悪役令嬢の父親に転生したので権力と財力にモノを言わせてヒロインの入学を阻止してみた
どうやら、悪役令嬢の父親に転生したらしい。
私がそのことに気付いたきっかけは、新聞の訃報欄に、とある男爵家の嫡男の名前が載っていたのを見たことだった。
――エクレール男爵家。
我がフロマージュ公爵家とは特に縁のない家だし、家格の差も大きい。
本来なら取るに足らないニュースのはずだったのだが、何故かその名がやけに目について残ったのだ。
こういう時は大抵、何かしらの落とし穴だったり、逆に好機が転がっていたりする。
長年積み重ねてきた経験から、一度は捨てた情報の中にごくごく小さな糸口が紛れ込んでいて、それを無意識下で違和感として拾っている場合があるのだ。
「エクレール男爵家についての資料を」
「はっ」
食後のコーヒーを飲みながら、新聞から目を離さぬままに短く指示を飛ばすと、そばに控えていた従者ライムはすぐに下がっていった。
公爵である私に仕える者はみな優秀だ。ライムは若いが、その中でも特に、様々な面で秀でている。コーヒーを飲み終わる頃には、資料も揃ってくるだろう。
私は優雅に新聞の頁を繰った。
そうして集まった資料に、私はざっと目を通した。
エクレール男爵夫妻は、二人の嫡出子をもうけているようだ。
嫡男は、先刻の新聞にも載っていたが、狩りの際に落馬し打ち所が悪く死亡。
次男は身体が弱い。難病のため社交に出ることもなく、長らく伏せっているという。
そして、エクレール男爵には、市井に庶子がいるようだ。
我が愛娘のラズベリーや婚約者であるオーラン殿下の二歳下の少女で、名前はシュクレ。
実の母親と、母親の現在の夫、そして小さな弟たちと共に、エクレール男爵領で平民として慎ましく暮らしているとのことである。
「次男のモカ・エクレールが暫定的に嫡男となるのだろうが、彼は身体が弱く、執務はおろか、子も望めないだろう。となると、シュクレ嬢を養子に……待て、シュクレ・エクレール男爵令嬢だと……?」
その瞬間、私の頭の中に、ぶわりと情報の奔流がなだれ込んできた。
高いビル群。縦横無尽に道路を埋め尽くす自動車。大空を横切ってゆく航空機。
電話の鳴る音。キーボードを叩く感触。面倒な上司に、手の掛かる後輩、厄介な取引先。
前世の私は、ここより文明の進んだ国で、会社員として働いていた。
そんな私が隙間時間に楽しんでいたのが、ウェブ小説だ。
中でも好んで読んでいた連載小説の中に、シュクレという名の男爵令嬢が主人公のものがあった。
登場人物の名前がどれもこれもやたらと甘そうだったから、覚えていたのだ。
ヒロインは、シュクレ・エクレール男爵令嬢。
ふわふわした栗色の髪と大きな桃色の瞳の、庇護欲をそそる小動物系ヒロインだ。市井の娘なので、感情豊かで素直、元気さと明るい笑顔が魅力的だった。
メインヒーローは、王太子のオーラン・ジュ・ムース・オ・ショコラ。
茶色味がかったビターな黒髪に、光の加減で黄金にも見えるオレンジ色の瞳。学生にしては大人っぽい、美麗な顔立ちが印象的なヒーローだ。
二人の恋路を邪魔する悪役令嬢が、オーランの婚約者、ラズベリー・フロマージュ公爵令嬢。
腰まである艶やかな金髪、眦の吊り上がったワインレッドの瞳。絵画から出てきたように美しいかんばせと完璧なプロポーションを誇る、美人である。
「――って、私の娘、悪役令嬢じゃないか!」
私は思わず手にしていた資料をぐしゃりと握りつぶして、勢いよく椅子から立ち上がった。
こうして私が突然取り乱しても、従者のライムはぴくりとも表情を動かさない。優秀である。
まあ、もうすでに私の突飛な思考や行動に慣れていると言ってもいいかもしれないが。
「……ごほん。だとすると、今のうちに手を打たねば」
愛娘ラズベリーとオーラン殿下は十五歳。今年、学園に入学したばかりだ。
前世の記憶どおりに世界が動けば、二年後にヒロインが学園に来て、娘の婚約を壊してしまう。
「ライム。ラズベリーとオーラン殿下の学園での様子は?」
「お二方とも成績はすこぶる優秀。気の置けない友人たちを得て、楽しく充実した学園生活を過ごされていると伺っています」
「殿下との仲はどうだ?」
「はい。お二方は大変仲睦まじく、登下校の際だけでなく、昼の休憩時間も共に過ごしておられることが多いと報告を受けております」
