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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

作者: 浦賀三日月

 「柳」

 パシパシと弾ける音がする。僕は、使い古した黒い蛇の目傘をそっと手に取って、深緑の帽子を被り直す。そしてゆっくりと戸を引いた。立てつけの悪いこの戸は、裏口なのだから、と父が直そうとしないため、僕が来た時からずっとぎいぎい音を立てる。

 雨は、地面に落ちると弾けて、僕の裾を濡らす。別にそれは大した問題ではない。それよりも、こんな雨の日でも彼女はあの喫茶店に来ているか、ということが僕の最も気になるところである。

 小走りに宮川町の飯食い処を抜け、これまた宮川町でも人気のないであろう、古びた小さい喫茶店に入る。彼女が来ないことを見越して、一冊の文庫本を持ってきた。読みかけの幻想小説は、どっかの二次創作団体に所属する学友の作品で、添削をしてほしいとのこと。話に種類としては、あまり好まないし、まだまだ拙い点も見受けられる。しかし、時間を潰して読むほどではないが、持て余した暇をつぶすには丁度いい。彼女が来なければ、僕は四時間ほど暇を持て余すことになる。

 喫茶店の戸を開けると、こんこんこん、と戸に付けられたキツツキの小物は、味気なくて、僕の入店を歓迎はしていないように思える。ここのマスターはいつもやる気なく、カウンターで本を読んでばかりだ。注文しようとするといつも不機嫌なため息を吐いて、珈琲を淹れる。

 目当ての女性はいつもの角席に座っている。よかった、今日も来てくれていた。約束をしているわけでもないのに、僕と彼女は、絹江さんはいつもここのあの席でお茶をする。

「やあ、絹江さん。今日は早いですね」

 絹江さんは珈琲の入ったカップを、ことっ、と置くと、僕に視線を向ける。

「雨が降っているからね。もしかしたら君を待たせてしまうかもしれないと思い、いつもより早く職場を出たの」

「それなら、普段は僕を待たせていないと」

「君はいつも『今来たところですよ』とほとんど空のカップを前にして、皮肉に言う。だから皮肉にその言葉を真に受けてあげているのだよ」

 彼女は唇をつるっと舐める。

 僕は思わず、ははっ、と笑ってしまった。こんなくだらないやり取りをしてくれる、年上であろう彼女が愛おしく思える。

 絹江さんの反対に座って、マスターを呼ぶ。案の定、億劫そうにこちらへやってくる。やはり歓迎されていないのだろうか。珈琲を一杯注文する。

 マスターがカウンターに戻った頃、絹江さんは口を開く。

「今日はなにを話そうか」

「そうですね。最近、職場はどうなんですか」

 彼女は待っていました、と言わんばかりに話し始めた。最初から愚痴をこぼせばいいものを。いつも僕に話題を一応振るが、結局は彼女の話になることがほとんど。

 外は相変わらずの雨。雨は嫌いじゃない。喧騒をもみ消してくれる。別に煩いのも嫌いじゃないが。それはまたそれで退屈を掻き消してくれる。時と場合だ。

「君はどう思う? 秋彦君よ」

 話半分だった僕に、急に意見を求めてくる絹江さん。彼女は自分の職場を下駄屋だと言っていた。それ以外にはなにも教えてくれない。歳も、住所も、名字も、一切を教えてくれない。彼女も僕のことを知らない。同じように。

「それは大変ですね」

「秋彦君よ、話を聞いていなかっただろう」

 彼女は仏頂面をする。そんな彼女もとても綺麗だ。

 僕は彼女に一度、名字と住んでいる場所を聞いたことがある。出会って間もない頃。確か、今から四ヶ月ほど前のことだったか。

 彼女は、

「それ以上問うのなら、もう君とは会えない」

 と残した。僕は怖くなって黙りっぱなしになってしまったのを覚えている。

 僕がこの喫茶店に通うようになったのは、彼女のせいだ。その四ヶ月ほど前の日曜日。僕はたまたまこの喫茶店に入った。今日と同じように雨が降っており、雨宿りのために入った。その時に出会った。普段は人見知りの僕だが、彼女が店内に入ってきたとき、これは好機、と彼女にハンカチを貸してやった。なにかきっかけを作ろうと目論んだのだ。彼女と話すために。

