1 夏祭り
あー、暑い……。
気温が40度を超える、燃えるような暑さのなか、僕はすでに1時間以上も外にいた。着ているシャツはとっくに汗で少し色が変わってしまっている。
襟をぱたぱた扇いで風を送ろうとするけれど、そんなものほんの気休めだ。できるならば建物のなかに入ってそこの涼しいエアコンの風にあたりたいものだけど、そうしたくはない理由が僕にはあった。
僕はその日。炎天下の中で病院からでてくる海さんを待ってい。
照りつける太陽が僕とアスファルトをゆっくりと焼いていく。セミの鳴き声がうっとうしいくらいに耳に響いて、条件反射のようにさらに体から汗が吹き出してきた。
もうしんどい。そう思ったそのときだった。
「お待たせ」
爽やかな風と共に背後にあった自動ドアから、海さんが現れた。僕はほっと息をついて、「遅かったね」と口にする。
すると彼女は早速、うんざりしたように真夏の太陽を見上げた。
「……ちょっと混んでた。雪も中で待ってたら良かったのに」
「病院あんまり好きじゃなくてさ」
「そ? まあ好きな奴はいないか、普通」
そうして彼女も、自分の襟をぱたぱたさせて風を送り始めた。
彼女の私服を見るのは、これが初めてだった。
白のブラウスに、ジーンズのショートパンツ。足は暑い日照りをものともしないかのように大胆にさらしていて、履き物は紺のシューズだ。
ひと目見て動きやすい服装というのがわかる。まあ病院だし、そんなに華美な服装をしたところで誰も見ないんだけど。
ふと、彼女の腕に巻かれた白い包帯がとれていることに気がついた。
「今日とれたんだ」
海さんは僕の視線の先に気がついて、そう教えてくれた。
7月。海さんはヘアピンで自らの腕をぶっ刺し、そこに傷を作ったのだ。しばらくのあいだ包帯を巻いていて、見ているだけで痛そうだった。
それが今日やっととれたとはいっても、痕はわずかに残っていた。
一生残るかもしれない傷だと、担当医は言っているらしい。
「にしても、こんなあっついのによく外で待ってられたね」
海さんは首に張り付く髪をうざったそうに払う。
その髪は、僕が切ったものだった。同じく7月に。
「けっこうしんどかったよ」
ハンカチで汗を拭こうとすると、何故か海さんがそれをひょいと奪って、僕の額を拭いてきた。
そのときわずかに鼻に触れた薄荷の香りが涼しさを感じさせて、僕は思わず惚けてしまう。
って、近い近い!
「何してんの!」
「何って、汗拭いてあげてんだけど」
「いいよ、自分で拭けるから!」
変な気分になりかけたのを隠すように、僕は慌ててハンカチを海さんの手から取り返した。
「変な雪」
変な気持ちにさせたのはそっちだから!
「と、ともかく行こう」
病院の敷地をでて駅に向かって歩く。本当はタクシーなんか使ったら楽なんだろうけど、無駄にお金を消費できない。日照りの道を僕らははあはあ言いながら歩いた。
駅に近づくにつれ、やがて道が騒がしくなってきた。
それだけじゃない。屋台や提灯なんかが昼間の町にあって、なんだかいつもと雰囲気が違う。
そういえば今日って……。
「ああ、夏祭りか」
そういえばそんな時期だった。
「今日って夏祭りなの?」
「うん。そうみたい」
「いいなぁ」
ふと、隣にいる海さんを見れば、彼女はうらやましそうな眼差しで夏祭りの準備をしている人たちを眺めていた。
気になるのだろうか。
「一緒に行く?」
思わずそう聞くと、海さんの目が瞬時に夏の太陽の光を反射するようにきらめきだす。
「いいの!?」
「実は今日、篠田からB組のみんなで行かないかって話になっててさ。海さんがさっき病院にいるとき、連絡が」
「あ、そうなんだ……」
だんだんと海さんの目から輝きが失われていく。
あれ。行きたいんじゃないのか?
