6話 円城小春
次の日、僕が教室に入ると、海さんが円城くんに声をかけているところにでくわした。
「なぁ、ちょっといい?」
その一言だけで、教室のざわめきようと言ったら。
まるで静かだったはずの水面に、石を落として一気に波紋が広がっていくかのようだった。
ちょっと面白かったけど、状況が状況だから黙って僕は様子を見守っておく。
円城くん本人もまさか海さんから話しかけられるとは思っていなかったのか、ちょっと驚いたように目を大きく見開いていたけれど、やがて不敵な笑みを浮かべた。
「んだよ、転校生。珍しいことするな。いいぜ、ケンカなら買ってやる」
円城くんはうなずき、車いすのハンドリムと呼ばれる部分をつかんで、動かし始めた。海さんがすぐさまその後ろにまわってハンドルを握る。
2人はクラスメイトたちに見送られるままに、そのまま教室をでていった。
「何、どうなってるわけ?」
事情を知らない篠田は、はてと不思議そうに首をかしげていた。
僕は永井さんの席へと歩み寄った。彼女はいつものように、勉強道具を机の上に広げ、もくもくと勉強している。
「今日は徹くん、来るかな?」
挨拶もそこそこに質問してみると、彼女は走らせていたペンを中断させて、それを顎にそえて考える仕草をした。
「どうだろ……。あいつ、いつもあたしの家の前であたしがでてくるの待ってるんだけど、最近そんなこと全然ないんだよね……。まあ昨日見た様子じゃ大丈夫そうだし、何もなければ来るんじゃない?」
「そっか、ありがと」
僕はお礼を言って、永井さんの席を離れる。彼女はすぐに勉強を再開した。
「おはよー」
春日野くんが元気な挨拶と共に教室にやって来た。その瞬間、千ノ原さんが彼を指差して叫ぶ。
「ああああああああっ! 春日野さんっ!」
「げ」
一方、突如名指しされた春日野くんはうろたえる始末。
「ちょっと、春日野さん! どうしてわたくしと夏輝の携帯の番号を知っているんですの!?」
「そんなの友人としては当然だろ?」
「……友人になった覚え、ない」
春日野くんに関するトラブルといったら、もうクラスメイトたちにとっては「日常茶飯事」のようなものだから、もうみんなすぐに興味をなくした。
さてとりあえず、もうすぐ始業のチャイムが鳴るから海さんたちを連れ戻さなきゃだな。
***
内緒話をするのだったら、この前もそうだったし。さては屋上かなと勝手な予想をしていたわけだけど、見事にあたった。
先生に見つからないように屋上にたどり着いた僕は、外へ続く扉の向こうで海さんと円城くんらしき話し声を聞いた。
よし。
「海さ――!」
瞬間、僕はとんでもないものを見てしまう。
背中を向けた海さんが身をかがめて、円城くんの顔に自らの顔を近づけて……。
それはまるで、キスでもしているかのような……。
僕は我に返って、すぐさま屋上へと飛び出すと、海さんと円城くんを無理やり引きはがした。
「何やってんの!?」
「ああ、雪か」
いかにも冷静に、そしてかなり迷惑そうに僕をにらんだ海さんに、僕はさらに怒鳴り返してしまう。
「ああじゃないよ! 2人とも、何やって」
「……何って、円城の額についている傷を確認しようとしただけだけど」
き、傷?
きっと僕は今、マヌケな面をしているのだろう。海さんはそんな僕を見ていぶかしんで、一方でその向こうにいる円城くんは楽しそうにケラケラ笑っている。
「超ウケるんだけど、何さ。雪のくせにもしかして、海さんにホれてんの?」
「べ、別にそう言うわけじゃ!」
何を言っているんだ!
