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風に恋して  作者: 皐月もも
第二章:風のお城の記憶
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中庭のプロポーズ

レオはリアを探して中庭へとやってきていた。カタリナが言っていた通り、リアはそこにいたけれど、今日は本を持っていない。噴水の前に立って、じっと湧き出る水を見つめている。


「リア?」


レオが近づいて声をかけるとゆっくりと振り返り、そしてまたゆっくりと視線を噴水へ戻した。


「あそこに……お父さんとお母さんが、いて……」


リアが呟くように言う。それは、レオに対してというよりも自分の記憶を辿るような、独り言のように感じられた。


「お父さんが、私を抱いていて……6歳、くらいかな」


レオは黙ってリアの言葉を聞いていた。研究室の本棚に飾ってある写真のことを言っているのだと、すぐにわかったから。


「……ここで、何か……大切なこと、が……」

「リア?」


リアの声が震え出し、レオが視線を下げるとその頬に涙が伝っていた。レオはリアの身体を自分の方に向け、親指で涙を拭ってやった。リアの翡翠色の瞳がレオを見上げている。


「そんな顔……しないで」

「え……?」


突然のリアの言葉に、レオは目を見開く。

それは、レオがここで……レオにすべてを委ねることを怖がっていたリアにプロポーズしたときの言葉だったから。


「どこ、で……私、誰……」


レオはグッと奥歯を噛み締めた。

ここで、今、リアに告げてもいいのだろうか。あの日のことを。それは……リアの記憶の蓋を開けてしまうことにならないだろうか。リアは昨日、精神崩壊の危機に遭ったばかり。これ以上彼女を刺激してはいけないはずだ。

けれど、リアが思い出そうとしているのなら……

レオがそんな葛藤をしていると、リアが1歩レオに近づいてきた。


「あなた、なの?」


リアの翡翠色の瞳に映るのは、紛れもなくレオ。リアの心は、レオを……感じてくれている?あの日のことを、忘れずに覚えていてくれている?

レオは一度目を瞑り、そして……リアを見つめ返した。

わからない。わかるのは、リアのことを今までにないくらいとても遠くに感じるということだけ。

けれど、レオはあの日も、今も、これからも……リアに出会ったときからずっと、リアに1番近いところに行きたいと願っている。レオの瞳には、リアしか映らない。


「あぁ。俺だ。お前に、ここで、プロポーズしたんだ」

「プロ、ポーズ?」


レオがリアの腰に手を回し、引き寄せる。距離が縮まって、レオの体温がリアに伝わっていくような錯覚。


「リア……『俺と、結婚して欲しい』」


ドクン、と。リアの心臓が波打った。


――『俺と、結婚して欲しい』


夢と同じ声。


「お前が欲しい……とも言った。その夜、俺たちは初めて朝まで一緒に過ごした。俺にとって、忘れることなどできない日だ。お前にとってもそうだと……」


レオの手が、優しくリアの顎を持ち上げる。レオは悲しそうに眉を寄せ、リアの額に自分のそれをコツリと合わせてきた。


「お前が、俺を……俺のすべてを、初めて受け止めてくれた日だった」


苦しいくらいに響いてくる低音と、リアの唇を撫でていく熱い吐息。そして、ゆっくりと近づいてくる端正な顔。身体の内側が震えている。心臓が、全身に伝えるシグナル――リアはこの感覚を知っている。

でも。


(私は、エンツォが、す、き……)


リアは頭に響いたその声で、反射的にレオの胸に手をついた。ピタリとレオの動きが止まる。


「わた、し……は……」


あぁ、違うのに。

“エンツォが好き”というのは、偽りの気持ちなのに。けれど、それならば、自分が想いを寄せていたのは……


(誰……?)


