5話 雨宮夏輝
やがて10分もしないうちに、千ノ原さんと雨宮さんはやってきた。
ドアフォンが鳴るや、家の住人である徹くんより先に海さんが玄関に飛んでいった。
次に戻ってきたときには、その後ろには雨宮さんたちがいた。
ちなみに突然呼び出されたわけだから、わりと不機嫌な顔をして僕らの前に現れたわけだけれど。
「何ですの、まったく。まさか遠藤さんがわたくしたちの携帯の番号を知っているとは思いませんでしたわ」
「本当よ……」
千ノ原さんははっきりと怒りを示していて、一方で雨宮さんは静かな怒りを示している。
ふと、雨宮さんが僕を見て顔をさらにしかめた。
何でここにあんたもいるの、と言いたげな顔で。
嫌われたもんだなぁ。
僕はさっと視線をそらして、コップに口をつけた。
「そんなの、春日野に聞いたよ」
春日野蓮人。
B組の一員で、クラスの情報通。どういうコネを使うかは一切謎だけど、僕らのメアドや携帯番号、はては住所なんかの個人情報をいつの間にか仕入れている。気持ちの悪い人だ。
しかも持っているのは僕らの個人情報だけでなく、すでに学園にいる生徒、教師のも手に入れているとかいないとか。
彼曰く、その気になったら日本の政治そのものも動かすことができる情報さえあるらしい。頼むから冗談であってくれ。
僕も去年あたり、散々つきまとわれたもんだ。
本人の性格は普通なんだけどね。悪いのは趣味のほう。
そういえば海さんは、いつのまに彼と連絡をとりあったんだろう。
さてはいつの間につきまとわれたのかな、海さんも。
「あいつ~」
千ノ原さんはそう悪態をつくと、顔を真っ赤にしながらスマホを持って廊下へ出ていった。
たぶん、春日野くんに文句の電話でもいれるつもりなのだろう。
やれやれ。
「ところで、円城くんを呼ばなかったのはどうして?」
別にいてもいなくても、犯人ではないから問題はないけど。事情は雨宮さんたちから聞けばいいだけだし。
すると海さんは僕に一瞥をくれてこう答えた。
「この家、バリアフリー仕様じゃないからだよ」
「あー、俺の家はもともとじいちゃんとばあちゃんの家だったから」
台所で新しいお茶を持ってきた徹くんがそう言った。
「ふうん」
よく見ると、襖が開いた隣の部屋には仏壇が置かれていた。ここからは見えにくいけど、白黒の写真が2つある。もしかしてあそこに写っている人たちが、徹くんの祖父母なのかもしれない。
「まあ円城には、あとで話を聞けばいいよ。謝っておきたいこともあるし」
「謝っておきたいって?」
「あいつのことを誤解してたからだよ。あいつが怪しいって勝手に思い込んで、勝手に犯人にしていたから」
そういうことか。
「偉いね」
思わずそう言うと、海さんは照れたようにそっぽを向いた。
「……別に。わたしはただ、やるべきことはきっちりやっておきたいだけだよ」
そういうところが、偉いんだよ。
僕は心のなかでそう言って、お茶を飲んだ。ふと、視線を感じて顔をあげると、雨宮さんがまだ僕をにらんでその場に突っ立っていた。
いたたまれないなぁ……。
僕、彼女に何かしたかな。
やがて千ノ原さんが戻ってきた。その表情がいくらかすっきりしている。春日野くん、お気の毒に。みっちり絞られたんだろう。まあ自業自得か。
彼女がいつまでも突っ立っている雨宮さんを引っ張って、輪に加わったところで、海さんは咳払いをして本題に入った。
「でさ、雨宮さんに千ノ原さん。キミたちは円城と渡良瀬が仲なおりしている場面に、立ち会ったんだって?」
「……うん、立ち会った」
そう言ったのは雨宮さんだった。
そこに海さんは畳み掛けるように聞いてくる。
「そのあとも、円城のことを避け続けたのはどうして?」
「それは……」
雨宮さんは再び黙り、何故か僕をにらんできた。
今度は何!?
千ノ原さんが慌てるようにそのあいだに割って入ってくる。
「別にいいではありませんの、それくらい」
「わたしは雨宮さんに聞いてるんだ。キミには聞いてない」
海さんが冷たく言い放つと、その言葉に千ノ原さんもムッとして、彼女をにらんだ。
今度は僕が2人のあいだに割って入ることになる。
「まあまあ。別にそこはどうだっていいでしょ。で、円城くんと徹くんは仲直り? したんだよね」
確認のために雨宮さんに視線を向けると、彼女はぷいっとそっぽを向いた。
「感じ悪」
それまで黙って状況を見守っていた永井さんがぽつり、ともらす。けどそれ、キミが言うの?
「夏輝。雪の言う通りですわよね」
千ノ原さんがあいだに立つことで、初めて雨宮さんはうなずいた。
何だこの、通訳が必要とでもいうかのような会話は。
まるで僕の言葉をあえて無視しているかのような気がしてならない。ますます僕は、彼女に嫌われている理由がわからなかった。
徹くんにチラリと視線を向けると、彼は黙って雨宮さんを見ていた。
「さて。質問は終わりでしょうか? だったらもうお開きにしましょう。試験期間中にいつまでもよそ様の家にいたら、お父様に叱られますので」
え、来たばかりなのにもう帰るの?
