3話 糸口
数学の授業が終わると海さんはすぐに的場先生によって、職員室に連行されてしまった。
「大丈夫かな……」
僕がそう言うと、僕の近くを通りかかった立川浩次くんがあきれたようにつぶやいた。
「ある意味、自業自得だろ」
それはそうだけど。
やっぱり心配になって、僕は海さんたちのあとをついていくことにした。きっと職員室だろうと思っていたけれど、彼女が的場先生に連れられていったのは何故か理事長室だった。
もしかして相当な罰を受けるのか!?
ハラハラしながら、しかし何もできずに僕は理事長室の前で海さんを待ち続けた。
やがて5分もしないうちに、彼女は部屋をでてきた。
「失礼しました」
理事長室を出る前に彼女は一礼をしてから、部屋のドアを閉めた。
僕は驚いて立ち尽くした。
海さんが僕に気がつく。
「どうしたの、雪」
「こっちのセリフだよ。どうして理事長室になんか……」
「的場に連れていかれたから」
「あ、そう……」
海さんは僕の脇を通りすぎて、さっさと教室へ戻る。僕はそのあとを慌ててついていった。
「雪はどうして来たの?」
「心配、だったから……」
「そ」
くるりとこっちを向いた海さんに、僕は少しドキリとした。ポニーテールにした長い髪が本当に馬のしっぽのように動く。
「髪長いよね」
「うん? ああ、これね。男子の格好していてもさ、やっぱり。女子らしくいたいなって気持ちとかもあるんだ。でも、そろそろ切る予定」
「え、切っちゃうの?」
「うん。あ、そうだ。なんなら雪が切ってよ」
その言葉に、僕は一瞬ポカンと口を開け。即座に「無理、無理だよ!」と手を横に振った。
自分の髪だって切ったことがないのに、他人の髪なんか、もっと切れるわけない!
すると海さんは、不服そうに頬を膨らませる。
「えー、いいじゃん別に」
「無理だって」
「雪、見た目的に器用そうじゃん」
「器用じゃないよ、全然」
「ともかく頼んだよ。雪に拒否権は無し」
何その偉そうな発言。
まったく、どうなってもしらないからな。
「いつ切るの?」
「うーん。とりあえず、今回の事件が解決してからかな。さすがに今回は手間がかかりそうなくらい、やっかいだ」
海さんは難しい顔をしたあと、僕から背を向けて再び教室に向けて歩きだした。
***
次の週になると、体育に水泳の時間が加えられた。と言っても、僕は私情のため、プールの授業には参加しないので、もっぱらみんなの遊泳を見ているだけだった。
大杉学園のプールは室内なので、女子たちは「日焼け止めを塗らなくて助かる」と喜んでいた。
僕は見学者用の部屋がある2階席で、みんなの授業風景を眺めていた。この場には他にも、円城くんや海さんもいる。
授業が始まってまもなくして、海さんが席を立った。
「あれ、海さんどこ行くの?」
彼女はわずかに振り返って僕を見る。
「トイレ」
そう言うと、彼女はさっさと部屋をでていった。
僕はもう一度、階下にあるプールを見ることができる窓へと、視線を戻した。
みんなはプールの授業に楽しそうに参加していた。中でも一コースをまるまる貸しきりにして泳ぐ、島田絵菜さんはとてもきれいだった。まるで人魚のような華麗な泳ぎ方に、感動さえ覚える。たしか彼女は、小学生の頃、水泳のジュニア選手権で日本一になったことがあるらしい。
そんな彼女の傍には澄野楓さんがいて、島田さんに何やら声をかけているようだった。「頑張れ」とでも言っているのだろうか。
と、こちらに手を振ってきている人物がいることに僕は気づく。その人は篠田だった。両手を上に挙げて、ぶんぶんと激しく手を振っている。僕も手を振り返そうかなと思ったけど、そこへ体育教師の市川先生が現れて篠田を注意しだした。驚いた篠田は慌てて、泳ぎを再開した。
思わず笑ってしまった。
それから30分たっても、海さんは帰ってこなかった。トイレにしては長すぎる。何かあったんだろうか。
円城くんは黙ってプールにいるみんなを見ている。僕は彼に気づかれないようにそっと部屋をでた。
ドアを慎重に閉めると、僕はすぐに廊下を走った。海さんがどこにいるかはわからないけれど、とりあえず教室に向かうことにした。
「いない……」
教室のドアを開けてみるけれど、中はいっさい空っぽだった。
じゃあどこへいったんだろう?
