6話 須藤良太
戻ったら、須藤さんが半袖短パンの、学校指定の体育着を着て、部屋の真ん中に座っていた。
体育のときにはよくある見慣れた光景ではあるけれど、女子らしい部屋に不釣り合いな雰囲気を醸しだしている。
それにさっきまで私服だったのが僕が部屋に戻ってみれば突然体育着なのは、ちょっとばかり唖然とならざるを得ない。
「…………」
「何か言ってやんなよ」
海さんが素早くドアを閉めて言った。
いや、何かって何を?
ちらっと海さんに視線を送ると、「そんなの自分で考えろ」という顔をされた。
えー……。
「き、綺麗だね……?」
頭をまわして考えた、渾身の一言はしかし、海さんの「はぁ?」と言う言葉によって無惨にも打ち消された。
見れば海さんは、僕のことを信じられないような物でも見るような目でにらみつけて、それから須藤さんを見た。
「そう言う言葉を期待してたわけじゃないんだけど……」
「え、えっ!?」
僕はもしかして何か間違ったのか!?
いやいや、間違えたに決まってるだろ。曲がりなりにも須藤さんはクラスメイトで、そして今は体育着姿。一般の男子中学生だろうと、常識はずれたの男子中学生だろうと、言っていいことと悪いことがある!
なんだクラスメイトに向かって「きれいだね」って。変態かっ!
海さんがため息をついた音が聞こえ、目の前の須藤さんは恥ずかしそうに目をそらし、僕はなんだかいたたまれない。
穴があったら入りたい、とはまさにこのことだ。
海さんはその場にぺたんと座ると、テーブルの上に置かれているプリンへと手をのばした。
スプーンをプリンの表面に滑らせて、ぱく、と口へ運んだ。
「……むぐむぐ。あ、おいしいじゃん、これ。どこの? 市販品……ではなさそうだけど」
「あ、それは……駅前にある『ぼんぬ~る』っていうお店のよ」
「あぁ」
『ぼんぬ~る』だったら僕も知っている。
そこってたしか……。
「クラスメイトの月野くんの実家なの」
「そういやいたな、そんなヤツ。今度行ってみよっかな」
そして海さんは、あっという間にプリンを空にしてしまった。
さて、と海さんはハンカチで丁寧に口をぬぐってから一言。
「何か言ったらどうなんだ、雪」
「あ、うん……」
海さんが自分で脱線させた本来の話を、もとに戻した。
しかし、話を振られた僕といえば、さっきの今でまた変な失敗を犯してしまいそうで、気が気ではない。
恐る恐る、口を開いた。
「す、須藤さん」
まずは彼女の名前を呼ぶ。
体育着を着ている、彼女の名を。
「その体、大丈夫なの?」
「…………」
何も返答してこなかった。
須藤さんが恥ずかしそうにしているのは、体育着を着ているから、という理由ではない。まあ僕の変態1歩手前の発言で、顔を赤くしている可能性も否定できないけれど、今はそれを置いといて。
須藤さんの体育着から伸びる白い手足。それらに不釣り合いなほどに見えるのは、青い斑点たちだった。
まるで白い画用紙に青の絵の具をたらしたかように、点々と。
けれど、治りかけのものやまだ新しい物もある。
思えば、このあいだやっと学校で解禁された夏服のときでさえ、彼女は長袖の制服を着用し、挙げ句タイツまで履いていたのだ。
あのときはそんなことよりも、顔にできたアザに驚いてスルーせざるを得なかったけど、思えばその時点で異常は始まっていたのだ。
きっと須藤さんは、この肌を見られないよう必死だったんだろう。当たり前だ。こんなにたくさんの……、すごく、目立ってしまう。
「頬のガーゼは、とれたみたいだけど……」
「…………」
須藤さんは顔をうつむかせたままで何も言ってこなかった。前髪で顔が隠れているから、表情が読めない。
窓の向こうでは太陽がいまだに残っていた。夏になりかけているせいか、太陽がでている時間がまだ少し長い。今が何時くらいなのか、感覚がうまくつかめない。
遠くでカラスの鳴く声がした。
子どもたちに帰宅をうながす市内放送は、もう鳴り終わったのだろうか。
沈黙が続いていたそのとき、海さんが口を開いた。
「お兄さんだね」
須藤さんの体がびくりと震える。
「……今、下の階にいるよ。ずっとこっち見てた」
じゃあ、まさかこれをやったのは……。
口を開きかけて、すぐに閉じた。そんな事実確認をして、今さらどうなる? 現状を見れば明らかだ。
そのあいだにも、海さんは淡々と語る。
「学校に来られなかったのは、その傷が完治しないから?」
「…………」
何も答えないってことは、「そうだ」ということなのだろうか。
たしかに、女子にこんなアザだらけの体は、体力的にも精神的にもきつく、つらいものなのだろう。
「僕にはどうすることもできないのが事実だ。遥が助けを求めない限りな」
「……私が例えば、今遠藤くんたちに助けを求めたとして、助かるのは私だけでしょ。お母さんは、この家に残ったまま……」
母親?
「お父さんは?」と質問すると、より沈んだ声が須藤さんから返ってきた。
「……5年前に交通事故で」
「あっ、ごめん」
「ううん、平気」
須藤さんは首を横に振った。髪が長いからわからなかったけど、首にもうっすらと治りかけではあるが、アザが見えた。
「……前は、あんな風じゃなかった」
ポツリ、と須藤さんは言った。
「見た目は誠実そうだったね。それとも外ヅラがいいって言うのかな」
「海さん」
いくら何でも言い方ってものがある。
それで軽くたしなめるつもりで名前を呼ぶと、「いいのよ」と須藤さんがそれを止めた。
「平気だから」
平気って何を根拠に……。
海さんの表情がますます険しいものへと変わる。
「……私はね、お兄ちゃんが好きだった。優しくって、お父さんやお母さんが忙しいとき、いつも料理とか作ってくれて……。休日になると、夢くん……ああ、月野くんの家のケーキを買ってきたりとか、してたの」
須藤さんと彼女のお兄さんとの思い出話。
それを語るときだけ、やや須藤さんの表情にも明るいものが戻ってくるのがわかった。
けれど、それもほんの一瞬。
魔法が解けたように、すっとまたも表情に暗い陰が落とされた。
「でも、今になって思うと、そんなの気のせいだったのかな。いつも見てたお兄ちゃんは、本当は全部偽物で、ウソで、あのお兄ちゃんが、ほんとのお兄ちゃんだったのかなって……。正直、今はもう、好きかどうかもわからないの……」
好きかどうかもわからない。
それは実の家族を相手にする者にとって、いかに残酷なことなのだろう。
僕にはそういうの、わからないけれど。
誰もが家族を好きであるとも限らないけど、突然目の前でそれを突きつけられたときの、気持ちは。どれだけ――。
「あー、もう! おっもい空気だなあっ!!」
突如海さんが大声を張り上げた。
驚く僕らを見回して、海さんの指がびしっ、と僕の鼻先に突きつけられた。
「雪! クラスメイトで仲の良い女子、1人呼んできてっ」
「え、なんで」
「なるべく明るい子でよろしく」
って、僕はどこぞの紹介所か何かですか?
呆れかけたれど、海さんの意見にはちょっと賛成だった。空気が重い。それは物質的なそれではなくて、雰囲気的な意味で。だからその重い空気を変えてくれる、誰かがいてほしい。
「……わかった」
スマホを取りだして。誰がいいかなと悩んだのは、ほんの一瞬だった。すぐに思い付く人物を頭に思い浮かべると、僕はすぐにその人に向かって電話をかけた。
「もしもし?」