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風に恋して  作者: 皐月もも
第二章:風のお城の記憶
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リアの軌跡(2)

執務の合間にレオがリアを探して中庭へと出ると、案の定、リアは噴水近くのベンチで本を読んでいた。


「ここにいたのか」


そう声を掛けて隣に腰を下ろしたものの、リアは何も言わずに視線を本に落としたままだ。

最近少し落ち着いてきた様子のリアは、よく図書館に通っているようだった。それはレオにとっては幼い頃からのリアの習慣で、リアが中庭で読書をするのが好きだということもよく知っている。

記憶がなくても、そういった基本的なところは変わらない。

レオがリアの読んでいる本を覗き込むと、レオにも馴染み深い物語を読んでいて顔が綻ぶ。


「マーレ王国の神話、か」


リアは自分の故郷の神話が大好きだ。水資源に恵まれたマーレ王国の神話は、水の神に纏わる物が多い。リアは幼い頃から飽きることなく何度もその本を読んでいた。成長してからは落ち込んだときや悲しいときに読むことが多いのだが……

そこまで思い、レオはそっとリアの頭を撫でた。

リアはじっと黙ったままそれを受け入れている。本に視線を落としてはいるが、読んではいないのだろう。先ほどからページを捲る手が止まっている。

風になびくリアの髪。今日は耳元でひとつにまとめてある。その風に含まれる湿気を感じて、レオは空を仰いだ。


「明日からしばらく、雨が降るぞ」


その言葉にリアもつられて空を見上げる。

真っ青な、雲ひとつない空。少し風があるが、一見雨が降るようには思えない晴天。

そんなリアの表情を読み取って、レオは少し笑ってから手をかざした。その掌の上に風が集まって小さく渦を作っていく。

そして、それをリアの目の前に差し出した。


「お前ならわかるだろ?」

「ぁ……」


その風の渦からは、強い水の匂いがするはずだ。マーレ王国出身の者は水に関して敏感で、呪文も水属性。特にリアはその能力が強く、医療関係の呪文以外のそれも操ることができる。本来義務教育の過程で習う呪文に加えて、攻撃性の高いものや防御力の高いものも。

おそらく、リアの特別な力はそういった才能に関係しているのだとレオは思う。

レオは風の渦を散らすと立ち上がった。リアとは少しずつ一緒にいる時間を増やしていこうと決めた。それに、あまり長居するとセストにも小言を言われる。


「今日は執務が早めに終わる。カタリナに言っておくから、夕食の時間は食堂に来い」


リアは答えなかったけれど、レオはリアの頭にキスを落として城へと戻った。



***


『きっと……取り戻してみせる。もう一度、振り向かせてやる』


リアはレオの後姿を見つめながら、その言葉を思い出す。

レオがそう宣言してから……彼は前よりもリアの様子を見に来るようになった。今のように、ちょっとした執務の合間にも。そして、他愛のないことを2・3言喋って戻っていく。

あれから……レオはキス以上のことはしなくなった。キスも、額や頬、手の甲などに軽く触れる程度で、今のように頭のこともある。それでも、リアの体温を上げるには十分だった。

リアは本と一緒に膝を抱えて、顔を埋めた。

わからない。いや、わかりたくない。

自分の身体が熱くなる理由も、レオを強く拒めない理由も、何もかも。リアの求めるものとは正反対の場所へとつながっている。


「私は……エンツォが、好き……」


自分に言い聞かせるように呟く。

両親のいないリアを支えてくれた優しい人。好き、なのに。それなのに、どうして……エンツォの笑顔をうまく思い出せないのだろう。どうして、浮かぶのはレオの優しい笑顔なのだろう――



***



リアは窓の外を眺めてため息をついた。ガラスがリアの温かい吐息で白くなる。

レオの言った通り、あの日の夜から雨が降り続けている。もう3日目になるだろうか。風も強く吹いているらしく、雫が窓に叩きつける音が大きい。

天気が良い日は、中庭が暖かくて柔らかな風も吹いて心地よい。とても読書に適した場所。だが、こう雨が降っていてはさすがに外で本を読むことはできない。ここのところはずっと自室として割り当てられたこの部屋で本のページを捲っている。

他にすることもない。クラドールとしての仕事からもしばらく離れてしまっている。かと言って、この城で王家専属クラドールとしての役目に戻ることも気が進まない。

今は、ヴィエント城にも3人の王家専属クラドールがいるとカタリナが先日教えてくれた。セストはレオの側近として兼任という形だが、専業のクラドールが2人。人手は足りているだろう。