 僕は彼女にハンカチを押し付ける。彼女は戸惑った様子だったが、そんな彼女にそのまま続けた。

「僕はもう出なければなりません。もし返してくださるというなら、一週間後に同じ時間にこの喫茶店に来てください」

 それだけ言って、僕は彼女の返答を待たず店を出た。

 一週間後、彼女は僕にハンカチを返しに来た。正直、勝算はなかったに等しい。それでも、あの一瞬で行動に出てよかったと今でも思う。でなければ、彼女とこうして茶をするなど一生なかっただろう。

 それからだ。なんとなく僕は毎週この店に来て、彼女も毎週ここに来るようになったのは。いや、彼女はここにもともと通っているのかもしれない。それすらも知らないのだ。

約束などしていない。いつ切れるかわからない関係だが、今の僕にはそれを必死に繋ぎ止めることが精一杯だ。

 僕が当時に思いを馳せていると、彼女は拗ねたようにそっぽを向いている。

「ごめんなさい、絹江さん」

「他の女のことでも考えていたのかい」

 彼女はニヤッと口をつる。まさか、やきもちでも焼いてくれているのだろうか。

「そんな失礼なことありませんよ。ちょっと出会ったころを思い出していたんです」

 彼女は興味ないといった様子で、ふーん、と珈琲に口を着ける。

「絹江さん、お代わりしますか? 」

 彼女は少し考える素振りを見せるとかぶりを振る。

「やめておこう。丁度、雨も止んでいるし、戻るとするよ」

 僕は静かに、そうですか、とだけ言う。彼女はテーブルに金を置いて出て行った。

 どうやら通り雨だったようで、気づけば空は青々としている。


 僕はしばらく、持って来ていた文庫を片手に、珈琲を二杯飲んだ。マスターは呼ぶ度、嫌な顔をするが黙って珈琲を淹れてくれる。

 いつも絹江さんが先に出て、僕がその数時間後に店を出る。これには訳がある。

 そろそろ僕も時間だ。文庫をしまい、絹江さんから貰った彼女の分の金と、僕の分の金をテーブルに置いて外に出る。地面はまだ濡れているが、美しい夕日を体に感じる。いつもなら虚しさを呼ぶこの光も、今日という日に限って、僕の心を浮つかせる。

 先ほどの喫茶店から十五分ほど、歓楽街に足を延ばす。目当ての店近くの、柳の木の下で僕は、目深に帽子を被り直す。

 やってきた。僕の目当ての女性。芸名は小はる。それしか知らない。彼女の髪型はついこの間まで『割しのぶ』だったが、最近『おふく』となった。その様から彼女の年齢が、十七から十八と予想される。おふく掛けは赤色だ。

 舞妓なんて見分けがつかないだろう、と思う人もいるだろうが、僕には、彼女が光って見える。美しい瞳が印象的で、うなじが妖艶さを醸し出す。少し身長は大きいが、それが僕には余計に魅力的に感じる。

 小はるが通りかかる。彼女は僕の視線に気づき、頭を浅く下げる。

なんとも色っぽく、僕はそれだけで途端に熱くなる。彼女の美しさに、妖艶さに、僕は魅せられて、週に一回ここで彼女の姿を見るために、柳の木の下で立っている。

 一度でいいから彼女と話してみたいと、何度も望んだが、勿論そんな夢叶うこともなく、いつも遠くからその姿を見ているだけだ。

 しかし月に一度だけ、父の付き人として、彼女の働く茶屋に遊びに連れて行ってもらえる。その時は、手を伸ばせば届きそうな距離だが、結局話しかけることも、触れることもできないまま、宴は終わってしまう。あくまで父の付き添いでしかない僕には、そんな出過ぎた真似などできず、宴のあと父は他の客と舞妓を買うが、僕は大人しくそのまま帰るだけ。

