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幸せなせいかつ ~Bitter & Sweet~

作者: mamisyan


美咲は困っていた。


最近無言電話がくるのだ。

一日2回、美咲が出勤する前と家に帰ってすぐくらいに。


心あたりはまったく無い。

アルバイト先のパン屋の人達は良い人ばかりだし、誰かと揉めているということも無い。


「う~ん…」


アルバイトからの帰り道、美咲は首を捻っていた。


美咲は買い物をしてから家に帰ることが多い。

家に帰る時間もまちまちになることもあるのに、美咲が帰宅したのを見計らったように電話が鳴る。


マンションのエントランスをくぐり、3階の部屋を目指す。

鞄から鍵を取り出し、部屋の電気を点けるとタイミング良く電話が鳴る。


「も~、また?」


無言電話だとわかっていても、もしかしたら他の電話かもしれないと毎回電話を取る。


「はい。」


「…………………」


やはり無言電話だ。


美咲は心の中で嘆息した。


電話の向こうはざわついている。恐らく外からかけているのだろう。


「もしもし?ご用件が無いなら切らせていただきます。」


うんざりしながら受話器を置いた。


「まったくなんだってのよ!言いたいことがあるなら言えばいいじゃない!」


美咲はぷんすか怒りながら夕飯の支度にとりかかった。


まさか、本当に言いに来られるとは思ってもみなかった。




バレンタインが明日に迫ったある日、アルバイトを終え帰路に着こうとした時後ろから声がかかった。



「あ…あのっ…!」


美咲が後を振り返ると、白いファーの付いたコートを着た女性が両手を握り締めて立っていた。












優子は5年前に入社して来た狭山雅哉がずっと好きだった。

入社初日、皆の前に立って挨拶をした雅哉に一目惚れをしたと言っていい。


細身のスーツを着こなし、清潔感がある。

今の若い人には珍しく髪を染めておらず、耳にかからないように短髪にしている。

二重の目はぱっちりとしていて、眉はまっすぐで凛々しかった。


事務の裕子とシステムインストラクターの雅哉には接点が無かった。

同じくシステムインストラクターをしている同期の佐々木にそれとなく聞いても、


「あいつ、プライベートのこと話さないからな~」


と全く使えない。

雅哉と交わす会話はすれ違った時の挨拶くらいだ。

遠くから雅哉を見つけて、わざとすれ違うように道を迂回する。

優子に気づいた雅哉に


「お疲れ様です」


と声を掛けられただけで仕事が1日はかどった。



見つめるだけの片思いを続けて2年経過した頃、雅哉に彼女ができたと人づてに聞いた。

今まで彼女がいなかったのであれば、なぜ自分はもっとアプローチしなかったのかと悔いた。

会話をする機会を増やしていたら、自分の存在に気づいてもらえていたら、もしかしたら今頃雅哉の隣で笑っていたのは自分だったかもしれない。


それから優子は、雅哉の部署に用事がある人がいれば仕事を奪って部署に行き、外回りから戻ってくる頃を見計らってお手洗いに行ってわざと廊下で会うようにしてみたりした。

洋服やメイクにも気をつけ、いつもスカートで女性らしい服を身につけてみたりもした。


同期の佐々木から雅哉の彼女が料理上手だと聞けば、すぐに料理教室を申し込んで料理の腕を上達させるべく頑張った。


なのに…なのに…



ある日、事務の優子のところに雅哉がやってきた。


雅哉が事務のフロアに顔を出すのは珍しい。何か個人的な提出書類がある時くらいだが、思いがけずに雅哉の顔を見れた優子の気持ちは浮き足立った。



「お疲れ様です。これ、提出に来ました。」



ドキドキしながら雅哉から書類を受け取る



「あ、はいっ!えっ……」



雅哉から受け取った書類は、結婚届けだった。



「あの、青野さん?」



