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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

最後の日

作者: ヨビネ

 ドラマと違う。

 暖かいと言われている男の体温は、朝には不愉快なほど熱い。快感とされているカラダの触れ合いも、恐ろしいほど痛みに近い。隣に寝ている裸の男とか、アイのない性交とか、この間やっていたウソ吐きの恋愛ドラマとか、キライなものは溢れかえる。その息苦しさで目を覚ました。隣に寝ている裸の男は、私の不快感など露ほども知らず、いかにも安らかそうに眠り続けている。日曜日の朝から悪い夢を見て、布団を握り締めていた手が汗だくで、肌と肌が触っている足が焦げるほど暑くて、隣に昨日初めて会った男が裸で寝ていて、お母さんのせいだ、と文字が浮かんでもいなかったのに、口は勝手に呻いていた。

 毎朝聞こえてくる、車が走り回る雑音がない。朝日がカーテンを通り抜けて、床の木目を照らしている。鳥のさえずりが、コドモの笑い声にさえ聞こえてしまう。隣の男さえなければ、とても清々しい日曜日だ。いつも枕のそばに置いてある、リモコンの電源ボタンを押し、テレビを起こした。先週終わったウソ吐きの恋愛ドラマの次は、また恋愛ドラマをやるらしく、それに出るかわいい顔のジョユウと、背格好の良いハイユウが何か喋っている。

 テレビドラマにも、たまに面白いものがある。でも、この前やっていた恋愛ドラマのような、ウソをホントウのように映しているものはキライだ。とくに最近、リコンとサイコンの話がキライだ。芸能人が自分でリコンの話をしているところなんて、もっとキライだ。大人も子供も、無能も利口も、男でも女でも、誰もが観ているテレビで、ワタシはコイツがキライですからリコンしましたなんて、堂々と発表するなんて、恥ずかしくて惨めだと思う。

 それを昨夜、隣の裸の男に言ってみたら「それを面白がるひともいるんだよ」と言い、更に「それにおれらの親も再婚なんだから、そんなこと言っちゃ、蓉子さんのお母さん可哀そうだよ」と言った。それより明確に頭に残っていることが「お父さんたち二人で旅行に行くから、おれ、蓉子さんとこ行けって、あれ、聞いてない?」という言葉だ。彼は知らないようだが、私は聞いていない。「彼のお父さん」と「私のお母さん」からのメールは、すべて開封していないからだ。「彼のお父さん」と「私のお母さん」がサイコンしたので、彼が私の「オトウト」になったらしいが、それでも、彼が私のマンションに来るなんてことは、聞いていないのだから聞いていない。

 彼は若いからか、よほど私よりも理解と順応が早い。考え方もおめでたくて、とてもうらやましく思う。

「蓉子さん、お姉さんって呼んでいい?」

 これを聞いたとき私は、まるでガソリンスタンドの空気の中に居るような気分になったのを思い出した。今のイヤな気分に頭痛が増えたように感じる。ベッドの脇にある目覚まし時計をわしづかみ、彼の後頭部に何度も打ち付ける妄想をした。同じ頭痛を味わってみて欲しいからだ。

 携帯電話も、常に枕元に置いている。仕方がないので、お母さんからのメールを探した。確かに二週間前の日付で「旅行に行くので修一くんをよろしくお願いします」とあった。旅行、とあるが、それの正しい言葉は、思い浮かべるのもおぞましいが、おそらく、あの旅行だろうと思う。わざわざ私の仕事が少ない時期に、放り出すわけにも行かない未成年の男をよこしてくれて、とてもありがたい。彼女たちが飛行機だか新幹線だかバスだか何に乗っているのか知らないけれど、それぞれの、墜落、脱線、滑落、を思い浮かべた。

 いつものように携帯電話をソファに放り投げたら、隣の男の位置のせいで距離感が狂ってしまい、木製の肘掛に衝突して音を立てた。

「えっ、なんでケータイ投げてんの」

 鬱陶しい、と即座に精神が訴えた。起きなくていいし、声をかけなくていいし、動かなくていいし、拾いに行かなくていいのに、彼はすべて無視した。

「なんで? どうしたの」

 脇に落ちていた私の携帯電話を拾うと、まだ私の返答を強請ってきたので、仕方なく「ソファに投げようとしただけ」と言っておいた。

「ノーコンなの? 機械大事にしなきゃだめだって。でも壊れたらスマートフォンにするといいよ。蓉子さんまだパカパカなんだね」

 お姉さん、を良しとしなかったから、蓉子さん、蓉子さん、蓉子さん、と呼ぶのだろうかと思った。もちろん、それ以外の呼び方がないということもわかっているが、彼の呼ぶ「蓉子さん」も、返事をしたくない響だ。だからと言って「お姉さん」と呼んだら、すぐにベッド脇の電灯から電球を外し、男の口にねじこみ、顎を強打くらいしたくなってしまう。今だって、まず、私の携帯電話に触った。それから、おそらく着るものを探しているのだろうけど、性器を丸出しにして私の部屋をうろついている。だから、そのぶら下げているモノをニッパーで少しずつ千切り取り、中の見えないビニール袋に詰め込んで、燃えるゴミに出したい、くらいの気持ちだ。服は昨晩、どこかに放り投げていたことしか覚えていない。いちいち言ってやると、彼から何かしらの言葉が返ってくるだろうから、それが気持ち悪いので言いたくない。