 彼女が夜の帳に包まれた茶屋で、知らない男と身を重ねることを考えると、僕はやり場のない苛立ちと、背徳的な興奮を覚えるばかりだった。

 僕は帰って自分を慰めるばかりだ。いつか金持ちになって、彼女を買って、永遠にそばに置きたいとも思う。勿論、夢のまた夢だが。

 僕は静かに柳の木から遠ざかる。小はるを思うと胸が締めつけられる。そして、絹江さんの顔が浮かび上がる。僕は二人の女性を愛している。男として最低だとわかっているが、絹江さんと会話することも、小はるを遠巻きに見て、自らを慰めるのも辞めることができない。どちらも事が済むと、途端に虚しさが胸を支配する。自分が情けなくなり、死んでしまいたくなり。


 僕は屋敷に戻り、与えられた自室に戻ると、一人で事を始める。想像の小はるは僕に優しくしてくれる。勝手な想像だ。そう、ただの妄想でしかない。実際の彼女はもっと冷酷かもしれない。それでも僕はこの妄想の小はるを、これでもかといたぶり、そして果てる。

 倦怠感と虚しさに胸が締め付けられる。紛らわすために、部屋の窓を開けると月明かりが差し込み、湿った空気が流れ込む。

 思わず涙ぐむ。

本当は、絹江さんに自分の悩みを打ち明けたい。そうしたら絹江さんはきっと僕を面倒くさがるだろう。大好きで、密かに愛している絹江さんに嫌われてしまうだろう。彼女は話を聞くだけの僕を望んでいるのだから。

 本当は、今すぐ小はるをさらってしまいたい。素の彼女を見てみたい。きっとどんな人となりであろうと、僕は彼女を愛すだろう。そんなことをしても、僕は一切の責任は持てないが。それでもどこか遠くに逃げて、二人で暮らしたい。家業のことなど気にせずに。

 二人の女性を欲する僕は、俗世では忌み嫌われる存在なのだろう。

 独りで部屋にいることが怖くなり、夜に逃げ込もうと考えた。裏口は軋むが、慎重に開ければ平気だろう。

 そろりそろりと階段を下りて、裏口の戸をゆっくりと引く。やはり戸は音を立てる。

「秋彦さん。どこへ行かれるのですか? 」

 そう言ってくれる人は僕にはおらず、誰も僕のことは見ていない。僕という人間を、見てくれる人はいない。

 外に出て振り返る。人一人がやっと出入りできるほどの隙間しか空いていない戸の奥は、月明かりが傘立てを照らすばかりで、一寸先は闇。まるで、自分の心を表現するようなその光景に、恐怖と嫌悪感を抱く。全く嫌な日だ。

 僕はそれらを振り払うようにとっとと夜にくり出した。

 気付くといつもの柳に辿り着いた。ここにいては余計にむなしくなるばかりだ。

 もっと騒がしいところへ行こう。そう思い、その場を離れようとすると、小はるの姿が視界に入る。隣には向かいの反物屋の店主。つくづくついていない。これも、先ほどの行いの報いだろう。

