⑨単純接触効果
◎
『めちゃモテ女子高生HARUKAだよー!』
某SNSサイトのとあるアカウントのトップページに書かれていた。
自称にしてはいささか誇大だが、実際の彼女を見たものなら納得してしまう、それくらいの美貌。
それが水瀬遥だった。
高校1年、都内の某都立高校に彼女は在籍していた。
物語に出てくるヒロインのように、水瀬遥は入学当初から話題になっていた。のっけから同性異性関係なく周りには人が集まる。
彼女は高校生にして、完璧過ぎた。
肉体もさながら、精神はそれをはるかに追い越したのだ。思春期なんてそこかに捨ててきたような振る舞いを得ていた。何故、そんな性格を獲得したのかは不明だが水瀬遥の学園生活は初めからイージーだった。
文武両道、才色兼備とかありきたりな褒め台詞を総なめしていた。
軽い気持ちで、風潮に合わせてSNSなんかやってみたら馬鹿みたいな反応が起きてしまうのも当然だった。
そんな彼女もあくまでも高校生、彼女自身は色恋に興味はなかったが男子共からそういう対象にされることは頻繁にあった。入学してから何回だろうか……告白はすべて蹴った。彼女には彼氏とかは必要と思えなかった。漠然と一生そうなんだろうな、と想像するくらい興味がなかった。
それはそれでいい。
生涯独身も悪いことではないのだから。
だが、そうは問屋がおろさなかった。
「――あいつ調子乗りすぎ」
なんていうありきたりな事件が勃発してしまったのだ。
翌日、学校に行ったら自分の座席がぐちゃぐちゃになっていた。天板には油性ペンで落書きがされ、机に入っていた教科書は某炭酸飲料に濡れていた。
それを見た瞬間に、水瀬遥には犯人はわかっていた。同じクラスのギャル系JK3人組。これに関しては水瀬遥の洞察力云々ではなく、一目瞭然だったからだ。ざまあ見ろ、という風に嘲笑を浮かべていた。
だが、この程度では彼女の心が揺れ動くことはなかった。
考えていたのは教科書をどうするか――主犯3人のことなんてもはや眼中になかった。時間割を脳内で照らし合わせて考えた結果問題ないと判断して、濡れた教科書をゴミ箱に放り込んだ。
必要なかったから……見るまでもないから……大したことない……そんな何もなかったかのような反応がギャル系JKの沸点をあげた。
翌日、さらにすごいことになっていた。
椅子の上にはドロドロの何かがばらまかれ、机の上には大量生ゴミが乗って異臭を放っていたのだ。あくまでも間接的に嫌がらせが行われた。
静かに、水瀬遥に火が灯った。
こんなこともあろうかと、バッグからゴム手袋を取り出してゴミを処理し、ウェットティッシュで机も椅子も綺麗に整える。さらにはこの日のために準備して木工パテを敢行、一時間もかけずに一丁前の机を作り上げてしまった。
「ふぅ……まあまあ楽しかったかな」
そんなことを言ってしまったら教室はフィーバーだった。カッコよすぎて女子すらも恋に落としてしまうようにキレを見せる。
そんな態度を取られたら、ギャル系JKも立場がない。外野からの嘲笑や哀れな視線に血を滾らせて、より悪質な嫌がらせを実行しようとする。あれ以上の嫌がらせんなてそうそう考え付きそうもないが、それでも一心に考え出した。
だが、んなことは水瀬遥には見え透いている――ずべて彼女の予想通りに運んでいた。
翌日も翌日とて、JK達は嫌がらせをするために早く登校する。いつもなら遅刻寸前や、1限途中に来るというのに、いじめのために早く来ていた。そんな理由で早く来られても意味はないが。
朝1番の教室、教員もまだ通勤していないような時間帯――。
既に、机はばこばこになっていた。
水瀬遥のではなく、彼女に嫌がらせをしようとした3人の机が荒らされていた。彼女らの行う嫌がらせの何倍も悲惨な状況と化していた。
水瀬遥のおぞましいやり返し。
彼女のような精神を持たないJK達は外聞も恥もなく喚いて泣いてしまった。そんな姿を水瀬遥は心の中で笑った。
水瀬遥ならば、刹那に等しきスピードで解決するかもしれないが、普通はできない。悲惨な光景のまま朝のホームルームに突入する。
そこからは、もう言わなくともわかる。