雅哉がいぶかしげな顔で見てくるが、優子はあまりにもショックで固まってしまった。

裕子の様子がおかしいことに気づいた別な人がやってきて、優子の横から書類を覗きこむ。



「あら!狭山さんご結婚されたの?おめでとう!!」



大きい声を出した為、事務所にいた全員が一斉にこちらを見た。



「あ、はい。ありがとうございます。」



照れたように雅哉は頬を掻いた。

その左手には結婚指輪が光っていた。



その後の優子は仕事が全く手に付かず、退社まで何をしていたのかも記憶に無い程だった。


なんで私じゃだめなんだろ…。努力もたくさんしてきたのに…。


家に帰ってからも茫然自失としていた。

幸い、翌日は休みであった為どれだけ泣いても大丈夫だった。

食欲も湧かず、虚ろな顔で土日を過ごしたが月曜日は必ず来るし、仕事には行かなければならない。

重い足を引きずって会社に向かい、自分のデスクを開ける。



「あ…」



雅哉から受け取った結婚届けが入っていた。

あまりにショックだった為、無意識に仕舞っていたらしい。


これも処理しなければならない。

早く上長に提出し、印をもらってしまおう。あまり長く手元には置きたくない。


そう思って不備が無いか書類を見直す。



「妻…美咲…」



妻の欄があるので、もちろん名前が書いてある。

雅哉の字は全体的に小作りだが、丁寧に書かれていて美咲を大事に思っている気持ちが込められているようだった。


美咲、という人が雅哉の隣に収まっている。

一緒に暮らし、仕事から帰ってきた雅哉を出迎えるのだろう。


その光景を想像した瞬間、どうしようもない嫉妬が湧きあがってきた。

手元にあったメモにこっそり住所と電話番号を書き出し、回りの目を窺いながらポケットにしまう。

これは立派な犯罪だ。

ばれたら懲戒処分になり、この会社にはいられないだろう。

冷静な自分が警告を発するが止められなかった。


預かった結婚届けに不備は無く、優子はサインを書き何食わぬ顔で上長に提出をした。

その日の業務終了後、カフェに入りポケットのメモを取り出す。

このカフェは駅とは反対側にある為、会社の人と遭遇することはまずない。


優子は無言でメモを見つめ、携帯を取り出した。

少し震える手で電話番号を押す。


呼び出し音が鳴るが、出る様子は無い。

おそらく留守なのだろう。

今の時刻は18時だ。もしかしたら雅哉の奥さんは働いているのかもしれない。

事務の自分は仕事がほぼ定時の17時半で終わる。

しかし、インストラクターの人達は仕事相手の都合にも寄るのでそうそう早くに終わることはないはずだ。

よっぽど遅い時間に掛けなければ雅哉が電話を取ることはないだろう。


そう考えて、優子は自嘲した。

いったい自分は何をしているのか。

雅哉の奥さんに嫉妬し、電話をしたところでどうするつもりなのか。


自問してみるがもちろん答えは出るはずがなく、優子はカフェを後にした。


翌日、お昼休みにまた電話をかけてみた。



「はい、もしもし?」



出るとは思っていなかった優子は驚き、思わず電話を切ってしまった。

心臓がドキドキと早鐘を打っている。


今の時間に家にいるということは、今日は休みということだろうか。

土日休みではない…ということはスーパーなどのパートでもしているのだろうとあたりをつける。


財布に入れておいたメモを取り出し、住所を眺める。



「高砂町…」



自分が住む町よりも二つ先の駅にあるところだ。

メモをまた財布にしまい、午後からの仕事に戻った。





「えと、この辺だよね…」


翌日、仕事が終わってから優子が降りたのは一度も使ったことのない駅だ。

結局来てしまった。

完全なストーカーだ。

しかも探しているのは雅哉ではなく、名前しか知らない雅哉の妻、美咲。

昼休みに電話をし、家にいないことは確認済みだった。