 辛い。

 痛い。

 消えたい。

 心を蝕むなにかに、抵抗できずに思わず涙が零れる。気付かれてはいけない。

 僕は柳の陰に隠れ、むせび泣く。なんと惨めなことだろう。

彼女は誰のものになることもなく、今日も男に買われる。どうして彼女なのだろう。違う場所で出会えていたら、きっとこんなに苦しい思いはしないで済んだだろう。

今日は大人しくしていよう。明日に備えて。明日からの、色の褪せた、紫陽花の散り際のような日常へ向けて。


翌週の同じ曜日に、僕は相も変わらず珈琲を飲んでいた。彼女と、絹江さんと会うために。彼女の声、言葉を聞くために。

一杯目の珈琲を飲み終わる頃、絹江さんは扉の向こうに姿を現した。

「また会ったね」

 あくまで絹江さんとは約束していない。だから偶然を装うような言い回しで、再開の挨拶としているようだ。そんなこと気にせずに、僕は普通の言葉を返す。

「遅いですね」

 言葉としては普通だが、普段言う言葉ではない。僕は先週の件から、ずっと苛立ちを抑えられず、思わず棘のある言い方になってしまう。

「おや? 君にしては珍しい物言いだね」

 彼女はそれに気付いているのかもわからないほど、飄々としている。その態度に、より一層苛立ちを覚える。それが理不尽な怒りだとわからない僕ではない。落ち着こうと、深呼吸する。

「失礼しました。ちょっと私事で色々あったもので」

 僕はいつも絹江さんにするように、落ち着いた声音で、無理に笑みを作ってみせる。

「君だって腹が立つことぐらいあるだろう。そうだ、今日は君の話を聞こうじゃないか」

「さいですか」

 少し悩むふりをする。

 そんな簡単な問題じゃない。あなたに話せるような内容じゃない。原因はあなたにもあるのだから。

 勿論そんなこと言えず、適当に濁す。

「旧友と一悶着あったもので。僕の話などいいんですよ。面白みに欠ける話を聞かされるより、自分の話したいことを話した方が、絹江さんは楽しいでしょう? 」

「それは君にも言えることではないかな? 」

「僕は、絹江さんの話が聞けるだけで、満足ですよ」

 僕の言葉に絹江さんはふふっ、と笑う。慈愛に満ちた、優しい眼差しだ。

 本当はそんなことでは満足できない。あなたのことをもっと知りたい。そして僕のことをもっと知ってほしい。しかし、これ以上欲張っては、この関係は破綻してしまう。

 僕は一つ絹江さんを疑っている。彼女は下駄屋というにはあまりに美しく、一挙一動が妖艶に、艶めかしく思える。その動きは洗練されており、まるで遊女のようにすら思える。

 僕は今日、彼女を裏切る。この喫茶店から、彼女を着けようと企てている。

 この行為は彼女を裏切る行為だ。知られたら、二度と口を利くどころか、再び僕の前に現れることもないだろう。たとえ白日の下に晒されなかったとしても、彼女に後を着けたと知られるような発言はできない。結局、彼女を着けたところでこの関係は現状維持か、もしくは悪い方へしか転ばない。それでも僕の自己満足として、彼女のことを知りたいのだ。

 絹江さんはいつも通り、愚痴や、世間話をして満足そうに店を出て行った。僕はすぐにその後を追う。

昼過ぎの宮川町は、人もそこまで多くない。人ごみに紛れることのできない今、彼女に見つからないよう、石橋を叩くように着ける。

 二十分ほどそうしただろうか。彼女が入っていったのは下駄屋ではなく、置屋だった。

 予想通り、絹江さんは芸妓、舞妓、もしくは遊女なのだろう。はっきりとした年齢はわからない。しかし、絹江さんの話し方や表情には稀にあどけなさを感じるものの、雰囲気や見た目、普段の話し方からして二十代前半といったところだろう。だとしたら、芸妓か遊女が濃厚な線だと推測できる。

 自分でも異常だと思ったが、その後、二時間もの間、その置屋の前で費やした。彼女の芸妓、もしくは遊女としての姿を見てみたいと思い、興味本位からそれだけの時間を無駄にしていた。