「エンツォが……ちが、う、私は……好き」


リアが呟くと、レオの手にグッと力が籠もった。


「リア」


名前を呼ばれて、視線を上げるとレオがじっとリアを見つめていた。揺らめく情熱に絡めとられて、逸らせない。最初に見つめ合ったときも、吸い込まれそうだった……漆黒の瞳。


「俺の瞳には、何が映っている?」

「わた、し……」


リアの答えに、レオは優しく微笑んだ。


「そう。お前が映っている。お前しか、見ていない。だから……」


グッと、レオの手がリアの頭を引き寄せる。呼吸が交わる距離。

身体が熱くて、心臓が痛いくらいにドキドキとして。レオには、リアの鼓動が伝わっているだろうか……


「だから、お前も……俺だけを見ろ」


リアはそっと目を閉じた。そしてすぐに唇に触れる熱さ。

それは、リアの心の水面を暖かい風でそっと揺らしていくようにリアを包み込む、優しいキスだった――…



***



その夜、レオはベッドに仰向けになり、じっと天井の一点を見つめていた。


『そんな顔しないで』


それは、確かにリアがレオに向かって言った言葉。

あの日――リアの、19歳の誕生日。レオがリアにプロポーズをして……初めて2人で夜を明かした、日。

リアが最初にレオの想いを受け止めてくれたのは、レオが強引にリアの気持ちを聞きだそうとして……気まずくなってしまった後。リアの母親クラウディアのちょっとした助け舟もあって、リアが自分の気持ちを告白してくれた。

男としてリアに接するようになったレオに、胸が痛くなるのが怖かっただけなのだと。それが恋だとクラウディアに教えてもらったのだと……

それでも、リアはキスより先に進むことをとても怖がって。すぐにでもプロポーズをして結婚したいと思っていたレオは随分待ったように思う。そんな時間も、リアのことを想えばつらいものではなかったけれど。

だから、忘れられるはずもない。リアがレオのすべてを受け入れようと決意してくれた日のこと。リアの涙も笑顔も、レオにかけてくれた言葉から触れた肌の温度まで、すべてを鮮明に思い出せる。

同じはずのその出来事は、リアの記憶の海の底に眠っている。


「リア……」


そっと呟いて、レオは目を閉じた。

瞼の裏に鮮やかに広がる、広間の様子。城で行われたささやかなバースデーパーティだ。あの日、リアを連れて抜け出して、中庭に出たのだ。その、決意を胸に。


――中庭に出ると少し風が吹いていて、ひんやりとした空気がレオの肌を撫でた。リアはレオの後をついて、いつも本を読む木の側までやってくる。そこで、レオは振り返ってリアと向き合った。


「リア」

「う、ん」


少し、声が硬くなったかもしれない。いつもと様子の違うレオに、リアは戸惑っているようだった。


「俺――っ……い、や……」


レオは言いかけて、視線を逸らした。


「レ、オ?」


リアが不安そうな声を出す。

言わなければ……そう、思うのに。リアがレオを好いてくれているということはわかる。でも、それは……レオにすべてを委ねることとイコールではない。


「俺のこと、好きか?」

「え……?」


突然の質問に、リアが問い返す。レオはリアの頬に片手を添えた。


「俺は、好きだよ。お前のこと、愛してる」


そう言って唇を寄せると、リアは目を瞑って受けとめてくれた。ゆっくりと触れるだけのキス。その熱が離れるとリアはそっと目を開けた。


「私も、好きだよ。レオのこと。だからそんな顔しないで」


レオは、どんな顔をしていたのだろう。リアの瞳から涙が零れて、ギュッとレオの腕を掴む。それを見た瞬間、笑みがこぼれた。その翡翠色の瞳がとても真剣で、真っ直ぐにレオを見てくれていたから。だから……


「リア……俺と、結婚して欲しい」


その言葉に、リアの瞳が見開く。驚いているのかもしれない。リアがレオの想いを受け入れてくれたとき、レオは“待つ”と言った。

キスと、少し触れ合う程度の1歩進んだ関係。それ以上は、リアがそうしたいと思えるときまで待つと約束した。レオに触れられて、今まで経験したことのない感覚にリアが戸惑っていたからだ。けれど、リアにとってそれはもっと長い期間だったのかもしれない。