あぜんとする僕らを無視して、千ノ原さんは立ち上がると、雨宮さんの手を握って、ドアまで歩きだした。
海さんも「そうだね」とうなずいて立ち上がる。
「ほら、帰るよ。呼び出した手前あれだし、1人ずつ送ってくから」
「いえ、その必要はありませんわ。わたくし、家の者に迎えに来てもらうので」
そうして千ノ原さんは雨宮さんを置いて、いったん部屋を出ていった。きっと家に電話するのだろう。彼女の家は千ノ原財閥という有名なお金持ちで、その1人娘の姫子さんは、社長令嬢だそうだから。
きっと、お迎えの車を寄越すに違いない。
「じゃ、俺はコノハを送ってくよ」
「はぁっ!? 別に送ってもらわなくても。ていうか隣だし」
永井さんが素っ頓狂な声をあげる。
しかし徹くんはそれを聞かずに今度は、残された僕らを見る。
「そうすれば、遠藤さんは雪くんを送るだけで済むでしょ」
「わかった」
って、なんで女である海さんが僕を送るんだ……。
思わず抗議をしようとしたところで、そこへ千ノ原さんが戻ってきた。
「5分したら車が来ますわ。夏輝、帰りますわよ」
「……あ、うん」
彼女は僕へ視線を送る。その瞳がにらんでいるようにも、不安そうに怯えているようにも見えて、なんだか僕は胸のあたりがざわざわした。
いいや、きっと気のせいだ。うん。
そう思うことにして、僕はみんなと一緒に外へでた。
5分後。千ノ原さんの言う通り、徹くんの家の前に黒塗りの高級車がやってきた。近所にいた住民たちがざわざわと騒ぎながら、その高級車に注目している。
しかし千ノ原さんはそれに慣れているようで、運転席から現れた白髭の男性にドアを開けてもらうと、雨宮さんと一緒に平然と車に乗った。
運転手の男性は僕らに一礼をすると、すぐに運転席へと乗り込む。エンジンがかかった。
後部座席の窓が少し開いて、千ノ原さんが顔をだす。
「それでは、さようなら」
「ああ、ばいばい」
海さんだけが平然と、車で走り去る彼女たちを見送った。
再び、近所が静かになる。
「じゃ、俺たちも帰るか」
「だから徹は家にいなさいって。あたしすぐ隣だし!」
「はいはい」
仲良しな2人を置いて、僕は海さんと一緒に帰ることにした。
「ていうか思ったんだけどさ」
僕は駅への道を歩きながら口を開いた。
「海さんって方向音痴だから、僕が海さんを、キミの家まで送ってったほうがいいんじゃないかな」
「雪、わたしの家の場所覚えてるの?」
「わりと自信はあるかも。ていうか逆に海さんは、僕の家知らないでしょ」
「うーん……」
何故そこで首をかしげる。
まさか僕の住所、春日野くんから聞いたわけじゃないよね?
彼にはバレていないと安心するには、まだ早い気がした。彼はいつか、絶対犯罪者になるだろう。きっと、円城くんが過去に何回か起こしている暴力事件でつかまるよりも早く。
駅に向かった僕らは、一緒の方向へ向かう電車に乗った。それから何一つ言葉を交わさず、静かに電車に揺られた。
目的の駅に着き、僕は海さんを最初にマンションへと送る。彼女のマンションは、駅から近い。
「じゃあ、また明日」
手を振る僕に、海さんも黙って手を振り返す。そして彼女は背を向けると、マンションへと消えていった。
僕はその背中を、黙って見送った。
***
海は自分の部屋に着くなり、早速シャワーを浴びた。今日1日あったことを、頭のなかで整理する。徹への脅迫文とメール。小春はそれに関わっていない。けれど1年前の事件、夏輝はまだ何か隠している。本当は聞きたかったのに、姫子が邪魔してきた。
いっそのこと電話して、聞いてみるか。さすがに夜になったら姫子も夏輝の傍にいないだろうし。
そう思ったとき、先月雪に言われた言葉を思い出した。
――人の事情に首を突っ込まない。あのクラスでは、これは暗黙のルール。
「暗黙のルール、ね」
そんなもの、守って何の意味があるんだか。
風呂場から出ると、ちょうどスマホが着信を報せていた。名前は雨宮夏輝。
海は慌ててスマホをとった。
「もしもし」
長い髪を手で勢いよく払いつつ、海は電話に出た。
『私、夏輝……』
「どうかした?」
小さな声でいまいち聞き取りにくい。海は音量を最大まであげた。
『さっき、言いそびれたことがあったから伝えようと思って……』
「何を?」
少し沈黙してから、彼女はこう言った。
『円城が、怪我をしてたの……』
「怪我?」
何のことだろうかと思う。すでに円城小春は二度と足が動くことはないと宣告されている。
そのほかに何があるのだろうか。
「どんな怪我?」
『あいつの、右足と額のあたり。足というか、足首に痣があるっぽい。靴下短いから、見えちゃって……。でも、もう痛みを感じないからあんまり痛くはないと思う。額は切り傷。前髪があるから、そんなに目立たないんだけど』
「ふぅん」
『興味なさそうね……』
「そういうわけじゃないよ。わたしはいつでも、こんな風」
『あっそ……』
「ところで、雨宮さん。わたしのケー番。どうやって知ったの?」
『着信履歴』
「あー、そっか」
海が最後まで言い切る前に、向こうから電話が切れた。
ついでにこちらからも情報を聞き出そうと思っていたのに、これは逃げられたな。
海はため息をついてスマホをテーブルの上に置く。
テレビを点けると、くだらない番組ばかりだった。夕飯を食べるのも面倒くさく、今日はアイスでいいやと、冷凍庫からアイスをだす。
「あーあ、面倒なことになったな」
そうつぶやき、アイスを齧った。
くだらない番組では、くだらないネタでみんながゲラゲラ笑っている。




