王女の騎士
「すごいよユリア、あのナーシィに勝つなんて!」
ケイは歓喜しながらみんなの前で私を強く抱擁した。
「わ、わかったから離してっ。みんなが見てるわ!」
まだ勝利の余韻に浸りたかったけど、ケイが喜び余って抱擁からキスまでしようとしてきたため、強制的に離した。
たぶんこの勝利に一番驚いているのは私だ。
最後がかわいそうな形だったとはいえ、イヴちゃんに本気まで出させた相手に勝ったのだから。
つまり私は、私の今までの鍛練の日々はちゃんと形になってたんだ。
やろうと思えば自分の身を自分で守って、ケイの負担を減らせたかもしれないんだ。
もう剣は握らないとケイと約束したし、それを破るつもりはない。
でも、鍛錬の結果、その可能性があり得たことが今は何より嬉しかった。
「喜びに余韻に浸っているところ悪いのだけど、まだ試合は残っているわ。今のところ私たちがリードしている。次にユリアさんが勝てば本当の勝利ね」
そうだった。
交流戦はまだ続いている。集中しないと……。
「ユーーリーーアーーちゃーーん!!」
集中力を途絶えさせないように体を伸ばしていると、リルが大きな声で私の名前を呼びながら走ってきた。
でもここは……。
「リル。ここは選手以外立ち入り禁止だと言ったはずよ。ユリアさんの邪魔をしに来たのなら今すぐ帰りなさい」
え~、としょんぼり顔になったリルの手には小さな木箱があった。
「クロエさんありがとうございます。でも私は大丈夫ですから。リルの持っているその木箱は何かしら?」
クロエさんをなだめて木箱の中身を聞くと、リルはパーッと明るい表情に変わり私に駆け寄ってきた。
「実はね?……ジャーン!ユリアちゃんの好きなサンドイッチ作ったんだー!もちろん試合がまだ終わってないから小さめのだけど」
木箱の中にはタマゴとレタスを使ったシンプルな手のひらサイズのサンドイッチが5つ入っていた。
それぞれ若干のずれや大きさの違いはあっても、私には最高の差し入れだ。
「姉ちゃんたちの分も作ったんだよ。試合は精神的にも身体的にも消耗が激しいからね。これでリフレッシュだぜ!」
「まったく。あなたって子は、気が利くのか利かないんだか……」
手渡されたクロエさんは、呆れたようにリルの頭を撫でた。
クロエさんの機嫌も戻って、リルも喜んでいるようだし、問題解決!
「ユリア。ほっとするのは後だよ。そろそろ次が始まるから準備しないと」
「ケイだってさっきまであんなに浮かれてたくせに、人の事言えないじゃない!」
「あ、あれは。ユリアが勝ったことが嬉しすぎて一瞬試合のことを忘れてたというか……っ」
ケイは照れ臭そうに顔を横に向けた。
☆
「なーはっはっはっ!!一国の王女様と剣を交えることができようとは、何という幸運か。これは手を抜いては失礼千万っ。この私、イヴァンの全力を持って相手させていただきます!!」
やたら大きな声で意気込みを述べたイヴァンさんは、その場で屈伸したり背中を曲げ始めた。
気合の入れようがすごい。あの気合に気圧されないように集中力を保たないと。
それにしても熱い。イヴァンさんが出てきてからにわかに気温が上がったような気がする。
日に当てられて汗もかいてきたし、終わったらすぎにでも汗を流しに行こう。
試合後のことを考えていると試合が始まっていた。
既にイヴァンさんは私に向かって突進していた。
私が剣を前に構えた直後にイヴァンさんは剣を振り下ろしてきた。
「きゃあっっ!!!」
突進の勢いが剣に乗って威力が倍増されたその一振りは、私を後方に跳ね飛ばした。
何とか体勢を立て直し、狙い目を探るために距離をとろうとした。
けどイヴァンさんはそれを許さず私の後を追いかけてくる。
追いつかれないようにさらに走るスピードを上げた。
それでもイヴァンさんは私に合わせて速度を上げる。
ぴったりと後続され、私は全力の速度なのに相手はまだ余裕が見られる。
それどころか私を追いかけるこの状況を楽しんでいるようにも見える……。
…………怖い。しばらく追いかけられて頭に浮かんだのがそれだった。
どこまで逃げても着いてくる。全力で走っても相手には全く効果がない。
逃げようにも逃げられない、動物の世界における食べられる側になった気分だ。
「あはははは!!待ってくださいよ王女様ーーっ!!」
どうして笑っているの。
私の全力はこの人にとっては笑いが起きるようなものなの…?
