呪いのなかで歩み寄るもの
縁談がある、と父に呼ばれたマルグリットが最初に尋ねたのは、相手の年齢だった。
家柄でも財産でもない。まず年齢だ。先月、伯母が紹介してくれた紳士など父より年上で、しかもマルグリットより年上の娘がいた。伯母は「男は年上の方が頼りになるのよ」と言っていたけれど、何事にも限度というものがある。
これで悪意でも見えれば「妄言ババアが遠路はるばる嫌がらせに来たわね」と生卵でも投げつけて応戦できるのだが、困ったことに悪意らしい悪意がない。伯母は父とそれほど歳が離れているわけでもないので、世代による常識の違いとも考えにくかった。
幸い、この縁談は父が「ふざけるなお前が嫁げ」と塩までまいて伯母を追い払ってくれたおかげで、なかったことになった。だが、そうなると伯母は単に、純粋に、性格がおかしい人なのかもしれない。できれば縁を切りたいところだが、血は塩よりも濃い。残念なことである。
幸い、今回の相手はマルグリットよりたったひとつ年上の青年らしい。
ジェレミ・ルフェーヴル。隣国の伯爵家の嫡男で、家柄も財産も申し分ない。父が取り寄せた身上書によれば、学業の成績もよく、領地経営にも熱心で、社交界で悪い噂を聞くこともないという。少々出来すぎている気もするが、身上書にわざわざ悪口を書く人間はいないだろう。隣国へ留学に出た友人と同じ学院だったこともあり、こちらからも個人的に「どういう人?」と手紙も出した。ものすごく問題がある、という訳では無いだろうが、不審な点がチラホラと目につく。
「お父様、その方とは一度もお会いしたことがありませんわ。どうして私に結婚を申し込もうと思われたのかしら。何か事情がおありなの?」
「それなんだが……実は、先月こちらへ来た折に、おまえを見かけたそうなんだ」
「見かけた? 先月でしたら、私はほとんど屋敷におりましたけれど。外出といえば仕立屋へ行ったくらいですわ」
「おそらく、そのときだろうな。何でも、街中ですれ違った馬車におまえが乗っていたらしい。それで、その……少々説明が難しいのだが、ルフェーヴル家には竜人の血が混じっているそうだ」
父の話によると、ジェレミにはその竜人の先祖返りが現れているらしい。
竜人。
マルグリットも話くらいは知っている。おとぎ話に出てくる、人間と竜の両方の性質を持つ種族のことだ。美しい容貌と長い寿命、それから一生にただ一人の相手を見つけるという、これまたおとぎ話のように情熱的な性質を持っている。……らしい。
絵本の竜人は決まって長い銀髪の美青年で、宝石を敷き詰めた宮殿に姫君を迎え、死ぬまで愛を囁いてくれるのだ。
幼い頃は素敵だと思っていた。今となっては、毎日そんなに愛を囁かれても返事に困るのではないかと思う。そもそも宝石を敷き詰めた床なんて歩きにくそうだし、掃除の手間も無駄にかかりそう。
「その竜人の血が、今回のお話と何か関係するのでしょうか」
「うむ。竜人には、生涯にただ一人、特別な相手がいるという話を知っているかね。彼はおまえを見かけた瞬間、その相手だとわかったそうだ」
「……つがい?」
「ああ、つがいだ」
思わず父の顔を見つめてしまった。
おとぎ話のことを思い返していたら、突然登場人物のひとりにされた気持ちだ。
見かけたというのは少々引っかかる。仕立屋へ行った日は馬車で移動しており、確か窓の覆いも下ろしていたはずだ。往路は母と新しい帽子について話し込んでいたし、帰りは仕立屋から勧められた恐ろしく趣味の悪い羽根飾りのことで盛り上がっていた。あれを帽子につけて外を歩くくらいなら、いっそ頭にアヒルを乗せた方がましだと思う。
とにかく、見知らぬ青年に顔を見られた覚えなどない。誰かと間違えたのでは? とも思うが、それにしては間に人を挟みすぎている。
隣国からこちらへ縁談が届くまでに、何人もの手を経ているはずだ。人違いなら、そのどこかでふるいにかけられただろう。となれば、相手が求めているのは確かにマルグリットなのだ。いったい何があったのか。本当のことを言えない理由でもあるのだろうか。
「それで、お父様はどうお返事なさったの?」
「もちろん、本人の意向も聞かずに決めるわけにはいかないと伝えたよ。先方も承知している。まずは一度、会ってみてはどうかという話になっているんだ」