「何してんの?」
「うわぁっ!?」
声をかけられて驚いて後ろを振り向くと、そこにはいつの間にか海さんが立っていた。驚いた僕に、彼女も一瞬だけ驚いた表情を浮かべる。
僕はほっと息をついた。
「……それは、こっちのセリフだよ。そっちこそ何してんのさ」
「ちょっとね」
「ちょっとって?」
彼女のことだ。また妙なことに首を突っ込んでいるに違いない。
海さんは眉間にシワを寄せた。どうやら答えたくないらしいけど、僕はなおも食い下がった。
「ちょっとって何?」
「……人が答えたくないっていう顔をしてるのにさ」
ボソッと言う声が聞こえたけれど、僕だってわかってて聞いてるんだ。とりあえずその言葉は無視しておく。
やがて彼女は観念したのか、ハァと息をついた。
「探してたんだ」
「何を?」
「誰が、あの文面を書いたか」
あの文面って、もしかしてあれだろうか。
わたらせとおるは、はんざいしゃ――。
「まさか、誰が作ったかわかったの?」
「これから確かめに行くんだ」
「こ、これからって? 犯人に会いに行くってこと?」
「違うよ」
海さんが歩きだす。僕はその後をついていった。
「ねぇ、どこに行くの?」
海さんが勢いよくこっちに振り向いてきた。
「あのねぇ、さっきから質問多すぎ! そろそろ自粛してよ」
「う、ごめん……」
そこから先は僕は黙って海さんのあとをついて行くこととなった。彼女はすたすたと歩いていき、時おり僕がついてきているのを見てため息をつき、またも歩きだすことを幾度か繰り返した。
やがてたどり着いた先は、1階にあるパソコン室だった。
海さんは入り口に最も近いパソコンの電源ボタンを押した。
パソコンが起動した音と共に、真っ暗だった画面が光りだす。
ログイン画面がでて、海さんはカタカタとキーをたたく。「ようこそ」の字と共にマウスポインタが砂時計に変わった。
ホーム画面に切り替わるまでのあいだ、海さんがぽつりと語りだした。
「先週、私は最終下校時刻まで残ってたんだ」
何故と聞こうとしたけれど、さっき質問が多すぎると言われたばかりだったから、黙って聞いていることにした。
「そのときはまだ、教室の外の廊下にはあの例の紙は貼られていなかった。けど、朝になったらすでにもう廊下に貼りだされていたんだ」
「ということは、犯人は誰もいない時間を見計らったってことになるね。下校時刻は完全に過ぎているし。たしか、守衛さんが校内を見回ったりもするよね。何時頃か知らないけど」
「さっき確認しに行った。最終下校時刻の19時。まず、教室棟を1階から順番に見てから引き返して、続いてここ――管理棟を見るっていうルートらしい」
「けど、最終下校時刻の19時まで海さんは学校に残ってたんでしょ? そのとき教室には海さん以外誰もいなかった。だったら犯人が誰にも見つからずに教室に残っているのは不可能なんじゃないかな」
「いや。わたし以外にも人はいたよ」
え?
