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嘘は内緒の始まり  作者: 凪野海里
5月
9/126

8話 事件4

 しかし、そこで僕の手はピタリと止まる。

 どうしてだろうと、不思議に思う。それは、手が止まったことに対する疑問ではなかった。僕が感じていた疑問。それはただ1つ。

 どうして自分1人だけで逃げる選択肢を、選んでいるのだろうか。


「えっ?」


 僕は気づいたら遠藤くんの手を握っていた。彼のあっけにとられた瞳に僕が映った。てっきり先生でさえ、僕が遠藤くんを置いて逃げると見ていたのだろう。先生が僕に向ける目も、遠藤くんと同じだった。

 ところがそれは、チャンスでもあったのだ。

 先生の口もとが、にやりと微笑みを浮かべる。

 いつもの優しさなど微塵も感じないような、残忍な笑み――。

 背筋にまた寒気が走ったけれど、いちいち気にしてなどいられなかった。先生が再び鎌を手にしたと同時に僕は。


「っ!」


「わっ!」


 遠藤くんの手を引っ張りながらドアまで一気に突進していく。ドアに鍵がかかっているのは知っている。でも、この用具室はこう見えて、学校で一番古い部屋のはずだ。

 だとしたら。


「せぃぃっ!」


 かけ声で勢いをつけるとともに、さっき先生が鎌を入れた割れ目に片足を強引にぶちこんでドアを破壊した。一瞬にして人1人程度ならぎりぎり通れる道を作り出すと、僕はそこに体を押し込み、後ろにいる遠藤くんの手を強く引っ張ろとして――。


「キャッ!」


 後ろで小さな叫び声が聞こえて慌てて振り返ると、視界に入ってきたのは小野塚先生が遠藤くんの長いポニーテールを引っ張って自分の側へと引き寄せている光景だった。


「遠藤く――」


 僕が慌てて守ろうとのばしたもう片方の手を、彼は乱暴に振り払う。そしてまるで先に行けとでも言うかのように、僕の体を力任せに突き飛ばした。

 派手に尻餅をついてしまう。

 遠藤くんは自らの両足をあげて先生の腹に向かって蹴りをくらわす。


「チッ」


 一瞬のひるんだ隙に遠藤くんは先生から距離をとった。


「雪、先行け!」


「で、でも……」


「いいから!」


 僕のことをにらみつけ、怒鳴り散らすように言った。

 その力強い瞳を、僕はどこかで見たことがあるような気がして。やっぱり気のせいではないかという気がして。

 ここで茫然としているわけにはいかなかった。

 先生の意識が遠藤くんへと逸れている、今がチャンスだ。

 僕は遠藤くんの言われたとおりに全力を以ってその場から逃げだす。ここにはないあるものを探すため。遠藤くんを助けるため。そのためだったら僕はなんだってする。

 大切な仲間を失うのは、もう嫌だから。

 僕の胸の内がそう告げている。

 それがいったいどういう意味を持つのか、今の僕にはわからないけど。それでも、走って、速く。遠藤くんと僕が助かる方法を。

 近くの階段を、飛んでいるのかという勢いで駆け降りると、すぐに目に入るのは体育館の入口だ。そのすぐ脇にあるもの。

 これだ!

 資料室に一番近いのは、これしかない。

 僕は一瞬の迷いもなく、それに突進するようにして力強く押しこんだ。


 瞬間、校舎内に響き渡ったのは、耳をつんざかんばかりの警報の音。


 続いて、機械的な声をしたアナウンスが校舎じゅうに流れだす。


「火事です、火事です」


 成功だ!