わざわざ記憶違いを自分から証明したくない――そう思っている時点でもう本当はわかっているのかもしれない。

リアはキュッと目を閉じて首を振ってからそっと窓から離れ、ベッドに置いてある本を手に取った。

また新しい本を見繕ってこよう。

そう思い立ち、昨夜読み終えた本とそれを一緒に抱え、リアは部屋を出た。

廊下では執事や侍女が忙しなく行き交っていた。今日も、誰か貴族が城にやってくるのだろう。彼らの出入りしている部屋は、来客用の部屋だ。

すれ違うたびに頭を下げられて、自然と早足になる。この城で暮らし始めて3週間……諦めもある、しかし、こういった扱いには慣れない。

図書館で適当に新しい本を手にとって部屋へと戻る途中、ふと、リアは見覚えのある扉に気づいた。いや、正確にはその扉が少し開いていたから気になった。

図書館へ行くのに何度も通った場所だからその部屋の存在は知っていたし、そこが城のクラドールが使う研究室だということも……認めたくないが知っていた。

リアは引き寄せられるようにその扉に歩み寄り、扉を押した。そっと中を覗いてみるが、誰もいないようだ。

研究室にはたくさんの薬品が置いてあるし、その中には取り扱いに注意しなければならないものもある。患者のカルテなどの個人情報だって保管してあるはずだ。

こんな風に扉を開けたままにしておいていいような場所ではないし、“不注意”だけで済まされる問題でもない。何かあってからでは遅いのだ。


「あの……誰か、いらっしゃるのですか?」


一応声を掛けてみたものの、返事はない。

リアはため息をついて扉を閉めようとした。鍵は掛けられないが、扉だけでも閉めておく方がいい。だが、リアはすぐにその手を止めた。目に留まった写真に見覚えがあったから。


「え――?」


扉の横の本棚、薬品調合の資料が並ぶそこに置かれた写真立て。その中に、自分が映っている。

リアはふらりとそれに近寄っていく。自分の容姿を見間違えるはずない。自分の両親の姿だって――鮮明に覚えている。


「……おか、あさん…………お父さん……」


城の中庭の噴水のそばに笑顔で立つ父、寄り添う母。そして、父の腕に抱かれて笑う幼いリア。噴水の周りの花壇には色とりどりの花が咲いていて、綺麗だ。今の城の中庭の景色と……重なる。


「しゃ、しん……?」


不思議に思ったことさえなかった。少し考えれば、おかしいとわかることなのに――リアは家族の写真を持っていない。

リアは弾かれたように窓際の机に駆け寄り、その引き出しを片っ端からあけて中身を投げ捨てるように床に落としていく。そうして散らばったノートやファイルを手当たり次第に開いて読んだ。

城での診察や街での往診の記録、患者さんのカルテや流行り病の分析と治療方法……それらが、確かに父親の筆跡で書かれていた。

その隣の机の中身は母親のそれで、その中には自分の書いたものも混ざっている。

机の引き出しに鍵がかかっていないことも、研究室の扉が開いていたことも、すっかり頭から抜け落ちていた。

心臓が痛いくらいに脈打つ。

 それは――確かに両親も、リアも、王家専属のクラドールとしてこの城に住んでいたということ。


(わ、たし……私は――っ!?)


ドクン、と。

一際大きく心臓が音を立てた。


(な、に?)


頭が割れるように痛い。


「っ、う……」


リアは頭を抑えて床に片手をついた。散らばったカルテがぼやけてくる。

頭の中で、たくさんの色と音がぐるぐると回る。知らない人たちがリアに笑顔を向けては消え、景色が目まぐるしく変わって、痛い。


「やめて……」


しかし、それは止まることなくリアの中を駆け巡る。


――『リア』

――『リア様』


リアの名を呼ぶ、数え切れない人たち。リアの知らない、人々……


「いやっ、いやぁ!」



***



――その頃、レオは図書館へと向かっていた。


執務の合間にリアの部屋に行ったのだが、彼女はいなかった。この天気では中庭には出られないから、図書館に本を探しに行ったのだろうと思って歩いていたのだが……

それは、ちょうど階段に差し掛かったときだった。


『いやっ、いやぁ!』


下の奥の部屋からリアの叫び声が聞こえ、レオは階段を駆け下りた。

研究室の扉が少しだけ開いている。

レオは乱暴にそれを押し開き、中へと入った。資料やカルテの散らばった床に、リアが座り込んでいる。


「リア!?」

「うっ、やめて……やめ、っ」


リアは床に手をついて肩を上下させていた。レオが駆け寄って身体を支えてやると、虚ろな目でレオを見た。おそらく現実の世界は見えていないだろう。尋常でないほどの汗をかき、涙を流して呼吸をするのも苦しそうだ。