ますます焦りだす僕を指差して、海さんが一言言い放つ。
「……そうだよ、円城。こんなのわたしには釣り合わない」
「こ、こんなのって何さ!」
僕は海さんの言葉にショックを受けつつも、とりあえず「もうすぐ始業のチャイムが鳴るよ」と2人に伝えておいた。
「もうそんな時間か」
「海さんはともかく、円城くんはどうやってここまでたどり着けたの?」
「エレベーターに乗ってきた」
ああそっか、そんなものがあったつけそういえば。
滅多に使わないから忘れていた。
僕らは屋内へと戻る。
円城くんは正面の階段へは向かわず、狭い場所で器用に方向転換をすると、エレベーターへと向かった。
「じゃ、俺はこっちだから」
「うん。下で落ち合おう。雪、行くよ」
「あ、うん」
僕と海さんはいったん、円城くんとさよならをして。それから一緒に階下へ向かおうとした。
「ところで遠藤さんさぁ」
ふと、円城くんが車イス越しから僕らを――というよりは海さんを見てきた。
「おまえ、女なんだな」
「っ!」
バレた。
いやバレたというか、僕がヒントを与えてしまったというか。そもそもネタバレしたな、彼が戻ってきてすぐの頃に。
恐る恐る海さんを見る。
しかし当の彼女はというと、最大の秘密が知られたというのに、焦っている風には見えなかった。
だから何、と言いたげな顔で円城くんを見ていた。
「ま、バレるだろうとは思ってたよ」
彼女はそう言うと、僕に「行こう」と言って円城くんの脇を通りすぎる。
僕は慌ててそのあとを追いかけた。
円城くんの姿が完全に見えなくなってから、僕はなるべく小さな声で海さんに質問した。
「いいの? バレちゃって」
「いずれバレるとは思ってたから、いいんだ。どうせ隠しきれることでもないし。わかるヤツにはわかっちゃうだろ?」
それはそうかもしれないけど……。
いまいち納得がいかなくて悶々としている僕を置いて、海さんは「そんなことよりも」と話題を転換する。
「今この状況をどうするかだ。証拠はある程度集まってきてるし。あとはどうやって犯人を見つけてあぶりだすかが先決だよ」
朝のホームルームにはなんとかギリギリで間に合った。
僕らが教室に入ったとき、ちょうど同じタイミングで入ってきた舟久保先生から、チラッとにらみつけられた気がしたけど、それは気のせいだと思いたい……。
結局、今日も徹くんは学校に来なかった。
***
昼休みになると、僕ら――海さんと永井さん、雨宮さん、千ノ原さん、円城くん――はお弁当を手にして、屋上へ向かった。
僕は西川志津くんから「久しぶりにオセロやろうよぉ」と最後までねばられたけど、「今度、今度絶対やるから」と念押しして、なんとか振り切った。
屋上はもう夏も本番になりかけているということもあって、全く人がいなかった。
秘密の話をするにはもってこいの状況ではあるけど、こう暑いとなんだかな……。ここに来た瞬間から汗がぶわっときた。
「なんで徹は学校に来なかったのよ」
「そんなの本人に聞けよ。どうせ、電話通じんだろ?」
「電話でないのよ、あいつ」
永井さんはスカートのポケットからスマホを取り出して、自分の発信履歴を見せる。午前中だけで十件以上はかけていたらしかった。……ていうかかけすぎでは。
「きっと今回の件が終わったら戻ってくるよ。じゃあ本題に入ろう。いいかな?」
僕の切り出しにみんながうなずいた。
アスファルトに座ると尻が焼けるんじゃないかというくらい熱かったので、この屋上で唯一影となっている、屋内への連絡通路の建物の影へと移った。
僕らはその場に腰かける。まだ暑いけど多少はましだ。
「今回の事件は――っていうと、なんかかっこつけたみたいか」
「事件だから別にいいと思いますわ」
千ノ原さんがそう言ったので、それを了承ととらえて話を続けた。
「で、この事件。被害者は徹くん。一方で円城くんは加害者として疑われているけれど、実は犯人は別にいる。それは紛れもない事実だ」
そのとき、円城くんがチッと舌打ちをした。みんなから加害者として扱われているのが相当に不満らしい。
それも当然か。逆の立場だったら僕も嫌だ。
「問題は、犯人が誰かってことだけど」
「もしかしたらB組の中にいる確率も高いよな」
「そんなことってあるの?」
雨宮さんが僕をにらみつけながら言った。
「……無きにしも非ず」
「うーん……」
「……ところでさっき、遠藤さんは円城と何をしていたんですの?」
「逢引き」
その場にいた全員が、海さんの発言に吹きだした。
僕は思わず海さんに怒鳴ってしまう。
「何言ってんの!?」
「雪、何騒いでんのよ」
「別に騒いでなんて……」
「まあそれは冗談として」
海さんは冷静な口ぶりで、卵焼きを口に入れた。
「冗談はいいですから、とにかく何をしていらしたんですの?」