「蓉子さんのパンツこれ?」

 私の方を見つけたらしい。ソファの背凭れの後ろから、彼の手がそれを振っている。私は「よくそんなもの触るね」と言った。私だったら、彼のそれを触りたくないからだ。

「えー、昨日もうこの中まで触っちゃったし。これは果物の皮っていうか、そんな感じ」

「生ゴミ」

「わあ、そうじゃなくてさ」

「私にとってはそうよ」

 彼のまったく言う通りで、用があるのは中身だけだ。彼は悪い思いでそれを言ったのではないと理解している。彼の否定は、私の気分を害したから、それを取り繕おうとしているのだろう。若者らしいかわいらしい仕草だ。そのおめでたい頭の中を見るために、一昨日に砥いだばかりの包丁で、頭部の皮を果物のように剥いてみたい。きっとものすごく騒がれるだろうけど、やっている内に静かになると思う。今、目の前に庖丁が現れたら、それを行うのも悪くは無いが、現れたのは私の下着のほうだった。俯いていたので彼が何をしているか知らなかったが、私の手元に下着が落ちてきた。

「おれはコントロールできるよ」

 そう言いながら、野球の投手のポーズを取る。ただ黙ってよこせばいいのに、愛嬌を振りまいているらしい。やっとTシャツと下着を着た彼は、テレビを見て「七時四十分、平日より早い」と言った。

 テレビは先ほどと内容が変わっている。見たことのある顔の芸能人が、シャッターの光と報道陣に囲まれ、何か話している。美しい顔の女がマスカラを盛り上げた蜘蛛足の睫毛を羽ばたかせて「私は正しい、あいつが悪い」という意味のことを、長ったらしくやさしい言葉で並べ立てていた。どいつもこいつもいい加減にしろ、と一人だったら叫べるのに、男が居るから叫べない。

「ええーっ、この人離婚すんの? おしどり夫婦かと思ってた」

 おそらくテレビが、視聴者にしてほしいであろう反応をする修一氏は、私にも「ねえ、そう思わない」と同調を求めてきた。

 私は一切そう思っていない。いい歳をしたオバサンがリコンして、それを面白がって囲む下卑たオトナたち、そいつらの思い通りの反応をする目の前の男、その陰にひそむであろう、美しい女に捨てられた惨めな男。すべてに対して、「そう思わない」のだ。私はそういう意味で「思わない」と言った。修一氏は始終にこにこして「なんで」と言う。考えていたことを説明するのは面倒なので「女が生意気そうだから」と適当に言っておいた。本音ではないが、ウソではない。

「へー、こういうカオが生意気なんだ」

 彼はそういう顔が生意気だと知らないらしい。私は、お母さんの顔を思い浮かべた。私のお母さんは「お母さん」にしては、年齢の割に美しい。ついでに、彼のお父さんのことも思い浮かべた。彼のお父さんは「お父さん」にしては、年齢がとても若い。息子のいる若い男と、年増の美しい女の「サイコン」は、お互いが無知だからできるのかもしれない。彼のお父さんに、私のお母さんの中身を見せてあげたかった。あの美しい顔を皮むき器などで剥いでやって、腐った中身を晒してやれば、表面の美貌に騙されていたと思うかもしれない。

 息子の修一氏は、無知から生まれた無知の子だ。まだその辺りをうろついている。テレビが映すものは、もう興味がないようで、テレビ台に飾ってあるクラスターの緑柱石を手にとって眺めたり、本棚を右から左へ、背表紙だけを流すように見たり、鉢植えのヘデラの葉を触ったりしている。私は、床にガラス片が散らばっていれば、彼の目障りな足取りを見なくて済むだろうなと思った。だから、彼の頭を窓に叩きつけたい。

 そうしたいのは山々だが、せっかくの日曜日を壊すことはしたくない。日曜日は、きちんとした服を着て、ベーコンと卵とパンを焼き、コーヒーとミルクも用意して朝食を摂り、一昨日買った赤いリボンのピンヒールの靴を履いて、破けたタイツの代わりに新しいものを買い、食料の買出しもして、いつもの本屋に寄って、戻ったらアールグレイの紅茶を淹れて、借りておいた映画を観て、フツウの日曜日を過ごしたい。

「ねえ、きのう言ってたやつってこれ?」

 がさり、と彼の手からビニールが擦れる音がして、中身の軽そうな袋を振り上げていた。私の部屋にあるものなのだから、それが何なのか知っている。しかし、私はそれが大嫌いだ。彼はそれも知らないから、きつく縛ってある袋の結び目を、とても簡単に解いた。中身のかけらがひらりと落ちる。「造花なの」と彼が呟く。

