⑩先の祭り
◎
今日は待ちに待った夏祭り。
普段人気のない村も、早朝から活気づいていた。こんな田舎でもイベントの時はそれなりに騒がしくなるようだ。
たまにはこういう喧騒も悪くない。
で、俺はインターホンを押して水瀬家に足を踏み入れた。
「お邪魔します」
「……何故いる」
朝っぱらから現れた俺に水瀬さんは目を丸くする。前もって来ることは言ってなかったのでそうなるのは必然。
別に意地悪でこんなに早く来た訳じゃない。たとえ、昨日からそのつもりだったとしても。
ちなみに水瀬さんはパジャマ姿だった。
「早く着替えてきなさい……」
女の子を辱しめる趣味はない。慈悲の心をもって促した。
いや、パジャマ姿を見るのが恥ずかしいことだとは思わないけどさ。あまり目に良くない、ということで。
それまでリビングで待機。
窓から外を眺めながらお茶を啜る。盆栽なんて初めてだったので少々見いってしまう。
松の木? とか思っていると着替え終えた水瀬さんが現れた。
薄いTシャツにミニスカ、生足全快。ラフでありながらセンスを垣間見ることのできる装備だ。
「何見てたの?」
「外見てた」
「それはわかるけど……本気でそう言ってるなら天然だね」
盆栽だけじゃなく青空も木々も見ていたのだからそう答えるしかなかった。自分の家から見える景色とそう変わらないので思うところもない。
さておき、俺じゃなくて水瀬さんが。
「どうしてこんな早くにいるのよ」
「……怒ってらっしゃる?」
「当たり前でしょ」
「はい、すみません」
ということで謝罪を兼ねて、説明をする。
「ちょっと祭りの前に一緒に出かけようと思って」
「昨日言えよ」
「さ、サプラーイズ……的な……」
「死ね」
ぷつり、と心と心の架け橋が切断されたような気がした。友人に普通に真顔で死ね、と言われたら終わりだろう。
まあ、俺と水瀬さんの関係ではこんなのはジャブみたいなものだ。気にしないで行こう。
「夕方まで暇だろうし、午前中じゃないとダメなんだよ」
「……いや内容言えよ」
怪しい目付きで言われてしまう。
信頼度ゼロって感じだ。サプライズ感が逆に裏目に出てしまった。
有無を言わせない圧が俺にのし掛かる。逆らえる力はなかった。
「……神社に行こうと思ってさ」
「神社、ねぇ……立川神社だっけ? 山の上にあるやつ」
「そう、その神社。俺も行ったことないんだけど結構な高さだから良い景色かと思って」
「そういうことね」
「そういうことです……」
全て言わされた。というかあっさりと言わされてしまった。
俺が豆腐メンタルだからって景色がなくなる訳でも、価値が下がる訳でもないからいいさ。正直に言うだけで信頼度が上がりそうなのは今みたいに正直に話すことだろうし。
「それで一緒に行きたい、と……そういう訳ね」
「そういう訳よ」
「…………」
「何だよその視線」
「べ、別に何でもない」
ふい、と水瀬さんは他所を向いた。
文句を言いながらも納得してくれたというこで、早速立川神社へ向かうことになった。
水瀬さん、目下準備中ということで、再び待つこととなる。
そして、
「準備できたわよ」
「……ニーソックス履いただけのように見えるがそれは俺の気のせいか……」
「日焼け止め付けたよ」
「…………」
いや、重要だけどさ。
山登りと言ってもハイキングとそう変わらないから特段準備が必要という訳ではないが、今は夏、そして田舎。
虫が大量に沸いてくるのだ。女の子はそういうのダメなものだろう?
シュー! シュー!
「きゃっ!?」
不意討ちを狙って、水瀬さんの腕に虫除けスプレーを吹き掛けた。そうしたらふくらはぎをおもいっきり蹴られた。
慈悲の心で接したら攻撃が返ってくるとかどんだけ理不尽なんだ。
例え、俺が不意打ちを狙ったとしてもここまでされる謂れはないはずだ!