とにかく大事になってしまった。
いじめだとか、親を呼ぶとか、そんなありふれたようで非日常な言葉が飛び交う。昼も夕方も指導室に呼び出され、挙句の果てに校長室。
全てにおいて水瀬遥は真実だけを話した。堂々と「やり返しました」と。
さて、この場合先にやった方が悪いのか後の方が悪いのか。そんなのわからない、どちらも被害者、どちらも加害者なのだから。
水瀬遥はそう思っていた。
普通ならそうなるだろう、と思っていたのだ。普通なら――。
まさか不登校にまでなるとは予想できなかった。
それがたとえ演技だとしても、そういう状況になってしまったら優劣がはっきりとしてしまう。そうなってしまえば水瀬遥の方が悪質だと思われても仕方ない。
弁明も空しく水瀬遥が3人を虐めた、ということになってしまった。そんでもって瞬く間に広まった。
学校内だけなら大したことじゃなかった、だがやっていた某SNSサービスは炎上に次ぐ炎上によって転校を余儀なくされた。
それは寒い寒い2月の話、どっかの誰かが寒中水泳でもしている時のことだった。
◎
「本当に詰まんない話だな」
「自分から聞きたいって言ったんでしょ、屑野郎」
「いや、そういう意味じゃなくてね……そんなやつもいるんだなぁ、って話だ」
人1人陥れるためにどんだけのことをしているだ、って話だ。そんなの俺が目じゃないくらいの屑じゃないか。
今まで縁がなかっただけで、他人を蹴落とさなければ気が済まないそういう人も少なくもいる。残念ながら。
「『被害者』とは言い難いけどな」
「見ないからそう言えるんだよ」
「いやいや、平気の平作でパテやる人がヤバくない訳がないだろ」
机直すつもりで持ってきたんだろ?
怖いわ。それはマジで怖いわ。何考えてるんだってなるわ。
「でも教科書捨てたり、ウェットティッシュ持ってきたりってお金かかってるよね」
「別にいいじゃんそんなこと」
とか言いつつ申し訳なさそうな顔をしていた。
当時はスーパー女子高生だっただけあって思うところがあるのかもしれない。
でも確かに彼女の言う通りやられないと理解できないのだろう。
人間は失ってからじゃないと、その立場にならないと痛感しない生き物だから。それが感情というやつだろう。
「学校でのあの態度はトラウマみたいなものか」
「そんな言葉で片付けられると小さいやつみたいじゃん」
俺はそう思うけど、とは言わない。
「でも、あいつらが本当にそんなやつらだと思うか?」
その先10年、精神年齢小学生レベルのあいつらが。
いじめなんてつまらないことをするだろうか、いや絶対にしない。彼らはそんなことをしなくても日々を生きるだろう。
「それは……そうだけど……」
水瀬さんも、違うことはわかっている。
しかし、理解と納得は違うことも事実。
「まあ、関係を強要するつもりはないけど」
「けど?」
「明日は俺と一緒に夏祭りに行ってもらう」
「……意味がわからない」
「そのまんまだが? 友達とかにならなくてもいいから、一緒に行くってだけだよ」
「は、はあ……」
「前にも言っただろ? 好き合ってなくても付き合ってもいいし、愛し合ってなくても結婚してもいい。互いの了承さえあれば、関係の名前なんて何とでも言える訳だ」
「そんなニュアンスじゃなかったと思うけど」
「とにかく、一緒に回りたいんだよ」
自分でもよくわからなくなって結局勢いで言い放った。
ここまで来たら押しきってやろう。
「俺もここに来る前は、水瀬さんに劣るとも優らないようなことに巻き込まれたんだよ。結構ショックでしばらく病むくらいのね。だけどさ、ここに来てからは俺は楽しいって思えているんだよ」
「それは立ち直っただけでしょ?」
「そうだよ。人間の悩みのほとんどは人間関係だから。良い人間関係に恵まれたからすごく楽しい」
鏡子さん、環奈さん、楓と過ごした時間は短かったけれど忘れたくない思い出だ。不幸を帳消しにするような幸福の中にいる、って感じ。
「人間関係に関しては水瀬さんはどうやら運が悪かったようだ」
俺の通う高校にはいじめなんてなかった。
たまに危ないことはあったものの、基本的には平和なところだった。もしも、そこに水瀬さんがいたならあんなことにならなかったと思う。
