3 尾行
こんなことをするのは、普通に考えていけないことだと僕は理解している。そして多分、その場にいる誰もが。
「やめたほうが」
「どうして?」
僕の言葉が終わる前に篠田が疑問符をつけてそう返してきた。
「雪も気にならないの? だってあの遠藤さんが寄り道だよ」
「そりゃたしかに気になるけど……。でも、海さんだってさすがに寄り道くらいするでしょ」
むしろ僕としては、永井さんが寄り道をするってところが意外なんだけど。
永井さんが徹くんの隣でため息をついた。
「あまりそういうの、詮索しないほうがいいと思うけど」
「なんで?」
と、今度は徹くんだった。彼のことだ。篠田の提案に乗ろうというのだろう。実際、目が好奇心できらきらと輝いている。
「だって普通に考えてみなさいよ。あたしが逆の立場だったら、嫌だもの」
「じゃあ永井さんはついてこなくていいよ。私は行きたいから行く」
言うなり、篠田はくるっと回れ右をしたかと思うと、海さんが消えたばかりの改札へと小走りで向かった。
篠田ってば、今でも永井さんが苦手なのだろうか。
まあもともと馬の合うような感じにはとても見えなかったしな。女子ってめんどくさい。
永井さんはムスッとした顔をして黙っている。
徹くんが歩き出した。
「俺はついてく」
篠田と徹くんだけでは心配だ。
僕はチラッと永井さんの様子をうかがうと、彼女と目が合った。また、はぁとため息をつかれる。
仕方ないな、とでも言うように。
そして彼女は徹くんに向かっていくように歩き出した。僕も慌てて、そのあとをついていく。
***
ホーム行きの階段をあがってすぐのところにある乗車目標位置に、篠田が立っていた。徹くん、永井さん、僕と続いてやってくると、彼女はすぐに気づいて、「あっち」と小声で言った。
篠田の視線の先を見ると、僕らがいる位置と、3つほど離れた目標位置に、たしかに海さんがいた。スマホを耳にあてて、どうやら誰かと電話中らしい。
誰に電話をしているんだろう。
やがて、ホームに間もなく電車が来るというアナウンスが流れる。ホームに走りこんできた電車は、乗車目標位置にぴったりと停まると、ゆっくりとそのドアを開いた。
海さんはスマホを耳から話して電話を切ると、そのまま電車に乗り込んだ。それを確認した僕らも、一緒になって電車に乗る。
電車に入った海さんは空いている座席に腰かけて、男子みたいに足を開きながらじっとしていた。彼女と少しの距離があるため、その表情はうかがいしれない。
ちなみに僕らは座席には座らずに、つり革につかまって立っていた。
「雪くんの身長でも、つり革に届くんだぁ」
「余計なお世話だよ」
かかとをちょっと浮かせていることは、誰にも言わないでおこう。
「ほんとに尾行する気あるのかしら」
「何が?」
永井さんはムスッと不機嫌な顔をなおも崩さずに、黙って顎をしゃくった。そちらを見ると、なんと篠田がつり革につかまって、立ったまま頭をかくかくさせていたのだ。目をつぶって。
立ったまま寝てるとか、高度すぎる……って、そうじゃないか。
「自分から言っておいて、このざま。もうこの子、置いていってやろうかしら」
永井さんの篠田に対する評価も、相当ひどいものである。
「そういや、夏休みさ」
徹くんが篠田の寝顔を眺めながら口を開いた。
「雪くんが誘拐されたじゃん。赤石さんに間違えられて」
「ああ、うん」
「そんなことあったの」
「まあ、色々ね」
赤石さんがストーカーの被害に遭っていたことは、本人の希望もあってほとんどのクラスメイトにはふせられている。知っているのは、ほんの一部だけだ。
それにしても、何で今さらそんな話に?
「そのときの犯人の言葉、いまだに忘れらんないんだよね」
「…………」
あのときの、犯人の言葉。
――これは命令されてやったことだ。ここで依頼人と待ち合わせをする予定だった。そいつを。
――無傷でここに連れてこい、と。
徹くんがいつになく真面目な顔つきでその続きを話す。
「俺らは雪くんという餌をつれて、犯人を無理やりおびきだしたにすぎないけど、考えてみればそれがあいつの狙いだったってこと、考えられない? 赤石さんという餌をつれることで、犯人は雪くんをおびきだそうとした」
「それはいくら何でも考えすぎだよ。僕が囮になるって可能性があったら、ってだけでしょ。もしかしたらその囮役は、海さんだったかもしれない。あるいは徹くんだって、小田くんだってありえたわけだし」
「ねぇ、何の話」
「あ、行くよ!」
永井さんの言葉にかぶさるようにして、いつの間に起きていたのか、隣にいた篠田が声をあげた。同時に電車が止まる。
僕らは慌てて海さんを見た。彼女は今、席を立ちあがりかけている。
電車のドアが開くと、すぐに海さんは電車から降りた。
「ほら早く!」
篠田が慌てて電車を降りるのに、僕も徹くんも永井さんも同じく慌ててそこから降りた。
「今まで寝てたのに」
永井さんがボソッと不満そうにそう言った。
電車を降りたところで突如、前を走っていた篠田が「きゃっ!」と小さな悲鳴をあげた。
僕も目を見開いて立ち止まる。徹くんも永井さんも止まった。
驚くのも無理はない、だって。
僕らの目の前に、海さんが仁王立ちをしていたのだから。
「気づかないとでも思った?」
冷ややかな目を向けながら、海さんはそう言った。
「え、と」
篠田は気まずいのか、海さんの視線から逃れようと彼女から目をそらしている。
僕もなんとなく目を合わせづらくて、海さんから逃れようと目をそむけた。
黙り続けることしばらく。やがて海さんがはぁとため息をついた。
「勝手についてきたことは怒らないでおいてやるから、とっとと帰れ」
「遠藤さんの家って、そっちじゃないでしょ? 何しに行くの?」
あきらめきれないのか、なおも食い下がろうとしてくる篠田に海さんはやはり冷ややかな目を続けたまま口を開く。
「また同じことしたら、今度は無事じゃすまないから」
「せめて教えてよ」
「篠田、よそうよ」
さすがにそうまでして人の事情に割り込もうとするのは、いくら何でも失礼だ。
僕が篠田を止めていると、僕の横から永井さんがでてきた。
「篠田の言う通りよ」
え。
まさか彼女が篠田の意見に賛成するなんて。
「教えなさいよ、海。あなた、あたしの家の事情に土足で踏み込んできたこと、忘れたわけじゃないわよね」
う、それを言われたら。
僕ははらはらしながら、海さんと永井さんを交互に見つめる。後ろにいる徹くんは何も言わない。
やがて、海さんはあきらめたようにため息交じりに口を開いた。
「買い物だよ、買い物」
「買い物?」
聞いたのは僕だった。
「そ、買い物。夕飯の買い出し。今日はこの駅の近くにあるスーパーが特売だから、それで寄り道しただけ」
「あんな大きなマンションに住んでるのに、特売?」
「悪いかよ。誰だって高いものより安いものに飛びつくだろ。ほら、事情わかっただろ。それじゃ」
海さんはそのまま、近くの階段をさっさと降りて行った。
あんなに散々言い合いをしながら尾行した挙句、結末がスーパーの特売だったとは。なんだか拍子抜けだ。
「なぁんだ、買い物だったんだぁ」
僕らの気持ちを代弁するように、そしてちょっとつまらなそうに、篠田がそう口にした。