「誰がいたの?」
海さんはそれには答えず、やっと立ち上がったパソコンをいじりだした。そのときちょうど、授業終了を知らせるチャイムも鳴りだした。
「コノハ」
「永井さん?」
永井さんが最終下校時刻まで教室にいるのはありえないだろう。彼女は帰りのホームルームが終わったらすぐにカバンを持ってマンモス図書館へ行くのが習慣だからだ。
ということは、海さんは永井さんが図書館から引き返してくるのを待つために、教室に残っていたのか。けど、どうして2人で一緒に?
「あ、そういえば守衛さんには確認したの? あの紙が貼られていたこと」
「確認した。3年B組の教室前を通ったときの時刻は19時30分頃。そのときは何もなかったって。廊下を歩いていたら、スッ転んだ拍子に手に針金があたって痛い思いをしたから覚えているって、さっき笑いながら説明されたよ」
「針金……?」
僕が首を傾げる横で、海さんは話を続けた。
「2本あったらしいよ。長さはこんくらい……て言ってた」
海さんはそう言って空間に、指と指を離して、その大きさを教えてくれた。
だいたい10センチくらいだろうか。
それにしても、どうして針金なんて。
「B組の鍵を最後に閉めたのは誰?」
「それは秋庭先生だよ。廊下ですれ違ったんだ。ちゃんと遠目で確認もした……」
海さんの声がだんだん消えていった。
きっと、彼女は今。僕と同じことを考えているのだろう。鍵をかけられた教室、転んだ守衛さん、その人の手元には針金が2本……。けれど、それだけで教室に人がいたという証拠にはならない。何より、どうして針金を廊下に置き去りにしてしまったのかの説明もつかない。
「犯人は、急いでいたってことかな」
「そうかもね。実際、予想通りだ」
海さんがパソコンから僕に視線を移した。僕はパソコンの画面を見て思わず「あっ」と叫んだ。
そこには見慣れたワープロの文字で、「わたらせとおるは、はんざいしゃ」とあったのだ。
「守衛さんが教室の廊下を歩いているときの経路は確認したの?」
「どうして?」
「仮に往復していたとしたら、帰りとかに、あの紙を見つけるはずだよ」
「あー、たしかに。でも、話題にのぼらなかったからそれはあり得ないと思うよ」
「一応、確かめに行ってくるよ」
僕はパソコン室を出て裏へと回った。守衛室はこの反対に位置するのだ。
守衛室では白髪まじりのおじいさんがのんびりとラジオを聞きながら、片手にあるコーヒーを飲んでいた。
僕がやってくるのに気がつくと、彼は目を丸くして「授業はどうした?」と聞いてきた。
「ちょっと調べ学習中で。守衛さんの見回りの時間について聞きたいんですけど」
「ああいいよ」
適当についた嘘を、守衛のおじいさんは何の疑いももたずに了承してくれた。ラジオをとめ、コーヒーを飲み干して、「さあ何だい?」と優しい口調で尋ねてくる。
「ありがとうございます。えっと、僕は中等部3年B組の雪っていうんですけど。守衛さんは僕らが帰ったあと、いつも何時頃に教室の見回りをするんですか?」
「時間帯ねぇ。えーっとたしか、夜の7時半頃かなあ」
言いながら、彼は壁にかけられてある見回り表をパラパラと片手でいじる。そこには何時頃にどこの場所を見回りしたかという、おそらく正確な時間帯が書かれていた。
「じゃあ次、なんですけど。教室も数が多いですよね。1学年4つもクラスがありますし。往復とかってしないんですか?」
「しないよ。たとえば1年生のクラスをD組から順番に見ていって、A組に着いたらそのまま近くにある階段を上がって、次の2年生の教室を見て回るって感じだね」
じゃあ仮にその後ろを誰かが忍び足でついていって、教室に何かいたずらをしても、バレることはないわけだ。
「あ。そういえば、さっきの子には言い忘れたんだが、この前はちょっと変だったな」