駅前に商店街にはスーパーもあり、美咲はこの辺で働いているだろうと思った。

目についたスーパーに入って店員のネームを見てみるが、美咲と思われる人はいなかった。

本屋などにも入ってみるが、それらしい人物はいない。


しばらく歩き、今日は諦めようと考え、夕飯に買おうと思って入ったパン屋で優子は目を見開いた。



「いらっしゃいませ!」



パンの品出しをしている一人の女性店員のネームに『狭山』と書いてあった。


入口でしばらく茫然としていると、後から客が来た為慌てて中に入る。

パンを取る為のトングとトレーを持ちながらその人を観察する。


背は小柄で、髪をポニーテールで結んでいる。

三角巾から出た髪が動く度に揺れていた。

肌は荒れている様子もなくきれいで、若干つり目の猫のような顔立ちだ。

エプロンをしているが確実に胸が大きい。


なんとなく自分の胸を見下ろしてみる。

たぶん背は同じくらい。私の方が細いだろう。

胸…。

完全なる敗北だ。



「美咲ちゃん、その商品もう時間だから下げてもらっていい?」



奥から店主と思しき男性が声を掛ける

優子が見つめていた女性がはーい!と元気に返事をした。



「お客様、申し訳ありません。後を通らせていただきます。」



パンの乗ったトレーを持ちながら、優子の後を通って奥に入って行った。


この人だ…。間違いない。

みさきって呼ばれてた。


パンの会計をし、向いにあるカフェに入る。

パン屋の入口が見える窓際に席を取り、忙しそうに動いている美咲を見つめる。


なんだ…。特別に美人ってわけじゃないじゃない。

体系なら私の方が細いし、服装だって私の方が頑張ってる。

少し胸が大きいだけ。そう、それだけ。



しばらく見ていると、美咲は奥に入って行き数分後に店から出てきた。

三角巾を外し、上着を着ていることから仕事が終わったのだろう。


腕時計をチラっと見ると19時10分。

美咲の仕事は19時までのようだ。


優子は席を立ち、美咲の後を追いかけた。


その後の美咲はスーパーに立ち寄り、買い物をしながら携帯を操作していた。

そのすぐ後、美咲が携帯を取り出し耳にあてた。



「もしもし雅哉君?」



雅哉からの電話のようだった。

優子は胸が痛んだが、美咲の会話に聞き耳を立てた。



「うん、今日はもう終わったよ。今スーパーに寄ってるところ。今日のごはんはね~、グラタンだよ!雅哉君好きでしょ?」



美咲はふふふっと笑いながら話した。

優子は苦しかった。

なんでこの人は幸せそうにしているのか。



「うんうん、今日は遅くなる?そっかぁ、なるべく早く帰ってきてね。」



美咲は顔を綻ばせながら話す。


雅哉がグラタンが好きなんて私は知らない。

奥さんの仕事が終わると仕事先から電話してきてくれるなんて知らない。


自分は社内の雅哉しか知らないのだ。

しかもほんの一部だけ。


込み上げてくる感情は嫉妬、という言葉では表せないものだった。

なんでこの美咲という人は努力もせずに雅哉の妻になっているのか納得できなかった。


自分は努力したのだ。

きれいになるように、料理が上手くなれるように、雅哉と会話できるように。


なのに、なにも報われていない。

なにも。なにも。

もしかしたら美咲がいなければ、雅哉は自分に気づいてくれるかもしれない。


時間はかかるかもしれないけれど、自分の気持ちが伝われば選んでくれるかもしれない。


優子はパンの袋を握り締め、店から出た。


美咲が家に着くのはきっと20時過ぎくらいだ。

その日から優子は20時を少し過ぎた頃に電話を掛けるのが日課となった。

美咲が出ても何も言わない。

電話はすぐに切られてしまうのだが、掛けることを止められなかった。



もうすぐバレンタインだ。

テレビのCMも、街中もチョコレートのポップで溢れている。

今まで何度も雅哉に渡そうと思ってきたが、土壇場で勇気が無くなってしまう。

