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風に恋して  作者: 皐月もも
第二章:風のお城の記憶
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嵐の予感

――誰?


『俺のこと、好きか?』


そう、聞いてきたのは……誰だっただろう。


――いつ?


『もっと、熱くしてやる』


そう、触れられたのは……いつだっただろう。


――どこ?


『俺と、結婚して欲しい』


そう、言われたのは……どこだっただろう。


――誰が、いつ、どこで?


『俺のこと、男として見て欲しい』

『レオ様だって、あなたを傷つけることはしないわ』

『お前もそのような顔をするようになったのかと思ったのだ』



『お前が好きなのは、俺だ』



「――っ!?」


一際大きな声が頭に響いてリアは目を開けた。


(エンツォ……)


ズキズキと痛む頭を押さえながら、リアは長い息を吐き出した。

最後の声は、エンツォの声だった。その前、は……いろいろな声が混ざっていた。母親の声も、聞こえたような気がする。


「リア?気がついたのか」


その声に、ハッと顔を上げた。ソファに座って執務をしていたらしいレオが立ち上がり、ベッドに近づいてくる。


「どうした?気分は?頭が……痛いのか?」


あぁ、この声だ。低く艶のあるこの声が、一番多く聴こえた。


――『俺のこと、好きか?』

――『もっと、熱くしてやる』

――『俺と、結婚して欲しい』


リアは……レオの婚約者。


「リア?」


あの日――…あの日?いつ?


「おい、リア。大丈夫か?」


ぼうっとしたままのリアの身体をレオが軽く揺すってくる。


「え……あ、あの……私……?」


やっと返事をしたリアに、レオがホッと息をついた。


「倒れたんだ。どこか、痛むところは?」

「あ……頭が、少し……」


(倒れた?)


ふと辺りを見回すと、窓にはカーテンが引かれていて夜なのだということがわかる。おそらくは、かなり遅い時間だろう。随分長い間、眠っていたようだ。

確か、昼間にリアは図書館に本を借りに行ったはずだ。新しく借りた本は、きちんとベッドサイドに置いてある。レオが持ってきてくれたのだろうか。

その帰り、窓に叩きつける雨の音が響く廊下を歩いていたとき、扉の開いた研究室に――


「い、たっ……」


思い出そうとして、激痛が走る。


「リア!考えるな。今は、何も考えなくていい」


レオに抱き締められ、リアは目を閉じた。


「私……」

「何も言うな。もう少し休んだ方がいい」


そっと頭を撫でて、そして背中を優しく叩いてくれる大きな手。それが、心地良い。今は……この腕の中で眠りたい。


次にリアが目を覚ましたとき、窓からは太陽の光が差し込んでいた。久々に自然な明るさでいっぱいの部屋。昨夜、レオの執務の書類が山積みになっていたテーブルは綺麗に片付けられていて、ソファに座っていたレオの姿もない。

それだけなのに、部屋がまた広くなった気がする。

リアがそっとベッドを降りて窓を開けると、少し強めの風が吹き込んで、リアの長い髪がなびいた。

空は青く、澄み切っている。過ごしやすい暖かさに風が吹く――ヴィエント王国の典型的な夏の気候。リアの心とは正反対の綺麗な青空を見上げて、リアは目を瞑る。リアの髪を弄ぶように吹き込む風は、しかし、リアの心の靄を吹き飛ばしてくれることはしない。


昨日のことで、ハッキリとしてしまった――自分の記憶はおかしいのだ。

たくさんの人たちがリアを呼んでいた。

ぼんやりとしか覚えていないけれど、夢も見た。眠りの中で、脳が揺さぶられるように映像と音が流れて現実のように感じる夢――実際に体験したのは初めてだけれど、記憶操作が緩んだときの典型的な症状。


リアもクラドールであるから、記憶操作のメカニズムはわかっているつもりだ。本来の記憶に鍵をかけ、その上に代わりの記憶を植えつける。代わりの記憶には、元の記憶の扉を固定するような役割を果たす軸となるものが必要になる。簡単に言えば、“思い込み”だ。リアの場合、夢の最後に大きく響いた彼の声――エンツォのことが好き、というのがそれだ。

