⑭湖遊泳
◎
次の日、早朝から自宅に客人がいた。
それが誰か、もう見なくてもわかってしまう。そして、来た理由も大体想像がついてしまう。
「鏡子さん……遠足前に眠れない小学生と同等じゃないか。それに今午前五時ですよ? 夏なのにまだちょっと寒い時間帯ですよ?」
「だって我慢できなかったんだもん」
そんな可愛い言い方されても俺の内から沸く憤怒はちょっとやそっとじゃ揺るがないぞ。
こんな朝っぱらに起こされる、とは。
あんたは準備万端かもしれないが俺達は未だ春眠の中なんですよ。
「……まあ、リビングっていうか中で待っててよ」
「ありがとね、大好き!」
「なっ」
曇りのない瞳でそんなことを言われてしまったら、俺が浄化されてしまうじゃないか。
まあ、でも鏡子さんのことだから「友達として」という接頭語が着いてしまうのだろうけど。それとも、大穴として環奈さんが以前揶揄したようなことを言ってしまうのか。
「……俺も好きだよ」
馬鹿らしく思い、苦笑いながら俺もそう返した。
すると、意外な反応。
嬉しそうに頷いてくれるかと思ったが、年頃の乙女のように顔を赤くするではないか。嫌な予感――ではないが、不吉な予感はする。
「あの鏡子さん?」
「ん~~~!」
顔から煙が出そうなくらい紅潮させて、くねくねと悶え始める。何この反応……。
友達として、と接頭語として付くんだが。
これを期に、そういう勘違いされやすい台詞を控えてくれればいいのだが。
「お、お邪魔しますー!」
鏡子さんは自棄な風に言ってずかずかと家の中に入ってしまった。ちゃんと靴は揃えなさい。揃えてから俺も自室で着替えることにした。
パジャマから半袖Tシャツに半ズボンになる。一応、いつでも湖に行けるような準備もしておいた。
「こんなに早く来られてもね、何もないよ」
「うん……お話したくて」
「どんな話?」
「色々話そうよ」
「要するに何にも決まってないと」
完全に暇潰しじゃねぇか。それはいいんだけどさ、それで眠気がどうなる訳でもない。
いや、適当に話してれば醒めるか。
「といっても話すことってな……別に面白い話の種を持ってる訳じゃないしね」
「種?」
「種といいかネタなんだが――あ、そうだ俺昨日変なや人に会ったんだよ。ここらじゃ標準的な人物なんだろうけど」
「そうなの?」
すごく大仰な名前だからしっかりと記憶に残っている。
「――確か霧ヶ峰輪廻とかいう」
「え」
「何その反応…?」
大変間抜けな顔というか、ドン引きしているというか。
少なくとも良い印象ではないけど。
鏡子さんは明らかにバレバレな嘘を吐いた。
「な、何でもないよ……」
「そうかい……虐められたりしたのか」
何となくだが、ああいうやつは笑ったまま人を踏みつけにしそうだ。完全に偏見だけど、意外とちゃっかりしてるやつではあるだろう。
そう一人で納得していたのだが。
「何でわかったの!?」
「ええ、適当に言ったのに……というか年下に虐められんなよ。大人びてはいたが、中学生だぞ?」
「高校生一年生だよ……」
「あ、そう」
高校生だったんだ。都会でたまに聞く童顔なんだな。『私ぃ~、童顔なのがコンプレックスなんです~』とかで使うあれだ。
にしても、虐められるねぇ。大袈裟に言っているだろうけど、少なくとも鏡子さんはそう思っているのか。
意外に闇が深そうな関係だ。
「霧ヶ峰輪廻さんのことが苦手なのか」
「だって馬鹿にしてくるんだもん」
「ああ」
俺がUFOとかヒャッシーとか言った時馬鹿笑いされたのを思い出す。今更ながら、そんな性格ではある反応だった気がした。
基本的な部分は善良に見えたけれども。
「笑われるだけじゃないの?」
「馬鹿にしてんじゃん!」
「……馬鹿にされる話題で話してるからでしょ?」
「輪廻ちゃんが難しいこと言うんだもん」
「それは結構意地が悪いな」
「でしょ!」
だが、気持ちはわからなくもない。
鏡子さんは困らせたり、恥ずかしがらせたりするのにもってこいの相手である。一々反応してくれるから見てるこっちが楽しい。それを天然でやるから愛しい。
「それは、まあ諦めるんだな」
「助けてよ~!」
「俺にすがっても意味ないぞ」
Tシャツの襟首を掴んでグラグラ揺らしてきた。頭が冴えるとおもったが、変に血が回っているのか上手く思考ができない。
