5話 事件1
大方の予想通り、遠藤くんは美術においても天才的な能力を発揮――することはさすがになかった。
その日の美術は用意された被写体を画用紙に模写するという単純なものだったのだけれど。
「うっわ」
周囲が思わず絶句するような、そんな絵だった。どう表現すればいいのか、さすがに僕の語彙力では、うまい言葉も見つからない。そもそも誰もが絶句するような絵にうまい言葉も何もあったもんではないし、余計なことを言えば遠藤くんを傷つけてしまうだろう。
どんなにへたっぴな絵でもしっかり褒めるはずの先生も、珍しく褒めるも助言するもなく。救いようがないと悟ったのか、まるでこの世の終わりのような顔をしてたたずんでいた。
どうやら彼女、座学や運動はできるけれど、芸術に関してはかなりダメな性格らしい。
まあなんでもできる超人だったら、それはそれで怖いけれど。
「遠藤くんにも苦手なものがあるんだね」
隣の席の篠田が僕に聞こえるくらいの声の大きさでポソッとつぶやいた。
2時間続いた美術の時間が終わると、僕らはそれぞれ席を立って荷物をまとめて教室へと戻っていった。
「あれ。遠藤くんどこ行くんだろう?」
「ん?」
篠田が首をかしげながら見ている視線の先を見ると、彼女の言った通り、遠藤くんは僕らが行く方向とは正反対の方向へ歩いていくところだった。
本当にどこへ行くんだろう。
僕は遠藤くんのもとへ行き、彼の肩をポンとたたいた。
瞬間、彼は「わっ!」と驚いたように叫んだ。反射的に僕も「うわっ!」と叫んでしまう。
そこから先はよくわからなかった。
遠藤くんは素早く動いたかと思うと、自分の肩に置かれた僕の手を力任せに振り払い、目にもとまらぬ早さで僕の喉元にビシッと2本の指をたててきた。
バサバサッと教科書類が廊下に落ちる音が響く。
「……っはぁ」
「――ああ、ごめん。雪」
遠藤くんはハッとして慌てて僕の喉元から指を離した。
なんだろう、一瞬だけど……。
「何やってるの~?」
ハッと我に返り、後ろを向くと篠田が首をかしげて僕らを見ていた。
背中越しに聞こえた篠田ののんびりとした声は、今起きた出来事を、まるで非現実と思わせるように僕には聞こえた。
どうやら今の光景は僕の背中で上手く隠れて、彼女には見えなかったらしい。そのことに少しホッとしながら、僕は目の前で茫然としている遠藤くんに向かって言う。
「教室、そっちじゃないよ」
「あ、そうなの?」
遠藤くんは少し驚いた顔をして、すぐに足もとに落ちてしまった教科書類をかき集め始める。それを僕も手伝い、やがて2人で立ち上がった。
「行こう」
「うん」
今あったことを気にしているのか、遠藤くんは僕と目をあわせようとしなかった。
気にしなくていいのに。
「あ、そういえばさ」
暗い雰囲気を払拭させようと、僕はあえて明るい声をだして遠藤くんに問いかけた。
「僕、遠藤くんに名乗ったっけ?」
学校案内をするときにすればよかったのだけれど、つい名乗るのを忘れてしまっていた。
すると彼は一瞬、真顔になって。それから。
「みんながキミのこと、『雪』って呼んでたから」
そう言った。
修正:2018/4/11