「そうですわね。お会いしてみなければ何もわかりませんもの。私も、その方のお話を聞いてみたいです」
父がほっとした顔を見せたので、マルグリットも少し笑った。おそらく断りにくい縁談なのだろう。隣国の伯爵家から正式な申し出があり、しかも理由が運命の相手だからときている。断った場合、普通の縁談より面倒なことになりそうな気配があった。
まあ、会ってみてから考えればいい。
そうして数日後、ルフェーヴル伯爵家の嫡男がベルタン伯爵邸を訪れた。
初めてジェレミを目にしたとき、マルグリットは少し安心した。こう言っては失礼だけれど、思ったよりずっと普通の人だったからだ。
もちろん、見目が悪いというわけではない。それどころか、柔らかな栗色の髪に灰青色の瞳、すっきりした鼻筋と整った口元は、絵本に描かれる竜人にも負けないほど美しかった。ただ、その美しい顔がよく動くのである。目が合えば嬉しそうに微笑み、少し緊張したように眉を下げ、照れくさそうに視線を逸らす。おかげで、あまりの美貌に気後れする暇もなかった。こんなに綺麗な顔をしているのに、なんだか親しみやすい人だ。
「初めまして、マルグリット嬢。ジェレミ・ルフェーヴルと申します。今日はお会いできて本当に嬉しく思っています。あの、突然こんなお話を持ち込んでしまって、驚かれましたよね。僕も、自分の番に出会えるなんて思っていなくて……その、運命じゃないか! って、つい舞い上がってしまったんです」
最後の方は少し早口になっていた。頬が赤い。本人にもそれがわかるのか、照れくさそうに笑ってから、膝の上で両手を握り直している。竜人の先祖返りと聞いて、いろんな想像をしていたが思ったより随分と親しみやすい。良い意味で普通の、少し恥ずかしがり屋な人だった。
「お父様からお話は伺っていますわ。驚きはしましたけれど、嫌な気持ちになったわけではありません。ただ、私には番というものがよくわからなくて。あなたのお気持ちに、同じようにお応えできるかどうか……」
「あっ、それはもちろん! すぐに結婚していただこうなんて思っていません。僕の方が勝手に運命だと思っているだけですから、マルグリット嬢には、まず僕のことを知っていただければと思っています。それで、もし気に入っていただけたら、少しずつでもお付き合いを……ああ、すみません。緊張して、うまく話せなくて」
「いいえ。そう仰っていただけて安心しました。私もあなたのことを知りたいですし、お話もたくさん聞きたいわ。ですから、よろしければお友達になるところから始めませんか?」
「ぜひ! あの、本当にありがとうございます。実は今日、何をお話しすればいいのかずっと考えていたんですけど、考えれば考えるほど何も浮かばなくなってしまって。今朝も父に、まずは普通の挨拶をしなさいって言われたばかりなんです」
普通の挨拶と言うには矢継ぎ早だったが、一生懸命な様子には好感が持てた。こちらの返事を待たずに結婚を決めてしまうような人物ではないらしいし、少なくとも自分の言葉で話そうとしてくれる。
何より、笑うと少し幼くなるところがよかった。ひとつしか違わないのだから当たり前かもしれないが、ようやく同年代の男性と縁談らしい話ができた気がする。
その日は互いの家族のことや好きな食べ物、最近読んだ本の話などをして過ごした。あとから思えば色気のない話題ばかりだったが、相手がどういう人なのかを知るにはちょうどよかったと思う。ジェレミの話は、思いのほか面白かった。
今は父親の領地経営を手伝っており、特に水車や灌漑設備に関心があるという。春先には領地の古い水路を直す工事に立ち会い、職人から設計図を見せてもらったのがきっかけで、すっかり夢中になってしまったらしい。
「昔の水路って、よく見ると本当に工夫されているんですよ。丘の向こうまで水を運ぶのに、ほとんど自然の傾斜しか使っていないんです。あれを考えた人はすごいなと思って。それで、うちの領地にも使えないかと思って調べているんですが、今度は土地の所有権が問題になってしまって。水を引くのは簡単でも、人間同士の話がなかなかまとまらないんですよね」
「まあ、それは困りましたわね。皆さん、水があった方が便利でしょうに」