 普段なら、今の時間はあの柳の下に立っている頃だろう。小はるの姿を見るために。しかし今日はなんとしてでも絹江さんの、僕の知らない絹江さんの姿を見ることを優先した。

 日が傾いて、景色が橙色に包まれ始めた頃、置屋から、着物姿の女性がぞろぞろと出てくる。

 絹江さんはどれだろう、と身を隠しながら探していると、見覚えのある女が目に留まる。

 小はるがそこにはいた。その姿にあの感覚が再び胸を覆う。彼女の姿を見ると身を裂かれるような痛みが走る。

 心臓が暴れ、頭が沸騰する。眩暈に襲われる。

 強く唇を噛みしめると、意識がはっきりとしてくる。一つの疑問が浮かぶ。いや、疑問という言葉は大袈裟か。

 絹江さんと、小はるは同じ置屋なのだから、面識があるかもしれない。

 そんな小さな胸の引っ掛かりに気を取られて、先ほどの芸妓、舞妓の集団が近づいてくることに遅れて気づく。こんな風に隠れていてはあまりに怪しい。

 咄嗟に立ち上がり、文庫本を取り出し、人を待っているふりをする。

 ふと小はるに目をやると、視線がぶつかる。彼女はこちらに小さく会釈し、ニコッと笑って見せる。

 カーッと体が熱くなり、そわそわとするのがわかる。意味ありげな彼女の一連の動きが、脳内で何度も呼び起こされる。

 なんとも情けないものだ。一度は諦めた女に、会釈され、微笑まれただけで、彼女の虜となってしまった。あざ笑うかのように、僕は彼女に惑わされる。

 僕は思わず尻餅を着いた。小はるを恨みながら、僕は深いため息を吐いた。


 次の週、絹江さんは喫茶店に姿を現さなかった。

 着けていたことを知られたのだろうか。隠れていたのも見られていたのだろうか。

 僕はいつものように二杯の珈琲を、いつもより早く飲みほし、喫茶店を後にする。

 今日は、茶屋に父のお供として着いて行く日だ。普段なら楽しみで仕方がないはずなのに、今日はなんだか憂鬱だ。

この憂鬱は、先の小はるのせいなのか、はたまた絹江さんとの関係が切れてしまったことからなのかはわからない。もしかしたら違う理由があるのかもしれない。僕にはもう僕の感情がわからなくなっていた。

日が暮れて、空が群青と濃い藍色の間のような色合いになった頃、僕は父のすぐ後を着いて、父の馴染みの茶屋へと到着する。

座敷に通され、少し経つと芸妓、舞妓が部屋に入ってくる。

彼女らの芸が始まっても、僕は上の空だった。父はすでに酒が進み、出来上がっている。

普段なら、ちらちらとせこく、小はるを見るというのに、今日の僕は堂々と彼女をじっと見つめている。見つめるというより、ただぼーっ、と眺めていると言った方が適切だ。彼女はいつもならば視線があうと、あの悪戯な笑みを見せてくれるのだが、今日に限ってはこちらに視線を向けることすらない。

そのまま宴は終わり、父はそのまま夜が更けるまで遊び、僕は早々に引き上げる。

屋敷に戻り、一つのこじつけを考え付く。絹江さんとの関係が絶たれた日に、小はるの態度も変わった。もしかしたら彼女らは同一人物なのではないか。小はるはまだ舞妓だ。それも外見からして、舞妓になって三年といったところだろう。絹江さんは予想では二十代前半だが、年齢を聞いたことはなかった。雰囲気はそうかもしれないが、話し方や表情には、ややあどけなさが窺えることもあった。あれで十八歳、十九歳と言われても、少しは驚くが、納得はいく。