七転八倒する視界の中、返すように鏡子さんの両手首を掴んだ。動きは止まるが、思いの外距離は近く、彼女の表情がくっきりと見えた。
「…………」
「京君……」
掴んだ手は膝の上に返却して、適切な距離を取った。
ここは俺の家だし、姉がいる。
どうやら俺の間の悪さは筋金入りのようなので、危険信号には敏感に反応していく。
「悪いとこじゃなくて良いところを探そう」
嫌いな人といると、その人の嫌いなところばかり見てしまうものだ。それには心理的投影が関連していると思う。自分の弱点を見せつけられてるように思えるというやつだろう。
そう考えたら暢気で陽気な鏡子さんにも嫌いなものがあるんだな、と少々感動してしまう。
人間らしさから乖離していたと思ったが普通で良かった。
「輪廻さんが知らなくて鏡子さんが知ってることだってあるだろ? 得意、苦手は人それぞれなんだよ。きっと彼女は鏡子さんに甘えて癒されているんだよ」
我ながらそれっぽいことを言えた。
別に輪廻さんのフォローを周布つもりはなかったのだが、奇しくも行動に意味があるかのようになった。
「そ、そうなの!?」
「そうだよ。日頃真面目に生活してるから疲れて接しちゃうんだよ。だからそう嫌わないであげてよ」
「わかった! 優しくするねっ」
そう言って、鏡子さんは嬉しそうに笑った。都合のいいこと何でも信じちゃうのな、この娘は。
これだから。まったくもって心の底から愛でたくて堪らない。
妹だったら、なんて思った。
その場合はシスコンになってしまうけど。
「でも京君が輪廻と知り合いだなんて驚いたな~」
「鏡子さんは付き合い長いの?」
「従妹だからね」
「へー」
「昔はお姉ちゃん、って呼んでくれたのになぁ……」
今でもそう呼んでるのなら萌えポイントではあるけど。姉妹同然に育ったなんて軽く物語でも作れそうな関係じゃないか。
輪廻さんの黒い長髪を首もとで結んでいる姿は――。
「全然似てねぇな……」
鏡子さんと共通点がない。だから俺も気づかなかったのだけれど。
俺の鏡子さんのイメージが天真爛漫、阿呆な娘で定着してしまっているかもしれない。輪廻は対極的なイメージだからな。
脳内で二人を比べていると、楓美が起床してリビングへやって来た。寝癖で髪がボサボサである。
「あれ…? んー、鏡子ちゃん?」
「おはよう、楓美ちゃん!」
「おはよ……京都もおはよ」
「あ、うん、おはよう」
挨拶を終えるとふらふらな足取りで洗面所の方へ向かった。
完全に寝惚けていた。顔でも洗えば少しは意識もはっきりするだろう。
鏡子さんを見れば不思議そうな顔をして先程まで楓美がいた場所を見ていた。
「どした?」
「いや、朝だな~、って思ってただけだよ」
「朝だなー、って……どういう感想なんだ」
小学生の作文並みの語彙力である。
それとも、吸長年血鬼だったけれど、紆余曲折を経て人間の状態に戻れて二日目の夜明けシーンなのか。
「まあ、いつものことだな」
着替えて戻ってきた楓美は三人分の朝ごはんを準備し、揃って手を合わせた。六時頃のことである。三時間の余暇が残っていた。
三〇分くらいなら早めてもいいが、この時間帯は存外涼しいのだ。比熱の関係か湖の場合は冗談抜きに寒い。
「結構暇だな……寝てきていい?」
「お話しようよ」
「鏡子さんは何か話したいことあるのか?」
「あるよ!」
「へ、へぇ」
どことなく地雷臭が漂ってくる。
という訳で、テーブルを挟んだ向こう側にいる鏡子さんは対面の俺と楓美に語りかけてきた。
様相は芝居染みた風である。
「私、家で朝ごはん食べてきたんだよ」
「二回目だったのかよ」
「それはね、しらすだったんだ。ご飯と一緒に美味しく食べてるとふと気づいたの――エビが入ってることに」
「…………」「…………」
「…………」
「「それだけ?」」
期せずして楓美とハモった。
まったく同じ感想を抱いたようだ。
「それだけだけど?」
「だけだけか……」
「そ、そう……」
「面白かったかな?」
楽しそうな笑顔を浮かべながら訊くなよ、答えにくいじゃん。
思わず隣の姉と顔を見合わせた。
何が面白いの、と言わんばかりの微妙な表情である。
「詰まんなかったな」とでも言えばいいのだろうか、それとも「よくあることだ」と突き放すべきか。