「そうか」
私は口端を緩めて頷いた。
ラズベリーとオーラン殿下の婚約は、最初こそ政略的な意味合いが強かったのだが、娘は顔合わせの時点からずっと、オーラン殿下に大層好感を持っていた。
ラズベリーは高度な教育を受けた立派な淑女だから感情をあまり大きく表には出さないが、殿下を深く愛し慕っているのは、親の私からしたら一目瞭然である。
オーラン殿下も、私に心の底を覗かせるようなことこそしないものの、ラズベリーに対しては真摯に誠実に向き合ってくれているように感じていた。
ライムからの報告を聞いても、今の時点では二人の仲が良好なのは間違いなさそうである。
「では、何者かがラズベリーを蔑ろにしたり、疎んでいる様子は?」
「表だってはございません。ラズベリーお嬢様は公爵令嬢であり、王太子殿下の婚約者でいらっしゃいますから、媚を売る者は多いようですが。ただ……」
「ただ?」
「殿下の足を掬おうとしている勢力がいるようで。お嬢様にも火の粉がかかるかもしれません」
「……ふむ。大体の予想はつくが」
オーラン殿下は王太子だが、今代の王家はなかなか男児に恵まれず、殿下には姉王女が三人いる。
王位継承権第二位の王弟殿下もまだ若いし、我が家と敵対関係にあるアラモード公爵家に嫁いだ第一王女殿下も、既に男児を二人産んでいる。
「正直なところ、そちらは王家の方で何とかしてほしい話ではあるがな」
「その対処も含めて、殿下の資質を確かめるおつもりかもしれませんね」
「だろうな。しかし、それで殿下にハニートラップでも仕掛けられて、うちの娘が傷つくことになったら――」
ラズベリーなら問題が大きくなりすぎる前にきっちり対処しようとするだろうし、それ以前に取り巻きの令嬢たちがラズベリーの意向を汲んで、敵対者の心を折りにいくだろう。
前世で読んだ物語に出てきたラズベリーも、取り巻きの令嬢たちがやった嫌がらせや虐めを指示したとして、オーラン殿下に見限られ、婚約を破棄されていた。
物語の中でラズベリーが実際に令嬢たちに指示を出したのか、令嬢たちが勝手にやってその上でラズベリーを裏切ったのか、そのあたりの事実関係は不明だが……後者のような気はする。
なぜなら、ラズベリーは絶大な権力を持つ公爵令嬢。みみっちい虐めなどせず、もっと苛烈で足の付かない手段を用いて『処分』することも容易なのだから。
とにかく、物語のことを踏まえると、オーラン殿下の人を見る目は信用できない。判断力も然り。
「……あんな男にうちの娘を嫁がせて良いのか……!? というより、あれが次期国王だと……!?」
「閣下、いくらお嬢様がお可愛いからとはいえ、妄想が行き過ぎてございます」
「――はっ!」
呆れ混じりのライムの声に、私は我に返った。
そうだ、現実世界ではまだ何事も起こっていないのだった。
この世界が本当にあの物語と同じ未来を辿るのか、オーラン殿下のような分別ある人物が本当にシュクレなどに惹かれるのか、もし惹かれることがあったとしたら何か理由があるのではないか――どちらにせよ、一度、冷静に状況を把握する必要がある。
公爵家の息がかかった者を学園に送り込むことも、真剣に考えた方が良さそうだ。
「ともかく、だ。殿下が自ら虫を払えるのなら問題はないが……少なくとも、あの女を殿下に近づけるのは得策ではないな」
「あの女?」
「エクレール男爵家の庶子だ。このままだと、シュクレ嬢は正式に男爵家に迎えられて、学園に入学してくるかもしれない」
「それの何が問題なのです? 男爵家の、しかも庶子であれば、殿下やお嬢様と近づく機会など訪れないのではございませんか?」
「まあ、念には念をというやつだ」
ライムは僅かに眉を寄せた。
私が何を問題視しているのか理解できずにいるようだが、説明する必要はないだろう。
心配事があるなら、先回りして潰せばいい。
娘が惚れた男の資質が不安なら、娘に相応しい男になるように、王太子として申し分のない判断ができる男になるように、今から私が育て上げてやろう。
ヒロインという毒花は、花開く前、今のうちに芽を摘んでしまえばいいのだ。
「ところで、エクレール男爵家の次男が患っている病とは何だ?」
「先天性の難病のようです。病名と症状、病の進行度はこちらの資料にございます」
「ふむ。これは……使えそうだな」
私は資料に目を通して、悪い笑みを浮かべたのだった。