 造花ではない。お母さんがとある式で使ったブーケだ。その式は、小さな会場で、招待された人も少なくて、とても盛大とは言えなかったが、お母さんは白のドレスを着て、白のブーケを手に、その式を行った。式の間中ずっと私は、あのドレスのふくらみの中に、プラスチック爆弾が詰まっていればいいのに、と考えていた。あのブーケや、お母さんの隣の若い男や、絵に描いたような顔で拍手をする他人や、司会者の切って貼り付けたような笑顔を、すべて壊してなくなってしまえばいい。それなのに、ブーケはたまたま乾燥が上手くいって、ミイラになってしまった。

 かさかさの白いバラを触り、修一氏もそれがわかったようだ。すごいなあ乾いてる、と呟き、別のバラに触れると、大きな白バラたちを囲むカスミソウがぱらぱらと落ちていく。

「これだよね。じゃあ早く行こうよ」

「私、昨日何か言ったっけ」

「えー、これだから酒飲むオトナは」

 テーブルに、昨日飲んだらしいビール缶がある。オレンジジュースの紙パックは、彼が飲んだのだろう。昨日、いくつか会話したことは覚えているが、ブーケについては、何を話したのかわからない。あのブーケはお母さんが投げずに、もったいないから私にくれるとかで置いて行った。もちろん、それの意味を知っている。だからこそ放置している間に、枯れて腐ってしまえば良かったのに、まるで私を監視するように、いまだに形を留めている。私もいつか、とある式をするかもしれないが、それがこの花に呪われたせいになるのかと思うと、私は、昨日彼に言ったかもしれないことを思い出した。

「燃やしたいって、言ったっけ」

「うん。ライターあるね、あと、チョークあるよ」

「なんで」

「学校でチョーク投げあいになってさ。たぶんカバンに入った」

 私の「なんで」は、何故、ブーケを焼いてしまいたいという私の秘密の衝動を、他人の修一氏に話しているのか、という意味だ。修一氏はそれを理解しないまま、学校に持っていっているらしい自分の鞄を雑な動きで探すと、とても短い白のチョークを取り出して「本当にあったし」と笑いながら見せてきた。

私は、ビール缶たった二つで、こんなコドモに、言わなければ自由な想像を、どうして話してしまったのだろう。修一氏はブーケとチョークを手に、何故、楽しそうにしているのだろう。そんな呪われの花を実際に燃やすなんて、それはまるで何かの「儀式」、と私は声に出していた。

「そうそう、姉弟誓約式、とか言ってたじゃん」

 魔法陣も書きたいって言ってたからチョークだよ、と付け加えて、彼はついでのように鞄から学校のジャージを取り出し、袖を通した。

「弟ができるって、蓉子さんあんなに喜んでたのに、忘れちゃったの」

 私がそんなことを本当に言ったなんて、信じられない。今日までずっと他人で生きてきた人間を、突然、今日から弟として扱うなんて、絶対にムリだ。ケッコンは、男女が愛し合って、これから家族になると約束する式がある。サイコンのせいで遭遇した私たちは、なんの式もないのに、姉と弟になれるわけがない。

 姉弟誓約式。

 彼のその言葉を思い出す。心の底から、ビール缶二つを憎悪した。私はこの男を今すぐ追い出して、フツウの日曜日を過ごしたい。今から適当な服を着てお母さんのサイコンブーケを燃やしに行くなんて、それを私が言い出したなんて、それを彼が真に受けているなんて、おかしい。フツウじゃない。常軌を逸している。非常識だ。イヤだ。

「今の、今のままでもいい」

 呪いのブーケなど、わざわざ腐るのを待たずに、ゴミ箱に捨ててしまえばよかった。それなら、こんなことを言わずに済んだのに。

 もし誓約式を行ったらそのお陰で、私たちは一般的な仲良し姉弟になってしまう。サイコンの二人は、さぞかし大喜びすることだろう。楽しそうな笑顔まで頭に浮かんでくる。私が燃やしたいのはブーケではなくその顔だ。修一氏はコドモだから、なんとも思わないのだろう。私は酒が入らなければ、コドモに戻れない。

 誓約式をしなければいい。それでいて、私のお母さんと彼のお父さんには演技をして、私たちを仲良し姉弟だと思い込ませる。しかし私たちは本当は、毎日のように今日を繰り返す。私にとって修一氏は永遠に、「隣で寝ている裸の男」に過ぎない。二人とも生理的な寂しさを消すために、そうしているだけになる。それを知らないお母さんとお父さんが、あなたたちは仲が良いわね、と笑う。

 それはまるで、ドラマのように滑稽だ。

「おれは」

 修一氏が何か言った。

「ずっと、いいなあって思ってたんだ」

 テーブルの灰皿近くに、ライターがある。それを彼は静かに掴み、火を灯し、ブーケの花びらに近付けていった。私は、やめて、と咄嗟に喋ってしまっていた。修一氏は停止したが、ライターの火は揺らめいたままで、彼の表情も、笑みから悲しみのようなものに揺らいでいる。

「火災報知機が鳴るから……外で」

 言ってみたら、なんとなく予想していたとおりに、彼はさっきと同じ笑みになっていた。諦めるしかない、かもしれない。フツウの日々と、それが壊れる願望を。

創作サークル「Ananas」 きょうだいアンソロジー参加小説

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