「意味、わかるよな?お前が欲しい、って言ってる」

「そ、れって――」

「今夜。今すぐに」


リアが問う前に、レオは己の欲望を真っ直ぐにぶつける。

ずっと、リアを求めていた。だけど、傷つけたくなくて、大切にしたくて、待とうと決めた。怖がりながらではなくて、リアにも心からレオを求めて欲しかったから。

けれど、もう待てない。


「怖いんだ。お前が俺から離れていってしまうんじゃないかって。ずるいのはわかってる。だけど、俺はお前じゃなきゃダメだから。俺を刻み付けたい」


レオがリアの身体を抱き締めると、リアは少しだけ戸惑ったように身じろいだが……


「優しく、してくれる――?」


そっと、レオの背中に腕を回してくれて。


恋人という関係になってから、レオの部屋で一緒に眠ることもあった。

けれど、その夜は――

広いレオの部屋の温度を、リアの熱い吐息が上げていって。レオが白い肌に口付けを落として柔らかな肢体をなぞればリアが仰け反り、シーツを握り締める。レオはその手をとって指を絡め、口付けをする。


「レオっ、んっ……あつ、い……っ」

「もっと、熱くしてやる」


必死にレオの想いを受け止め、そして応えるリアがどうしようもなく愛おしかった。唇を離して、汗で肌に張り付いたリアの髪をそっと払ってやると、リアが潤んだ瞳でレオを見つめる。


「戻れないぞ」

「うん……」


覗き込んだリアの瞳は、不安そうに揺れていたけれど、その奥には確かに熱が宿っていた。レオは微笑んで、リアの額、瞼、鼻、頬、唇と順に口付けを落とした。

リアが目を閉じ、レオはその心臓に手を当てた。大きく脈打つリアの命。


「ヴィエント・デ・ラ・ヴィーダ……」


小さな風の渦が、レオの手のひらからリアの心臓に吸い込まれていく。レオがリアの太ももに手を添えると、リアがピクッとした。つないだ手に力がこもる。


「怖いか?」

「少、し……でも、大丈夫だよね?レオのこと……好き、だから」


リアが震えた声で言う。


「ああ。俺のことだけ、考えていろ」

「ん……」


レオはリアが頷くのを確認してから、ゆっくりと呪文を唱え始めた。リアの顔が苦しげに歪んで、レオの背中に爪が立てられる。

できるだけリアの負担にならないようにと思うが、リアは身体に力が入っていて、苦しそうに声を漏らす。それでも、だんだんとリアの心臓に浮かび上がっていく紋章が、レオとリアが結ばれていくことを示すのが嬉しかった。


「リア、目を開けろ」

「レオ……」


涙でいっぱいの瞳はレオだけを見てくれている。


「お前は俺のものだ。もう、逃げられない」


レオは笑ってリアの心臓に口付けを落とした。ヴィエント王家の紋章が刻まれた、心臓に。それから唇にキスをしてやると、リアがレオにしがみ付いてきた。


「逃げないよ。レオのそばにいる。レオも、ずっと私のそばにいて」

「あんまり可愛いこと言うと、優しくしてやれないぞ――」


長い、長い夜。今までで一番熱い、めくるめく夜だった。

リアはレオの腕の中で甘く歌い続け、レオはその艶やかな旋律に酔いしれた。レオは飽くことなくリアに想いを刻み続けて、それは2人の大切な夜になったのだ――

レオは寝返りを打って自分の隣のぽっかりと開いたスペースに手を置いた。

リアが眠っていた場所。自分の隣にリアが眠らない日が来ると……あの日には考えられなかった。

なぜ、こんなことになってしまったのだろう。リアは、何も悪くない。彼女は関係ないのに。


「俺が……っ」


レオは拳を痛いほど握り締めた。

レオがこうして苦しむことだけ。それが目的ならば、最初からレオだけを貶めればいい話なのに。

リアがレオの大切な人だから――最愛の人だから。たったそれだけで、この嵐に巻き込まれたリア。彼女を守れていないレオ。一国の王として大国を治めていても、たった1人――1番そばにいて欲しい人を守れなければ、何も意味がない。


「エンツォっ」


彼がレオを憎く思っているように、リアをこんな風に利用された今、レオも彼が憎いという黒い感情を抱かずにはいられない。たとえ、真実を知っていても。それが、父親――オビディオのせいだと知っていても。


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