですけどー!
「落ち着け、俺。スク水なんて普通のことだ……そう、普通だから落ち着け」
「何だ京都? そんな興奮してんのか?」
圭介が変なことを言ってきた。
それは断固拒絶しなければならない質問だ。俺はそんな節操なしではない。
「違うぞ。そんな低次元な話じゃないんだこれは……そう、俺の常識が覆される事実…!」
「賢者してるんだな……」
不本意な解釈をされてしまった。
授業の予定なんて聞いてなかったので、俺は水着を持ってきていなかった。他の授業の場合は、直前に貰った教科書で何とかなっただけ。
今だって至急されたばかりの体育着だし。
水着なんて持ってきたっけな? 丁度一年くらい前に楓とプールに行った以来見てない。こんな田舎じゃ劣化版競泳水着くらいしかなそう……なんて偏見が浮かぶ。
見学者らしくプールサイドに体育座りだ。どうやら、俺以外にも女子が一人見学している。
頭にタオルを被って日焼けを抑えているようだ。顔は見えないが血色が良いとは言えなさそうだ。
「……楽しそうだな。授業っていうか、遊んでんな」
市民プール、高校生に占有される。みたいな。
先生すらいない中で男女入り交じってまあ。いや、羨ましいとかじゃないけど思春期とか反抗期とかどうしたんだ。
バレーをやったり、鬼ごっこしたりと海でやるようなことを満遍なく堪能していた。ここは山岳地帯だから海がないしな。
「おーい! さっくらー!」
「…………」
「さっっっっっくっらーーー!!!」
「俺のこと見てる――って俺を呼んでたのかよ」
本当にやめて欲しい呼び方だ。万が一その呼び方が流行ったら嫌だ。
鏡子さん、水着スタイル。当たるだけで男を殺してしまいそうな爆弾を抱えている。前髪を上げ額を出してるのが、とてもいいと思いました。
「じゃなくって、どうしたの鏡子さん」
「一緒に遊ばない?」
「水着ないんすけど? 見ての通り体育着だぜ」
「体育着でもいいじゃん」
「…………」
あなたは俺にノーパンで過ごせと言うのか?
言うんだろうなぁ。
早退していいなら今すぐ飛び込んでもいいけど、ノーパンで授業を受ける覚悟はできていなかった。
「おーい! 遊ぼうぜ!」
「こっち来いよ京都!」
他の男子生徒も手を振ってきた。
彼ら全く俺のこと考えてないな。遊ぶことしか頭にない。
だけど、渋っている間にも鏡子さんがプールサイドに上がって来ていた。
濡れた手で俺を掴んでくる。
「それー!」
「おいっ!?」
鏡子さんを上から覆うようにプールに引っ張られた。
水中でも笑顔でピースしてくる彼女を見てたら、馬鹿らしくなってくる。精神年齢を小学生くらいにまで落とさなければ着いていけない。
こんなに楽しむなんて大人になったらできないだろう。
きっと、彼らはそれをできる。世間なんていう荒波から縁遠い彼らは自らの道を進んでいける。
羨ましくはない、でも楽しそうだと思った。
本人達はそんなこと知らないし気づかないのだろうけど。
「こうなったらとことんまで遊び尽くしてやる!」
後悔なんて、周りの目なんて考えていることが面倒になってくる。俺の心の歯車が動き出したような気がした。
精神レベルが4下がった音がした。
◎
「購買に水着あって良かったわ」
昼休み、その購買に行きながら俺は数時間前のことを回想していた。
体育の授業の後、下着問題が浮上する。
ノーパンで制服というのは涼しそうだが倫理的にヤバいので避けたかった。クラスメイト達は「余裕だろ!」みたいなことを言っていたが、その事実を皆に知られているというのが辛い。
普通に周りの目が気になりました。
人間だから恥ずかしいと思うこともある、仕方ない。
だが、この問題の解決策は意外に簡単なものだった。購買へ向かったら水着が売っていたのだ。人はいなかったから料金だけ置いて掻っ払ったのだがな。
「でも下着が浸かったから、水着を下着にするってなかなか意味不明だな」
水着を下に着て制服なんて、こらから水泳の授業があるみたいじゃないか。
午前の授業はそんな感じで乗り切った。
そして昼休み。弁当のことなんて俺も姉も考えていなかったから準備していない。
あのちゃらんぽらんなクラスメイト達が全員弁当を持ってきていたことに驚いたものだが、購買のラインナップを見たら納得だ。
「牛乳とコッペパンだな……」
我が姉はどうしているのだろうか。
水に関しては上水道が敷かれているから困らないけど。
湿気たコッペパンを一つ購入した、というかお金だけ置いて掻っ払った。よく見たら賞味期限が切れていた。踏んだり蹴ったりにもほどがある。
これを教室で食べるのは惨めなのでグラウンド沿いにある石の長椅子に座って食べることにした。
日陰にも関わらず、照りつける日射しが俺を焼き焦がす。教室には扇風機は付いているが、エアコンはないので外とあんまり変わらなかったりする。
「不便だよな……暇だし」
都会にいた頃、如何に生産的なことをしてなかったかを思い知らされる。
腹が膨れないまま食べ終わってしまった。
ゴミ袋をポケットにしまって校舎付近にある水道に向かって歩き出す。
頬や背中に流れる汗。目もまともに開けられない明るさ。
この分だと熱中症なんてすぐだな。
水をがぶ飲みしようではないか。山から引っ張ってるとかいう話も聞いた。
と、先客がいた。
わざわざ外の水道を使っているのは体育の授業で見学していた少女ではないか。
彼女は水を少し飲んでから、頭にぶっかけた。部活終わりの少年がやるように首を振って水を着る。
この暑さだ、気持ち良いに違いない。だからって実際にやる人は少ないように思える。
「…………」
「ふぅ…………あ」
恍惚に息を吐いた彼女は、俺に気づくと若干気まずそうな表情を浮かべ、どこか行ってしまった。乾かすために外を散歩するのだろう。
別に声をかける必要もないさ。
彼女が使っていた蛇口とは別の蛇口から水をがぶ飲みした。冷たい感触が身に染みる。
田舎らしくない人々との、田舎での生活。
「いや、暇になることなんてなさそうだ」
不便なんて、疲れるで吹っ飛んでしまうのだろう。
それも、悪くない。
今後に期待せずにはいられなかった。