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第四話
『地下のネットワーク』
懐中電灯の光が誠一の顔を照らしていた。
その男はしばらく黙って誠一を見つめていた。
そして小さく笑う。
「やっぱりそうだ」
男は四十代くらいだろうか。
短く刈った髪、鋭い目。
軍人のような雰囲気がある。
「国家記録庁の桐生誠一」
「市民監視データ分析官」
誠一は言葉を失った。
男は肩をすくめる。
「心配するな。政府のファイルだけじゃない」
「こっちにも情報網はある」
先ほど誠一を連れてきた男が不機嫌そうに言った。
「勝手に驚かせるな、黒崎」
黒崎と呼ばれた男は軽く手を上げた。
「悪い悪い」
そして誠一の前に立つ。
「はじめまして」
「黒崎 修二」
「元・自衛隊」
誠一は少し驚いた。
自衛隊。
戦争後、日本の軍事組織は大きく再編されている。
その多くは現在、国際再建軍として海外に展開しているはずだった。
黒崎は誠一の反応を見て言う。
「辞めたよ。三年前に」
「正確には……辞めさせられた」
地下水路の冷たい空気の中で、しばらく沈黙が続く。
やがて黒崎が言った。
「ここは長居できない」
「別の拠点に移動する」
誠一は聞いた。
「拠点?」
黒崎はうなずく。
「地下ネットワークの中継点だ」
「この辺りだけじゃない」
「東京の地下には、まだ使える空間がいくつもある」
誠一は信じられない気持ちで周囲を見た。
政府の都市監視システムは、世界でも最も高度なものだ。
AIが都市全体をリアルタイムで解析している。
その網の目の中に、こんな場所が残っているとは思えなかった。
黒崎は笑った。
「完璧なシステムなんて存在しない」
「特に人間が作ったものはな」
一行は水路をさらに進んだ。
通路はやがて分岐し、古いトンネルへとつながる。
そこには小さな鉄扉があった。
女が暗証番号のようなものを入力する。
カチリ、と音がして扉が開いた。
中には広い空間が広がっていた。
誠一は思わず息をのむ。
そこはまるで、小さな基地のようだった。
机が並び、地図が壁に貼られている。
古いサーバーラック。
衛星通信アンテナの制御装置。
十数人の人間が忙しく動いていた。
誰かが言う。
「戻ったか」
「ドローンは?」
黒崎が答える。
「撒いた」
部屋の空気が少し緩んだ。
だが次の瞬間、何人かの視線が誠一に集まる。
「その人は?」
黒崎が簡単に言った。
「新入りだ」
誠一は慌てて言った。
「いや、まだ……」
黒崎は遮った。
「もう遅い」
「君のIDはさっき照合されかけた」
「政府のログには残ってる」
「つまり」
彼は淡々と言った。
「君はもう監視対象だ」
誠一は何も言えなかった。
国家記録庁で、何度も見てきた言葉。
監視対象。
それが今、自分のことになっている。
黒崎は机の上の端末を指した。
「見てみろ」
画面には地図が表示されていた。
世界地図。
だが、政府のニュースで見るものとは少し違う。
いくつもの赤い点が光っている。
誠一は聞いた。
「これは?」
黒崎は答えた。
「地下ネットワーク」
「世界中にある」
誠一は目を見開いた。
「世界中……?」
黒崎はうなずく。
「アメリカ西海岸」
「ヨーロッパ」
「東南アジア」
「南米」
赤い点がゆっくり点滅している。
「日本が世界を管理してるってニュースで言ってるだろ」
黒崎は皮肉っぽく笑った。
「半分は本当だ」
「でももう半分は違う」
誠一は画面から目を離せなかった。
「つまり……」
黒崎は続ける。
「まだ終わってないんだよ」
「戦争は」
その言葉は静かだった。
だが重かった。
そのとき、部屋の奥から声が上がった。
「通信入った!」
全員が振り向く。
端末の画面に英語の文字が流れている。
オペレーターの女性が言った。
「西海岸ネットワーク」
「サンフランシスコ地下局」
黒崎が近づく。
「内容は?」
女性は画面を見つめながら言った。
「日本の監視衛星が……」
一瞬、言葉を止める。
「落ちた?」
黒崎の目が細くなる。
「どういう意味だ」
女性はゆっくり言った。
「誰かが破壊したらしい」
部屋がざわめいた。
誠一は信じられない気持ちで立っていた。
日本の監視衛星。
それは世界最大の監視システムの中核だ。
それが破壊された?
黒崎が低く言った。
「誰がやった」
女性は答える。
「わからない」
「でも通信にはこう書いてある」
彼女は画面を読み上げた。
「『反撃は始まった』」
地下基地に沈黙が落ちる。
誰も動かない。
誠一の胸の奥で、何かが静かに崩れていく。
政府が言っていた世界。
安定した秩序。
日本が守っている平和。
それが今、音を立てて揺らいでいる。
黒崎はゆっくり振り向いた。
誠一を見る。
そして言った。
「歓迎するよ」
「桐生誠一」
「世界の裏側へ」
地下の灯りが静かに揺れていた。
そしてその瞬間、誠一は理解した。
自分がもう、
元の世界には戻れない ということを。