しかし、これは悪手だ。鏡子さんの気持ちになって考えてみよう。
「面白くないね」
「おぉい! 楓美さん!?」
正面からぶった切りやがった。
そんなこと言っちゃったら鏡子さんがどんな反応してくるか予想もつかない。だが、何となく面倒なことになるような気がするのだ。
恐る恐る鏡子さんの様子を窺った。
「そ、そっか……」
「滅っ茶落ち込んどるやないかい」
「え! ご、ごめん……」
ここまでダメージが入ると思わなかったのだろう。楓美は俺よりも鏡子さんと仲が良い訳じゃないから仕方ないかもしれない。
俺レベルになれば鏡子さんの気持ちは何となく察せる。
こんな話をしてきたんだ、面白いか珍しいかなのだろう。
「エビか! 俺は前、小さいイカが入ってたよ」
「イカ! すごいね~」
楓美の酷評を忘れて俺の嘘に踊らされる鏡子さん。これは仕方ないの嘘なのだ、世の中には優しい嘘もあるというね。ちなみにだがサクラエビの中にイカが入ってたことはある。
「飼い慣らされてる…!」
「人聞きの悪い言い方しない」
楓美から見た俺と鏡子さんの関係が少し不健全なものになってしまうイベントであった。
◎
午前一〇時過ぎの立川湖には小学生ほどの子供が数人いて、水鉄砲を持ち出したりして遊んでいる。
水鉄砲の文明はいつまでも変わらなさそうである。
森の一角にある古びた細道があり、その先に湖はあった。立地上、森林に囲まれているようだ。
「で、更衣室はどこだろう」
「こういしつ?」
「まさかそこら辺で……するのか?」
今時の衛星は新聞の見出しまで読めると聞く。外で一糸纏わぬ姿となったのも見られてしまうだろう。いや、だから何だって話だがそれは政治的な側面で。
外でってのはプライバシーの著しい乱れというか、倫理観の崩壊というか。
チラッ、ととか見られたらどうするんだ。
「見るのはいいけど見られるのは嫌っ」
「何で桜橋君が女々しいこと言ってんの」
「ちゃんと聞いたらただの変態のような……」
いや、だれだって見られるのは恥ずかしい。
だが、自分ではなかったらそこまでじゃない。
それだけの話。他人の不幸は密の味とよく言うだろう?
それだけに背徳感もとんでもなさそうだが。
「女子はあっち、男子はそっちな」
「男子は一人だけどね」
「さっきからちょいちょい挟むなよ環奈さん」
三人と別れて、森を少し進んだ辺りに丁度いい空間があったのでそこで着替えをした。タオルを巻いてるから本当の意味での全裸になることない。
ラッシュガードを前を開けて織る。
荷物はわかりやすいところに纏めて、水だけ持って湖の下まで向かった。
男子の着替えスピードは早いので一番乗りがと思ったが既に鏡子さんが湖にダイブしている。
元から水着来てたのか。下着持ってきたんだろうな。
際まで寄ると、水は透き通って底に石が敷き詰められていることがわかる。多分、飲める水だ。
バシャッ、と飛沫が上がる方を見ると鏡子がいて、仰向けにプカプカ浮いたり、潜水したりしていた。
昨日一緒に買いに行った水着。
髪形がいつもも変わって凛々しい。
「よっす」
「京君! こっちこっち、気持ちいいよ!」
「冷たっ」
踏み入れた足を反射的に引き戻してしまう。冷蔵庫で冷やされた天然水って感じだ。
指先から少しずつ慣らそうとするが、鏡子さんが水を滴らせながら俺の下まで寄ってくる。
あ、デジャブ。
腕を掴まれ――る前にラッシュガードを脱いで、掴まれて、引きずり込まれた。全身に悪寒のようなものが走る。
「冷っっっったい!!!」
「あぁ! 暴れないでよ~」
とにかく動きまくって体温をあげなければならないと勝手に判断したのか、無意識下でじたばたしている。
犬かきみたい、って鏡子さんが笑ってきているが結構深刻な問題。
しばらくして、冷たさに慣れてきて会話が可能なレベルになる。
「おい、鏡子さん」
「ど、どうしたの?」
「滅茶苦茶寒かったんだが! 下手したら心臓麻痺で死ぬかと思ったわ!」
「そうなの!? ごめん、ごめんね京君」
「――ふぃッ!?」
涙目に駆け寄ったかと思いきや、そのまま抱擁してくるではないか。俺は上裸、鏡子さんは上の水着一枚。隔てるのは薄い布切れのみ。
沈むような柔らかさ、暖かい鼓動。
俺の心音と彼女の心音が共鳴している。