「そうなんです。でも、新しい水路を通す場所に林檎の木があるんですよ。それも、村で一番よく実のなる木だそうで。持ち主のおばあさんが絶対に切らせないと言っていて、うちの父も困っているんです。僕もあの林檎は食べたことがあるので、気持ちはわかるんですけど」
真剣に語る顔つきがおかしくて、マルグリットはつい笑ってしまった。
竜人の先祖返りと聞いていたので、もっと壮大な話をする人かと思っていたのだ。たとえば古代の秘宝や失われた王国、竜の住まう山脈についてなど。
まさか、林檎の木を切るかどうかで頭を悩ませているとは思わなかった。
しかも話を聞いているうちに、どちらかといえば林檎の木を残したい側に気持ちが傾いていることまでわかってしまった。領地経営を手伝う身として、それでいいのだろうか。
帰り際、ジェレミから次の訪問について尋ねられたので、もちろん構わないと答えると、その途端、ぱっと顔が明るくなった。
感情を笑みで覆い隠すことが多い貴族の中で、ずいぶん素直な顔をする人だと思う。でも、それが弱みになりそうな人ではないし、もしそうなったら自分がフォローすればいい。そんなことを考えるくらいには、マルグリットもすっかりこの縁談に前向きになっていた。
その日の様子を使用人から聞いた父も、「良い人そうだな」と穏やかに笑っていた。最初はどうなることかと思った縁談だが、どうやら良縁に恵まれたらしい。
それから何度か顔を合わせるうちに、二人の仲は少しずつ深まっていった。
ジェレミから届く手紙には、いつも小さな近況が書き添えられている。水路の工事が進んだとか、飼っている猟犬が庭師の靴を埋めてしまったとか、父親と釣りに出かけたのに一匹も釣れず、帰りに市場で魚を買ったとか。
最後の話には、こんなオチまでついていた。釣りに行ったことを知らない母親が夕食の魚を褒めたところ、父親はありもしない大魚との激闘をすらすらと語り始めたらしい。
父親は昔から、家族相手にそういうどうでもいい与太話をする人なのだという。おかげでジェレミは幼い頃、母親は宝箱に囚われた妖精国の姫君で、父親は七つの海を越える大冒険の末に姫君を救い出し、恋に落ちた英雄なのだと信じていたそうだ。面白すぎる。貴族の青年から届く手紙にしては少々変わっている気もするが、マルグリットはこういう話が好きだった。
こちらも負けじと、屋敷の料理人が考案した新しい菓子があまりにも硬く焼き上がってしまい、最後の乳歯を菓子に負けて持っていかれた弟が「短剣くらいなら弾ける」と護身用に欲しがった話を書き送った。後日、ジェレミから「ぜひ一度拝見したいです」と返事が来たので、残念ながら料理人がすべて処分してしまったと伝えたところ、心底残念そうな手紙が届いた。
ジェレミと過ごす時間は楽しい。
気遣いのできる人で、話をよく聞いてくれる。マルグリットの好きな花を覚えていて、次に訪れたときにはさりげなくその花を贈ってくれた。少し不器用なところもあるけれど、そこも悪くない。話しているときに時折手元へ視線を落とす癖や、考え事をすると眉間に皺が寄るところまで、いつの間にか見慣れてしまった。
ただ、ひとつだけ気になることがあった。
ジェレミは、どういうわけか、ときどき変なことで感激するのである。
ある日、お茶の席でマルグリットが庭園の薔薇について話していると、ふと黙り込んだことがあった。何かおかしなことを言っただろうかと思って顔を上げると、こちらを見つめながら、何とも嬉しそうに笑っている。
「……すみません。マルグリット嬢が僕に話しかけてくれているのが、なんだか嬉しくて。こうして普通にお話しできるなんて、本当に夢みたいですね」
そんなことを言われた。もちろん嬉しかったけれど、普通に話すことの何がそれほど珍しいのだろう。最初から会話はできているし、別に声が出せないわけでもない。
また別の日には、庭を散歩していたとき、隣を歩くジェレミが突然感極まったような顔をした。
「わあ……歩いてる……」
思わず足を止めてしまった。自分では立派な二本の足で、何の問題もなくスタスタ歩いているつもりだ。だが、それほど感激されるようなことだろうか。もしかして、今にも風に攫われそうな儚げな女に見えているのだろうか?