今年こそ渡そうと心に決めていた。

その前にやることがあるのだ。


バレンタインの前日、優子はとびきりおしゃれをしてきた。

ビジューの付いたベージュのツインニット、黒のフレアースカート、白のファー付きのふわふわのコート。

少しでも自分がかわいく見えるように頑張った。


会社では今日はデートか?などとからかわれたが、自分にとってはデートよりも重要なことだった。


終業後、電車に乗り二つ駅を乗り越す。

以前入ったカフェに入り、同じ席に座る。


美咲が仕事を終え、出てきたところを見計らって声をかけた。









美咲は声を掛けて来た人を見つめたが、見覚えの無い人だった。


「あの…、狭山美咲さんですよね…?」


なぜ私の知らない人が私の名前を知っているのだろうか…美咲は首を捻った。


「はい。そうですが…。えと、どちら様ですか?」


美咲は身構えた。


「突然すみません。私は狭山雅哉さんと同じ会社の青野優子と言います。」


必至な様子のその人を見て、美咲はピンときた。

女のカンは当たるのだ。


「で、どういったご用件でしょう?」


優子を連れだって入ったファミレスで美咲は口を開いた。

なぜファミレスかというと、今の時間は家族で来ている客が多く賑やかなので話しの内容を聞かれなくて済むからだ。


優子は頼んだコーヒーが届いても、一向に口を開かずじっとテーブルを見つめていた。

美咲が口火を切ると、ゆっくり目を上げ美咲の目を見た。


「…担当直入に言うと、狭山さん、狭山雅哉さんと別れていただけませんか。」


優子は意を決して話した。

美咲に何を言われるのか怖くて目をぎゅっとつぶり、下を向く。


「青野さん、でしたっけ?雅哉君のことが好きなんですか?」


美咲の声は落ち着いていた。


「美咲さんと雅哉さんが付き合う前からずっと好きでした。美咲さんが付き合わなければもしかしたら私がッ…!」







優子は膝の上でスカートを握り締めた。

滑らかな生地のフレアスカートが皺になっている。

それを見ながら優子は思った。


今日の私はかわいいはず、もっと自信を持たないと。


自分を奮い立たせて美咲を見る。

美咲はというとやはり髪は飾りゴムでひとつにまとめ、シンプルな薄いオレンジのニットとデニム、ショートのファー付きダッフルコートにフリンジのついたキャメルのショートブーツだった。

化粧も薄く、リップにいたっては何も塗っていない。


地味…なはずだった。

Vネックのセーターは美咲の肌の白さやきめ細かさを引き立たせ、鎖骨をきれいに見せている。

豊かな胸は谷間に影を作り、胸からウエストにかけてきれいなラインを出していた。

化粧はおそらくコンシーラーなど使っていないだろう。

ハリがあって血色が良い。アイシャドウやアイラインは必要最低限しか使っていないが、睫がものすごく長い。

ブラウンのマスカラが上下にきれいに塗られ、注文の時の横顔が印象的だった。


顔立ちは幼い方なのに、体の肉付きは良くて色気がある。


「…失礼だと思いますが、雅哉君は私と付き合わなくてもあなたとは付き合わなかったと思います。」


美咲は紅茶を一口飲んでそう言った。


「ッ!そんなことわからないじゃないですか!」


美咲の落ち着いた態度に優子は苛立ちを感じた。


「私は仕事中の雅哉君のことはわかりません。でも、私が知っている雅哉君は人見知りで特に女性とは最初のうちは会話なんてできません。」


美咲が言った内容は優子が知っている雅哉とはかけ離れていた。

優子が知っている雅哉は、物腰が丁寧でみんなと朗らかに話していたし、取引先の女性とも問題なく話しをしていた。


「だから、好きになったら自分からたくさん話しかけて話題を提供したり、会話を引き出したりしないと関係を深めることはできません。青野さんはそれができなかったんでしょう?だから雅哉君に気持ちを伝える前に私のところに来た。違いますか?」


