24話 マンション4
篠田たちがでていったあと、僕はさっきまで使っていた急須や湯呑などをおぼんにまとめて台所へ片付けた。
遠藤さんがチラッと僕を見て、「手伝って」と言った。
遠藤さんが僕の手に洗ったばかりのジャガイモ、ニンジン、玉ねぎがたくさん入ったボウルを渡してくる。
「これの皮剥いて、それから切って」
「わかった」
手近にある包丁を手にとって、まずはジャガイモの皮を剥いた。1本の糸であるかのように、ジャガイモの皮があっという間にスルスルと剝けていく。
隣で別の包丁を使ってニンジンの皮を剥いていた遠藤さんが僕の手元を見て、軽快な口笛を吹いた。
「手際良いね」
「慣れてるから。それに、遠藤さんの手際だっていいと思うよ」
「そりゃ、ずっと料理をしてきたから」
「へぇ」
遠藤さんは上機嫌ぽかった。あっという間に剝けたニンジンに包丁の刃をたてて、食べやすい大きさへと切っていく。
「遠藤さんは料理が好きなの?」
彼女のことを知るチャンスだと思い、僕は試しに質問してみる。
遠藤さんは少し悩みながら続けた。
「好き――というわけじゃないかな。食べてほしい人がいたんだ。そのために、一生懸命練習した。その方は病弱だったから、何でも食べられるわけではなかったんだ。栄養価のある食事を考えて、でもわたしは不器用だったから、全然できなくて。何度も失敗した」
「そうなんだ」
「……雪は、どうして料理ができるの?」
「さあね」
僕はそれを適当にはぐらかした。そして、遠藤さんもそれ以上は何も聞いてこなかった。
遠藤さんは適当に切った肉を鍋に入れた。
「あれ。これ鶏肉だね」
「わたしはカレーは鶏肉派なんだ。柔らかくて、とてもうまい」
「ところでさ、遠藤さん」
僕は先ほどから少し気になっていたことを、今更聞いてみることにした。「なんだ?」とこちらを見ずに鶏肉を炒めている彼女に、僕は口を開く。
「一人称、わたしなんだね」
「なっ!」
何かまずかったのか、遠藤さんは顔を真っ赤にして僕が適当に切っておいた野菜の入ったボウルをふんだくると、それを一気に鍋に投入してしまった。
「あ、なんで順番に入れないのさ!」
「うるさい。キミが変なこと言うからだろ? ほら、水注げ!」
「まだ早いから!」
料理はできるみたいだけど、どこかしら大雑把すぎる。僕はあきれながら、野菜を炒める役を遠藤さんから代わった。
「遠藤さんは前の学校でどんな風に過ごしていたの?」
「前の学校?」
「この学校に来たってことは、前に違う学校に通っていたってことでしょ? そこではどんな風に過ごしていたのかなぁって思ってさ」
そっと遠藤さんの様子をうかがうと、彼女は顔を伏せていた。唇を固く引き結びながら、目をじぃっと床に向けて、眉はひそまって、すごく。悲痛そうな顔をしていた。
聞いてはまずいことだっただろうか。
「遠藤さ」
「どんなって。普通だったさ。毎日が退屈で、つまらなかった。頼れる友だちもいない、周りはすべて敵だらけ。身内さえ冷たい視線を向けてきた。差し伸べられる手は、すべて振り払った。それだけだよ」
僕の言葉を遮り、遠藤さんはそう一気にしゃべった。まるで投げやりに。いい加減に。
僕は口をつぐんで何も言えなくなってしまった。
「わたしより、雪はどうなんだよ」
「ぼ、僕?」
まさか振られるとは思わず、僕は困って、とりあえず鍋の火を弱めて、用意していた水を鍋のなかに入れた。
油と水がケンカをするような、じゅぅぅぅという音がしたかと思うと、油は一気に劣勢となって、簡単に消沈してしまった。
鍋に蓋をして、しばらく煮込む。
「キミは他人のことに関しては、よくあれこれ質問をしてくるけど、自分のことについては話そうとしないんだな。わたしは正直、そういう態度は好かない」
それから、キッと僕をにらみつけてくる。
「キミは誰で、いったい何者なんだ。どうしてあの学園にいる。どうしてわたしにかまってくる。わたしみたいなヤツをみんな、気持ち悪いと言ってきた。それなのに、あの学校も、あのクラスメイトも、普通に接してくる。気持ち悪いのはどっちだ。わたしか? あいつらか? それとも」
「ま、待って遠藤さん」
僕は口の止まらない遠藤さんの言葉を、慌てて遮った。
「遠藤さんが……、何を思っているのかは知らないし、興味も。あー、ないわけでもあるわけでもない、けど。ちょっと落ち着いて」
「落ち着いてるさ」
「落ち着いてないでしょ」
噛みつく遠藤さんに、僕は少しむきになって声を荒らげた。
ああ、僕らしくもない。
「僕を何者なんだって聞いてきたけど、遠藤さんこそ何者なのさ。それに、キミのほうが人にすごいかまってくる気がするよ。あとずっと気になってたんだけど、小野塚先生のこと。先生はどうして僕を襲ってきたの? 遠藤さんは何か知ってるよね?」
「それは……」
遠藤さんの悲痛な表情がますます強くなる。
「それ、は……」
いつもの僕だったら、そこで止めていたはずだ。
こんなにつらい顔を目の前でされるくらいなら、止めた方がずっといい。だけど、僕は知らなくてはいけないと同時に思った。もしかしたら、自分が何者なのかという。そんな手がかりをつかめるような。
玄関のドアが開く音がして、続いて永井さんの「ただいまぁ」と言う疲れ切った声が聞こえた。
「ったく。このマンションのセキュリティ、おかしいわよ。遠藤、引っ越ししたら?」
廊下を歩いてくる足音もした。遠藤さんはその問いかけに答える。
「引っ越してきたばかりなのに、すぐに引っ越せるわけないだろ」
「じゃあせめて、あのセキュリティの厳重さをなんとかしなさいよ」
バンッと勢いよくドアを開けて永井さんがリビングに姿を現した。だいぶげんなりしている。無理もないだろう、彼女は篠田を送り届けるためにセキュリティを一往復したのだった。
遠藤さんと気まずい空気になってしまったのを悟られないように、僕は努めて明るい声をだしながら彼女にねぎらいの言葉をかけた。
「お疲れさま」
「ああ、うん」
永井さんは少し、毒気を抜かれたような顔をして「カレーだっけ?」と聞いてくる。
遠藤さんが隣でうなずいた。
「うん、そうだよ。ほら、雪。ルー入れて。そのくらい煮込んでおけば、もう充分でしょ」
「あ、うん」
鍋の蓋を開けると、野菜と鶏肉がいいにおいを発しながら、湯気とともに台所に充満し始めた。
僕はカレーのルーを割ると、鍋の中に入れて煮込みながら、遠藤さんが最後に渡してきたコーヒーの粉を少し入れた。
いわく、味がマイルドになるそうだ。