「余計なお世話よ」
「でも、今は違うだろ」
「それはあなたの主観でしょ?」
論破する時によく使われる台詞を言われてしまった。
それを言われてしまったら、ちょっと考えてしまうじゃないか。そりゃ主観の話だもん。
「人間、主観でしか考えられないだろ。それとも君は全て客観的視点で判断しているのかい?」
自分の意志というものはどこかに必ず介在してしまうものだ。客観的視点で見ても理解の段階で必ず主観を通る以上この議論に意味はない。
論破なんて適当な言葉遊びだろ。
はあ、と思わずため息が漏れた。
目ざとく、というかチャンスとばかりに水瀬さんが言ってくる。
「私と話すのが疲れたなら帰っていいけど?」
「はあ」
「わざとらしい……」
「何でわかってくれないんだと思ってさ、平和的な意味で。もうこれしかないのかもしれないな」
「まだ何かあるの?」
速やかに土下座を敢行した。
女子の部屋でこんなことをすると若干いかがわしい感じがしなくもない。というか同級生に迷わず土下座する自分は、水瀬さんと言う通り屑っぽい。
そういう訳で最終手段はこれだった。
「……水瀬さん、お願いします――ぐ」
後頭部に足が乗っかて来た。ぐりぐりと畳に額をこすりつけられる。
まさか踏まれるとは、それに水瀬さんもノリノリだ。俺に対するストレスが相当溜まっているのかもしれない。思い返せば、結構付きまとっていた。
「ここまでしたんだから一緒に行ってくれるよね?」
「は? 丁度いい椅子があったから使ってるだけですけど」
「このサド女郎」
「このマゾ野郎」
ふつふつ、と湧いてくる感情。
何故俺が下手にでなけりゃならんのだ、という怒り。無理矢理連れ行けばいいだけじゃねぇか。
そう心に決めて頭に乗っていた足を掴んだ。
素足だからか敏感になっているのかもしれない、震えと共に動揺の声があがった。
「ちょっ! 掴むな!」
足首からふくらはぎにまで手を伸ばしたら、背中をグーで殴られた。
我慢できないくらいの激痛が走る。人間の力は馬鹿にできない、女の子に泣かされそうになるくらいには凶悪だ。
「っ、痛いなぁ!」
「どこ触ってんだ変態!」
「見えなかったから知らないな」
「このっ」
「つっ、だから痛いって!!! てか、落ち着け! さっきのは俺が悪かったから拳を下ろしなさいな! 人間って結構やわだからそんなにやられたら死んじゃいますって!」
ゴンッ、とか鳴り響いた。何度も。
数分後、床にへばりつく男が完成した。
一見したら殺人現場に見える前衛的芸術作品だったに違いない。
「……そんな過去のこと気にして今を過ごすなんてもったいないだろ。こんな風に馬鹿な事してる方が楽しいじゃん」
「君はあれをただの馬鹿なことで済ませるんだ……」
「それの刑期はもう過ぎたでしょ! そんなスマホ見てるくらいなら俺と暇潰そうぜ、ってことだよ。過去なんて考えてもどうしようもないんだからさ」
「…………」
「知ってるか? 友達って多い方が楽しいんだぜ?」
「そんなの知っているよ」
「へぇ、俺は知らなかったよ。俺の周りにはなかなか人が集まんなかったから」
「君みたいな変態にはね……」
ちょくちょくディするのはいいとして、都会にいた頃は友達と話したり、寄り道したこともあっただろう。人気者故、かなりの人数いただろう。それはそれで苦労もあったろうが充実がしていただろう。
「言っておくが俺は変態じゃないぞ? 乗ってる足を退かそうと思ってただけで。むしろ嬉々として俺を椅子にした水瀬さんの方が変態なんじゃないのか?」
「な……こともあろうに私を変態扱いするなんて……」
「変態には男女関係ないんだよ」
「そんな平等主義はいらない!」
いい突っ込みじゃないか……流石イケイケ女子高生なだけはある。
それから一時間くらいの言い争いの後、一緒に行ってくれる約束をしてくれた。
帰り道にて白い眼をしながら青い空見上げていた。
「何であそこまで執着したのかわからない……」
後から何でこんなことしてたんだ、みたいなことはよくある。一時の感情に支配されるなんてことは特段珍しくもないさ。