「リア、何も考えるな。思い出してはダメだ」


何が起こっているのか瞬時に察したレオは近くの薬品棚を目で追う。大小さまざまな瓶に入った薬品のうち、青みがかった液体の入った瓶に目を留めた。それを取り上げ、蓋を外してリアの口元に持っていく。

「リア、飲めるか?」


しかし、リアはレオの声が聴こえていないらしく苦しそうに呻くだけ。

レオは舌打ちをしてその液体を自分で煽り、飲み込まないままリアに口付けた。グッとリアの後頭部を押さえて口移しで飲ませていく。


「んっ……」


リアがすべて飲み込んだのを確認してから唇を離した。


「リア」

「はぁ、はっ……っ」


まだ少し苦しそうではあるが、リアの瞳にはしっかりとレオが映っている。レオはリアをギュッと抱き締めた。


「大丈夫だから」


レオが何度も「大丈夫」と言い聞かせるように呟き、リアの背を擦ってやるとリアはレオの背中に手を回してしがみ付くようにした。

それが嬉しくて更に強く抱き締める。こんな状況で、不謹慎だと……思うけれど。リアがレオを頼ってくれている気がして、守ってやらなければと思う。


「リア。もう、大丈夫だから。何も考えずに眠るんだ」


そして――


「れ……お、っ…………」


微かに漏れた声はレオの名を紡ぎ、リアはそのまま気を失った。



***



「なくなった、だと?」


レオが一際低い声を出す。レオの執務机をはさんで立っていた3人のうち、2人がビクッと身体を震わせたが、セストはそれに怯むことなく、1歩前に出て話し始めた。


「研究室を最後に使ったのは今朝、東地区への往診へ行く前です。そのとき鍵を掛けたのは私も確認しております」


現在、ヴィエント城にはセストを含めて3人のクラドールがいる。そのうちの1人、ディノの所有する研究室の鍵がなくなっている。


「け、今朝は確かに――」

「ふざけるな。なくなった、で済む話ではない」


レオはディノの言葉をピシャリと遮った。

元々あの研究室は厳重に管理されている部屋だ。鍵も3つつけてあるし、本来ならば机の引き出しにも鍵がかけられているはずなのだ。


「盗まれたにせよ、故意に開けておいたのでしょうね。もっとも、ディノもイヴァンと共に往診に行っています。朝からずっと行動を共にしていたようですので、アリバイがあります。そうだよね?」


セストが2人に問うと、2人は首がもげるのではないかというほどに首を縦に振った。


「残るのは私ですが、レオ様もご存知の通り、今朝早くにマーレ王国との外交会議へと貴方の代わりに行きました。鍵も肌身離さず持っております。この調印書がアリバイにもなりますよね?」


セストが調印所をレオの机に置き、チャリと音をさせて鍵を見せる。


「帰ってきたのは、5分ほど前。とても不機嫌な貴方に出迎えられて、でございます」


そう言って、ニッコリと笑ったセストにレオはため息を吐いた。

「……わかった。とにかく、研究室の鍵を変えろ。すべてだ」

「承知しております」


セストは軽く頭を下げた。


「2人とも、忙しいのに悪かったね。もう仕事に戻っていいよ」

「「は、はい」」


ディノとイヴァンは、セストに微笑まれてそそくさと執務室を出て行った。


「そもそも……」


執務室の扉が閉まるのを確認してから、セストはレオに向き直る。


「あの2人は、リア様の記憶について知りません。つまり、“リア様の精神崩壊を促そうとして彼女の記憶を刺激する”という結論に至る前提すら、彼らの中には存在しないのですよ」