「痛い」
「びっくりするじゃん!」
「いや……サプラーイズ的なやつ」
「マジで止めろ」
命令口調で言われたら従うしかない軟弱な男だった。というかヘタレだった。
今度は前もって言ってから、もう片方の手にスプレーを吹き掛ける。うっすらと肌に白い粉が載る。
「洗えば落ちるタイプだから」
「そうなの?」
「あんま体に良いものじゃないしできるだけ影響がないようにしたいから」
「ふぅん、意外と考えてるんだね。ちょっと関心」
「そりゃ重畳だな」
水瀬さんはバンドバッグを斜め掛けしている。中にはお金と飲み物が入っていそうだ。
だが……これは、けしからん。
俺の倫理観が試されているのか、と思う。
「何見てんの?」
不躾な視線だからか即座に気づかれてしまった。
適当に言い訳すればいいが、下手に嘘を吐くとバレた時の反動がデカい。迷わず死ね、と言われてしまうだろう。
水瀬さんのそれは社会的にギリギリなラインにある。ここで言わなくちゃ被害は広がる一方だ。
ここは、恥を忍んでも言わなければならない時なのかもしれない。
大義のための犠牲となれ、俺!
「……水瀬さんって……胸が……大きい、よね……ね」
「なっ…!?」
顔を真っ赤にする水瀬さん。
俺はもっと真っ赤になっていような気がする。外界の熱気と相まってとんでもない熱味が滲んだ。
あたかも俺が変態みたいだ。
だが、それでも2つ丘の真ん中にハンドバッグの紐を食い込ませている状況は看過できなかった。
なんか歩いてなくても振動で揺れるんだもん。ちょっと針でも刺して空気抜かないとダメじゃね? とか思っちゃうよ。
水瀬さんは自身の肩を抱いて俺から距離を取る。
そんな反応されてもね。というか着けてるよな? 着けててもあんなものなのか? いやいや、それは考えちゃならん。
「へ、変態っ!」
「違う! 扇情的な格好しているのは水瀬さんだ!」
「扇情的っ!? 私のせいだって言うの!?」
「そりゃあ……そんなうっすいTシャツじゃな……」
「――あっ」
そうしてようやく俺の言いたいことがわかったようで、さらに顔を赤くした。ごほん、と咳払いをして肩にバッグをかけ直したところでようやく落ち着く。
「今のはなかったことにしましょう……いいわね?」
「はいっす……」
普通の男子高校生なら忘れられない思い出になること間違いなしのイベントだった。
◎
鬱蒼とした森をイメージしていたが、実際の山道はかなり整備されていた。石の階段には欠けているところがあるが、もれなく補填されているし、手すりなんかも金属製。汚れも見当たらない。
一応、村としての機能はあるようだ。
だが、やたら階段が長い。
それも一興か。そういうのも田舎らしい。
汗を流しつつも、程よい距離なので運動としては有意義だろう。
水瀬さんは身軽なフットワークで俺の隣を歩いている。スポーツも苦手ではないらしい。
「ここの上って神社だったよね?」
「そうだけど」
「神社の真ん中は神様の通り道ってよく言うよね、こことか……」
「……階段だし、神様は空を歩いているんじゃね?」
高度がちょっと低いから大丈夫、というのはいささか無理がありそうだ。
会話しながら気を紛らわしいたらあっという間に頂上まで辿り着いた。
木々が遮っていた日光が全身を射す。
「帽子でも持ってくればよかったな」
「神様の前で随分と偉そうなことを」
「それもそうか……」
マナーということで鳥居に一礼してから境内に入る。手水舎で手と口を清めて本殿へと向かう。
夏祭り、ということでここでもてんやわんやしているらしい。事務所的なところでは壮年の方があわただしくしていた。
残念ながら巫女さんを拝むことはできなかった。
「祭の後に何か儀式するらしい」
「へぇ、田舎って感じね」
何となく地鎮祭とかもありそうな気がした。
神社に来たので当たり前ではあるがお祈りをする。ここは盛大に五千円札なんてことはせず5円玉を賽銭箱に投げ入れて、2礼2拍手、願って1礼。
控えめに水瀬さんも手を合わせている。
お願いが終わった水瀬さんが話しかけてきた。
「神様にお願いする時って住所言わなきゃダメってよく言うよね」