「あのバカッ、人間相手の勝負事には使うなってあれほど言ったのに!それも王女様の上にケイちゃんの最愛の人に……ほんとにバカなんだから……っ!」
予測できたことだが、全力で走り続けた私の体力は限界に来ていた。
目の前の視界が時折狭まり、足も震えて呼吸するたびに胸が苦しい。
遂には手を地面につき、呼吸を整えようとすることで精一杯な状態にまで陥った。
呼吸が荒いまま後ろを振り返ると、イヴァンさんがニコニコとした表情で私を見ていた。
「王女様はすごいですね!私、追いかけるので必死でした!」
嘘だ。余裕どころか笑ってさえいたくせに……。
「まだ試合は終わってませんよ。さあ、剣を取ってください!」
朦朧とする意識の中、私は何とか戦う意思は維持しようと剣を向けた。
でも、向けた瞬間私の剣は勢いよく弾き飛ばされ、遠くに落ちていった。
そして、最後まで笑っていた相手の顔が段々と暗くなっていった……。
――――――――――――――――
「ユリアッッッ!!!!」
ユリアの試合の様子を終始見ていたケイは柵に足をかけ、上半身は空中にあった。
それをクロエともう一人でしがみつき抑えていた。
「あなた、ここが何階だと思ってるの!?いくらあなたでもただでは――――あっ……!!」
二人の制止を振りほどいたケイは、数メートル下の地面に華麗に着地すると、そのままユリアのもとへと走った。
「ユリア!ユリア!!!」
ケイは倒れていたユリアを抱きかかえると首元に手を当てた。
脈は正常。
気を失っているとわかるとケイはそっと両腕で持ち上げ、救護班が出てくる場所へゆっくり歩いた。
・
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ケイは保健室のベッドに横になっているユリアの手を握りながら、顔を眺めていた。
その手にはおそらく剣が弾かれたときに当たったと思われる赤い腫れがあった。
白く透き通った素肌に似合わない、痛々しいそれに触れないように握りながらじっと見つめる。
ケイはイヴァンの戦い方を知っていた。
野生の世界での捕食動物が稀に見せる行動。
強い動物が弱い動物を一度ターゲットにすると、その動物昼夜を問わず付き纏い、精神的にも肉体的にもストレスが最高に至った瞬間に食らう。
これは実力がある者が使用すればより強力な武器となる。
しかし、これを繊細な心を持った人間に使うとどうなるか……。
「ユリアさんっっ!!」「ユリアちゃんっっ!!」
しんとした保健室に、カトレアとリルの声が入ってきた。
「ああ、ユリアさんが何ともいたわしい姿に……。あのヘラヘラ女、許しておけませんわ!」
「待てカトレア。カトレアが行ったところでどうなるんだよ。やり方はイヴも好きじゃなかった。でもあれも技術あってのもんだ」
「でしたらイヴ。あなたはユリアさんがここまで傷つけられて、このわたくしに黙っていろと言うつもりですの!?」
カトレアは憤慨した様子でそれを止めるイヴと口論を始めた。
「ケイちゃん……」
口論を繰り広げる二人を前に、入りづらそうに部屋の入口にナーシィが立っていた。
「あなたたちのお仲間が、わたくしの大事な大っっ事なユリアさんに傷をつけたこと、どのように償うかお聞かせくださいますわよね?」
ナーシィはごめんなさいと下を向き、ケイに近寄った。
「ケイちゃんの大切な人とわかっていて、あいつを止めれなくてごめんね……。あいつ、幼少期から山奥で狩猟をやってたとかで妙な身体能力とか備わってて。でも呆れる程のばかだから、力の使い方をよくわかってなくて、悪意を抜きに考えなしで行動することがあるんだ。今回の交流戦のずっと前から注意はしてたんだけど、わかってなかったみたい……。本当に、ケイちゃんたちにはなんて謝ればいいのか……」
ナーシィが詰めが甘かったと悔いていると、次の試合の合図が鳴った。
次の試合はケイの順番だった。
ケイは静かにその場に立ちあがり、溜息をひとつついた――――。
その瞬間、イヴはカトレアをかばうように戦闘態勢に入り、ナーシィは足を震えさせた。
そしてケイは保健室を後にした。
ケイが会場に向かっていると、クロエが入場口横の壁に背中をつけて立っていた。
素通りしようとすると、ケイは名前を呼ばれ足を止めた。
「ほどほどに、ね……」
ケイは何も言わずに入場口から出ていった。
「あなたがあの有名なケイベルさんですね!戦えるこの日を楽しみにしてました!」
「そうだね。私も楽しみだよ……」
イヴァンは自分とは調子が対称的なケイを見て、不思議そうに首を傾げる。
「君のユリアとの試合、見たよ……。自分の長所を生かした戦い方は単純にすごい感じたよ。ただ、君はそれを私のユリアに使ってしまった。そしてユリアは傷ついた。だからこれから起こることを悪く思わないでね……」
話したあと、ケイは笑顔を作った。




