2話 転校生2
朝のホームルームの後、遠藤くんの席の周りには人だかりができた。
転校生が来た際の、当たり前の光景だ。
「なんだか、変な転校生だね」
教室の一番後ろの席でクラスの女子たちに囲まれている遠藤くんを見ながら、篠田がぼんやりとつぶやいた。
そこへ徹くんがやって来て、クスクス笑う。
「変って言えば、雪くんだって充分変だと思うけどね」
「え、僕?」
「たしかに」
徹くんの言葉に篠田が何故か同意したので、僕はイマイチ納得のいかない思いだ。
なんでそうなる。
「なんていうか、ほら。私、遠藤くんの声を聞いたときは最初、女の子かと思ったもん。声が少し高かったからさ。それに、顔だって男の子に見えるようで、女の子っぽくも見えるし」
「中性的ってやつだね」
徹くんの言葉に、篠田は「そうそう」とうなずく。
中性的、ね。
「そこを考えるとさ、雪だって中性的な顔つきをしてるし。――ほら、似てる」
そう言って篠田と徹くんは僕と遠くにいる遠藤くんの顔を見比べるようにしてから、互いにうなずきあっている。
僕って“中性的“なのか。
「今日の日直は誰だ?」
女子の学級委員の戸田えみりさんと話していた小野塚先生が教室じゅうに声を響かせて聞いてきた。
僕らはいっせいに黒板を見る。黒板の右端には今日の日付とそのすぐ下に、日直の名前が書かれているからだ。
「あ、僕だ」
僕は慌てて席を立って、先生のもとへ向かう。
小野塚先生が僕の顔を見てうなずくと、手にしていた日誌を僕に手渡してきたので、それを受け取った。
それで用が終わったと思っていたら、不意に先生が「あ」と声を上げて人差し指を立てて僕と、それから教室の奥を交互に見てきた。
ん?
先生の視線の先を見ると、そこにはクラスメイトに囲まれた遠藤くん。
「ちょうどよかった。雪、ついでに遠藤に学校を案内する役割を頼まれてくれないか?」
僕は目をパチパチとまばたきさせながら聞き返した。
「僕がですか?」
「いいじゃないか。よろしくな」
先生は僕の肩をポンポンとたたき、教室をでていった。
僕の都合は一切無視か。
まぁ、別段用事があるわけでもないから、別にいいんだけど。
仮にもしもサボったら、あとが怖そうだし。
「雪、私がその役割代わろうか?」
話を近くで聞いていた戸田さんが僕を心配してくれたのか、そう聞いてきた。「なんなら、林道にでも頼む方法もあるし」と付け足してくる。
近くにいた男子学級委員の林道直江くんが「え、何で僕がっ!?」と言ってきたのを戸田さんは彼をにらむことで黙らせてしまった。
「平気だよ。この学校にも慣れてきてるし。心配してくれてありがとう」
僕は苦笑しつつ、大丈夫なことを伝えると、戸田さんはあっさりと「そう? ならお願いね」と返してきた。
僕が自分の席へ向かうと、誰かがサッと僕の手から日誌を奪い取った。いきなり目の前から日誌が消えたから、僕は一瞬。何が起きたのかとあっけにとられる。
それを徹くんが笑って、「雪くんのマヌケ顔」と言ってきた。
手が伸びてきた方向を見ると、どうやら僕の手から日誌を奪ったのは篠田だったようだ。
彼女は日誌をパラパラめくり、やがてそれを止めると、「感想が書かれてる!」と嬉しそうな声をあげた。
僕は彼女の横から顔をのぞかせて、開いているページを見てみた。
日誌の各ページの下の欄には「本日の感想」という項目があって、日直がその日の感想をそこに自由に記入するシステムがある。どうやら篠田はそこで自分が書いたあとの、先生の感想を見たかったようだった。
読もうとしたけれど、残念ながら篠田の感想は非常に長々と書かれている上に字が細かかったので、よく見えなかった。
「何て書いたの?」
徹くんが僕の後ろから篠田に聞いてきた。