本来の記憶を取り戻すには、その表面の偽りの記憶をはがして鍵を解かなければならない。そうしないと、元の記憶と偽りの記憶が衝突して精神崩壊を起こす。昨日、リアが足を踏み入れそうになったように。

記憶は繊細なものであるから、この呪文の解除には高度な技術が必要となる。脳に働きかけるだけでもかなりの集中力を必要とする上に、本来の記憶と偽物の記憶をしっかりと分けなければならないからだ。更に呪術者の能力が強いほど、偽物の記憶は元の記憶に強く張り付き、解除が困難。

リアのほとんどの記憶を長い間偽物の記憶に保っていることを考えれば、彼の能力は並外れたものではない。この国に……この記憶操作を正確に解除できる人間が何人いるのだろう。


リアがため息をついたとき、ノックの音が響いた。少ししてカタリナがそっと部屋に入ってくる。


「あ……申し訳ございません。お返事がなかったので、まだお目覚めでないのかと」

「いえ、さっき起きたばかりで……」


窓際に立っているリアを見てカタリナが謝ると、リアは首を振ってテーブルについた。すぐにカタリナが朝食を並べていく。


「もう、お加減はよろしいのですか?」

「ええ……もう、大丈夫」


身体は大丈夫だ。頭痛も治まったし、自分にかけられた呪文が何かもわかった。本来の記憶につながる大量の情報を一度に入れなければ問題ない。


(エンツォが好き……)


心に浮かんだそのフレーズに、リアは笑った。

偽りだと知った今も、その思いに囚われる自分が滑稽だった。それが呪文の効果であるとわかっていても、偽りを心の中から取り除けない。

自分がわからなくなる。

フッとため息をついてフォークを手に取ったリアをカタリナがじっと見つめているのに気づいて、リアは首を傾げた。


「あの……?」

「いえ、まだお顔の色が優れないようでしたので……あとでセスト様を呼んで参ります」


カタリナはそう言って微笑むと、リアに紅茶を淹れてくれた。



***



「そうか」


執務室で、カタリナからの報告を受けていたレオは目を通していた書類をまとめて立ち上がった。


「あの……セスト様は、リア様の記憶を直すことはできないのですか?」


カタリナはレオの隣に控えていたセストに視線を向けた。


「できないことはないですが、できるというわけでもありません」

「それは……?」


セストの曖昧な返答にカタリナが首を傾げる。


「エンツォはかなり細かい呪文を使いますから、リア様の記憶も複雑に絡まっていると予想できます。それをひとつひとつ、一寸の狂いもなく仕分けすることは困難なのですよ」


セストはヴィエントの王家専属クラドールの中で最も優秀だと言える。だが、本来の得意分野は外傷治癒。体の内部、まして記憶となれば脳の話になるリアの場合、少し荷が重い。

ディノはそういった呪文に詳しいが、腕はセストより劣る。イヴァンはすべての分野において優秀だが、どれも“ずば抜けて”ではない。言ってみれば広く浅く、なタイプ。

そして、この城にいるクラドールはこの国のトップと言っていい。つまり、城外にリアの治療を100%の確率でできる者がいる可能性は、限りなくゼロ。


「リア様以外に、あれを紐解けるだろうクラドールを私は知りません」


レオはセストの言葉にグッと拳を握った。

そう、リアならば……

リアは才能に恵まれたクラドールだ。養成学校に通ったことこそないが、小さい頃から優秀な両親の元で学び、人一倍努力していた。そして、城のクラドールとして両親の手伝いもしていたから経験も申し分ない。


「自分で自分を治療するのは、難しいですからね。特に頭の中なんて……」

「そう……ですか」


カタリナはセストの話を聞き終えると俯いてしまった。


「リアは部屋か?」

「あ、はい。でも、今頃は中庭に出ていらっしゃるかもしれません。今日は久しぶりに晴れましたので」


レオは頷いて書類の束をセストに渡した。


「後は頼む。午後の会議に間に合うように用意しろ」

「承知しました」


レオが執務室を出て行き、カタリナもその後に続いて出て行った。セストは閉まったドアをしばらく見つめていたが、小さくため息をついて書類の確認を始めた。

嫌な予感を胸に抱きながら――


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