いったいどうしてだろうかと思いながら、とりあえず時間と場所を伝えておく。
「あ、でも海さん。方向音痴だよね。海さんのマンションで待ち合わせのほうがいいかな」
「いちいち方向音痴を強調すんな、ムカつく!」
海さんは不機嫌な顔をして、僕の頬をつねってきた。
***
支度を終えると、時刻はまもなく約束の時間の19時になろうとしていることに気がついて、僕は慌ててアパートを飛び出した。
マンションへ走って向かうと、玄関前にはすでに、花火柄の浴衣に身を包んだ海さんがそこに立っていた。
前髪に星の形をしたヘアピンをしている。
やっぱり彼女、女の子らしい格好をしたら、ちゃんと女の子なんだ。
今日1日で知った彼女の女の子としての素顔に、僕はどう形容したらいいかわからない気持ちで思わずそこに突っ立ってしまうと、不意に彼女が僕の姿をその目で射止めた。
「遅いよ」
「ご、ごめん」
いけない。思わずぼーっとしていた。
僕は自分の頬をばちん、と叩いて気合いを入れ直すと彼女のもとに向かった。
「海さん、まさか浴衣着るとは思わなかったな」
「そう? でも夏祭りって言ったら浴衣は普通でしょ?」
小首をかしげる仕草がなんともかわいらしい。いつもの男勝りな口調も消え失せ、まるで今日の彼女は別人だ。
いやそれとも、僕がそう思っているだけでこれが彼女の素なのかもしれない……。
「雪は着なかったんだ」
「そういうの持ってなくて。ていうか、着るの大変じゃないの? 帯とかさ」
海さんがその場でくるくるまわってみせたときに見えた、帯。それはよくある出来合いのそれではなくて、きちんと自分で締めたものだということはまるわかりだった。だって出来合いのものは、妙に形が整えられたリボンになっているから。
海さんはなんてことない顔をして。
「まあもともと実家でよく……」
と、そこで言葉を止めた。
何かまずいことを口走ったかのような、「しまった」と言いたげな顔で彼女は沈黙する。
これはどうやら聞かないほうが良い話題らしい。
「そろそろ行こう。みんな待ってるから」
「……あ、ああ。うん。そう、だね。行こう」
僕が歩くのにあわせて、海さんも一歩踏み出した。カランコロンと音がしたので足元を見ると、彼女は赤い鼻緒の下駄を履いていた。
***
みんなとの待ち合わせ場所は、夏祭りの会場となる神社だ。
祭囃子に、歩く人々の喧騒。そういったごちゃごちゃした音が入り交じって、夏祭りはすでにできあがっていた。
一部の道路は封鎖されているために、車道を歩いても何も問題がないのが、なんだか新鮮だ。
「あ、雪! 遠藤さんも!」
「篠田」
集合場所の鳥居前にはもうすでに、みんなが集まっていた。クラスメイト25人全員というわけではないけれど、それでも相当数、その場に集まっている。
「じゃっじゃーん。どうかな、雪。似合う?」
篠田は早速自分が着ている浴衣を見せびらかしてくる。黄色の地の明るい浴衣だ。
彼女だけでなく、女子たちはほとんどが浴衣だから、今日はやけに華やかだ。
「うん、似合ってるよ」
正直な感想を述べると、篠田が何故か不機嫌な顔をした。
あれ。もしかして間違ってる!?
どう言えば正解だったのかと一瞬、頭が白くなりかける。
しかし僕の焦る気持ちに反して、篠田は別に不服と思ったわけではなさそうだった。
「何でそういうことを平気な顔して言えるかな」
え。
だって「似合う?」って聞かれたからそう答えただけなのに。
わけがわからず呆然としていると、徹くんがくすくす笑いながら「さすが雪くん」と言ってきた。
い、今のは「さすが」なのか?
すると隣にいた海さんがぼそっとした声でこう言ってきた。
「けど、雪。わたしが浴衣を着ていても何も言わなかったよ」
「え!」
い、言わなかったっけ!?
