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嘘は内緒の始まり  作者: 凪野海里
8月
64/126

5 不安

「雪っ!」


 手を伸ばそうとするも横滑りしてきた車によって間を阻まれてしまう。半歩飛びのいた遠藤海の耳に車の中へと引きずり込むような音が聞こえた。


 それはあまりに一瞬の出来事だった。


「ゆっ」


 急発進した車に、遠藤海は近づけようにも近づけない。車は夏の日差しを浴びた黒い体を光らせながら、どこへともなく走り去っていった。

 そのあとを追って走り出そうとした海の手を、後ろから彼女を追ってきた渡良瀬徹がつかむ。


「離せよっ!」


 海は怒鳴り、徹の手を振りほどこうとするも、徹はその手をしっかり握って離さなかった。海の顔はだんだんと険しいものとなり、ぶんぶんと繋がれた手を、なおも離そうとするが、徹は「待ちなよ」と口にした。


 海はその声にますます顔を怒りで真っ赤にさせ、「待ってられっかよ!」と怒鳴る。渡良瀬はため息をつきながらポケットからスマホを取り出した。

 雪のスマホにあらかじめつけておいたGPSを確認すると、スマホの画面上に表示されている地図にある赤い点がすごい勢いで移動している。おそらく車で移動しているからだろう。彼のスマホはどうやらいまだ犯人にはバレていないようだ。


