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風に恋して  作者: 皐月もも
第二章:風のお城の記憶
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リアの軌跡(1)

リアはヴィエント城の図書館にいた。

部屋で塞ぎこんでいることの多いリアを見かねて、カタリナが読書でも、と連れてきてくれたのだ。カタリナが、リアが読書好きだと知っていること……それはリアの心にまた1つ影を落としたけれど。

扉を開けた瞬間の独特の匂い――紙の匂い、とでもいうのだろうか。リアはこの空間が好きだった。


(す、き……?)


その考えに、リアはハッとした。

リアはこの図書館に来るのは初めてのはずだ。それなのに、なぜ……懐かしい、と思ったのだろう。

リアは自分の考えを否定するように首を振った。


「リア様?」


ふと、カタリナに呼びかけられてリアは現実に引き戻される。そっとその空間へと足を踏み入れると、たくさんの本棚に数え切れないほどの本が並んでいる。国内の文献はもちろん、他国の文献も豊富に取り揃えてある。

リアはゆっくりと本棚の間を歩いて、たまに目に付いた本を手にとってペラペラと中を見る。

だんだんと眉間に皺がよっていくのが自分でもわかる。読んだことのある本ばかり……


(気持ち悪い……)


頭の奥がズキズキする。


そんなリアの様子をカタリナは少し離れた場所から見ていた。

リアが城に戻ってきて1週間ちょっと。相変わらず口数は少なく、部屋に1人でいるときは泣いていることも多いようだが、食事はそれなりにするようになった。

レオに諭されたから……なのだろうか。

そうであるなら、リアの中には少なからずレオの存在が残っているということだ。“婚約者”としての、レオの記憶が。

図書館に来るまでも、リアは怯えたような、失望したような、複雑な表情で辺りを見回していた。カタリナが案内も兼ねて、軽く各部屋の説明をしたが、そんなことをしなくてもリアにはどの部屋がどんな目的のものかわかっているようだった。知らないはずの城の図面が、身体に染み付いている。それはリアの記憶がおかしいということを証明するだけだ。顔色の悪くなっていくリアをここまで連れてきたのは、彼女の傷口をまた広げてしまうことになるのかもしれない。

カタリナがそう思ったとき、バサッと音がしてリアの手から本が零れ落ちた。


リアの視線の先には、本から飛び出てしまった押し花の栞。


「こんな、こと……」


リアは自分が1度読んだ本には必ず押し花で作った栞を挟む。それがリアの習慣であり、彼女の目に映る確固たる証拠――リアはこの城で生活していた。


「う、嘘。嘘だって言って!」


リアが縋るような目でカタリナを見る。けれど、彼女の求める答えはない。


「嘘ではないのです」


カタリナがそう言うと、リアは駆け出した。


「リア様!?」


カタリナの呼びかけと伸ばされた手を無視して、リアは図書館を飛び出した。 


――苦しい。

リアは図書館を出て、もつれそうになる足を必死で動かした。真っ青な顔をして廊下を走るリアに執事や侍女たちが振り返ったり、制止しようとしたりするのも振り切ってとにかく走る。

どこかへ逃げたい。どこへ行けば――

結局、たどり着いたのは自分に与えられた部屋だった。かなりの距離だったはずなのに、迷わずに自分の部屋に帰って来られた。帰ってきてしまった。それは、図書館の本たちと同じくリアに“記憶喪失”という事実を突きつける。

リアは柔らかなベッドに突っ伏した。一体、自分に何が起こったのだろう。本当にリアの記憶が変えられているとしたら、なぜ?


「変えられて……?」


枕に顔を擦り付けるようにして泣いていたリアはその言葉の意味に気づく。事故や事件ではない。“変えられている”という表現は、誰かが故意にそうしたように聴こえる。

誰が、何のために……?

リアの知っている人は少ない。町の患者さんと診療所を手伝ってくれていたエンツォ……両親はもう亡くなっていて、幼い頃にヴィエント王国へ移住したリアは親戚にも会ったことがない。もしくは、呪術者の記憶も消されているか。

考えてもわからない。ただ……


「エンツォ……」


1人ぼっちになったリアのそばにいてくれた人。リアの、想い人。リアが突然いなくなって、心配しているだろう。

リアが好きなのは、エンツォなのに――… 



***



レオが執務を終えてリアの部屋に行くと、リアは眠っていた。そっとベッドに近づけば、頬に涙の跡。レオはベッドの淵に座り、それを指先でなぞっていく。


「リア」

「――っ」


レオの声に、リアがゆっくりと目を開ける。その目は真っ赤に腫れていた。ずっと、泣いていたのだろう。レオを瞳に映した瞬間、リアの表情が怯えたものに変わる。咄嗟にベッドから抜け出そうと上半身を起こしたが、レオはその身体を引き寄せた。


