孤高の気高き王女さま
「クロエさん?今は教室にいないけど」
「わかったわ、ありがとう」
私があのクロエさんを尋ねたのはケイの提案からだった。
この学園は7月後半から9月まで、12月後半から1月始めまで、3月から4月までに長期の休みがある。
もしクロエさんとの関係が現状のまま休みに入ると、より関係改善が困難になるとケイは考えたらしい。
そこで、なるべく早く改善した方がいいということで、ケイに説得されて渋々クロエさんの教室に来たというわけだ。
しかし、せっかく覚悟を決めて尋ねたというのに、当の本人がいないとは……やっぱり私はいたずら好きの悪魔に取りつかれているのかもしれない……
「わぁっ!!」
「きゃあっ!!!って…リル!?も~心臓止まるかと思ったじゃない!!」
「いや~何だか姉ちゃんのことで話しているのが聞こえたんでね~♪んでんで、私の姉ちゃんに何かようかな?」
「リル、クロエさんのことで少し聞きたいことがあるの…」
私はリルを牧草地の人気が少ない場所へ連れた。
ここは飼育場からも離れているため人が滅多に来ない、私が最近見つけた大事な話をするにはうってつけの場所だ。
「姉ちゃんがユリアちゃんたちに執着する理由、ね~」
クロエさんは初見時の私の発言に怒りを見せているというのは分かっている。それでもクロエさんの怒りにはそれとは別にも要因があるような違和感を感じていた。
「………姉ちゃんはね、今こそ表情が硬いけど、昔は笑った顔が天使のようにかわいいって会う人みんな言ってたんだよ?」
私も初見は本の中から出てきた美少女のようだと思わされた。でも、流石に昔は笑顔を見せていたといくら言われても、私の中のクロエさんは笑顔を作らない……
「でも姉ちゃんが色んな稽古に手を出し始めてからかな。だんだんと自分に厳しくなって、あんまり笑わなくなったんだ……」
「クロエさんはどんな稽古を……?」
「うーん、剣術・体術・バレエ・ピアノ・バイオリンは5歳くらいにはやってて、声楽・作法・美術・馬術……確か10歳で20個はやってたかな~」
当時の私とは比べ物にならない数…ってストイックにも限度があるじゃない!
何よ、10歳で20って!しかも私がつい去年に始めた剣術と体術を5歳の時には始めていたって……クロエさん一体何になるつもりだったのよ!
「ははっ驚いちゃうよねー。当時の周りの人たちも流石に姉ちゃんのこと心配してたらしいけど、その度に姉ちゃんが笑顔で大丈夫って言うから止めさせることも出来なかったんだって…それでそのままにした結果、今の姉ちゃんが完成~ってね……」
話している間、リルは笑顔を作っていたようだったが、私には笑顔に見えなかった。代わりにリルが心の中で粛々と、一人寂しく涙を流している様に見えた。
「姉ちゃん、昔から頑固でプライドがちょー高いから、ユリアちゃんのちょっとした一言でも姉ちゃんにとってはプライドが傷つけられた感じだったんだと思う……」
リルは「姉ちゃんがごめんね」と苦笑いをする。
「話してくれてありがとう、リル」
これで私が何をするべきなのかわかった。
それから私はケイと分かれて学園内を走り回り、クロエさんを探した。
生徒たちに聞いても手掛かりはなく、諦めかけたところにケイが見つけたと知らせに来た。
ケイの後をついていくと、クロエさんが一人立っていた。そこは校舎上の鐘がある場所だった。
遠くをひたすらに眺めて、今何を考えているのだろう。
突風が吹き、顔を逸らした先にいた私たちに気づいた。
瞬間、目つきが変わった。いつ見ても獲物を狩る時の獣のような、狙った標的を絶対に逃さないと言わんばかりの鋭く棘のある目つきだ。
「何か私に用かしら?ないなら今すぐ私の前から消えなさい」
「用ならあります!まずは…クロエさん、先の私の軽率な発言についてクロエさんの怒りに触れたことを謝罪させてください」
私は毅然とした態度で謝罪をした。
クロエさんは少し驚いた様子を見せたが、すぐに平静に戻り手で払うように私たちをあしらった。
「っ……もういいわ…分かったから早く消え――――――」
「消えませんっ!…クロエさんは、昔は表情が豊かだったと聞きました…」
「どうしてあなたがっ……リルね…勝手に吹聴して…!」
クロエさんは舌打ちをし、前髪をぐしゃりと握った。
「私が教えるように頼みました!私たちの今の関係を何とかできないかと考え、偶然居合わせたリルにクロエさんのことを聞いたんです。クロエさんは幼少期から稽古に多くの時間を割いていたようですけど、何がクロエさんをそこまで動かしたんですか?」
「そんなのなんだっていいでしょう?あなたには関係のない事よ……!」
「関係あります!友人であるリルがクロエさんの事を話す際、本人は笑顔のつもりだったんでしょうけど、私にはとても辛そうに見えました。それを見て見ぬふりなんて私にはできません!」
クロエさんは何か言いたげに私を睨み、後ろで見ていたケイがかばうように私の前に手を出した。
この間、風の音だけが私たちを包んだ。
しばらくすると、誰かが階段を上ってくる足音が聞こえてきてその方向を見ると……
「姉ちゃん……」
