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第三話
『監視の影』
地下通路に響く機械音は、ゆっくりと近づいていた。
金属が擦れるような低い振動。
そして、時折混ざる電子音。
誠一はその音をよく知っていた。
国家記録庁のデータベースにも何度も登場する機種。
都市監視ドローン M-47型。
本来は地上巡回用だが、地下施設の探索機能も備えている。
男が小さく舌打ちした。
「どうしてここが……」
奥にいた若い男が端末を見ながら言う。
「わからない。監視網には引っかかってないはずだ」
女が言った。
「誠一さん、あなた……」
疑いの視線が一瞬だけ向けられる。
誠一はすぐに首を振った。
「違う。俺は何も送信してない」
男が腕を上げて二人を制した。
「今それを言っても意味ない」
彼は周囲を見回した。
「全員、準備」
地下空間の空気が一瞬で変わる。
人々は慣れた動きで機材をまとめ始めた。
発電機の電源が落ちる。
灯りが暗くなる。
誠一は立ち尽くしていた。
こんな事態になるとは思っていなかった。
ただ、興味で降りてきただけだったのだ。
男が誠一の肩をつかんだ。
「立ってないで動け」
「え?」
「出口は一つじゃない」
男は地下通路の奥を指さした。
「この先に古い排水路がある」
「そこから外に出る」
誠一は思わず聞いた。
「ドローンは?」
男は短く答えた。
「避ける」
その声は落ち着いていた。
だが機械音は確実に近づいている。
カチ、カチ、と小さなセンサー音。
索敵モード。
誠一は喉が乾くのを感じた。
「急げ」
全員が暗い通路を走り始めた。
足音が湿った床に響く。
遠くで金属の羽音がした。
誠一は振り返った。
通路の曲がり角から、白い光が差し込んでいる。
ドローンのライトだ。
男が叫ぶ。
「走れ!」
その瞬間、鋭い電子音が鳴った。
ピッ――
次の瞬間。
「対象検知」
無機質な合成音声が通路に響いた。
誠一の背中に冷たい汗が流れる。
女が小さく叫んだ。
「まずい!」
通路の後ろから強烈な光が広がる。
誠一は思わず目を細めた。
そして見えた。
直径一メートルほどの黒い機体。
四枚のローター。
中央には赤いレンズ。
監視ドローン。
それがゆっくりと浮かびながら通路に入ってきた。
赤い光が一瞬、誠一の顔をなぞる。
「市民ID照合」
誠一の心臓が止まりそうになる。
もし認識されたら終わりだ。
国家記録庁の職員が、未登録地下区域にいる。
言い訳はできない。
男が振り向いた。
「誠一!」
誠一は我に返った。
全力で走る。
通路は狭く、天井も低い。
後ろから電子音が続く。
「未登録行動」
「追跡開始」
突然、通路の先に水の音が聞こえた。
男が叫ぶ。
「ここだ!」
壁の隙間から、古い鉄扉が見える。
女がレバーを引いた。
扉が軋みながら開く。
その向こうには――
水路。
地下の排水トンネルだった。
濁った水がゆっくり流れている。
男が言った。
「飛び込め!」
誠一は一瞬ためらった。
その背後で。
ブンッ
ドローンが急加速する音。
次の瞬間、鋭い光が通路を横切った。
壁が焦げる。
「警告射撃だ!」
男が叫ぶ。
「次は本気だぞ!」
誠一は考える暇もなく水路に飛び込んだ。
冷たい水が体を包む。
息が止まりそうになる。
周囲で何人かが水に入る音。
男の声が響く。
「流れに乗れ!」
誠一は必死で前に進んだ。
水は腰まである。
暗くてほとんど見えない。
後ろからドローンの光が差し込む。
だが水路は狭い。
機体が入れないのか、光が途中で止まった。
しばらくして、電子音が遠ざかる。
誰も言葉を発さない。
水の流れる音だけが続く。
数分後。
ようやく男が言った。
「……撒いた」
全員がその場に立ち止まった。
誠一は壁にもたれた。
全身が震えている。
こんな経験は初めてだった。
国家記録庁のデスクでは、
すべてがデータだった。
「異常行動」
「未登録市民」
「追跡対象」
だが今、自分はその「対象」になっている。
女が誠一を見た。
「もう戻れないよ」
誠一は顔を上げた。
「え?」
「あなたのID」
「さっき照合されかけた」
女は静かに言った。
「監視網に記録が残る」
「あなたがこの場所にいたこと」
誠一の胸が重くなる。
男が続けた。
「つまり」
「もう政府側には戻れない」
誠一は黙った。
遠くで水が滴る音。
暗いトンネル。
そして自分の人生。
それが今、静かに変わろうとしている。
男が手を差し出した。
「改めて聞く」
「こっちに来るか?」
誠一はしばらく考えた。
地上の世界。
完璧な社会。
静かな街。
監視の目。
そして、この地下。
危険で、汚くて、
だが――
自由に話している人たち。
誠一はゆっくりと手を伸ばした。
男の手を握る。
その瞬間。
地下トンネルの奥から、別の声が響いた。
「おーい!」
懐中電灯の光が近づいてくる。
別のグループだった。
その先頭の人物が誠一を見て、驚いた顔をした。
そしてこう言った。
「……嘘だろ」
「国家記録庁の桐生誠一じゃないか」
誠一の胸が凍りつく。
その男は続けた。
「ニュースで見た」
そして、ゆっくり笑った。
「ちょうどいい」
「俺たち、あんたに用がある」
地下の空気が再び変わった。
誠一はまだ知らない。
この地下世界が、
世界規模の秘密につながっていることを。




