二章
1年前。
大杉学園では毎年の冬、学校全体の恒例イベントとしてクリスマス会なるものがあった。クリスチャン向けの学校でもなんでもないくせに、どうしてクリスマス会をやるかなんてのは、ものすごく謎だ。
渡良瀬徹はふと、会場にいつの間にか彼の姿がいなくなっていることに気が付いた。
どこへ行ったのかと広い会場内をうろうろする。会場ではみんな、私服やら礼服やら仮想やらと好き勝手な服装をしている。そのなかでいつも通りきちんとした制服を着ているのは彼だけだった。
だから見つかりやすいはずなのだが。
さては外だな。
徹はそう思い立って外へとでると、ちょうど雪が降り始めた。
ホワイトクリスマスだ。
ロマンチストなヤツだったらここで感動の言葉のひとつやふたつ、言うのだろうけれど、徹は別にそんなものに興味はなかった。
めあての人物はベランダにいた。
降り続ける雪の真ん中に、華奢なその背中はいつになく頼りなく映った。
初めて彼に会ったときは女子と間違えそうになったほどだ。だけど、そんな華奢な体とは想像もつかないほどの力を秘めていると知ってからは、彼を一目置くようになった。
「ねぇ、加藤くん」
徹が声をかけると、彼は振り返った。こんなにたくさんの雪が降り続けるなかで何も感じないのか、感情の薄れた顔を向けて。
左目に縦線の傷がある。いつも徹はその傷が気になってしょうがなかった。
一度だけどうしてそんなものが、と聞いたことがあったが、本人は「わからない」と冷めた声でそう言い放った。
「寒くないの?」
「……キミには関係ないだろ」
「雪降ってるけど」
「だから何」
「ねえ加藤くん」
「その呼び方やめろ。何度も言っただろ、自己紹介のときとかにも。僕は『雪って呼べ』って」
「そんなに自分の苗字が嫌いなの?」
何か彼に関する情報を少しでも手に入れたいと思ったのだ。まるで春日野蓮人みたいなことをしている気分だった。
加藤雪ははぁ、とため息をついた。
「嫌いだよ。気持ち悪い。名前を呼ばれるだけで肌がぞわぞわする」
「そこまでとは思わなかったけど。じゃあ雪って呼ぶわ。みんなと一緒でな」
雪は警戒心の強い瞳で、じぃっと徹をにらんでいた。
「キミ、何かたくらんでるだろ」
「何で? 俺が何かたくらむとかありえないっしょ」
「たくらんでいるヤツほどおしゃべりなんだよ」
徹は少し黙った。
雪はまたもため息をついて、徹から背を向けた。
徹は雪との距離を少し詰めた。
「クリスマス会、つまんない?」
雪は徹のほうを見ずに「さあね」とつぶやいた。
「何その曖昧な答え方」
「……わからないんだよ。面白いって感情も、楽しいって感情も、怒りも、悲しいとか、そういうの」
雪は冷めた表情のままそう言った。
「どういうこと、それ」
「そのまんまだよ。僕には感情がないんだ。面白いも楽しいも怒りも悲しいもわからない。どうしてこいつが泣いているんだろうとか、頭では理解していても。笑い方とか泣き方とか。そういうの、全然わからないんだ。他人の感情に同情はできるんだけどね」
そう言って、ふっと自嘲気味に彼はほほ笑んだ。
「あんまり僕にかかわらないほうがいいよ。渡良瀬くん。ろくなことにならない」
「はぁ?」
いつもの彼らしくないような気がして、徹は思わず顔をしかめた。
感情がない? いや、他人に同情はできるけど、表情の出し方がわからない?
めちゃくちゃすぎて意味が分からなかった。
しかし隣にいる彼は、ウソを言っているようには見えなかった。ということは本当のことだということか。
ここでウソをついたって意味なんてないけれど。
「ほっぺたぐいっとあげてさ、それだけで笑えるだろ」
徹は自分の人差し指を雪の頬にあてて、軽く引っ張った。
しかしその手を邪険に振り払われる。
「やめろ、触るな」
「あーはいはい、ごめんなさいね」
デリケートな性格なのか。
雪は本当に嫌そうな顔をしながら、首を左右に振った。
「まあこのままだと、時期にみんなにもバレるかもね。クラスメイトが何人か僕のことをなんて呼んでるか、キミは知ってる?」
ああ、と徹はうなずいた。
「たしか……能面?」
「それ。ふっ、笑っちゃうよな、ほんと」
やはり笑い慣れていないのか、それしか笑い方を知らないのか、雪は自嘲気味にほほ笑んだ。
「ならさ、ピエロにでもなっちゃいなよ」
「は?」
「そうだよ、ピエロ。それがいいや。加藤雪、おまえこれからピエロになれ」
「何命令してんだよ」
しかし、ちょっとだけ徹の言葉は雪にとって魅力的に思えた。
ピエロ。
「みんなを騙してるようで何か悪いだろ」
「ははっ。そういう感情はあるんだな。いいじゃん、騙したって。ちょっと周りにあわせてみるだけでいいからさ。周りにあわせて好き勝手するなんて、中学生の特権じゃん」
「知らないよ。おまえ、ちょっと面白がってるだろ」
「あ、バレた? でもいいじゃん」
にやっといたずらっぽい笑みを浮かべる目の前のクラスメイトに、雪はあきれてしまう気持ちが隠せなかった。
はぁ、とため息をつくこと三度目。
「なら、この作戦に名前をつけるか」
「作戦なのかよ、これ」
「中学生っぽいだろ」
「厨二くさ」
徹はあきれたように笑い、そして雪と目をあわせあって、笑いあった。
雪の笑顔が本物か偽物かなんて、正直どうでもいい。
「名前、ね。まあいいんじゃない?」
どんな名前にするか。
ピエロ作戦、騙し討ち作戦、何にしよう。
まるでいたずらをしようとしているようで、名前を考えているあいだはちょっとだけ雪の心を動かした。
何がいい、何がいいか。
「ウソ……。そうだ、噓は内緒の始まり、は?」
「ダッサ、何それ」
「さあ、よくわかんない。でも思い付いたんだ。大事なことを内緒にするために、僕は僕を殺すという嘘をつき続ける。嘘は内緒の始まり。
キミが証人だ」
どうしてそんな作戦名を思いついたのか、雪にはわからない。
ただ、遠い日。誰かとこんな感じの約束をしたような気がしたのだ。
噓は内緒の始まり。
うん、面白い。
満足そうにしている雪に、徹は「やれやれ」とつぶやいた。
「カッコ悪そうだけど、まいっか。じゃあ決まりだな」
徹は右手の拳を雪の前に差し出す。
雪は一瞬きょとんとしたけれど、すぐにその意味をさとって自分も右手を拳にして、彼に差し出した。
「噓は内緒の始まり作戦、決行だ!」