「なんだ、なんだ」


「こっちで音がしたぞ!」


 ドタバタというせわしない足音とともに、誰かがこちらへ近づいてくる気配がする。

 これでいい。

 これだけ騒がしくなれば、誰かがきっと資料室の前を通ってくれる。そして、彼らに目が行くはずだ。

 僕は急いで遠藤くんのもとへと戻った。



 遠藤くんのもとへ急ぐと、廊下でうずくまるようにして座りこんでいる彼がいた。

 先生はどこにもいない。


「遠藤くん!」


 僕の呼びかけに、彼はゆっくりと顔をあげた。


「ああ、雪か」


 顔をあげた彼は、顔じゅう汗だらけと、痣やら切り傷だらけで僕は驚いた。


「だ、大丈夫なの、それ!」


「ん? ああ、これね。うん、まあ多分平気」


 面倒そうに遠藤くんはつぶやき、そしてため息をつく。


「先生は?」


「逃げたよ」


 さも当たり前のように、遠藤くんは言った。


「逃げた?」


「ああ。さっきの警報で逃げられた。そしたらすぐに人が集まってきたから、大事にはならなかったけど。……さっきの警報、もしかして雪が?」


「あ、うん……。ああするしかなくって、ごめん」


「謝んなくていいよ。そんなことより、雪が無事でよかった」


 安心したようなため息をはきだすとともに、遠藤くんは言った。本当に安心しているらしく、顔がさっきの張り詰めた風ではなく、力が抜けた感じだった。


「怪我、手当てしてもらわないとね」


「ああ、そうだな」


 よいしょと、遠藤くんは立ち上がりざま、ギョッと目を見開いて僕にまた怒鳴った。


「どうしたんだよ、その傷!」


「え?」


 言われて彼の目線の先を見ると、僕の片腕にはいつの間にやら制服の白いシャツに絵の具でも付いたのかというくらいに赤く染まっていた。

 いつの間に……。

 茫然としている僕に、遠藤くんはあきれているんだか怒っているんだか。そんな感じの顔をしながら、僕の手をとった。


「私をてもらう前に、雪が先だよ」


 ああ、なんか意識してしまうとやけに痛みが体じゅうを走る気がする……。


「人の心配よりか、自分を先に心配しろ!」


 また怒鳴られてしまった。


「ほら、行こう」


 遠藤くんは僕の怪我をしていないほうの腕を引っ張って僕を立たせると、その腕を引っ張ったまま、歩き出した。僕は遠藤くんが歩いていく後ろ姿を見つめながら、黙ってついていく。


 次第に周囲がざわついてきた。そろそろあの警報が誤報だと気づいた人たちが戻ってくるのだろう。

 いや、誤報ではないか。


 遠藤くんの説教は尚も続く。


「だいたい何であんなせまっ苦しい場所で先生と2人きりになろうとするんだ、バカじゃないのか!? 警戒をもってあたるべきだよ、ホントに。わたしが来なかったらどうするつもりだったんだ、バカやろう」


「――ところで遠藤くん」


「なんだ!」


「あのさ、どこに行こうとしてるの?」


 すると、遠藤くんは立ち止まって僕のほうへと顔だけを向けてきた。目がすごく怒っている。


「どこって、決まってるだろ? 保健室だよ、保健室。学校内で怪我したら普通はそこに行くだろ」


「……だとしたらさ、その。大変申し上げにくいんだけどさ、反対方向」


「………」


「反対だよ、保健室とは。君が今行こうとしている方角はむしろ、下駄箱のほうが近い」


 すると、遠藤くんの顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。

 その変化に思わず「おお」と感嘆の声を上げてしまう。


「おお、じゃない!」


 遠藤くんは顔を恥ずかしさで真っ赤に染めたまま、僕をにらみつけてまた怒鳴る。

 なんだか今日は怒鳴られてばかりだ。

 遠藤くんはしばらく黙ったあと、小さな声でちょっとの遠慮をはさみながら、「じゃ、じゃあどっちなんだ」と口にした。


「こっちだよ」


 今度は僕が彼の手を引っ張る番だった。


「遠藤くんって意外と方向音痴なんだね」


「ほっとけ」


 ムスッとした遠藤くんの顔を見て、僕はまた笑いそうになりながらも彼の手を引いて保健室目指して歩きだした。

 彼に対して、かすかに残る違和感を抱きながら。

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