*
それから二年後の春。
ラズベリーとオーラン殿下は三年生になった。
ヒロインのシュクレは、入学していない。
それどころか、彼女はエクレール男爵家に迎え入れられることもなく、今も平民のままである。
さらに言うと、殿下が生徒会長を務めているのは前世で見た物語と相違ないが、彼の周囲を固める面子は、物語とはだいぶ異なっていた。
親の爵位と権力で選ばれた、側近候補だったと思われる者たち――宰相の次男も、騎士団長の次男も、侯爵家の嫡男もいない。
代わりに生徒会に在籍しているのが、辺境伯家の次男と、伯爵家の三男、そして男爵家の嫡男。
魔術師団長の息子は物語と同様生徒会に在籍しているが、彼はそもそもあまり人間に興味がなく、魔術の研究だけしていれば満足なようなので問題ない。
――どうしてこうなったか。
まず、エクレール男爵がシュクレを嫡女として迎えなかった理由。
それは、新たな嫡男となった、エクレール男爵家の次男、モカ・エクレールの病が快癒したためである。
モカの患っていた病は、先天性のものではあったが、投薬治療によってかなり改善、あるいは完治する場合もある病だった。
治療は高額になるため、財政的に豊かではないエクレール男爵家では、モカの治療費を捻出するのが難しかったのである。
幸い、フロマージュ公爵領では以前から医療の発展に力を入れてきた。
モカの治療薬も、もちろん簡単に用意できる。
私はある夜会で、エクレール男爵と交流のある貴族に、このように漏らしたのだ。
「新薬の治験に協力してくれる者を探している。安全性はかなり高いと見込まれている薬なのだが、難病ゆえに治験者がなかなか見つからない」——と。
そして、当初の目論見通り、その貴族を通じて私はエクレール男爵、そしてモカ・エクレールと対面することができた。
本当は治験段階は過ぎ、実用に至っていた薬だったのだが、エクレール男爵にもモカ本人にも「これは新薬の治験だ。治験だから、治療費は不要」と偽って治療を受けさせたのである。
そうして、モカの病は完治した。
彼はラズベリーや殿下の一つ年下で、娘たちが二年生に上がる時には、無事に学園に入学することができた。
モカはエクレール男爵と共に、私に深い感謝を示し、我がフロマージュ公爵家に忠誠を誓ってくれた。
その縁で、モカは入学前に、ラズベリーとオーラン殿下とも顔を合わせることが叶い、一年間限定でとある密約を交わすこととなったのである。
モカにとっては屈辱的かつ大変な役目になるだろうと思ったのだが、彼の感謝と忠誠は思った以上に深く、私の提案をあっさり快諾してくれたのであった。
モカは、ずっと患っていた病のせいで、身体の成長が遅れていた。
小柄で華奢で、声変わりもまだ完了していない。
ふわふわとした栗色の髪と同色の大きな瞳、色白の肌は、母親が違うとはいえ、瞳の色を除いて、物語に登場したヒロイン、シュクレ・エクレールとよく似ていた。
そんな彼が女子用の制服を着用していれば、事情を知る者以外は、モカ・エクレールが男子だとは考えもしなかっただろう。
学年が違うにもかかわらず、身体が弱いモカを気遣い、こまめに会いに行き、親切に扱うオーラン殿下。
オーラン殿下の行動を咎めるでもなく、モカと二人で並んでいればちらりと一瞥を向けるのみで、普段通りに過ごしているラズベリー。
その分減っていく、ラズベリーとオーラン殿下の二人の時間――。
それを見て勝手に行動を起こしたのが、かの物語におけるオーラン殿下の側近候補たちの一部と、ラズベリーの取り巻きをしていた令嬢たちの一部だった。
彼らの行動は、件の物語とそっくり同じ。
正ヒロインであるシュクレが不在にもかかわらず、オーラン殿下は恋に溺れる愚かな王子に、ラズベリーは悪役令嬢に仕立て上げられようとしていた。
しかし。
事が大きくなるより前に、オーラン殿下は。
「もう、生徒会の活動には来なくて良い。こちらに気を取られて勉学が疎かになっているだろう」
モカを殿下の『真実の愛』の相手にしようとした側近候補たちを、強制的に生徒会活動から外した。
また、ラズベリーの方も。
「招待状? いいえ、貴女にはお出ししておりませんわ。今度のお茶会は、仲の良い方だけをお招きしていますの」
自分の真意も聞かず浅はかな行動を取ろうとした令嬢たちを、静かに遠ざけていった。