さっきの子――海さんのことだろうか。
「変って?」
「ああ。先週の話なんだが、そう。ちょうど3年生のクラスを全て見終わったとき、音がしたんだ。キィ、キィとか、カラカラって。急いで懐中電灯を向けてみたが誰もいなかった。引き返そうかと思っていたら、ちょうど守衛室で電話がかかってきてね。急いで戻るしかなかったんだが」
「どうして守衛室に電話がかかってきたってわかったんですか?」
「それはこれだよ」
守衛さんが渡してきたのは今どき珍しい携帯電話だった。いわゆる、ガラケーというやつ。
「これが守衛室の電話と連動していてね。守衛室に電話がかかってきたら、すぐにこっちの携帯も鳴るようになっているのさ」
なるほど。
「あとになって思いだして戻ってみたが、そのときにはもう何もなかったな……」
「紙とか、ありませんでしたか?」
「紙?」
「はい。A4サイズのコピー用紙です。朝になったら、3年B組前の掲示板に貼られてたんですけど」
「いや、知らないなぁ……。戻ってみたとはいっても、ほんのちょっと。チラッと階段越しに見ただけだから」
「そうですか」
ちょっと落胆しながらも、僕はとりあえずお礼を言って守衛室をでた。ちょうど休み時間が終了するチャイムが鳴り響いた。
僕はパソコン室に引き返し、海さんに守衛さんから得た情報を事細かに伝えた。
彼女は黙ってそれを聞くと、やがて口を開いた。
「映るわけないよ」
「何が?」
海さんはパソコンを閉じてこっちを見た。
「3年B組の前にある掲示板が、守衛の目に映るのはあり得ないって話さ。だって、掲示板のすぐ横には柱があるじゃん。壁が少しでっぱっててさ……」
言われてみて気がつく。
そうだ。C組とB組の間の壁には、たしかに柱がある。
守衛さんの立場になって考えてみると、誰もいない暗い廊下で急に物音がすること自体が恐怖なのに、そこを丹念に調べようとするなんてよっぽどの怖い物知らずでなきゃ不可能かもしれない。
さっと懐中電灯をあてて、すぐに引き返すだろう。その結果、柱を照らすだけで壁は映らないかもしれない。仮に何か映ったとしても、一瞬だったら目にとまる確率は、まあないだろう。
「守衛さんがこの管理棟――特にパソコン室のあたりを見回るのは、きっと1番最後。犯人はとっくの昔に帰ってるだろうし」
「手詰まりだなぁ」
「そうだね。犯人だってわからないし」
「いや、犯人はわからないけど、わかった」
「どっち、それ」
曖昧な表現の仕方に、僕が思わずそう返すと、海さんは真面目な表情を僕に向けた。
「それは――」
「何してるの?」
「わあっ!」
突然の第三者の登場に驚いて、僕らが声のしたほうを見ると、部屋の出入り口の前に、舟久保先生が立っていた。仁王立ちで腰に手をあて、その表情は、少しばかり怒っているようにも見える。
海さんが椅子から立ち上がって、僕の前に進み出た。
「別に。僕がサボりたくてサボっただけ。雪は僕を連れ戻そうとして、それで口論になってたんだ」
用意していた言い訳のように、さらさらと淀みなく海さんはそう言ったが、先生の表情は晴れなかった。
「そうは見えないわね」
舟久保先生ってば、やっぱり怒ってるなこりゃ……。
でも当然か。自分のクラスの生徒が授業を受けずにこんなところで油を売っているんだから。
体育の次の授業は、舟久保先生の英語の予定のはずだ。
「遠藤くん。あなたはたしかこの前、理事長室に呼ばれたばかりでしょう? またそんなことして」
「すみませんでした。以後、気をつけます」
「気をつけますの問題じゃすみません。雪くんも、連れ戻すつもりなら、もっと真面目にやりなさい!」
「す、すみません……」
結局その場で僕らは、舟久保先生のお説教を30分ばかり受けることとなってしまった。




