1 2学期
いつもより早く目が覚めた。
ベッドから起き上がると、まずすることはカーテンを開ける。朝の日の光が部屋にたくさん入ってきて、一気にすがすがしい気持ちになる。まだ暑さが残るものの、今日から9月。つまり、2学期の始まる日だ。
僕は太陽の光をいっぱいに浴びながら、ゆっくりと伸びをした。
夏祭りから一週間。
あれから僕はまた、変われただろうか。あるいはまだ、変われていないだろうか。
彼なら、何て言うだろう。
洗面所に行って顔を洗い、歯磨きついでに朝食用のトーストを焼く。今日の飲み物はオレンジジュースでいいかな。たしか卵があるからそれを茹でて、トーストと一緒に食べるのもいいかもしれない。
洗面所に戻ってうがいをしたとき、チャイムの音が聞こえた。
「はい」
僕の家には応答用の受話器もなければボタンもない。だから直接声で応えるしかないわけだけど、こんな朝早くから誰が来たって、大方の予想はついていた。
月の始めだし、もしかしたら朝早く来るかもしれないと思っていたのだ。
玄関に行って覗き穴を覗いて、本人かどうか確かめる。チェーンと鍵をはずしてドアを開けると、そこから僕より少し背の高い綺麗な女の人が姿を見せた。
動きやすそうなショートカットに、大きな二重瞼。いつものように深緑色のキャップをかぶっていて、少し表情に影を作っている。
「おはようございます」
僕は丁寧に頭をさげた。
「おはようございます、雪殿」
その人は、僕を「雪殿」と呼ぶ。呼び捨てでいいのに、彼女はそれが習慣となっているらしく、いくら注意をしても変えようとしないから、僕はいよいよあきらめたのだ。
たぶん、他の人に対しても「殿」と言っているのだろう。
女性は持っていた黒い鞄から、ちょうどお札が入るくらいの紙袋を僕に手渡した。結構厚い。
「ありがとうございます」
受け取ると、ずしりと重かった。
この一か月分の、僕の生活費だ。
水道代、電気代、ガス代、食費などなど。自治会費もここに含まれている。
「それでは、わたくしはこれで」
ぺこ、と頭をさげてくる女性に、僕は「ありがとうございます」ともう一度言って、彼女が廊下の向こうにある階段を降りるまで見送ってから、ドアを閉めた。
鍵とチェーンをしっかりかけておく。
学校に行くと、久しぶりにクラスメイトのみんなに会った。
「おはよう、雪」
篠田が誰よりも早く僕に挨拶をしてくれ、僕も「おはよう」と返した。
では早速、とばかりに彼女はカバンから色とりどりの文房具を取り出した。
「雪、今日はどれがいいと思う?」
どれもこれも、キャラクターものだ。
僕は苦笑しつつ、「ディズニー?」と言っておいた。そしたら篠田は、今日一日、ディズニーの文房具のみを使うだろう。
いったいこんなことに、何の意味があるんだか。
席に着いて、カバンを机にかけておく。
あ、そうだ。
僕はもう一度席を立って、後ろを見た。さっき、下駄箱に靴があることは確認したから、もういるかもしれない。一番後ろの席、そう。そこにやはり彼女はいた。
遠藤海。
7月に髪をばっさり切って以来、ショートヘアになった彼女。5月に転校してきたばかりで、私生活も何もかも謎な、しかも女の子のくせに男子の制服を着ているよくわからない子。ボーイッシュな性格も相まってか、よく男子生徒に間違えられる。僕も最初の頃は間違えていた。
彼女はぼーっとしながら、机の上を見ていた。
何かあるのだろうか。
首をかしげつつ、僕は彼女に向かって歩いて、「海さん」と声をかけた。
ぼーっとした顔を机の上に向けながら、反応してくれない。無視、されているわけでもなさそうだ。
気づいていないのかな。
僕は彼女の目の位置に合うようにしてその場に腰かけると、「海さん」ともう一声かけた。
「うわっ、雪!」
ガタタタンと大きな音をたてながら立ち上がった彼女に、僕だけでなく教室じゅうが驚いた。
静かになった教室で、海さんは呆然としながらあたりを見まわしている。それから恥ずかしそうに、彼女は倒れた自分の椅子を戻した。
申し訳なくなってしまった。
「ごめん……、驚かすつもりはなかったんだ」
「え。あ、いや。気にすんな。勝手にわたしが」
それから、はぁと息をつく。
「で、何?」
彼女はもう一度椅子に座ると、僕のほうをまっすぐ見下ろしてきた。
とりあえず僕は、海さんの前の席の椅子をお借りする。
「ごめん。特に用はないや」
「なら呼ぶなよ」
そう言って、海さんはそっぽを向いた。
「おはよう、って言おうと思って」
「……ああ、おはよう」
「夏休み、楽しかった?」
「休みに楽しいとかあんのかよ。ふつーだよふつー」
「そっか。家族とどこか行ったりは?」
「キミは?」
「……僕は、どこも」
「わたしもどこも行ってない。そんな暇なかったし」
話はそんだけか、と返される。
「うん。そんだけ」
「そ。ならもうそろそろホームルーム始まるし、席着けよ」
「うん」
じゃあね、と僕が言うと、海さんは「うん」とうなずいてそれからまた机の上を見つめながらぼーっとし始めた。
眠かったのかな。
僕は首をかしげつつ、自分の席へと戻った。
「雪」
篠田が心配そうに僕を見つめてきた。
「海さん、大丈夫?」
「……大丈夫、だとは思うよ。たぶん、眠いんだよ。機嫌悪くさせたかもしれない」
「あらら」
それから間もなくして朝のホームルームを告げるチャイムが鳴った。秋庭先生がそれに合わせるようにして教室へやってきて、その一歩後に徹くんが現れた。
「もうちょっと早く来い」
「ほーい」
秋庭先生の忠告を適当に受け流し、彼は僕に「よっ」と挨拶をしてきて、僕も「おはよう」と返した。そのまま彼は、自分の席がある一番後ろのほうへとスキップをしながら向かっていった。
「さて、これでクラスメイトは全員だな。赤石も、いる」
芸能活動で忙しい赤石さんも、ちゃんと学校に来ていた。秋庭先生に名指しをされた彼女は、丁寧に頭をさげた。その表情はいたって普通だ。何か悩みがあるという風にも見えない。
あれから特にストーカーについての話は聞かないし、事件は解決――したのだろうか。
結局あの誘拐犯の狙いは、どこにあったのだろうか。
あの犯人の証言からして、赤石さんが目的ではなかったように思える。
「今日はとりあえず、これからホールに移動して中等部全体で二学期の始業式を行う。そのあとは教室の大掃除という段取りなわけだが。明日の連絡も今するぞ」
何だろ。
「明日のホームルームで、体育祭の話し合いをしなくてはいけないからだ」
僕ら、教室の空気が一気に変わった。
そうだ、体育祭!




