第十六話 「絶好調の九年目だったが」
主人公ハルトがプロ野球選手を夢見てソフトボールから軟式~硬式野球へと取り組み、活躍してプロ野球選手となる物語。しかし、プロ野球選手として全盛期の時期に病に倒れ、プロ野球選手としては選手生命を絶たれてしまう。
だが、いつも寄り添ってくれる妻ナミがハルトを支え、苦悩を一緒に乗り越え、プロ野球選手ではなく、指導者として歩み続けて行き、プロ野球選手を育てるという新たな目標に向かって走りだす。
リーグ開幕戦は一週間後だが、筋力トレとランニングを毎日行うと同時に身体のメンテナンス(マッサージ等)を行い開幕戦に備えていた。
開幕戦はホームでの三連戦となり、ナイターでの試合だ。
俺は十二時半に球場に着き、身体を解していた。
その後、昼飯を済ませミーティングとなった。
監督から熱い一言があり「リーグ優勝二連覇と日本一の二連覇を目標に戦おう、君達ならできる」と話し、皆で気持ちを一つにした。
十六時まで守備・打撃練習をしているとベンチにはKさんが来ていた。
監督の横で何やら話していて、俺がベンチに入り、「Kさん、こんにちは」と言うと「ハル、身体の調子はどうだ」とKさんは気遣ってくれた。
俺は「ばっちりッスよ」と言うとKさんは「試合見させてもらうぞ」と話していた。
観客席にはシゲさんも来ていた。
俺は二人に今シーズンの活躍を見て貰い、恩返しのつもりでやるだけだ。
初戦の先発ピッチャーは両チームともエースがマウンドに上がった。
俺は三番レフトで出場し、緊張感の中で快音を響かせ、センターオーバーのツーベースヒットで出塁した。
続く四番・五番もヒットが連続し、先制点の二点が入った。
その後はなかなか点が入らず、八回表に二点を入れられ同点となった。
八回裏は九番からの攻撃で、フォアボールで出塁すると二塁への盗塁が決まり、一番がセンター前ヒットとなり、三塁・一塁。
続く二番が内野ゴロで三塁・一塁のまま俺の打席となった。
相手ピッチャーはストライクゾーンに入らずストレートのフォアボールとなりワンアウト満塁とした。
四番が打席に入り、ピッチャーが交代となった。
四番は再び打席に入り、初球を打つとファールになり、二球目もファールで、三球目少し高めだったが打ち返すとレフト後方までの飛球で犠牲フライとなり、一点が入り勝ち越した。
続く五番は二球目を打つとライトスタンドへツーランホームランとなり、二対五となった。
最終回を三者凡退に抑え初戦を突破した。
この勢いは二戦目・三戦目にもいい影響を与え、三連勝となった。
俺は二戦目・三戦目共に好調で、三試合で六安打七打点となった。
試合が終わり、俺はいつもならシャワーを浴びて帰るのだが、何かいい状態で打てた余韻をもう一度試したくて室内練習場に行き一時間程打っていた。
コーチから「ハル、珍しいな」と声を掛けられた。
明日は休みだなあと思い、何かいつもと違った取り組みをしてみたかった。
タクシーで帰宅するとユウマは寝ていたがナミは起きて待っていてくれた。
「ゴメン、遅くなって、何かいい調子の余韻を確かめたくて」と言うと「いいと思うよ、でも無理しないでネ」とナミは話してくれた。
ナミと話しながら動画を見た後、俺は爆睡した。
翌日はユウマを抱え、ナミと買い物等に出掛けていた。
昼はランニングと筋トレをした後、家でマッタリと過ごしていた。
翌朝、電車を乗り継ぎ、遠征先に出掛け、球場入りした。
ロッカールームに荷物を置き、着替えを済ませるとミーティングだ。
その後、室内練習場で軽く汗を流した。
軽く昼食を済ませ、皆と談笑してグランドで打撃練習をしていた。
プロ野球選手はシーズン中の休みが少なく遠征も多いので、子供と接する時間が少なく、少しストレスを感じていた。
先輩選手からアドバイスを受け「ハルの頑張りは今息子は知らないけど、今はハルの活躍を動画でいつでも見れる時代だ。今の内に活躍する事でいつかは息子もハルの活躍を見る事になるよ。頑張れ!」と話してくれた。
遠征初戦、二番レフトで出場し、初回からヒットを打っていた。
打席に入っても不思議と迷いが無くなり、いい感じでバットが出て快音を響かせていた。