甘い誘惑である。あちらにそんなつもりなくても、こちらはそうなっちゃうでしょ、これは。
俺の脳内で欲望と理性の戦いが巻き起こっている。この状態を維持すればするほど本能が思考を支配する。
「があっ」
水気のせいでぴったりくっ付いている鏡子さんを引き剥がして、押し出すように後方へ飛ばした。バランスを崩してバシャン、と全身浸かる。
「誘惑しやがって、全身にぶっかけてやるよ!」
頭を出したところに狙って水をぶっかけた。「あぶっ」と漏らしてまたもや水に浸かる鏡子さん。
笑ってやろうとしたら、目前の水面から噴水が昇る。顔面に水流が直撃した。
「鏡子さん……」
「へへ、おかえし」
だらん、と両腕を垂らして水中に潜らせる。指を動かしながら、押し出す際の抵抗を考えた。
かけるならどちらの方がいいのだろうか。パワー重視、もしくはスピード重視。
「ここは――うわ!?」
不意に、背中に冷水が被って背筋がピン、と伸びてしまう。
条件反射的に振り返れば環奈さんがニヤニヤしながら、と楓美がプンプンしながら水に浸かっていた。
「み、皆揃ったな……」楓美の逆鱗に触れないように、何事もなかったかのような態度を装う。「とは言っても四人揃って何ができるって話だけど」
「鬼ごっことか?」
「戦闘力の差が露骨に出るな」
楓美の提案は却下だ。鏡子さんの運動神経は常軌を逸している。陸上なら余裕で全国レベルだろう。
彼女とスポーツ勝負というのが無理筋である。鬼ごっこはスポーツではないが、同じようなものだ。
「普通に泳ごうか……こんなとこで流れるプールなんてできないだろうし」
「桜橋君、意外と好きだよね。プールの時も死体のように浮かんでたし」
「流れに身を任せるってのは楽なんだよ」
物理的な話も、精神的な話も。
なにも何も考えなくてもいいというのは楽なことだ。
それはともかく。
「……じゃあ、解散!」
「…………」
「…………」
「…………」
「か、解散!」
「…………」
「…………」
「…………」
「じゃ、俺はちょっくら休むわ……」
無言の圧力に耐えられず陸上へ上がろうとするが、声に引き留められる。
「一緒に遊ぼうよ京君」
「お話でもしようか桜橋君」
「訊きたいことがあるんだけど京都君」
「……俺は分身できないんだが」
皆で、っていう人はいなさそうだった。
という訳でチキンな俺は逃走することにした。現時点ではこれが一番安全策なはずだ、そう思いたい。陸に上がって砂利道を走って湖の反対側に向かった。
誰も追ってこなかった。
「浮かんでるか……」
息を吸って、目を瞑って透明な水に沈む。耳に水が入らないように体勢に気をつけつつだ。
はたから見たら溺れているように思えるかもしれないが、わざわざ遠くに来たのから見られることはないだろう。
誤って水を飲んでもいい、ってのは気持ちが楽だだ。水道水とかが苦手な俺としては天然水のプールというのは肉体的というよりも精衛生的に良いものだった。
こんなことをしているとそのまま眠りたくなる。
「こんなとこで寝ちゃダメだよ」
水上から注意されたので。反射的に顔を上げる。
全身濡らした環奈さんが意外とすぐ近くに佇んでいた。パレオが浮いていて彼女の足元は視界に入らない。
潜ったのか髪も濡れて、前髪をあげている。
スタイルも含めて凛々しい姿であった。
「ずっと気になったいたんだけどさ、そのパレオの下って履いてるよね?」
「……そんなに気になる?」
「気になります」
「じゃあ、確かめていいよ」
言って、環奈さんは嗜虐的に微笑んだ。挑発のつもりだろう。これで俺が捲ったらそれをネタに酷いことをされるかもしれない。
だが、確かめたいという欲求は抑えられなかった。
すぐそこの布切れをつまむ。
「…………」
「どうしたの? 捲らないの?」
「いや、これで履いてなかったらヤバいなと思って。それだと逆に萎えるかもしれないし……」
ヤバい思考していたことに気が付いた。
パレオの中身は俺の心の中に締まっておこう。想像だからこそいいものも確かに存在しているのだ。
賢者のような瞳で環奈さんに応対する。
「危うく間違った道に行くところだったよ。ありがとう」
笑みながら言うと、環奈さんは頬を膨らませて不機嫌そうにそっぽ向いてしまう。
実は捲って欲しかったり?
