許されない初めての感情
「はぁ~~~……………」
ユリア様はまたも何かについてお悩みになられています。
肘を着いて頭を支えられるお姿は、頭痛に苦慮されているようにも見受けられます。
お悩み事についてお聞きしても、何でもない、大丈夫と仰るばかり……。
わたくしでは、猫の手にも及ばないという意味なのでしょうか……。
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「あ~、いつものユリア様だからそっとしておけば大丈夫よ」
幼少期よりここにお使いする先輩は、軽く流そうとします。
「しかし、深く溜息をつかれていました。わたくしのような平民の出身には想像も出来ない程の事なのでしょうか……」
「あはは、違うのよ。あれはユリア様の婚約相手、ローズにあたるケイベル様のことで悩んでいるのよ。そして肘を着いて、大きな溜息をつくの。若いっていいわよね~、私にもいい人が突然現れたりしないかしら?」
ケイベルさん……あ、この前ユリア様とご一緒にお城に戻られた黒髪でポニーテールの!
噂では14歳にして総隊長よりもお強いとか……。
流石は一国の王女であるユリア様をお支えする方です。
しかも、わたくしと同じ平民出身とも聞きました……!
同じ平民出身として誇らしい気持ちと一緒に、わたくしの方が幾つか年上な分、失敗ばかりで情けない気持ちになります……。
叶うなら、どのようにしてそこまでの勇気と強さを手にしたのか、お聞かせ願いたいものです……。
そしたら、わたくしのような平凡な人間でも変われる鍵がきっと見つかるかもしれま――――
「きゃあぁっ!!」
「おっと…………お怪我はありませんか?」
「は、はい……」
廊下の角でぶつかってしまったのは、鮮やかな青のベスト着た黒髪でポニーテールの女子でした。
あれ、待ってください……?
「ハッ……!ケ、ケイベル様っ!!た、大変申し訳ございませんっ!わたくしが注意不足だったばかりに!!」
「いえ、こちらこそお仕事中に失礼しました。あ、少しじっとしていてください……」
ケイベル様は肩に手を置き、頬へと手を伸ばします。
顔の距離が縮まってゆき、半歩足を出せばとんでもない事態になってしまいます。
しかしわたくしは、その事態への恐怖と同時に、別の何かに対する心臓の高鳴りを感じました。
震えそうになる体を、生きてきた中で一番に固めました。
そしてケイベル様はそんなわたくしの頬を指で軽くなぞり、笑顔を作りました。
「すみません、ぶつかった拍子にケーキのクリームがついてしまったようです。よろしければお詫びにこちらを使ってください……」
そう言って渡されたのは、『サポートカード』と書かれた小さなカードでした。
「もし困ったことがあればこれを使ってください。私が出来る範囲でお手伝いさせていただきますので……と言っても、数日後には学園に戻ってしまいますが……」
照れくさそうに指で頬に触れ、受け取ったわたくしの様子を伺います。
「あ、ありがとう、ございます……あのっ、大事に保管させていただきます!」
「保管されてしまうとそのカードの意味が……そうだ、お茶が冷めてしまう。どうも失礼しました。私はこれで……」
ケイベル様は美しい姿勢を保ったまま、足早にお茶菓子を運ばれて行きました。
この数分の間に何が起こったのか、未だに整理が追いついておりません。
しかし、把握できていることが二つあります。
ひとつは手伝ってもらえるカードを渡されたこと。
もうひとつは、ぶつかった拍子に、心の大事なものがくっついて行ってしまったこと……。
今さっき起こった事が、頭の中で何度も繰り返されます。倒れそうになったわたくしを片腕で支えられ、メイドなのに何一つの苦言も無く、それどころか真っ先に怪我の有無を心配していただいて……。
鼻の中にまだ残っているケイベル様の包んでくれるような香り。触れられた頬が妙な熱を帯びています。
耳はケイベル様の少し低く、甘い声が何度もくすぐります。
そして、凛々しくも照れた時のお顔とのギャップに目と心臓が大きく反応します。
わたくしは一体どうしてしまったのでしょうか……!
いえ、本当はこの違和感の正体に気づいています。
ですがこれは、あまりにも罪深い問題です。
もしこの違和感に正直になったとして、誰にも幸せな未来が訪れるとは到底思えません。
ですので、今わたくしに出来ることは、この出来事が夢であったと自分に言い聞かせることです。
そして………
「一時のお邪魔をしますことお許しください。ユリア様、先程こちらが落ちていたのを廊下で確認しましたので、もしやと思いお渡しさせていただきます」
「サポートカード?何かしら……まあいいわ、ありがとう…………っ?どうかしたの?」
結局、夢の中ではケイベル様には勇気の出し方も、強さの秘訣も聞けませんでした。
でも、お陰でわたくしの中で何かが大きく変わったような気がします……!
「あ、あの、もしユリア様さえよろしければ、お悩みになられている事をお聞かせ願ってもよろしいでしょうか……?は、話すことで、僅かでもお気持ちが軽くなるやもしれません……っ!」
「うーん…………それもそうね。じゃあ聞きたいのだけど、私がケイにしてあげられることって何があると思う?」
思っていた以上に難しい内容でした……!
どうしましょう……。
わたくしはお城に来て間もなく、ユリア様は疎かケイベル様のことも何ひとつとしてわかりません。
お母さん、神様……どうかわたくしに力を貸してください……!
「料理などいかがでしょうかっ。わたくしの田舎では、意中の相手には料理を出し、胃袋を満たすことで相手の心も満たせると言われています。わたくしで宜しければ自由に使っていただいて、挑戦してみるのはいかがかと……!」
ユリア様は頬に手を添えて眉間にしわを寄せています。まさかいけない回答をしてしまったのでしょうか……!
ユリア様のご不快に触れてしまえば、即田舎に返されてしまいます……。
どうか、ユリア様のお気持ちに沿いますように……!
「いいアイデアね、ぜひ採用させてもらうわ!あなた、名前は?」
「ハミルトン・リバーと申します……っ」
「ハミルトンね。早速今から始めるわよ!あ、でも、私料理なんてしたことがなくて……初心者でも作れるものから教えてちょうだい?」
「は、はいっ、喜んで……!」




