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パンドラの卵  作者: 双樹
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 古屋桜ふるやさくらは、下校途中にコンビニエンスストアで足止めを食らっていた。

「ついてない……。どうして本屋に行っただけで雨が降るのかしら?」

 髪や肩についた雫を払いのけながらぼやく。沢山濡れたわけではないが風邪は出来れば引きたくない。

 雨宿りのつもりで入った店だが、ついでに夜食も買おう。あと、ビニール傘も。

 いつも読んでいる雑誌の発売日だったので駅前の本屋まで足を運んでいたのだった。その帰りにこの大雨。降り始めに速攻で回避したのが幸いだったが、タイミングが良すぎるといえば良すぎる気もしなくもない。……まるで最初から仕組まれていたことのように。

(そのまさかなんだろうな、やっぱり。天気予報じゃ確率ゼロだったし。それならそれで構わないけど……)

 買い物かごに目についたものを二、三点放り込み、さっさと支払いを済ませる。夏の終わり特有のスコールのような雨はしばらく待てばすぐに勢いをなくす筈なので、しばらく待ってみることにする。

 が、待つこと五分、十分。

 雨足は一向に緩む気配を見せない。それが三十分を過ぎた頃、桜の我慢は限界を超えた。

「やってらんない。帰ろ」

 読むとはなしに手にしていた女子中高生向けのファッション雑誌を元あったラックへ戻し、ビニール袋を持ち直して自動ドアへと踏み出そうとした。

 その時、だった。

 どん、と肩に軽く当たった程度だった、はじめは。

「すみません」

 こちらに非があったわけではないがそう口にする。気が付いたのはその後だった。

「え?」

 重みが引かない。桜はそこではじめてその人物の顔を見た。

 何か言う前に手が出た。倒れ掛かってくる少女を支えるために。

 長袖のブラウスの上からでも伝わる、彼女の、体温。

「――――すいません! 誰か、誰か手伝って下さい!」



 そこにいるだけで何故か息苦しい空間がある。わけもなく、暗い部屋。――――それは、[彼女]の唯一の存在できる場所だった。

 彼女の右手にはワイングラス。中身と同じ真紅に染め上げられたその爪は、何故かいつも何かに憂いているような彼女の妖しい美しさを一層際立たせていた。

 そこに明かりは一切なかった。自然なものも、人工的なものも、一切。なのに不思議と彼女のことは確認出来てしまうのだ。

 右も左もわからぬ暗闇の中で、突然彼女はあるものを視つけ出し、口元を歪めた。

 それは、わらっているのか。

「そんな処に居たの……」

 呟きは、誰に向けられたものか。そして丁度タイミング良く、しかし突然に暗闇の中に光が射し込んだ。馴れない眼が一瞬拒絶反応を起こす。

 侵入者は静かに彼女の目前に跪いた。

「何用か。立ち入る時は報せを」

 冷やかに告げられ、それでも男は悪びれもせずに口を開いた。

「失礼を。しかし早急なことだったので」

 皆まで言わせず[彼女]が割り込む。

「見つかったのであろう」

「何故それを」

 言葉とは裏腹に、口調や表情は寸分も変わることはない。感情というものがまるで備わっていないようだった。

「貴様等とわたしを一緒にするでない」

 言い放つ。適度に低いアルトの質感が耳に心地よい。

「妾は気分を害された」

 言葉と同時にたちまち男は消え、そしてあたりには元の闇と静寂とが戻った。

 彼女はワインを一口含み、そして残りをもう片方の己の掌に零す。

 血の色より鮮やかな、紅。

 その様を彼女はしばらく眺めて愉しんでから、独白。

「妾の、……」



 少女が静かに目を覚ます。そこは見たことのない天井。

 おそるおそる体を起こすと、やけに自分がすっきり気分爽快なことに気がついた。

 見回してもやはりそこは少女にとって記憶にない場所で、おまけに女物のとても可愛らしいパジャマを着させられていた。

(こんな所知らない)

 家の中だ。多分。あまり広くはない和室。物が少ないところを見ると客室だろうか。チェストと床の間くらいしか目につくものがない。

 言葉を発すると誰かが聞きつけてきそうで、少女はもう少し一人で考える時間が欲しいと思い、黙っていることにした。

 考えなければならない。自分が何故ここにいるのかを。

(何をしていたのかしら。私は。最後に何を、していたのかしら……)

 そして異変を知る。

 ――思い出せないことに。

(落ち着け……。何でもいいから思い出せ。とにかく何でもいいから。……そう、名前。私の名前は)

 名前。

 背筋が凍った。

 どうしよう。

 思い出すことが出来ない。

 住所は? 電話番号は? 学校は?

