表題:評価ニ関スル件
私は正義を主張しない。祖父が正義というものに裏切られた人だからだ。
ある日を境に英語の教師は威張り散らすは、鬼畜米英撃砕を言っていた教師は180度逆に、日本が悪かったんだとのたまう。そんなことを直接体験したのだとか。
だから私は正義も悪も信じない。
音に聞きたる相互評価問題とは一体如何なるものか?単純に説明する。
『小説家になろう』といふこの仮想空間上にはランキングと云うものが存する。ここの上位になればなる程に人気であると云う事である。しかして当然ながらここに入れない作品の方が多いのだ。それはそうだ、何しろ各ジャンル上位100しか乗らんのである。19ジャンルで各100は多いのかと云えば、多くはない。全体で1900作品であるが、2016年8月25日の午前1時の時点で416,775作品があるのだから、414,875作品は選外となる。そもそも読まれてすらいないものもあるだろう。拙作の中にもいくつかそういったものがあるのだから。
さて、この仮想空間を利用する者にこのランキングを『利用』せんとするものが居た。上位100にさえ入ればより多く見てもらえるというような考へである。私の拙い徒然書きの様なものですらランキングに乗ったとたんに感想がもらえたり、PV数が増えたりした。これが『面白い』お話であればなおさらであろう。うまくいきさえするならばもしかしたらばどこぞの編集者が拾って呉れるかもしれない。そこまでの皮算用をしておるのかは知らぬが、それを実際に遂行せしめたものが居ると聞く。
これの弊害は巷にある意見でも読んでいただきたい、私は誰かが言っていることを言いたいわけではないのだ。そもそもそんなで本を出しても不良在庫の山となるのがオチであろう。そうなったら皆で笑いものの種にすればよい。私ならば一生のもの笑いの種ができるというわけで楽しみですらあった。
組織票を行うくらいならば正々堂々とやった方が後に残る負債は少ない。何分本物の淘汰を生き残ってきたと云う証拠がある。100位でさえ、他の414,875作品を超えて選ばれたものであるからだ。私の作品が選ばれることなど全く持ってあり得ない世界であろう。特に激戦地であるテンプレ物では。当たり前だ、テンプレ物は数が多いがゆえにみんな目が肥えているのだ。
私が考えるに、本当に自分の物語を本にしたいなら、すべきことは組織票を作上げる事ではない。本当に素晴らしい文を書き上げて、小説大賞に送ってみるなり出版社に持ち込みしてみるなりである。送ったりしないのであるならば414,875作品を凌駕できる『宝石箱』の如きお話を作り上げる努力をすることである。
実際私は相互評価をしている者を不正だとは思っては居るが、完全否定はしない。人間だもの。寧ろやってみ給えと。そこで世の現実を思い知って挫折するなり、一生涯物笑いの種にされるなり、いっそ奮起して面白い話を書くなりすればよいのだ。本であれ食品であれ、本当に良いものはいつか評価されるし、紛い物は淘汰されて消えゆく。決してそれは悪い事ではない。ちょっと過酷な因果応報というか、社会勉強になるだろう。
かかって来いや―