篠田は「体育のマラソンの授業が面倒だったこと~」とため息まじりに答え、それから日誌をパタンと閉じると、僕にそれを返してくれた。
そしてまた、ため息をつく。
「そんなにイマイチな感想が書かれていたの?」
そう聞くと、篠田はあっさりと首を横に振る。
「次の体育ってたしか、ハードルからだよね……」
篠田が3度目のため息をついて、机に突っ伏した。
「苦手なの? ハードル」
そう聞くと、篠田はこくりとうなずいた。
「だって、転んだら痛いし」
「転ばなきゃいいんでしょ」
徹くんが言うと、篠田はむくりと起き上がり頬をふくらませた。
「そりゃ、徹くんは成績良いし、運動神経が抜群だから大丈夫だろうけど、あんなの運動音痴の私からしたら、凶器だよ、凶器! 文字通り、ハードルが高すぎっ!」
不満をもらした篠田に、徹くんはケラケラと笑い飛ばした。
「上手いこと言うじゃん」
「笑いごとじゃないよぉ~」
「しかもその“次の体育”って今日じゃないっけ?」
「いやぁっ!」
篠田は頭を抱えて叫び声をあげたので、徹くんはまた笑い、僕は苦笑した。
***
さて、転校生というのは天才肌なのが常識らしいけど、そんなのはてっきり小説の中だけかと思っていた。
ところが、どうやら現実にもあり得ることだったようで。
それは、1時間目の数学の時間のことだった。
「じゃあ、次の問題を――。転校生の、えーっと遠藤。やってみろ」
転校生相手にも容赦のない的場先生の指名攻撃に、僕らは辟易としながら先生と遠藤くんを交互に見比べた。
大丈夫かな。
遠藤くんは自分が指名されたとわかるや、席からいたって冷静といった感じで立ち上がって黒板に近づいてチョークを手に取ったかと思うと、何と。ものの数秒でそこに答えをあっという間に書きだしてしまったのだ。
あっけにとられている僕らをよそに、遠藤くんは涼しい顔で自分の席に戻っていき、やがて席に着いた。
的場先生は遠藤くんの導きだした答えのすぐ脇に、大きく丸を描いた。
2時間目、国語。
僕はわりと国語の時間は好きだ。
といっても、随筆文や説明文といった格式ばったやつじゃなくて、物語文や古典のほうが僕にとっては得意分野なのだけれど。
「じゃあ、次。遠藤さん」
「はい」
立ち上がる遠藤くんを見ながら、隣の席の篠田がボソッとつぶやくように僕に言う。
「先生って転校生好きだよね」
それに僕は笑った、その瞬間だった。
まるでそこから本当にメロディが流れたかのように、遠藤くんが教科書の文章をスラスラと音読したのは。
ただの音読で、周囲にどよめきが起こるのは初めてだった。そしてそれは、僕も同じ。すごいなんてものじゃない。どうやったらそうなるってくらいに。すごく、綺麗な。
「座ってよし」
先生の命令に遠藤くんはうなずき、着席した。
3時間目の理科も下手をしたら怪我をしてしまう実験の前に恐れることなくあっという間にやってのけ、先生すらも圧倒させた。
4時間目の体育は、篠田の嫌いなハードル走だ。
「すげぇな、あいつ。さっきから止まんねぇ」
クラス1運動神経の良い立川くんがヒュウッと景気の良い口笛を吹きながら、感心気に見ている方向へ、僕も視線を移すと。
100メートル走に設置されてある7つほどのハードルを、ピョンピョンと軽々しく跳びながら走っている遠藤くんがそこにいた。
彼が跳ぶたびに、両足は水平に綺麗にのび、ポニーテールが風にのってぴょんぴょん揺れる。
かっこいい――。
「――とう、加藤っ!」
「雪、呼ばれてんぞ。次お前」
「あ、う、うん!」
まずいまずい、自分の番ということをすっかり忘れてしまった。
体育の時間が終わった瞬間、女子どころか男子までもが遠藤くんのもとへ走り寄っていき、彼らは興奮した様子で遠藤くんの周りを取り巻き始めた。