優子は何も言えなかった。


「わ、私と狭山さんが関係してるとは思わないんですか」


苦し紛れにそう言うと


「雅哉君はそんなに器用じゃないんですよ」


美咲は笑った。

美咲の瞳に雅哉への疑いはなく、二人の信頼関係をまざまざと見せつけられた気がした。

優子は何も言えなかった。

自分は雅哉のことを何ひとつわかっていない。

二人の間に入り込む隙間などないのだ。


そんな優子に美咲は瞳を和らげて言った。


「さっきも言った通り、仕事中の雅哉君のことは知らないんです。逆に教えてもらえませんか?」


それからはガールズトークだった。

はじめの方こそぎこちなかった優子だったが、時間が経つにつれて友達のように話せるようになっていた。

雅哉の話から、化粧品の話、特に基礎化粧品の話は興味深かった。

美咲の肌のきれいさの秘訣を聞くと、睡眠をしっかりとることと、基礎化粧品は高くても自分の肌に合ったものを使うことだ、と言っていた。

どこのメーカーを使っているか教えてもらい、今度試してみようと思った優子だった。


「あっ!やばい!」


美咲の携帯が振動し、覗き込んだ後あたふたと帰り支度を始めた。


「ごめんなさい!雅哉君が仕事終わったらしいので、晩御飯の準備しなきゃ!」


優子はもうそんな時間なのかと驚いた。

時計を見ると21時を過ぎていた。


「ここは私が払うので、早く帰ってあげてください。」


優子にはもう嫉妬もなかった。

笑顔で美咲に告げると美咲はありがとうと言いながらバタバタと店を出ていった。


一人残された優子は水を一口飲み、会計に向かった。

店を出る優子の表情はすっきりしていた。














「あのっ!お疲れ様です!」


翌日、仕事が終わった後、優子は雅哉を待っていた。

朝から早起きをしてチョコレートブラウニーを作ってきたのだ。


急に声を掛けられた雅哉は驚いた顔をしていた。


「青野さん…でしたよね?お疲れ様です。こんな時間までどうしたんですか?」


すでに22時を回っている。

雅哉は遠方のクライアントの元に行っていて遅くなると佐々木から聞き出していた。

仕事が何時に終わるのか、検討もつかなかったがどうしても渡したかった。


「あの、迷惑だと思うんですが、これ、受け取ってください!」


胸に抱えていた小さい箱を震える手で差し出す。


雅哉は可愛らしくラッピングされた箱と優子を何度か見比べていたが、


「ありがとうございます。でも、気持ちだけ受け取っておきます。」


と優しい笑顔でやんわりと断った。


「そう…ですよね。どうしても気持ちだけ伝えたかったんです。ありがとうございました。」


受け取ってもらえなかった箱をぎゅっと握りしめ、優子は泣きそうな顔で笑った。


「それじゃ、お疲れ様でした!」


暗くならないように明るい声で雅哉に告げ、踵を返して歩きだした。


雅哉から見えなくなるまで歩き、優子は歩みを止めた。


「やっぱり、受け取ってもらえなかった…」


瞳にじんわりと涙が浮かぶ。


きっと受け取ってもらえないだろうと思っていた。

雅哉は誠実な人だ。会社の女子全員からの義理チョコは受け取っても個人からのチョコは受け取らないと思っていた。


その誠実さも好きだった。

でも、やっぱり悲しい。


優子が立ちすくんでいると、後から声がかかった。


「あれ?青野じゃねぇ?」


慌てて目もとを拭い、後を振り返るとネクタイを緩めた佐々木がいた。


「佐々木?なんでこんなとこにいるの?」


目を丸くして佐々木を見つめる。


「さっき仕事終わったとこ。俺の家こっちの方だもん。あれ?」


佐々木は優子の手元を見てきょとんとする。


「あっ!これは…」


優子は慌てて後ろに隠す。


佐々木が歩み寄って来て優子が隠した箱を奪った。


「しょ~がねぇな。俺がもらってやるよ!」


佐々木は笑いながら多少ラッピングの崩れた箱を掲げた。


「返してよっ!」


優子はなんとかして奪い返そうとするが届かない。


「…お前が頑張ってたの、知ってるよ。」


両手を伸ばして取り返そうとする優子の頭に手を乗せ、ぽんぽんと優しく叩いた。


「なっ…」


ひっこんでいた涙がぶわっと溢れてくる。


「あ~ぁ、ブサイクになるぞ」


頭を撫でながら佐々木が馬鹿にしたように笑う。

言葉に反して手は優しい。


「うっうるさいなぁっ。元からブサイクだもん!」


溢れる涙を必死で拭いながら優子は抗議した。


「あんな嫁ラブな狭山なんてやめて、俺にしない?」