ここで一つの妙案が頭に浮かぶ。このこじつけを確認するための妙案。

来週、僕はその妙案を決行しようと決意した。


翌週、僕は夜が更けるのを待って、件の茶屋の裏口近くに身を潜める。面を被り、右手には包丁を持って。

月は雲に隠れ、視界は暗い。好都合だ。

一人、また一人と茶屋から舞妓、芸妓が男を連れていたり、連れていなかったりと、出て行く。

小はるはまだかと待ち望む。じらされているようで、下半身に熱が行くのがわかる。そのためか、頭はやけに冷え切って、冷静そのものだ。いよいよ僕も変態だな。

目を細めて、茶屋の裏口を睨んでいると、小はるが姿を現した。今日も男と一緒だ。これは不都合だが、想定の範囲内だ。なんであれやるしかない。

小はると、見知らぬ男の後を着ける。絹江さんを追っていた時は、こんなに頭は冴えていなかった。あの時よりも、よっぽど酷いことをしようというのに。

二人が人気のない路地に入った。僕は後を追いかけ一思いに。

すぱっ。

男の首を掻っ切る。

男は声にならない声をあげ、首から血を吹きだしながら倒れこむ。

小はるは突然のことに一瞬固まったが、すぐに大声を出そうと息を吸い込む。それをさせまいと、僕は彼女の口を左手で塞いだ。

「大人しく着いてこい」

 僕はそれだけ言って、彼女の手を無理やり引く。彼女は大人しく僕に着いて来る。

 少し離れた、あの柳の下に着くと、僕は乱暴に彼女を柳に叩き付ける。

 彼女は小さな悲鳴を上げて座り込み、すすり泣いている。

 僕は覚悟を決めている。どちらが真実であったとしても、僕は彼女を、そして自らを。

「お前、絹江という女を知っているか? 」

 彼女は首を必死に横に振る。

「嘘を吐け。お前と絹江は同じ置屋だろう? これ以上嘘を吐くのならば……」

 僕は包丁を彼女の首に突き付ける。

 途端に首を縦に振る彼女。なんだか滑稽に思えてくる。

「お前は、その、絹江、なのか? 」

 彼女はその問いに、黙ったままだ。

「沈黙は、肯定と捉えるぞ? 」

 彼女はその言葉にも反応せず、黙ったままだ。

 やはり、小はると絹江さんは同一人物だったのだ。僕は一人の女性の、二つの顔を愛しただけだったのだ。僕は間違っていなかった。二人に惹かれるのは必然だったのだ。

 鳥肌が立つ。声を出して喜びたい。しかしそれはまだ早い。この後が重要だ。

「お前は今の自分の置かれている環境に、随分と不満を抱いているようだな。ならば僕と一緒に来い」

 彼女に手を差し伸べる。彼女はその手を払いのける。

「この人殺し! あなた、秋彦君、よね?」

 彼女の声は段々とかすれ、小さいものになっていった。

 一つ風が吹く。

 僕は面を外す。

 すると雲の隙間から月明かりが僕たちを照らした。彼女の顔は先ほどの男の返り血で赤く染まっている。

「私はあなたとは一緒に行けないわ。あなたは私との約束を破ったのだから」

 そう言う彼女は、うなだれてしまう。

 こうなっては仕方がない。僕の物にはならないのならば、いらない。

 彼女を一思いに刺す。彼女は若干の抵抗を見せたが、直ぐに動かなくなる。

 僕は彼女の屍で自らを慰める。月明かりに照らされながら。

 何度果てただろうか。もう日が昇りかけている。そろそろ人も通るだろう。これで終わりにしよう。

 僕は彼女の左手と、自らの右手を持ってきていた縄で縛る。

 自身の腹に包丁を突き立てる。

 ぐさっ。

 僕は痛みに耐えながら、川に彼女ともに飛び込む。

 遠のく意識の中、僕が最後に見たのは、返り血を浴びた男女の姿。これが本当に正しいことだとは思わない。それでも僕は、彼女とどうしても結ばれたかった。

 心中は、僕にとって、彼女とって、幸せなものなのかわからない。

 しかし僕は薄れゆく意識の中、冷えた川の中、達成感と、虚無感という対極の感情を抱きながら目を閉じた。

このような稚拙な文を読んでいただきありがとうございます。ぜひ、ご感想をいただけたらと思っております。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちわ 悲しい作品ですね 私はお二人には生きていてほしかったです
2016/06/24 02:50 退会済み
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