確かにマルグリットは、黙って目を細めて斜め上でも見ていれば、思慮深いと言えなくもないかもしれない、と褒められる程度には大人しそうな顔をしている。ずいぶん条件の多い褒め言葉だが、実際そうなのだから仕方がない。もっとも、口を開けばたちまち壊れる幻想なので、やっぱりどう考えてもおかしな発言だった。
そのときは、もしかしたら竜人には人間の歩き方が珍しいのかもしれないと思って聞き流した。先祖返りとはいえ、普通の人間とは感覚が違うところもあるのだろう。
けれども、こういうことが何度か続くと、さすがに気になってくる。最初は変わった人ね、と面白がっていたものの、だんだん少しばかり釈然としなくなってきた。
まるで、生まれて初めて人間という生き物を見たかのようではないか。先祖返りとはいえ、ジェレミも人間として生まれ育ったのだから、そこまで珍しがることもないはずだ。本人に悪気がないのはよくわかっているからこそ、いったい何をそんなに喜んでいるのか、余計に気になってしまう。
また何か新鮮に感動しているわ、面白い人。で流してしまいがちなのも悪いのかもしれない。
日に日にマルグリットはジェレミの言動に寛容になっている自覚があった。
これが他の男性なら、こう(拳)でこう(素振り)だっただろう。マルグリットは兄が二人、弟が一人。なかなか暴れん坊の歳の近い兄弟に囲まれて、数年前まで家族内で暴れ馬のマルゴという蔑称をつけられていたような淑女だ。いまだってやろうと思えばこうやって(拳)こう(素振り)出来るくらいの気概がある。それでも、『そんな乱暴なことできないわ』と思うくらいに、ジェレミの前では猫を被りたくなる気持ちに満ちていた。
ある日の午後、二人で庭園を散歩していたときのことだった。
秋の花が咲き始めた花壇のそばで足を止め、マルグリットが庭師の苦労について話していると、隣から何やら感心したような吐息が聞こえてきた。見上げれば、ジェレミがまた例の顔をしている。嬉しくて仕方がない、といった顔つきだ。庭師の苦労話に対しての反応ではない。“いつもの”やつだろう。聞くなら今だ、マルグリットは覚悟を決めた。
「ジェレミ様。以前から思っていたのですけれど、あなたって、ときどき私を見て不思議そうになさるでしょう。お話をしているときも、お散歩しているときも。まるで私が何か珍しいことをしているみたいに」
「あっ……もしかして、気づかれていましたか。すみません、あまりじろじろ見ないようにしていたつもりなんですけど、どうしても嬉しくなってしまって」
「まあ! それでは、やっぱり私のことを珍しいと思っていらっしゃるのね。私だってちゃんとお話もできますし、自分の足で歩けますのよ。そんなに驚かれてばかりでは、まるで馬鹿にされているみたいだわ!」
わざと唇を尖らせてみせる。もちろん、本気で怒っているわけではない。拗ねていますよ、というわかりやすいポーズだ。これまでの付き合いで、ジェレミが自分を軽んじるような人ではないことくらい、もう十分にわかっている。
ちょっとした甘えだったが、ジェレミは冗談だと思わなかったらしい。目の前に見えない壁でもあるかのように両手をあわあわと動かし、声まで裏返して必死に弁解し始めた。
「ち、違うんです! 決してそんなつもりじゃなくて、その、本当に嬉しかっただけなんです。すみません、僕の態度が悪かったんですね。マルグリット嬢に嫌な思いをさせるつもりなんて、少しもなかったんです」
あまりにも慌てるので、こちらまで申し訳なくなってしまった。
そういえば、この青年はこちらが何か言うたびに、いちいち真面目に受け止めるところがある。