「そうだな。それって神様って人間を区別できないからって言うじゃん? そんなやつらに住所言ったって……端から期待してないけど」
「言うに事欠いてやつら……まあ、いいけどさ」
賽銭投げる時は音を立てないようにした方が良い、とか後から言われた。先に言えよ、と言った。そうしたらさっきのお返し、と言われた。
別に神社に手を合わせるためにここに来たんじゃない。神様には悪いがそんなことはついでだ。
噂に聞いた美しい景色が見れるってことでここにいるのだ。
脇道に逸れると、石造りの道が続いていた。どうやらその先にちょっとした展望台がある。
そこにあったのは、村一面を眺望できる崖だった。木製のギシギシいう柵で囲われただけの高所である。
山々に生えている木々の為すカーブ、自然と人口の境目、透明な湖と緑のコントラスト、眩し過ぎる太陽の生み出す陽炎。
どれも風情があり、心で洗われるようだった。
そして、高いということで吹き込んで来る風が何より気持ち良い。
「すげぇ……」
言葉も出ない、というのはこういうことなんだろう。
スマホで写真を撮ろうと思っていたが、その気も失せた。やっぱり直接見たい、って。
「確かに綺麗……」
水瀬さんもそれなりに没頭しているようだ。額に手を当てながら遠くを見つめている。
それからしばらくは無言が続くーー自然の音をただ耳で聴いて、目で視ていた。
「――さてと、スピリチュアルも十分体感したしとりあえず下りますか」
「そうね」
ボー、っとして頭が動かない。
自然に一体化していたような気分だったからか、意思で動くことに多少違和感がある。
というか眠かったので、夕方まで昼寝することにした。
◎
どうやら姉の楓は学校の友人と共に夏祭りを楽しむということで、既に出掛けているようだった。
今、この状況を見られなかったことはまさに重畳。
空はまだまだ明るいが時刻は午後の5時を回っている。煙のようにふわふわとした眠気が未だ残る中、何とか意識のレベルを高めていたところ。
「あー……何で俺の家にいるんだ? 水瀬さん」
「君が私の家に全然来ないからでしょ」
前もってそこで集合することにしていたじゃん、と言わんばかりだが決めていたのは時間帯のみ。場所は決めていない。俺が行くのが当たり前だと思ってもらっては困る。
「君も私の家に来てたからね」
「でも姉もいないし、俺も眠ってたし……不法侵入……」
水瀬さんの家に行った時は、ちゃんとお爺さんやらお姉さんに挨拶をしているというのに。
こんな田舎の一軒家の時点でセキュリティは大したことじゃない訳で、こんな風に簡単に入れてしまうらしい。
「……でも、待ってくれてたんだ」
「別に」
と、言いつつも若干顔を赤くする可愛い女の子だった。罵声さえ言ってくれなければ。
水瀬さんに冷たいお茶を出してから、身支度を整える。シャワーなんて浴びる時間はないので服だけでも着替えた。
財布とスマホをポケットに突っ込んでリビングに戻る。
戻ると、水瀬さんが俺の格好を凝視してきた。裏表間違って着てるとこはないはずだが。
「……普通ね」
「何だよそれ」
「いや、朝は半袖短パンでかなりガキ臭かったけど今は普通の高校生みたいだから」
「そんなこと思ってたのかよ……」
髪型も整えて、Tシャツの上に軽く羽織ってみたりして。都会にいた頃もこんな感じだったので、あっちのセンスで見たら普通だろう。
でも、こんな田舎ではお洒落なんだろうな。
「まあ、俺からしたら水瀬さんは風呂入った後にコンビニ行く時の格好だな。さっきのミニスカもあれだが、こちらも……」
「っ、そんな見ないで」
見られたくないのならそんな格好するな、って話だが。
感想を言い合うのはそれくらいにして、俺と彼女は夏祭りへ向かう。
始まりを告げる太鼓の音が鳴り響いていた。連なるように笛の音が空まで飛ぶ。
ふと、思い浮かんだことがあったので水瀬さんを見ながらボソッ、と呟く。
「浴衣着てる姿も見たいかも」
「…………」
「何でもないっす」
「無理。少なくとも今回は……」
「……来年期待してるっす」
ツンツンツンデレだな、君は。