俺は毎試合のようにホームランが出て、好調をキープしていた。
また、毎日ユウマとナミとテレビ電話をして癒された。
自宅に帰れば、ユウマにべったりでその事を聞く方々は「ハル、子供好きなんだ?」と良く言われていた。
俺は二十七歳の誕生日を迎えた。
五月もチームは好調でリーグ一位をキープしていた。
俺はトレーニングとマッサージは欠かさず行い、身体のチェックも行っていたので、体調は良かった。
六月の交流戦では、マサトやケンを意識し勝負を挑んでいた。
マサトからはヒット二本打てたが、ケンからは九回裏に逆転ツーランホームランを打てたので気分は爆上がりだ。
その日の晩飯は俺のおごりとなり、嬉しさもあり、出費は痛かった。
それでも俺達は仲のいいライバルだ。
オールスターでは俺もマサトもケンも選ばれて再度対戦した。
俺はオールスターに強かったので、二戦共ホームランやヒットが出て二年連続のMVPを取る事ができた。
マサトとケンからはヒットが打てなかった。
ケンとマサトからグーサインをされ、交流戦の仕返しをされた。
オールスターも終わり、スポーツドクターやトレーナーから身体のメンテナンスをしていただき、疲労の蓄積は少なかった。
チームは前半戦を終了して一位で折り返し、俺は打率一位、本塁打一位、打点一位、最多安打等、打撃部門ではかなり好調だった。
監督・コーチ達からイジられるもチームの雰囲気は良かった。
八月もチームは好調をキープし一位だ。
俺の打撃成績も良かったが、少し右脇腹に痛みがあった。
スポーツドクターやトレーナーに見て貰いながら試合に出場していた。
八月が終わり、九月に入ると誰もがこのままリーグ優勝が見えてきたと思っていた。
しかし、チームの故障選手(主力ピッチャー二人)が出たり、少し厳しい状況になりそうな感じもあった。
ピッチャーの補強が上手く行かない中、打撃だけで勝ち進む程甘くはなかった。
チームの一位と二位の差が二ゲームとなり、厳しい状況でホームで三連戦の首位攻防が始まった。
一戦目は三番レフトで出場し、時々右脇腹の痛みはあったが、何とか三打数二安打二打点で三対五とチームの勝利に貢献した。
続く二戦目も三番レフトで出場し、二打数一ホームラン三打点で二対五で何とかチームは二連勝となった。
二位とのゲーム差は四ゲームと突き放し、チームの皆もホッとしていたが、俺の身体は疲れていたのか右腕から右脇腹あたりが少し張っているような気がした。
明日の三戦を目前にスポーツドクターやトレーナーに見て貰おうと思って、シャワーを浴びそのままタクシーで帰宅した。
帰宅してナミに話すと「明日、試合出れるの?無理しない方がいいよ」と言われて眠った。
翌日起きてみると右腕や右脇腹の痛み等は無く、ナミに「痛みは無いから
たぶん試合出れるかも?」と言い、俺は球場に出掛けた。
球場に着いてスポーツドクターやトレーナーに右腕と右脇腹が痛かった事を伝えると軽くマッサージを受け、特に異常は無さそうとの事だった。
しかし、監督はトレーナーから俺の身体の事を聞き、「ハル、今日は試合に出ない方がいい、すぐに病院に行ってくれ」と言われた。
俺はショックだったがここでイジを張ってもしょうがないし、監督の言う通り病院に行く事にした。
俺は十四時頃、ナミに電話し事情を話し、今までもお世話になった病院に行く事を伝えた。
球団職員にも同じ事を伝え、一緒にタクシーで向かう事にした。
俺はロッカーで着替えを済ませ、荷物を持って球場の関係者出入口に向かう途中、突然右半身に激痛が走り、立っていられなくなってしまい、その場に倒れ込んでしまった。
待っていた球団職員は俺が来ない事を気にしてロッカー室へ向かう途中、倒れ込んでいる俺を発見し、すぐに救急車を呼んだ。
球場に救急車が来ると周囲は騒然となり、運ばれたのが俺だった事もあり、球場内は大騒ぎだったようだ。
俺は救急車に乗せられ、球団職員二名も一緒に乗り込み病院へと向かった。
俺は意識が無かったようで、酸素吸入とか応急処置をした上で、俺が行こうとした病院に救急隊員が連絡をして救急患者として受け入れられた。
球団職員はナミに連絡をして俺の状況と受け入れる病院名を話した。
