9話 散髪
それは、1学期の終業式の日のことだった。
「実はわたし、女なんだよね」
突如として海さんは、自分の最大の秘密を暴露したのだった。
もちろん知っている人は知っているんだけど、ほとんどの人間が知らないものだから、謎の悲鳴があがりだしたわけだ。
「おま、おま女!? え、嘘っ!」
小田光くんの慌てっぷりったらそりゃもう面白かったけど、この際それは無視しておくとして。
ともあれ海さんはこうして、いやにあっけなく。B組全員に自分の正体をバラしたのだった。
なお、徹くんの反応が思ったより普通だったから、「もしかして気付いてたの?」と聞いたら、彼はにやりと何だか企んでいるような笑みを見せて。
「なんとなくね」
と言ってきた。
***
そして次の日の、夏休み初日。僕は自分の家であるアパートの庭に、海さんと一緒にいた。
彼女の髪を軽く撫でると、つやのあるそれは太陽の光を反射して、青色に輝いた。
それにしても長いな……。
「じゃあ、切るよ」
「うん」
了承をとってから、僕は腰まで届く長い彼女の髪にハサミを入れた。
今日はかねてより約束していた、海さんの散髪の日だった。
本当は美容室とか、ちゃんとしたところでやってもらうべきなんだろうけど、彼女が「どうしても雪にやってほしい」と言ってきたので、こうなった次第だ。
もちろん、アパートの大家さんにもちゃんと許可はとってある。なるべくゴミを増やすなと忠告を受けたから、あらかじめ下に新聞紙を敷くという徹底ぶりで。
もし忠告を破ったら、どうなることかわかったもんじゃない。
「どのくらい切るの?」
「雪くらい」
「え、僕くらい?」
僕の髪は首に少しでるくらいしかない。
そのくらいだと、ほぼ男子じゃないか。
しかし海さんは、からからと楽しそうに笑って言う。
「いいの、いいの」
まあ本人がそう言うのなら、止めたってしょうがないか。
この長い髪、結構好きだったんだけどな。
名残惜しく思いながら、海さんの髪にもう一度触れると、ふと僕の手に、彼女の頭に巻かれている包帯も一緒に触れた。
頭だけじゃない。腕にも、包帯が巻かれている。
「その……頭は平気?」
「何それ、バカだって言いたいの?」
「そうじゃなくて。ほら、大久保さんにやられたやつ……」
「全然平気だよ、それくらい」
「そっか」
「心配しなくていいって」
彼女は僕を気遣うように、珍しく優しい口調でそう言った。
「けど、腕はどうなの……」
「あー、これね。医者が言うにはらこっちはちょっと痕残るちゃうかもって。まあ自分でやったんだし、仕方ないさ」
海さんはそう言って、包帯が巻かれているほうの腕を軽く持ち上げて、クルクルまわしてみた。
危うくハサミが他のところを切りそうになったので、「ちょっとストップ」と僕は慌てて声をかけた。
……よしっ、だいたい切り終えた。
「雪こそ平気なの?」
「え?」
海さんの髪を軽くブラシで梳きながら聞き返す。余計な髪がはらはらと新聞紙の上に落ちていった。
海さんがわずかに僕のほうへと首を傾ける。
「ずっと聞こうと思ってたんだ。雪の右目に残ってる傷。縦にザックリ入ってんじゃん」
「ああ、これね」
僕は右目のあるあたりに触れた。
そこにある傷は、もう痕になっている。
けれどもう、全然痛くない。
「全然平気だよ」
この傷がついた理由を、僕はまだ《《知らない》》。というか、《《覚えていない》》のだ。
生まれつきなのか、あるいはいつの間にか付けられた傷なのか。
「ああでも、冬は痛いかな」
「どうして?」
「ほら、冬って古傷が痛むってよく言うじゃん」
「年寄りくさ」
ケラケラ笑い出した海さんに、僕も苦笑した。
終わったよ、と声をかけると、海さんは早速立ち上がって自分の髪に触れた。
僕ほどに短くなった髪に触れて、満足そうに微笑む。
「ん、いい感じ」
「ねえ、海さん」
「ん? ……っ」
僕が海さんの手を握ると、彼女は一瞬だけ驚いた顔をした。
「……傷がつくと痛いって知っているなら、もう。こんなことは2度としないでほしいんだ。2度と、人が目の前で死ぬのを見たくないって言うのなら、キミも死なないでほしい……。僕だって、人が目の前で死ぬのなんて、見たくないんだ……」
なんだかふと、怖くなったのだ。
彼女は僕の知らないところで、自分の命をないがしろにしているんじゃないかって。
「……わかった」
海さんはうなずいて、僕の手を握り返してくる。
その握手はいわば、誓いのようなものだった。
暗い雰囲気をやわらげるように、海さんが明るい声をだす。
「散髪してくれたお礼に、何かおごるよ。『ぼんぬ~る』のケーキとかさ」
きっと、彼女なりの気遣いだったのだろう。
僕も笑って「ありがとう」とお礼を言った。