リルは走ってきたのか、呼吸が荒く額に汗をかいていた。そして先ほどよりもわかりやすく寂しげな表情をしていた。
「リル、ごめんなさい。さっきの事話してしまって……」
「ううん、いいんだよ。……姉ちゃん…姉ちゃんはどうしてあんなに稽古なんかしてたの…?姉ちゃんは稽古を増やしてから笑わなくなったし、苦しそうだったのに……」
「…………自分を…リルを周りの穢れた手から守るためよ…」
クロエさんは顔にあてていた手の指の間から目を覗かせる。
「穢れた…って、どういうこと…?」
「リルは知らないでしょうけど、私たちにもその人と同じように婚約の話が裏で進んでいたのよ……」
クロエさんは頭痛に苦しむように頭を押さえ、声を震わせながら続ける。
「私はある時それを耳にしたの……あいつら(大人たち)は目先の利益しか求めていない、私たちはそのためのただの道具として利用されようとしていたのよ…!」
クロエさんは歯を食いしばり、なんとか怒りを抑えようとしているが、結んでいた糸が切れてしまいそうな程に冷静さを欠いている。
私は、今のクロエさん言っていることがよく分かる。私も大人たちの下手な芝居で王位の利益を利用しようとしている企みを吐きそうになる程感じてきたからだ。
それまで純粋に育ってきた子なら現実の残酷で醜悪な部分を見せられてなおさらショックが大きいはず、人が変わってしまうのも仕方がない……
「私はあいつらから私たちを……大切なものを守るために稽古という名の訓練で、力をつけたの…誰にも奪わせないっ……!邪魔する者は全て…………潰して…………潰して潰して、潰して潰して潰してっっ!!!」
クロエさんの地面を蹴る力は徐々に強くなり、震えていた声も裏返るほどに興奮状態に入った。
すかさずケイが戦闘態勢に入ろうとした。
リルが走り、クロエさんを抱いた。
「…姉ちゃん…ありがとう。今まで私の知らないところで、一人で無理させてたんだね……でももういい、もうこれ以上苦しんでる姉ちゃんなんか見たくないっ!!」
「………じゃあ、どうしろって言うのよっ……私たちを、誰が守るのよ……」
クロエさんはリルに抱かれながら膝をつき、目に涙を滲ませた。
「その役目、私たちに手伝わせてもらえませんか…?」
怖さと不安はすごくあった。それでも私はクロエさんに近づいて行った。
「私はクロエさんより力も、心の強さも劣っているし頼りないと思います。それでも、同じ王女だからこそできることがきっとあるかもしれません……」
「そんなこと、出来るはずないじゃない…………私は……あなたたちに散々酷い目を遭わせていたのよ…?あなたたちの手を借りるなんて…そんな資格ないわ……」
地面についていた手を握り、目を合わせる。
「資格なんて必要ありません。私はクロエさんの力になりたいんです。もう一人で抱え込まないでください」
「………うぅ……っ……私は……私は……」
クロエさんはその場で泣き崩れた。
今までの凛々しくも殺気立っていたのが嘘のように、弱々しい女の子が目の前にいる。
本当に苦労してきたんだろう、咽び泣き母親に縋るようにリルを抱きしめている。
私がケイに泣きついたときもケイにはこんな風に見えていたんだろうか……
色々思い返していると、ケイが私の肩に手を置きにこっと笑った。私はそれが何を意味するのかをすぐに察した。
私たちは静かに姉妹2人から離れた。
階段を降りる時にふと振り替えると、少し落ち着いたのかクロエさんの表情は穏やかになり、リルが抱きながらクロエさんの頭を優しく撫でていた。
「ユリアは強いね……惚れなおしたよ」
「いきなり何?あっ、ちょっと!抱き着かないで、危ないでしょっ…!」
☆
1学期終業式が終わり、私たちが迎えの馬車に乗ろうとしたところにリルとクロエさんがやってきた。
「そ、そのユリアさん…先日はどうも、ありがとう……」
下を向き、低い位置で指を何度も交差させている。
「姉ちゃ~ん?まだ大事な言う事があるでしょ~?」
「っ……!あぅ………その………」
何か言いたそうに口をパクパクとさせながら、目をこちらとリルで往復させている。
その様子は、恥ずかしがりやの女の子が初めての買い物で欲しいものを店員に言う時のような、言葉にできない愛くるしさだ。
「っ~~!二人とも、今まで酷い事ばかりしてごめんなさいっ!許してくれなんて我がままは言わない。それでもせめて、謝りたくてっ……!」
手が小さく震えている。きっと高いプライドと罪悪感の葛藤の末の謝罪なんだろう。
確かに学園に入ってからクロエさんのことで思い起こすのは良いものではない。それでもこうして謝罪をしたことにこちらもしっかりと答えるのが礼儀だろう。
「許しません……」
「っ……そうよね、私なんかが……」
私はクロエさんの両手を握り目を合わせた。
「今度また一人で抱え込んだりしたら許しませんからねっ!」
「っ!…………えぇ………」
クロエさんは驚いた表情から、柔らかく優美な笑顔を私に見せた。
これがリルの言っていたクロエさんの笑顔……まさに天使の微笑みとはこのことなのだと思わせられる。
美しくも可愛らしさが残り、日差しに照らされて豊かに輝く金髪により一層笑顔が眩しく感じられた。