(……ということは学校には通ってたってことかしら)

 しかし、そこまで。深く考えようとすると、意識をしてしまうとそこで思考力が低下する。

 恐怖。

 どうしよう。どうしたらいい? 誰か助けて。誰か。誰か……。

「何? 読んだ?」

「えっ」

 瞳を上げるとそこには十代後半くらいの少女が一人。目鼻立ちのすっきり通った、気の強さが滲み出ている美人。

 知らぬ間に声にしてしまっていたらしい。

 溜め息をひとつ吐いて頭を軽く振る。それからあの、と質問を始めた。

「ここは、どこ? どうして私ここにいるのかしら、あなたは私の知り合い? 今は何月何日? それから」

「ちょ、ちょっと待って」

 両手を広げて焦ったようにこちらへ走り寄り、少女はぺたんと正座をした。二つに分けた長い三つ編みが揺れる。

「はい、ごめんなさいね。一つずつ答えるから一つずつ訊いてね。まず、ここはあたしの家。あのコンビニからあんまり離れていないところよ。あなたがあんまり警察と病院はやだって駄々こねるから、ここに連れて来たんじゃないの」

(……)

「あたしは古屋桜、よ。よおおおく覚えておいてね、見ず知らずのあなたをこうして看病してあげたんだから」

 言葉とは裏腹に、口調はあっけらかんと、むしろ楽しそうにしている。そして。

「あなたは?」

「っわ、わたし!」

 跳ね上がるように叫ぶ。つられるようにして、堰が壊れた。

「……たし、わかんないの。わかんない。私のせいじゃない、助けて、どうして、何でなの、ねえ! 私は誰!?」

「……どういうこと?」

 桜が眉を顰める。

「知らないわよっ。こっちが聞きたいんだから!」

 感情が昂り桜を怒鳴りつける。困ったように自分を見る桜に更に癇癪を起こす。

「落ち着いて、あなたもしかして、自分のことがわからないの? 記憶が、ないの?」

「知らない! わかんない! 記憶がないってどういうこと!?」

 大声で叫ぶと、胃から何かがせり上がってくる気配がして、思わず口を押さえた。

「わ、たし、だれ……?」

 涙が零れる。

「大丈夫? 病院と、――警察に行ったほうがいいんじゃない?」

 少女の背中をさすりながら桜が問う。少女は必死で首を振った。

「わかんない。怖い……。駄目。絶対……」

「?」

 桜は忍耐強く少女の次の言葉を待った。が、そのまま彼女はもう一度、眠りに入ってしまったのだった。

(この子、視えない……?)



 私立白蘭学園(びゃくらんがくえん)、高等部、一年六組。

 桜の所属するこのクラスでは現在、文化祭の出し物を決めるためのホームルームの真っ最中だった。本番にはまだ一ヶ月弱あるというのにもう学園中がお祭り雰囲気一色に染まり切っている。

 その中で桜だけが、上の空で窓の外をぼんやりと眺めていた。

(大丈夫かしら)

 腕をつっかえ棒にして頭を乗せている。窓際、最後尾という夢のような席位置であるにも関わらず授業中居眠りをしたことはなかったが、今日は寝てしまいそうだ。

 昨日は大変な目に遭った。結局、通報するのはためらわれ、とりあえず彼女を置いておくことにした。

 朝、家を出るときはまだ寝ていたので、冷蔵庫にあった生ハムでサンドウィッチを作り、手紙を添えておいた。あんなに警察を恐れていたのでまさか外に出ることはないと思うが。

(心配だわ)

「……るやさん? 古屋さん? それでええかな?」

「はっ、はい?」

 しまった。完全に聞いていなかった。

 桜は、問うた主が学級委員の向田頼子こうだよりこだと知るとあからさまに作り笑いを浮かべ、何度もこくこくと頷いた。

 はっきり言って、桜はこの学級委員が苦手、いや嫌いだった。いかにも明るくて、快活で、だから適当に流そうと思った。

 の、だが。

「ほんま? 助かるわぁ、これで多数決が成立するわ」

 にっこり、ではなく、にいんまり、と彼女は笑ったようだった。

 多数決?

 桜はふと、正面の黒板へと目を遣る。

 そこに書いてあったのは。

「一年六組、文化祭の出し物は[占いの館]に決まりやな」

「!!」

 がたんっ、と椅子をひっくり返して桜は立ち上がった。途端、クラス中の視線が桜に注がれる。

「何やの?」

 今まさに黒板の、占いの館、の文字に派手な装飾を描こうとしていた頼子が、チョークを持ったままくるりと振り返る。

 ぽっちゃりとしたほっぺたと、常にミッキーマウスのように耳の上で結んだお団子が男子にはウケているらしい。

 そんな彼女の笑みが、桜にはまるで悪魔のそれに見える。冷や汗を垂らしながら、それでも勇気を振り絞り桜は訊いた。だって、彼女は!

「だ、誰が、占いなんか出来る、の?」

「何訊いてんの。古屋さんに決まってるやないの」

 その一言で、理解できる者が大多数だった。公にではないが、向田頼子にはもう一つの顔がある。学級委員という顔の他に。一部の間にまことしやかに広まる噂。彼女の言うことなら間違いがない。

(どうして!?)

 叫びは、すんでのところで止まった。止めることが出来たのは、奇跡に近かった。

「あたし、そんな事……」

「できるやろ。もう決定したし、みんなのためによろしく頼むわ、古屋さん」

 頼んでいる、と口では言っているが有無を言わせぬ調子で。

 否とは、言えなかった。

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