以前、手紙に書かれていた猟犬について「一度会ってみたいですわ」と伝えたところ、本当に連れてこようとしたくらいだ。幸い、母親から「まずは先方のお屋敷に犬を連れ込んでもよいか確認なさい」と叱られたらしい。代わりに届けられたのは、立派な額に収まった犬の肖像画だった。これがなかなか可愛らしく、マルグリットもすっかり気に入って、今では部屋のよく見える場所に飾っている。
「ごめんなさい、少しからかっただけですの。そんなに困らせるつもりはなかったのよ。でも、理由は知りたいわ。私の何がそんなに珍しいのか、教えていただけません?」
「……笑わないで聞いていただけますか。僕自身、少し変なことを言っている自覚はあるんですけど、マルグリット嬢が僕と同じ人間で、しかも年齢の近い女性だということが、いまだに信じられないくらい嬉しいんです」
「まあ、それはどういうこと? 私が人間だというのは、最初からご存じでしょうに」
「ええ。だから、すごいなあと思って。僕、先祖返りだとわかったときに、父の伝手で何人か竜人の方にお会いしたことがあるんです。自分の番に出会うというのがどんなことなのか、いろいろ教えていただこうと思って」
ジェレミが頬を掻いた。
どうやら少々話しづらい事情があるらしい。
マルグリットが黙って続きを待っていると、困ったように笑いながら、思いがけないことを言い出した。
「そのうちのお一人は、番が同性のてんとう虫だったんですよ。ご本人はとても幸せそうで、番のために温室まで建てたと仰っていました。でも結局番殿は気に入らず、指先に掛けている小さな籠に入り浸っていると……」
「……てんとう虫?」
「はい。赤い羽根に黒い斑点が七つある種類だそうです。もうお一人の番は樫の木でした。そちらは番を守るために、土地をまるごと買い取ったそうで。樫の木って大きくなるでしょう? 周りに建物があると根が傷むかもしれないからって、近くにあった古い納屋も取り壊してしまったんです」
マルグリットは黙ってジェレミの顔を見つめた。何を言っているのだろう、この人は。てんとう虫。樫の木。今、確かにそう言った。しかも、どちらも竜人の番だという。おとぎ話では美しい姫君を迎えるはずの竜人が、てんとう虫や樫の木と仲睦まじく暮らしているというのか。
頭の中に、真っ赤なてんとう虫を指先に乗せ、愛を囁く美青年の姿が浮かんだ。どうしよう。まったく想像できないわけではないのが困る。これはこれでファンタスティック。
「……あの、ジェレミ様。少しお尋ねしたいのですけれど、竜人の番というのは、人間とは限らないの? それどころか、動物ですらないこともあるというお話なのかしら」
「竜人にとって番というのは魂で惹かれ合う相手なので、種族も性別も年齢も関係ないんだそうです。『運命というものはそういうものだ』と、なんとも大雑把な説明をされまして……」
「まあ……。それなら、あなたも随分と心配なさったでしょうね。お話を伺う限り、誰が番になるのか、まったくわからないのでしょう?」
「ええ、それはもう。もし自分の番がアヒルだったらどうしようとか、近所の農家で育てている大きめのカボチャだったらどうしようとか、ずっと考えていました。アヒルなら一緒に暮らせると思うんですけど、カボチャだったら収穫される前に見つけないといけませんし、冬をどうやって越させようかとか……」
真剣な顔で語るジェレミの横顔を、マルグリットは思わず二度見してしまった。アヒル。大きめのカボチャ。しかも、カボチャが番になること自体については、すでに覚悟ができていたらしい。何と言ったらよいのかわからない。カボチャを抱え、冬の過ごし方について思案するジェレミの姿が頭に浮かんでしまい、慌てて追い払った。