救急車は病院に到着し、すぐに看護師の指示された部屋に入り検査等が行われた。
球団職員二名は看護師の言われる待合室で待機していて、そこにユウマを連れたナミが到着した。
看護師はナミと球団職員に俺の状態を話し、検査等が終わったら〇階の〇〇号室に入ると説明があった。
一時間後に俺が病室に入った事をナミは看護師から聞き、球団職員と共に病室へ向かった。
俺はベットに横になっていて、腕から点滴が打たれていた。
その後、ナミは主治医から俺の状況の説明があったようだ。
ナミは病室に戻り、球団職員の方々に説明し「命に係わる事では無い」との事を話し、病名や原因は不明との事も伝え、しばらくは入院・治療が必要で入院期間も今の所不明と伝えた。
その後、球団職員は帰られ、後日改めて来られると話していた。
俺が目を覚ましたのは翌日の八時頃だった。約十八時間寝ていたのだ。
気づいた時にはナミは椅子で眠っていた。
俺は目をキョロキョロするが声が出ないし、手や足、身体が動かせず、どこにも力が入らなかった。
右腕に点滴が打たれている事に気づいたがどうする事もできない。
看護師が病室に入って来るとナミは起きた。
看護師は俺が目覚めた事に気づき、ナミは「ハル!」とナミの声がして振り向いたが俺は声が出せなかった。
目が動き、両手の指が動かせる程度だった。
ナミが俺の右手を握る感触は伝わって指が少し動き、俺が反応した事にナミは喜んでいた。「ハル、声が出ないの?」と言い、俺は返事ができず、指を動かす事しかできなかった。
病室に看護師に連れられたユウマが入ってきた。
ユウマはベットに横たわる俺を見て不思議そうな顔をしていた。
ユウマがベットに近づき「パパ?」と言い、俺の右手指を掴んでいた。
俺は指を動かすとユウマはギュッと握り返すが俺は声が出ないかった。
ナミは「パパは今、ユウマと遊んで上げれないの。ユウマ我慢できる?」と言うとユウマは「うん」と頷きながら俺をジッと見つめていた。
何もできない俺は辛かった。
ナミもユウマも俺の姿を見てきっと不安だと思うし、俺自身も何が何だかわからず、この先どうなるのかと不安しかなかった。
翌日、ナミは主治医から治療方法は明確にされず、「色々と調べ、検査して手探りな治療となる」との話しだ。
その会話をナミとナミの両親が話していて俺はベットに横になりながら聞いていた。
その二週間後、俺は別の病院へ転院する事になった。
そこは脳神経外科の専門病院のようだ。
今の病院で俺の病気が脳に関係するものと判断されたようだ。
転院してからおとんやおかん、兄いが来てくれた。
ナミが主治医から聞いた話しでは、「脳のどこかに異常があり、身体が動かなくなったと思われる」と聞いたようだ。
まだこれからも検査等を続け、余り前例の無い病気のようなので、慎重に検査と治療を進めたいとしているようだ。
俺は声も出せず、目と手の指が動く程度で顔の表情も変わっていなかったようで、おとんは「植物人間みたいだな」と話していた。
全くその通りで、俺はただただ辛かった。
ユウマは時々俺の手指に触れ、動きを見ていた。
俺は転院してからも色々な検査(血液、MRI等)を何回も受けていた。
ただベットに横たわり、病室内のテレビを見たり、眠ったりしていた。
この年でオムツを当てられ、排尿にはチューブを付けられ、看護師やナミにオムツを替えて貰っていた。
恥ずかしいや情けないと感じながらも動かない身体にどうにもならなかった。俺は「何時になったら身体は動くのか?」ばかり考えていた。
しばらくして、ナミから「ユウマがニ歳になったのよ」と聞かされた。
俺は嬉しさの反面、悲しさが込み上げて来た。
ユウマをお祝いする事ができず、これほど複雑な思いはなかった。
俺の思いは誰にも伝えられないまま時が過ぎて行った。
「俺はいったいどうなるんだ?」
好きな仕事をして、働き盛りに病気や怪我で好きな仕事ができなくなった辛さ。
スポーツ選手でもサラリーマンでも職人でも辛い思いをされた方々に共感して貰えたら幸いです。
辛さを乗り越えられるか?
第二章 十七話も見ていただけると嬉しいです。