「いやっ」

「リア。何も、しないから……」


身を捩るリアの背中を優しく叩く。幼子をあやすように。


「いや……離して……っ」


リアがレオの胸についた両手にグッと力を入れる。だが、レオはその手を自分とリアの身体の間に挟み込むように、リアの身体を一層引き寄せた。


「――っ」

「何もしない。ただ、少し……話を聞いてほしいだけだから」


レオはリアの首筋に頬を寄せ、ギュッと抱き締める腕に力を込めた。背中を優しく擦り続けたまま……

しばらくそうしてやると、本当にそれ以上触れてこないことに安心したのか、諦めたのか……リアは大人しくなった。リアの抵抗が止んだところで、レオは少しだけ腕の力を緩めて口を開いた。

「今のお前には……酷なことなのだろうな」


記憶がないまま、突然ヴィエント城へと連れ戻された。リアにとっては“攫われた”と感じる出来事だったはずだ。


「お前が城に来たのは、5歳のとき。俺が、12歳のときだ」


その言葉にレオの腕の中でリアがかすかに首を横に振ったが、レオはそれに構わず続ける。


「初めから、お前に惹かれていた」


大きな瞳でレオを見つめるリアは、怯えながらもしっかりとレオと視線を合わせて逸らさなかった。可愛らしくてすぐに手折られてしまいそうな儚い外見とは違う、芯の強さに惹かれた。


「城では歳の近かった俺とお前は、自然と一緒に過ごす時間も増えて、お前は俺に懐いてくれた」


どんどん綺麗になっていくリア。軍の兵士や執事、たまにパーティで城にやってくる貴族の息子たち……彼女に憧れる男も少なくなかった。

柔らかな栗色の髪の毛、翡翠色の綺麗な瞳。化粧をしなくても十分に美しい白い肌と整った顔、女性らしい曲線を描く身体。穏やかな物腰に恥じらいと奥ゆかしさを兼ね備え、更には聡明で優秀なクラドール。

身分は同じ。クラドールは人の命を救うことができる尊い職業として地位は高い。王家専属クラドールとなれば、上流貴族とも肩を並べるほどの認識をされる。レオの想いを止めるものなんて何もなかった。あったとしても、きっとレオはリアへの想いを貫いただろう。

親しくない者には特に消極的なリアの1番近くにいるのはレオだと自信があった。けれど、他の男に攫われる――そんな心配が、リアの成長とともにレオの頭から離れなくなったのも事実。

リアのことを、妹として見たことはなかった。けれど、リアはレオが告白をするまで彼を兄のように思っていた。レオの気持ちを伝えたとき、とても驚いていて……途端に怯えた瞳になった。

「最初、お前は俺の気持ちを受け入れてくれなかった」


レオはそのときを思い出して笑った。リアの気持ちを聞きだそうとして、それが出来なくて……無理矢理キスをした。


「……少し、強引に迫ったこともあった。そのときも、お前はとても怯えていて……後悔したんだ。今の俺も、同じだ」


ギュッと、リアを抱きしめる腕に力を込める。


「ごめんな……本当は、いけないとわかっていた。俺のことを覚えていないお前を、この腕に抱くことは、お前を苦しめることにしかならないと」


ごめん、ともう一度呟くように言う。


「耐えられなかったんだ。俺を思い出してくれるかもしれないと、バカな期待もした。お前は確かに俺を愛してくれていたから」

「わ、たし……あなたのこと、知ら、な……」


レオの腕の中で、掠れた声を出すリア。

そうだ。リアは……レオを忘れてしまった。けれど、心の奥底にレオの欠片が眠っていると……レオは信じている。自惚れでも構わない。

リアを抱いたとき、レオを呼んだリアの心を信じようと決めた。


「あぁ……それでいい。今は、それでもいいから。でもきっと……取り戻してみせる。もう一度、振り向かせてやる」


振り出しに戻った、それ以上に後退してしまったというのなら……もう1度リアの手を引こう。


「リア、お前を愛してるんだ」

その心地よく響く声が、リアの中にすんなりと流れ込んでくる。レオのすべてがリアを包むように温かい。


(どうして、私は――)


知らない、はずなのに……

こうしてレオの腕に包まれると身体が熱くなる。規則正しく脈打つ鼓動を聞くと安心する。矛盾していく、心の中。

レオはリアを待つと言ってくれている。強引だったのは、レオも心の中で葛藤していたからで……それでも、彼はリアに優しく触れてきた。

拒めなかったのは、リアだから。

レオのせいだけじゃ、ない――そう思えるのは、どうしてだろう。レオを責めることもできるはずなのに、そうしようと思えない。リアが……彼の温もりと、命の音を、求めているから。

だんだんと、瞼が重くなっていく。

リアはこの優しい子守唄ビートを知っている……?

うとうとし始めたリアに気づいたレオがそっとリアから身体を離し、優しくその身体を横たえてくれる。顔に掛かった髪を払って、額にそっとキスをして。

ゆっくりと頭を撫でてくれる大きな手。

リアは瞼を上げようとするのをやめた。このまま眠ろう。温かな手の温度を感じながら。


「おやすみ、リア」


遠くから、レオの声が聴こえて……リアの意識は夢の中へと沈んでいった。


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