いったい何の話をしていたのだったか。ああ、そうだ。自分が歩いたり喋ったりするだけで喜ばれる理由を聞いていたのだった。そう考えると、少しばかり納得できる気がする。
もしも自分が同族以外のことを熱烈に好きになって、この人………この存在? しかいない! となってしまう可能性を考えて、しかも前向きに検討していたなら、相手が同族の同じ年頃の異性だとわかったときには確かに感激するだろう。
普通に言葉が通じて、一緒に散歩までできるのだから、これ以上を望むのは贅沢というものかもしれない。
「でも、そういうことでしたら、てんとう虫の方はお気の毒ね……。あんなに小さな生き物では、すぐにお別れすることになってしまうでしょう」
「あっ、それは大丈夫です。魂分けというのがあって、竜人側が自分の寿命を半分分けることができるんですよ。だから、普通なら長く生きられない生き物でも、番として一緒に暮らせるんです。竜人の寿命がちょっと短くなるだけなので、あまり問題はないそうです」
「……寿命を半分? それは、随分と大変なことではなくて?」
「竜人はもともと長生きですからね。何百年も生きる方が珍しくないので、半分くらいなら構わないという方が多いみたいです。てんとう虫の方も、とても幸せそうでしたよ。番が肩にとまると、ずっとにこにこしていらして。ああいうのを見ると、いいなあって思います」
マルグリットの頭の中に、ますます奇妙な光景が広がっていった。
大きな温室でてんとう虫と暮らす竜人。広い土地の真ん中に立つ樫の木と、その隣で読書でもしている竜人。愛するカボチャを抱きかかえ、冬を越すために暖炉の前で途方に暮れているジェレミ。
聞きたいことは山ほどあった。あれ? もしかして私の寿命も当たり前のようにジェレミ様の半分をわけられる? とか。とりあえずそれは一旦端に置いておく。今はジェレミの話を聞いているところなのだ。
「初めて会った日、貴方の乗る馬車をみただけでわかりました。あの箱の中に運命の人がいるぞ! って。嬉しくて、こっそり屋敷まで追走してしまって……」
さりげなく人外らしい一面を見せられた気がする。あの馬車には御者の隣に護衛も乗っていたのだから、不審者が後をつけていれば気づかないはずがない。まさか護衛の目をかいくぐりながら、屋敷まで追いかけてきたのだろうか。どうやって? いろいろと気になるところはあったが、とりあえずマルグリットは何も聞かなかったことにした。
「最初は本当に信じられませんでした。貴女となら手を繋いで歩くことだってできるんです。そんなの、すごいことじゃないですか」
嬉しそうに言うので、マルグリットまで頬が熱くなる。
手を繋いで歩く、というところが気になった。まだそんなことをした覚えはないけれど、どうやらジェレミの方では、いずれそうなれたら嬉しいと思っているらしい。悪い気はしない。
「僕、本当に運がよかったんだと思います。もちろん、番が羊でもトンボでも菜の花でも、ちゃんと大事にするつもりでしたよ。そもそも番と出会えること自体が奇跡的な確率らしいですし、何より出会えば自然に愛しく思えるそうですから。でも、まさかマルグリット嬢みたいな方に出会えるなんて……ああ、また変なことを言っていますね。ごめんなさい。僕ばかり浮かれてしまって」
ジェレミが照れくさそうに笑った。
その顔を見ているうちに、マルグリットもなんだか笑えてきた。
これまで、竜人にとっての番というものはもっと恐ろしいものだと思っていた。出会った瞬間に恋に落ち、相手を手に入れるためなら何もかも捨ててしまうような、激しくて厄介な運命なのだと。
マルグリットはちらりと隣を見上げた。
ジェレミはまだ申し訳なさそうにしている。きっと、どうすれば機嫌を直してもらえるのか考えているのだろう。