ということは、中身は……ってことなのだろうか。
つまり誘っていると?
「まあ、俺よ落ち着け。そいう勘違いはいちゃいけないんだ。恥ずかしい行動は取ってはならない……」
「詰まんないなぁ。急に冷めるんだもん」
「別にいやらしいことが好きな訳じゃないし」
「途中までその気だったような。微妙なところじゃない?」
「目の前にあったら流石にな。でもこの通り、理性で押し返すことは可能だから」
と、言ってみたものの衝動に駆られることもある。後戻り不可能なレベルの状況だったのなら、流されるだろう。
高校生にそこまでの自制心がある訳がない。
実際には高校生だとかは関係ないけれど。そんなモラトリアム的なことも思う。
「ところでここに来たのは環奈さんだけ?」
「うん、君のお姉さんは鏡子に捕まってるから多分来ない」
「鏡子さんは来るかもしれないと?」
「いつかは来るでしょ」
適当な時間になったら戻った方がよさそうだ。
それでもしばらくの余暇はあると思うので、潜水艦ごっこを再開することにした。
一応、忠告しておこうか。
「また潜るけどさ、擽ったりしないでくれよ?」
「それって振り、ってやつ?」
「断じて違う。というか、結構暴れるから蹴られないとこにいてよ」
「……ま、いっか」
やや、詰まらなさそうだが了承はしてくれた。
そういう訳で早速、潜水する。湖は予想以上に最高過ぎた。
◎
俺はラッシュガードを羽織って、楓美はタオルを羽織って上半身を隠して、環奈さんと鏡子さんは水着のまま帰路に着いていた。
水着で帰宅も別に憚るようなことではないらしい。
海パンは濡れ濡れなので落ち着かないし、三人の美少女も濡れ濡れなので目が暴れ狂ってしまう。
気を紛らわすために三分ほどオレンジに染まった快晴の空を眺めた。
「目がショボショボしてる……」
「眼球から水分が抜けちゃった?」
すごい発想だな我が姉。
どことなく疲れてそうな姉とは対照的に、鏡子さんはアドレナリンがドバドバ出てるのか元気が満ち溢れている。
「楽しかったね! また行きたい! 皆明日暇?」
「ごめん、明日予定あるの。両親に会いに行かなきゃ」
「そっかぁ残念……」
伴って俺の明日の予定も埋まっていた――という訳ではない。
帰るのは楓美の方だけ。その理由を探られるのは不愉快なので、訂正はしない。
「まだ夏休みはあるから。それよりも鏡子さんは宿題やった?」
「ま、まだまだ夏休みはあるよ!」
「典型的なタイプ……三一日が楽しみだな」
最終日に気づいて頑張ってやるけど、間に合わないと悟り、遊んじゃおう、と思ってしまう感じだ。
その時は手伝ってやろう。
彼女が将来どんな娘になるか興味深い。
桜橋邸が見えてきたので、そろそろお別れの時間だ。
何か言おうとして、ふと、思いつく。折角夏休みなんだから時間を共有できることがしたかった。
「――あのさ、夏休み中、バーベキューでもしようか」
「本当に!? やろうやろう、行きたい行きたい!」
「私もいいよ。暇だから」
自分からこういうことを言うなんて、思いもしなかった。
田舎に来て、こんな恥ずかしいことを言えるようになるとは。
世の中には知らなくても良いことがある、だが、知ってて良いこともたくさんあるのだ。
この日のために生まれてきたのだと錯覚する。
「――じゃあ、また」
毎日がそう思えるように生きたい。