ディノの鍵を盗んだ何者かが、リアをあの部屋に入るよう仕向けた。

そう考えるのが妥当だ。リアの記憶について知っているのは、レオとセスト、カタリナ、そしてリアの食事の世話をさせているシェフのみ。


「あるいは……スパイがいる、という可能性も否定できません」

「それは、エンツォがこの城にいる……と?」


セストの推測に、レオはこめかみを押さえた。


エンツォ・アレグリーニ。元王家専属クラドール――そして、リアの記憶に鍵を掛けた男。

彼もオルフィーノ一家が王家専属クラドールとして重用されていたのと同じ時期に務めていた。クラドールとしての腕は確かだったがニコリともしない男だった。

物静かで何を考えているのかわからない男、それがレオの印象。ただ、レオを見るときはその瞳の奥に揺れるものがあったように思う。その理由を知ったのは、エンツォがリアと共に姿を消してからだったけれど。


それは、1年ほど前のこと。今日のように雨が強く降り、風が吹き付ける夜だった。

必死に探したけれど、まったく見つからなかった2人。それが、リアの両親の命日に墓へ行ったらあっさりと会えた。1年もの間、あらゆる手を使っても見つけることができなかったのに、だ。わざとリアをレオの元へ戻したと……そう思わずにはいられない。

そして今度は自分で塗り替えたリアの記憶の無理矢理呼び覚まそうとしている。


(一体何を考えている?)


「どちらにしろ、すぐに調べます」


セストの声に、思考に沈んでいたレオの意識が引き戻される。


「頼む。だが――」

「承知しております。リア様の様子を見てから、でしょう?」


その言葉にレオはフッと笑みをこぼして立ち上がった。


「あぁ」

レオがセストと共にリアの部屋を訪れると、リアはベッドでぐっすり眠っていた。

呼吸も落ち着いていて、今回は危機を免れたようだ。セストがリアの様子を見て、レオに向かって頷く。レオも頷き返して、リアの眠るベッドにそっと腰掛けた。

あどけない寝顔。リアより遅く眠って、早く起きて……レオの腕の中で安心したように眠るリアを見るのが好きだった。


「……ん…………」


レオがしばらくリアの寝顔を見つめていると、リアの瞼が薄っすらと開く。ぼんやりと視線を彷徨わせて、レオの方を見て……


「リア?」


レオが呼びかけると、頷くような仕草を見せてからまた目を閉じてしまった。


「……リア」


今のは、レオに答えてくれたと思っていいのだろうか。それともただ、意識がハッキリしなかっただけ?


「少し、夢を見ているのかもしれません」


セストがレオの心を察して口を開く。


「夢?」

「はい。記憶が刺激されたので、本物の記憶の方が浮かんでくるような……私も詳しくはわかりませんが、記憶操作の呪縛が緩むと頭の中でそのときの出来事などが再生されると医学書にはありました」


レオはそれを聞いて、リアの額にそっと手を当てた。

リアは今、レオのことを夢に見ている……?

それは、今のリアにとって苦しいことではないのだろうか。


「夢ですからあまり影響はないと思います、と言いたいところですが……」


セストが珍しく歯切れ悪く呟く。それからふぅっとため息をついて、続けた。


「リア様の場合は自分自身の記憶がおかしいことをこの城での生活で感じているはずですので、精神的につらくなるかもしれません。偽物と本物の記憶の間でリア様の心が壊れやすくなります」


ほんの少しのきっかけで、リアの記憶が呼び覚まされてしまう。特に今はまだ、リア自身が偽物の記憶を信じようとしている。それを捨てきれないままでは、彼女の心が正常な状態を保てない。


「記憶修正について調べてはいますが……」


記憶修正――リアの偽りの記憶を、彼女に負担を掛けずに正す呪文。脳に施す呪文のため、難易度はかなり高い。1日2日で習得できるものではない。

だが、セストなら、あるいは。


「記憶については……お前に任せる。だが、自然に思い出せる可能性もあるんだろ?」

「私がマスターできるかどうかは別問題ですよ。自然回復も見込めないことはありませんが、それはリア様が“納得”しなければいけませんから」


リアの心の安定が最優先。

リアが自分の記憶喪失を認め、本物の記憶を求めたとき――真実を受け止めようと心から思わなければ、必ず歪みが生まれてしまう。


「あぁ……とにかく、リアの周囲に一層気を配ってくれ。俺もなるべくリアのそばにいるようにするから」

「承知しました」


セストは礼をしてリアの部屋を出て行き、レオはそのまましばらくリアの寝顔を見つめていた。


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