「ジェレミ様。私、今度あなたの領地へ行ってみたいわ。お話に聞いた水車も見てみたいですし、例の林檎の木がどうなったのかも気になりますもの。それに……あなたと一緒なら、きっと楽しいと思うの」
「本当ですか? もちろん、ぜひいらしてください! 水車もご案内しますし、林檎の木もまだ残っていますよ。水路を根本からずらすことにしたんです! そうしたら珍しい鉱石が出る地層にあたりまして……」
この人はきっと、私がアヒルでも、大きめのカボチャでも、羊でもトンボでも菜の花でも、好きになってくれたのだろう。
そういうものに生まれていたとしても、出会った途端に嬉しくなって、どうやって一緒に暮らそうかと一生懸命考えてくれたに違いない。
それはもう、呪いのようなものではないか。
相手がどんな姿でも構わないなんて、まともな恋愛とは思えない。どうかしている。竜人というのは本当に変わった種族だ。
けれども、そう考える一方で、胸のあたりが少しくすぐったくなった。そういえば、番というのは一方通行のものではなかった。彼にとって私が運命の相手なら、私にとっても彼は運命の相手なのだろう。運命というと何やら大仰に聞こえるけれど、突き詰めれば、互いに特別相性がよいということではないだろうか。
そう思うと、なんだかますます、この人のことが好きになれそうな気がした。
「そういえば、ジェレミ様。ひとつ、お聞きしてもよろしいかしら。実はあなたの通っている学院にお友達がいて、少しお話を聞いたんですの」
「えっ、何でしょう。何かおかしな噂でもありましたか?」
「ふふ。『氷の貴公子』と呼ばれているんですって? 私の前ではこんなに表情豊かなのに、学院では滅多に笑わないそうじゃありませんか」
「や、やめてください! あれは人見知りを誤魔化していたら後戻りできなくなっただけなんです! 今さら普通に話しかけたら、周りの人にどう思われるか……!」
耳まで赤くして訴えるジェレミを見て、マルグリットはとうとう声を上げて笑ってしまった。なるほど、氷の貴公子。今の彼を学院のご友人たちに見せたら、さぞ驚くことだろう。
「まあ、それでは私だけが特別なのね。嬉しいわ」
「そ、それはもちろん、特別ですけど……あの、マルグリット嬢、絶対に面白がっていますよね?」
「そんなことありませんわ。私、氷の貴公子様とお散歩できて、とっても光栄に思っていますのよ」
「もう、本当に勘弁してください……」
すっかり困り果てた顔をしているくせに、ジェレミは少しも嫌そうではなかった。
マルグリットは笑いながら彼の腕にそっと手を添えた。途端にジェレミがぴたりと黙ってしまったので、また何か珍しいことでもあったのかしら、と見上げてみる。
目が合うと、彼は照れくさそうに笑った。
「……あの、向こうの花壇も見に行きませんか?」
「ええ、喜んで」
マルグリットは少し考えてから、隣を歩くジェレミにそっと手を差し出した。
「そういえば、まだ手を繋いだことがありませんでしたわね。せっかくですから、いかが?」
「えっ……いいんですか?」
「もちろん。私も繋いでみたいですもの」
ジェレミは差し出された手をしばらく見つめ、それから壊れ物に触れるように、そっと握ってきた。頬が赤い。けれども、手を繋ぐことができたのがよほど嬉しかったらしく、何度もこちらを見てはにこにこと笑っている。マルグリットもつられて笑ってしまう。
なるほど。氷の貴公子をここまで喜ばせられるのだから、私もなかなか大したものではないかしら。そう思いながら、繋いだ手を少しだけ強く握り返して、そっと指を絡めた。どきどきしていることがバレないように、息を潜めて緊張を隠しながら。