「お前、女子をタブらかすときは人を選ぶのか。このやろぉ~」
小田くんに頬を軽くつねられる。
「痛い、痛い……」
ぱちん、と最後にゴムパッチンのように指を離された。
小田くんは僕の肩に腕をまわすと、海さんに向かってウインクした。
「まあおれはどんな女だろうと『かわいい』って言うけどな。遠藤、めっちゃ似合ってるぞ!」
ぐ、とガッツポーズをしてみせる小田くんに海さんは白けた顔をしながら「そりゃどーも」と言った。
「小田さんは誰にでもそう言いますからね。正直ついていけませんわ」
「……たしかに」
千ノ原さんの辛口コメントに雨宮さんもうなずいている。どうやら彼女たちにも覚えがあるようだ。
「遠藤さん、髪切ったんだね」
「ああ、うん。切ってもらったんだ」
海さんが自分の短い髪に触れるその仕草に、僕は少しドキドキしてしまう。
「そろそろ行こう」
徹くんの言葉にうなずき、僕らは境内へと続く階段をあがった。
境内までは結構長い。神社だからあたりまえなのかなと思うけど、この暑さでこのごった返すような人の量だから、上へ着く頃にはすでにへとへとだった。
階段をすべてのぼりきると、そこはすでに文字通りのお祭り騒ぎだ。老若男女問わず、みんながそれぞれに夏祭りを楽しんでいる。
ひしめきあう屋台はたこ焼き屋、焼きそば屋、かき氷屋などの食べ物系だったり、射的、おみくじなどの娯楽系だったりとわりと一般的だ。僕らはそれぞれに行きたい場所へと散っていく。
クラスメイトのほとんどで参加しているとはいえ。結局僕らは気がつくと別行動をして、いつもつるんでいるメンバーと共にいた。
僕は海さんと篠田と徹くんと永井さんと一緒に、境内までの道を歩く。
途中の道でたこ焼き屋を見つけた。
「たこ焼き買ってくる」
「ああ、わかった」
みんなにそう言ってから僕はたこ焼きの屋台へ向かった。
息を鼻から吸うと、たこ焼きの焼けていく芳ばしい香りがただよって一気に幸せな気持ちになれた。いいにおいだ。夕飯時だし、お腹が空くには良い頃合いだ。
さて、買おう。
そう勢い込んで屋台のおじさんに「ひとつください」と言った。
「あいよ」
額にねじりはちまきをしたおじさんは、金歯を光らせてうなずくと、たこ焼きをひょいひょい焼いていく。その鮮やかな芸当に僕は思わず見とれてしまう。
こういうのを見るのも結構好きだ。
気がつくと、隣に海さんがいた。
彼女も僕と同じように、たこ焼き専用の鉄板で焼かれていくたこ焼きを見ている。
「食べる?」
思わず聞くと、海さんは我に返って首を横に振った。
「いや、そうじゃなくて。わたし、てっきりたこ焼きって丸焼きにされた蛸があるもんだと思ってたから……。これ、どこに蛸がいるの?」
「海さん、もしかしてたこ焼きを知らないの?」
「初めて見た」
まじか……。
僕はおじさんからたこ焼きを受け取って代金を支払うと、早速海さんの目の前でたこ焼きに箸をいれた。
もわもわもわ、とした湯気がたこ焼き独特の香りとともにやってきて、そこから中身が顔をだす。
「ここに蛸が入ってるんだ」
箸で蛸の小さく切られた足をとって海さんに見せた。
「へぇ……」
海さんはまるで、初めてたこ焼きを見るかのような反応をしていた。
「食べる?」
もう一度聞くと、海さんは今度ははっきりとうなずいた。
僕はタコ焼きを一つ持ちあげると、彼女の口もとへと持っていく。
「はい」
「え?」
「だから。食べるんでしょ?」
「ああ、うん」
海さんは恥ずかしそうにうなずいて、口を開けた。僕はそれを「熱いから気をつけてね」と言って、口の中にいれてあげる。
瞬間、海さんが飛び上がって叫んだ。
「あふっ!」
「あはは」
口をはふはふさせて湯気を放出しながら、海さんはたこ焼きを食べた。
「うーん……! 意外においしいね」
「でしょ?」
徹くんたちのもとへ戻ると、篠田がいつの間にかかき氷を買って食べていた。
食べ歩きをしつつ、また進んでいく。
「今日の夏祭り、参加していない人とかいるの?」
「うーんと、月野くんは家で屋台だすって言ってた。かき氷だってさ。他にも赤石さんは仕事で」
「そっか」
篠田はすでにかき氷を食べている。
これがもし、月野くんに見つかったら、「何で俺の家のを食べないんだ」とか言われそうだ。
「海さんは何か他に食べたいのとかないの?」
後ろが静かだなと思ってそう声をかけると、何故か返事がこなかった。
あれ?
違和感を覚えて思わず後ろを振り向くと、そこに誰もいなかった。
「どうしたの、雪?」
異変に気づいて前を歩いていたみんなが立ち止まる。
「海さんがいない」
迷子だ。
「み、みんな先に進んでて。僕が探すから」
「大丈夫? みんなで探して――」
「平気!」
僕は篠田の言葉を遮って、慌てて来た道を引き返す。
まさかこんなところで迷子になってしまうなんて!
けれど幸いにも一本道だ。すぐに見つかるだろう。焦る気持ちをおさえながら、僕は海さんを見つけるために人の合間を縫うようにして走りだした。