「あー、あれね。昨日、夏輝がわたしに電話を寄こしたから、それを確かめようと思って呼んだだけだよ。教室で確認してもよかったんだけど、他にも色々聞きたかったから。結局、どこぞの誰かさんに邪魔されて聞けなかったんだけど」
チラッと海さんが僕をにらみつけた。僕は反射的に目をそらす。
「夏輝、親友の私に相談をせずに何故。遠藤さんに!」
「姫子の家に電話しようとしたら、大石さんがでたのよ。あの人が『お嬢さまは今、ピアノのレッスン中です』って言ったから。そのあと『伝言ならお預かりいたしますが』って言われたんだけどさ、さすがに円城のことを話すのはまずいかなって思って。切っちゃった」
大石さんって誰だろう。もしかして、千ノ原さんのお付きの人の名前かな。
昨日、徹くんの家にいたとき、帰りの車でやってきた運転手さんのことを思い出す。
でも彼とは限らないか。千ノ原さんの家は使用人が多そうだし。
「なんで俺のことを話すのがまずいんだよ」
「別になんだっていいでしょ!」
珍しく雨宮さんが怒鳴って、それからフンッと視線をそらした。
「本題、入っていい?」
僕は半ばウンザリしながらみんなを改めて見まわした。
「あー、はいはい。でさ、夏輝はわたしに円城の額と右足に傷があるって言ったから、それを確認しようとして」
「えっ!? おい、雨宮。なんで、額はともかく、右足のこと知ってんだよ!」
「……円城の靴下短いから、見えたんだもん。見られても仕方ないと思う。――それで、足首見えちゃったから……。けっこう、大きな痣」
雨宮さんが言い終える前に海さんが円城くんをいきなり押し倒した。車イスが派手な音をたてて倒れ、あっけにとられる僕らの前で、海さんは円城くんの右足ズボンをめくりあげた。
そこから見えたのは、雨宮さんの言った通り、たしかに大きな青痣だった。
もちろん、僕らは絶句するわけだ。
「ちょ、ふざけんなお前!」
円城くんが振り下ろした拳を、海さんは余裕で避ける。
「たしかに大きいね」
「でしょ?」
「でしょ? じゃねぇよ! おい、遠藤。今度こんなことしたら、てめぇのことぶっ飛ばすぞ!」
海さんは耳をふさいで無視。
やれやれ。
僕はため息をついて、とりあえず車いすを起こして円城くんがそこに座ることができるように手助けをしてあげた。
「別に痛かねぇぞ。どうせもう、足の感覚がねぇんだから」
「あっそ」
とりあえず、確認したいことはしたので、海さんは途端に興味をなくしてしまったみたいだ。2つ目の卵焼きを口に放りこむ。
「それと、さっき確認したけど。額に傷はあったよ」
「そう……」
「円城、その傷何があったんだよ」
「なんでもねぇよ」
「徹くんをかばったんでしょ?」
僕の言葉に円城くんが驚いて僕を見た。みんなも驚いて僕を見ている。
「違う?」
「ったく、雪にはかなわねぇな」
円城くんはきまり悪そうにしていた。僕は話を続ける。
「日時はたぶん、先週だね。先週の『わたらせとおるは、はんざいしゃ』あれを貼られる前日。その日、キミは遅くまで学校に残っていた。きっと、キミには犯人が誰だかわかっていたんじゃないかな。あるいはその前に、徹くんに相談されていたんじゃない? 脅迫に近いメールが送られたって。そのメールの発信源を――春日野くんか。彼に調べてもらったんでしょ」
「雪の推理力には相変わらず、脱帽っていうか。いったいどこで聞いたんだよ、それ」
円城くんがあきれる。
僕は反射的に目を、弁当箱に落とした。中身は全然減っていない。
「ただの僕の推理だよ。キミが徹くんに相談されたっていうのは、誰に聞いたわけでもない」
「ふぅん」
「――話を続けるよ? それで、キミは放課後まで教室に残っていたんだ。鍵が閉まっていたから針金で鍵を開けて。きっと何か行動を起こすと踏んでいたんだろう?」
円城くんはうなずいたりはしなかった。彼がうなずかないのは肯定ととっていいのかと勝手に理解して、僕はさらに続ける。一瞬、時間を気にしたけれど、5時間目まではまだ時間は余っているはずだ。
「結果、犯人は現れた。キミは犯人に近づいた。けど、車いすの音で簡単に犯人に気づかれた。ちょうどそのとき、守衛さんが現れたから難を逃れたわけだけどね。でも犯人がその隙に逃げようとしてとっくみあいか何かになったんだ。それで足と額に傷がついた。階段から落ちたか、あるいは相手にぶたれたか。蹴られたか……」
「雪、俺の何を見てたんだよ」
「見たままを話したわけじゃない。ただの推理だよ」
「雪は相変わらずすごすぎますわね」
相変わらず、なんて言葉は今は聞きたくない。そもそも《《アレ》》は過去の話だ。今の僕の話じゃない。
「そうでもないよ。で、円城くんは犯人を見たの?」
そのとき、僕のスマホが鳴りだした。
誰だ、こんなときに。
ちょっとイラッとして、スマホをズボンから引き抜こうとしたとき、さらにその場にいた全員のスマホが順番に鳴りだした。




