序章
9月編の前に1つ差し込んでおきます。なお、海のマンションの部屋番号とかもろもろ変えました。過去に投稿したほうではあとで書き直します。すみません……
病院へ行ってから検査をしてもらって、それから警察署で一通りの事情聴取を受けると、帰ってきたときにはすでに9時を過ぎていた。
いつものように自分の部屋のある12階までを、のろのろと1階ずつ止まり続けるエレベーターにイライラしながら、やっとのことで遠藤海はたどり着いた。
セキュリティが万全だというから仕方なくこのマンションにしたというのに、万全すぎてさすがにうんざりすることこの上ない。それと、気持ちが悪くもある。
例えば各所に設置されてある監視カメラ。それは犯罪者を撃退するための予防線となっているが、住民を見張っているというほうがしっくりくる。
ここまで厳重警戒されている場所に犯罪を試みる人はそうそういないだろう。
1208号室にたどり着くと、海はポケットから部屋専用のカードキーと、それから鍵をとりだした。まずカードキーをドアノブ横にある読み取り機にスライドさせ、緑色の光がともったら、今度は鍵を鍵穴に差し込む。しばらくガチャガチャやっていると、ふと廊下の奥のほうに気配を感じた。
「誰?」
鋭く声をあげ、廊下の奥へと顔を向ける。このフロアには顔見知りしか存在しない。ある程度の人間の気配は感ずることができた。だからこそ、こんな近くに来てまで察することのできなかったこの気配に、不気味さをも覚えたのだ。
「私」
奥のほうで声がして、廊下の、電気の点いていない奥のほうから人が姿を現した。
海とそう歳も背も変わらず、感情のあまりこもっていない瞳を向けてくる、白地の和服を着た少女。
その少女は海のよく見知った人物に他ならなかった。
「なんだ、キミか」
約半年ぶりの再開ゆえに彼女の気配の察知が鈍ったのだろうか、と海は考える。だが、それだけではないだろう。そもそも彼女は《《そういうこと》》をやってのける人間だった。
はぁ、と海はため息をつき、それから鍵を開けた。ドアノブを引いてもう一度少女のほうをうかがう。
「入ります? お茶くらいならありますけど」
普段の男勝りな口調とは打って変わった、丁寧で冷静な口ぶり。しかし、その声には警戒心をややまとっているだろうか。
「結構です」
しかし、少女は海の誘いを断る。こちらも丁寧な口調で。
海は彼女が苦手だった。《《あの人》》と顔が似ていて、それゆえ余計に。今の拒絶さえ、あの人自身の口から言われているようで気持ち悪かった。
今日は厄日かもしれない。そんなことを海は考える。
「では、何しに?」
海はドアを開けたまま聞いた。このままドアを閉めてしまえばオートロック機能を備えているこのドアは、また鍵を開けねばならなくなるのだ。
少女は開いたドアをじぃっと見つめて、口を開く。
「あの子がさらわれたと聞いたもので」
耳が早いな、と海は思った。少し目をそらすとそれで伝わってしまったのか、少女はハァとため息をついた。
「あなたでは、荷が重すぎました?」
「……キミが来ても、事態が悪化するだけでしょう」
「それもそうですね」
少女は海のもとへと一歩、また一歩と近づいた。彼女の履いている下駄がそのたびにカラン、コロン、と音を立てる。
やがて少女は海との距離を目と鼻の先にまで縮めた。
「あの男、変でした」
思わず海はポツリともらした。
少女は黙っている。
「まるで初めから、あの方を狙っているみたいでした。詳しいことはまだわかりません。キミのところで」
「調べてみましょう、それは。幸い協力者もいることですし」
「協力者?」
誰だ、そいつは。
海が思わず聞こうとすると、待ったをかけるように少女は海の口元に人差し指を優しく置いた。
冷たい瞳を輝かせながら、少女は一言もらす。
「言ってしまっては、あなたが動揺するだけ。余計な荷を背負ってしまうだけ。もう演じるのも、限界なんでしょう?」
「っ」
虚をつかれ、海は思わず目をそらす。少女は無感動な瞳をたたえたまま、海の口元から指を離した。
「それに、私だってこの作戦の役者の1人なんです。あの子を主人公に据えて、あなたがその脇役。私は陰の立役者。あるいは裏主人公でしょうか」
しかし、と少女は思う。
本当の主人公はあの子ではない。この舞台は始めから、この子を中心として始まったものだ。だから本当の主人公と、そして脇役は。
「僕、怖いよ」
ぽつり、と海はもらした。
少女は立ち去ろうと思っていた矢先、海のその声に振り返る。悲壮なものに満ち海の顔を見ても、少女は動揺しなかった。
「僕は、もう……失うのが怖い。これ以上失ったら、もう、生きていくのが怖い……」
「だから、あの子は立ち上がったの。もう二度と何も失わないように。そして」
そこで口をつぐむ。
――そして、あなたを守るために。
しかし、あの子は負けてしまった。いや、負けたわけではない。一時的な戦線離脱。今はこの子ではなく、あの子が狙われる立場になってしまった。あの子が自分を取り戻したとき、今度こそ矛先はこの少女にも向くのだろう。
もちろん、今まで全てのことに背を向けてきた自分も同様に。
「……失わない戦いなんて、ないのよ」
「でもっ!」
「甘ったれないで」
少女の鋭い言葉に海は思わず口をつぐむ。それはかつて一度、聞いた言葉だった。
あのときも。失うのが怖い。もうどうしたらいいのかわからない。大切な人がみんな消える。いなくなる。そんなのに耐えられない。そうやって少女に迫った。そのとき彼女は、今と全く同じ言葉を口にしたのだ。
甘ったれないで、と。
「私は、あの人の無念を。そしてあの人の願いを叶える。それはあの子も、そしてあなたも同じでしょう? いつまでも、小学生やってるんじゃないわよ」
ハァ、とため息をついて。少女は身をひるがえした。その際、髪を留めていたかんざしの飾りがしゃらん、と音をたてる。
「それと一人称、昔に戻ってるわよ。その役を演じ続けるなら、『わたし』でい続けなさい」
そう言い捨て、少女は廊下奥の暗闇の中へと消えていった。
あとには、泣きそうな顔をした1人の人間が残された。
9月編はおそらく5月12日の投稿になる予定です。それまでしばらくお待ちください。