 とはいえ時間の問題だろう。


 犯人はどうしても赤石杏子を自分の物としたいらしい。その執着心に徹はあきれていいのか笑っていいのか、わからなかった。


 きっと《《彼》》なら、笑うだろうけれど。


「とりあえず、たぶん雪くんは無事だ」


「どうしてそう言い切れる!」


「何となく」


 徹は自分をにらみ続ける海にあっさりとそう返し、それからLINEを起動させた。今回の作戦に参加しているグループの通話を開始する。数人が電話にでた。


「まずは報告。加藤雪が誘拐されました」


 瞬間、「えぇっ!?」と叫ぶ声が響いた。


「いい加減離せよ、渡良瀬っ! わたしは今すぐにでも雪を助けなきゃいけないんだ!」


 などと怒鳴っている隣の男装女子は放っておくとして、渡良瀬は「さてこれからどうするか」と心の中でつぶやく。


『俺今からそっち行く』


 そう言ったのは小春だった。

 しかし徹はその申し出を拒否した。


「お前それでこっち来ても足手まといになるから来るな」


『はぁっ? せっかく人が』


 逆上する小春の言葉を無理やり遮って、徹は「今から犯人追うよ」と答えた。この切迫した状況にかかわらず、落ち着いている自分がとても不思議だ。

 この会話に参加していない杏子のことをふと思う。彼女の様子はどうだろう。彼女に同行している美衣南はこの通話に参加していた。


「藤堂さん、赤石さんはどうしてる?」


 美衣南からの返事は少し間があってから発せられた。


『ついさっき、ライブ会場に着いたの。とりあえず杏子は控室に行ってて、私は外にいるから、まだ知らないと思う。会話に参加してないのがその証拠だし』


 不安な彼女の気持ちがこちらにも伝わってくる。いつの間にか海はおとなしくなっていた。


「よし、じゃあそのままで。このことは赤石さんに絶対話すなよ」


『当たり前でしょ』


 さて、どうしたものかと考える。海はLINEのグループ通話に参加せずに、黙って徹にスマホをつきつけて雪の居場所を見せた。その目が「早くしろ」と訴えている。

 はいはい、と適当に目で合図をしてから雪の居場所を見る。場所はいまだ固定していないのか、ぐるぐると町をまわっているようだった。


 土地勘がないのか。


「円城」


『んだよっ!』


 画面から飛び出してきそうな勢いで、円城が怒鳴り返してきた。今度はこっちか、と渡良瀬は苦笑いを浮かべる。


「お前って人、リンチしたことある?」


『はあ? リンチだぁ?』


 彼は少し間を置いて考えるようにうなった。


『んな、1人のヤツに対して大勢で殴る蹴るはしたことねぇよ。あとあと面倒だしよ』


「意外と小心者なんだね、キミ」


 そう言ったのは海だった。すぐに小春が『誰だ今チキンっつったの!』とまた怒鳴る。徹は適当に「はいはい」とそれを流して、小春に話の続きを進めるように促した。


 小春の舌打ちが聞こえた。


『でけぇケンカは何回かやったよ。むしろ俺がリンチされかけたことはあっけどよ』


『まじで不良じゃん』


 美衣南がつっこむ。


「何かしらデカいこと。なるべくなら人に見つかりたくないときって、たいてい人のいない場所行くだろ?」


『そりゃな。サツとかに見つかったら面倒だし』


「まあおそらく雪くんもそういったところに連れ込まれるとは思うんだけど」


「おい」


 徹の言葉が全て終わる前に海が声をあげて、スマホに落としていた目をあげて彼の前に画面を見せた。

 赤い点が止まっている。交差点などではない。何かの建物の脇だ。


「わたし、今すぐそっち行くから。適当に話しつけといて!」


「あ、こら待て」


 慌ててその手を捕まえようとするが、海は今度こそその手をあっさりとかわして走り出した。彼女の背中に背負われている縦に長い袋がゆさゆさと揺れるのを見つめた。


 あの袋の中身はなんだろう。


 追いかけようかとも思ったが、ただじっとしているだけでもつらい8月の夏の暑さを前にして、そのやる気は一瞬にして失せてしまった。何が悲しくて無駄に汗を流さなくてはいけないのか。

 こんなことを海に知られてしまったら、彼女はきっと「雪が心配じゃないのかよ!」と怒鳴ってくるだろう。


 もちろん心配ではある。自分の立てた作戦で、まんまと仲間が目の前で誘拐されてしまったのだ。特に海は彼を散々守るだなんだと言っておいてこのざまだ。余計に罪悪感があるのだろう。

 徹にだってもちろん罪悪感はあった。けれどそれ以上に、加藤雪は大丈夫だろうという余裕を持つことができたのだ。


 まあ、きっとあれのせいなんだろうけれど。


 渡良瀬はハァとため息をついて、夏空を見上げた。


 画面の向こうで『どうしたんだ?』と今まで黙っていた小田光が声をかけてきた。徹は「雪くんの場所がわかったかもしれない」と告げる。全員が叫んだ。


『なら急がなきゃだろ!』


「まあそうなんだけど、うん。まあ急ぐか。場所は各々確認しといて。とりあえず藤堂さんは赤石さんのとこ行って。絶対知らせるなよ。小田と俺は合流。てか、お前今どこ?」


『赤石の家と駅までの道の真ん中あたり』


「おっけ、じゃあそこで待ってて。俺もそっち行く」


『俺は?』


 そう聞いてきた小春に徹は迷いもなくこう言った。


「警察呼んどいて」


『はぁ? 事情とかどうやって説明すんだよ! てかなんだその地味な役割。俺もそっち行って参加してぇ!』


「お前が来るとすげぇ面倒になるからやめろ。まあ適当に頑張って。それじゃ解散」


 あ、おい――と叫ばれるがそこで渡良瀬は通話を切った。通話時間が表示される。15分弱話していたようだった。


 このあいだに雪が殺されてなければいいけど、と思いながら徹は走りだす。


 まあ彼が簡単に死ぬことがないのも、渡良瀬徹は知っている。見た目で判断しての結果だ。正直、あんなひょろっとした色の白い男子なんて、誰が見てもすぐにくたばってしまいそうな、ケンカが苦手な男子中学生に見えるだろう。


 だが、本当の加藤雪はそんな程度では済まされない。


 徹は思わず身震いをしてしまう。これがかつて経験した恐怖によるものなのか、あるいはこれから起こる事件への予兆に対してのものなのか、彼にはわからなかったし、これ以上知ろうとも思わなかった。

投稿日:2018/4/24

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