変わらない調子で佐々木が言った。


「えっ…」


驚きのせいで涙が止まる。


「俺だって、ずっとお前のこと見てるんだぞ。何で気付かねぇんだよ。」


目を丸くして見つめてくる優子の涙を優しく拭う。


「…そんなの知らないよ…」


優子は蚊の鳴くような声で言った。


「だよなぁ。お前は狭山しか目に入ってなかったもんな。」


佐々木はハハっと笑った。


「でも、少しづつでいいから、俺の事も見てよ。」


涙のすっかり止まった優子は急に恥ずかしくなってきた。


「かっ、考えておく!」


二人の距離が近いことに気づき、慌てて下を向く。


「うん、じゃあとりあえず飯でも食いに行こうぜ!」


了承を得る前に、佐々木は優子の手を取りぐんぐん歩いて行ってしまう。


「あっ!ちょっとぉ~!」


佐々木に引っ張られながら上げた抗議の声は夜の静寂に消えていった。











今日の晩御飯はハンバーグだ。

パテの形をハートに成形して、熱したフライパンに乗せる。

28分の電車に乗ると連絡がきていたので、そろそろ最寄駅に着く頃。

ハンバーグを焼いている間に、ポテトサラダとほうれん草のソテーを皿に盛り付ける。

チーズをハートの型で抜き、ひっくり返したハンバーグの上に乗せて、蓋をして蒸し焼きにする。

スープはミネストローネスープにした。


そろそろマンションに着くかな?

コンロの火を止めた時、玄関のカギが開く音がした。


美咲はパタパタとスリッパの音を立てて廊下を走り、愛する旦那様に抱きついた。


「ただいま」


雅哉は美咲の頭を撫でて抱き締め返す。


「外寒かったでしょ?」


美咲が雅哉の鞄を受け取りながらそう言った。


「うん、また雪が降りそうだよ。」


「え~、雪はいいけど道路が凍るのが嫌だなぁ。」


雅哉が部屋着に着替えながら答えると美咲はぶーぶー言っていた。


「今日の晩御飯なに?」


鞄を置き、キッチンで皿に盛りつけている美咲の後から抱きしめる。


「ハンバーグとミネストローネ!」


美咲はいつも元気だ。


「はいはい、もうできるから座ってて!」


お腹に回していた手をはがされ、ソファに追いやられる。

すぐに温かい食事が出てきた。


「お~、おいしそう」


お腹が空いていた雅哉はさっそく箸をつけた。


美咲は雅哉の鞄からお弁当箱を取り出しながら


「ね~、チョコ、もらわなかったの?」


と何気なく聞いた。


「会社の女子からっていうので男全員にもらったよ。」


雅哉はなんでもないことのように答えた。


「…ふ~ん」


美咲は何か含みを持たせるように笑った。


「それより、美咲からのは無いの?」


何も知らない雅哉は口をもぐもぐさせながら聞いた。


「あるよ!とびっきりの愛情を込めたやつ!でも、ご飯が終わってからね」


「楽しみだな」


雅哉はにこにこしている。


(青野さん、頑張ったのかな…?)


美咲は昨日会った女性を思い浮かべる。


(でも、ごめんね。私、雅哉君じゃないとダメなの。)


ミルクティーを入れたマグカップを持って雅哉の隣に座る。

今日は無言電話が鳴らなかった。


食事を終えて、ゆっくりとお茶を飲んでいた時にケーキを取り出した。

少しレンジで温め、イチゴとブルーベリーを添え、ケーキの上にセルフィーユを飾って出す。

今年はフォンダンショコラにした。


「あ、フォンダンショコラだ」


雅哉はとろりと出てくるチョコレートソースに顔を綻ばせる。


「雅哉君がプロポーズしてくれて、ちょうど2年経ったね。」


雅哉がプロポーズをしたのはバレンタインだった。

食事もケーキも食べ終え、もう寝るばかりとなった時に雅哉が何か言いたそうにしているので聞いたら、


「次の美咲の誕生日に籍を入れよう。」


と言ったのだ。


美咲は信じられなくて、何度も私でいいのか、後悔しないか聞いてしまった。


雅哉は


「美咲がいい。美咲じゃないとだめなんだ。」


と言ってくれた。


その時のことを思い出すと心が温かくなる。


「雅哉君、昔も今も、変わらずに大好きだよ」


美咲が笑顔でそう告げると、雅哉は甘い甘い蕩けるようなキスを美咲にくれた。


それからの夜は、チョコレートも溶けてしまうような熱い夜を過ごしたのだった。


バレンタインに掛けて書いてみました。

女の嫉妬は女に向くものです。怖いですね。

しかし、雅哉は妻一筋なのです。

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