新たな側近候補の選定が落ち着いたある日、休日の穏やかな昼下がりのこと。
私は、オーラン殿下とラズベリーが、フロマージュ公爵邸の庭園でお茶会をしていた際の会話を、庭師の扮装をしてこっそり聞き耳を立てていた。
「本当に愚かだな。モカは男だというのに、何が『真実の愛』だ。あいつらの目は節穴か」
「ふふ、仕方ありませんわ。モカ様は女性と見まごうほど可憐でいらっしゃいますし、庇護して差し上げたいと思わせるのがとてもお上手ですもの」
「それでもだ。私にはラズベリーという素晴らしい婚約者がいるんだぞ。他に目移りなど考えられない。私は君を心から尊敬しているんだ」
「まあ。尊敬……ですか?」
「二年前に改めて釘を刺されはしたが、あの時公爵に言われずとも、私は婚約してから君を……君だけを、誰よりも近くで見てきたつもりだ。学園や生徒会のことだけではなく、王太子妃教育に公務に社交に慈善活動……君はずっとたゆまぬ努力を続けてきただろう。それは並大抵のことではない」
「殿下……」
「……ラズ。君も、私のことを想ってくれているなら、そろそろ『殿下』ではなく、オーラン……、いや、オルと呼んではくれないだろうか?」
「……っ。オル、様」
——とまあ、このあたりで何だか体中がむず痒くなってきたので、私はそそくさと退散したのだった。
余談だが、その後しばらく、ラズベリーは私に口もきいてくれなかった。
どうやら、私が庭師の扮装をして聞き耳を立てていたことに気がついていたらしい。
あんなに小綺麗で挙動不審で仕事をなさらない庭師はいませんわ、だそうだ。
だって、仕方がないだろう。二人の関係が順調かどうか、ずっと一人で気を揉み続けていたのだから。
ラズベリーにぷいっと顔を背けられても、ライムに激渋な顔をされても、愛娘から報告を受けた妻にしこたま怒られても、虫に刺されたところが痒くて眠れなくても、私としては何の悔いもない。ないったらない。
今回はモカの病が治せるものだったことが幸いして、平民のシュクレには手を下さずに済んだ。
だが、状況が整わなければ、シュクレが今も無事であったかはわからない。
——火種になりかねないのであれば、確たる証拠がなくとも、容赦なく手打ちにする。
本来、貴族と平民の間にはそれだけの隔たりがあるのだ。
だから、平民の血が混じる男爵令嬢を王太子妃として召し上げるなど、まともな感性があれば絶対に有り得ないこと。
あの物語におけるヒロイン・シュクレはとても可愛らしい少女ではあったが、現実ではあくまでも愛玩対象の域を出ないのだから。
忠実な手駒となったモカに手伝ってもらって、逆ハニートラップを仕掛けることができたのも僥倖である。
ちなみに、学年が上がった際にモカは髪を切り、制服も男子生徒のものに切り替えた。
身体つきも徐々にしっかりしてきたし、声変わりも休みの間にだいぶ進んだので、今はもうモカはきちんと男子生徒として認識されているだろう。
それと同時に、殿下やラズベリーからそっと距離を取られた子息たちは、この一年間、自分たちが試されていた事実を知って青ざめているようだが、もう時すでに遅しである。
「悪役令嬢などではない。うちの娘はどこに出しても恥ずかしくない、自慢の娘だからな。可愛い娘がおれば、ヒロインなど要らぬわ」
私は、コーヒーを飲みながら新聞の頁を繰る。
途中、『平民の少女が学園に乱入。自分は男爵家の娘で将来王太子妃になるのだと主張』とかいう少々気になる見出しを発見して、サラッと流し読みした。
妄言がすぎる平民の少女は、誰にもまともに取り合われることなく、すぐさま衛兵に取り押さえられたという。
「……手間をかけた意味はあったが、慈悲をかける必要はなかったようだな」
「何かございましたでしょうか」
「いや、何でも。今日は、取り立てて注視すべき記事はないようだな。ライム、今日の予定は?」
「本日は午前中に御前会議、その後は隣国大使を招いての昼餐会が予定されております。午後には——」
私は新聞を閉じると、ライムの読み上げる予定を聞きながら頭の中を整理していく。
今日も忙しくなりそうだ。
コーヒーを飲み干し席を立つと、私は悪い笑みを浮かべつつ、出かける支度を始めたのだった。
お読みくださりありがとうございました♪
また、誤字報告して下さった方、ありがとうございます!




